今、貴方を殺しに行きます!
運命という不確かなものの存在を、私は信じています。
――…六年前
政府の手が行き届かず、犯罪が日常的に横行するダリア通り、別名 犯罪通りで私は一人の男の子を助けた。
薄暗く、小汚ない。常に酒や煙草の香りが充満している犯罪通りには、職を無くした大人や捨てられた孤児、指名手配中の悪党まで、多種多様な人間が暮らしていた。
そこで生活するものに共通することはただ一つ。
太陽の光の下で生きる資格を失った者ということ。
私は赤ん坊の頃にここに捨てられ、ここで育ってきた。犯罪通り以外のことは何もわからない。
ただ、そんな無知な当事12歳の私から見ても、彼は異質だった。
あれは、満月が紅く妖しく輝く夜のこと。
そこに似つかわしくない豪奢な衣服に身を包み、月明かりに照らされた、まだ幼くも美しい顔をした少年が厳つい大人数人に囲まれていた。
ほんの、気紛れ。
たまたま財布をスられて気分が荒んでいた時にその光景に出くわした。
だから半分八つ当たりでその大人たちに喧嘩を吹っ掛けた。
「おじさんたち、その子に手を出したらいけませんよ」
彼は、私たちみたいな人間が触れていい人じゃない。にこっと微笑みながら、腰の短刀に手をかける。
物腰柔らかな話し方と笑顔は生活の基本。交渉するにしても相手を油断させるにしても、有効な手段だから。
そのあとは一瞬だった。
おじさんたちが予想外に弱すぎたせいで。刃物の扱いは心得てるよ?じゃなきゃ生きていけないからね。
短刀の血を袖で拭い、腰のホルダーに戻す。ついでにおじさんたちの金もの物を奪っておこう。
そう思い男たちの懐をまさぐっていると、男の子が私に声をかけた。
「……君、名前は?僕はセリス・ハインド」
私は白々しい視線を彼に向け、ふっと自嘲気味に笑うと うつ向いた。
誰にでも名前があると思うな。名前があることが普通だと思うな。私のように名前がない人だっているのだから。
でも、なんだか悔しかったから
「私はダリアと申します」
嘘をついた。この通りの名前をそのまま名乗っただけ。なのに彼はそれを信じた。
「ダリア……覚えた」
そう言って笑う笑顔が眩しくて、彼に背を向けて逃げ出した。
―――――…
あれから六年が経ち、私は犯罪通りを抜け出した。相変わらず、太陽の下で生きることは出来ないけれど。
それにしても……
「ダリア、今回のターゲットはこいつだ」
「……ボス、この人は」
強面のボスから貰った写真には、数年の時を経て、美しさと凛々しさを増した彼の姿が写っていた。
「ああ」
ボスは手を組み、真剣な顔をする。
二年前に私はボスに拾ってもらった。今はボスの運営しているギルドで暗殺者として働いている。ボスとの暮らしは決して不自由じゃなかった。そのお陰か、昔より丁寧な言葉使いになったでしょう?
ちなみに、自慢ですけど営業ランキングNo.1なんですよ、私。
「セリス・ハインド。この国の王子を暗殺してほしい」
「わかりました~」
重い調子のボスとは対照的に軽く返事をする私に、ボスは眉を寄せる。
「ダリア、暗殺において油断は禁物だぞ?」
「そんなこと知っていますわ、ボス。だからってそんな怖い顔しているとターゲットに逃げられますよ?」
皺のよった眉間をぐいっと押すと、ボスはため息を吐き出した。
「……わかった。好きにやれ」
「はいっ!」
彼の……ターゲットの写真をポケットに入れ、踵を返す。
「ダリア」
今じゃ私の名前はすっかりダリアで定着した。
その名を呼ばれて首だけ振り向くと、いつになく険しい表情のボスがいた。でも私は知ってる。この顔は心配している顔ですよね。
「お前の腕を疑ってるわけじゃねぇが…………死ぬなよ?」
あぁもう、また眉間に皺を寄せてる。
私はその言葉に笑みだけ残して部屋を後にした。
ボスはまだ若いのに、(確か最近30歳になったばかり)今からあんなんだと将来皺がとれなくなりそう。心配のし過ぎで髪が抜けるかもしれない。
…………あっ、未来のボスを想像したら悲惨すぎる。
私は嫌な想像をかきけすようにターゲットの写真を取り出した。
助けた人間を殺すだなんて、運命のいたづらですかね。
すっかり青年の顔になった王子様の輪郭を指でなぞる。
「今、貴方を殺しに行きます!」
―――――…
「ごきげんよう。いい暗殺日和ですね!」
「……………ぶっ」
書斎で紅茶を飲んでいた王子様は、私の姿を見た瞬間に盛大に吹き出した。
そんなに驚かなくてもいいのに。確かにいきなり窓から暗殺者がやってきたら、少しはびっくりするかもしれませんが。
え?これが普通の反応ですか?えっ!?普通の女の子は窓から侵入とかしないんですか!?へぇ~初めて知った。
明るい茶髪の髪にエメラルド色の瞳を持つ王子様はゲホゲホと咳き込んだ。
それにしても、本当にかっこよくなりましたね。
形のいい頭蓋骨はハンマーで割ると気持ち良いし、長くて綺麗な指はバラバラにしてもいいかも。エメラルド色の目はくり抜いて売れば高い値がつくはず……………え?普通はこんなこと考えない?ぇえ!?殺しに適した人をカッコいいって言うんじゃないんですか!?……初めて知った。
私がそんな物騒なことを考えているとは知らない王子様は、驚きで目を丸くし、パチパチと数回瞬いた後
「……ダリ、ア?」
震える唇で、私の名を呼んだ。
「はい!ダリアです」
まさか覚えているなんて思わなかったけど。王子様の記憶に私が残っていたことが素直に嬉しかった。
満面の笑みで答えると、王子様の頬が僅かに朱に染まる。
そして美しい顔に蕩けるような笑みを浮かべると、こちらに手を伸ばしてきた。
「会いたかった…」
少しかすれた声が鼓膜を揺らす。
一歩ずつ王子様が私との距離を詰めてくるけど
「おっと、それ以上は近づかないでくださいね~」
残り一歩という距離で王子様の眼前にナイフの切っ先を突きつけた。
なんという王子様だろうか。自ら暗殺者に近付くなんて。
そこで私はハッとした。まだ私が名乗ってないと。
ナイフを下ろし、軽く頭を下げる。
「こんにちは王子様、私は貴方――セリス・ハインド様の暗殺を命じられ参上しました。お命ちょうだいっ☆なんちゃって」
そう言った途端、王子様の顔が強張った。
緊張をほぐすために最後は軽い調子で言ってあげたのに。ウインクとポーズ付きで言ってあげたのに。
「あ~でも安心してください。すぐには殺しませんから。一週間ぐらいその人を観察して、ターゲットに合った最高のやり方で仕留めるのが私の方法なんで」
「えっ、じゃあ」
王子様が何か言おうとして口をつぐんだ。耳が赤い気がするのは気のせいですかね?
しばらく あの……その、っ とか言ってた王子様は決意したように顔を上げ
「一週間は君と居れるってこと?」
不安と期待が入り交じった瞳でそう尋ねた。
ん?不安はともかく、期待?これから殺されるのに、期待?……いや見間違いですねきっと。
「そういうことになります」
私が答えると、エメラルド色の目は更に輝きを増した。何故か王子様の口元は緩んでいる。
あれれ?この反応は初めてです。なんで死ぬのに喜んでるんですか?
あっ!もしかして自殺志願者とか?なら私も張り切らなきゃですねっ!!
うふふっ どんな方法で殺そうかな~とうきうきしていた私は気付きませんでした。いや、知らなかったんです。情報を与えてくれないボスが悪い!!
セリス様が戦で負けなしの軍神と呼ばれているなんて、とても優秀で既に次期国王の座が決まっていたことなんて。穏やかそうな外見とは裏腹に、お腹は真っ黒だなんて。
彼が……ずっと私を探していたことなんて。
何一つ知らなかったんですから。
「もし、僕が死ななかったら……僕と結婚してくれる?」
「?いいですよ。必ず殺しますから」
冷酷、冷徹、残酷。
自国では神と崇められ、他国では死神や悪魔と恐れられている。
女に興味の無いことで有名な、セリス・ハインドの結婚式が執り行われるのは、それから間もなくのことだった。
『セリス王子、ご結婚!!』
新聞の一面を飾る大きな記事に、ギルド長でありダリアの保護者がわりの男はため息をついた。
「上手く丸め込まれやがって…」
セリス王子は暗殺者にとって近付きたくない人間だ。一部じゃ暗殺者キラーなんて呼ばれてる。
理由は簡単。殺せないから。
現にギルド長である自分も、あの王子と向き合った時は恐怖で動けなかった。
いくつもの死線をくぐり抜けてきた、いくつもの命を奪ってきた、まさに死神。
ダリアが断れば、この件を任せるつもりはなかった。だが無知なダリアは軽い調子で受けた。
その結果がこれだ。
男は今日何度目かわからないため息をついた。
ストレス過多で自分の頭の将来が今から心配である。