春のそよ風
うすもも色の梅の花がほころび始め,待ち遠しかった春が、もうそこまでやってきました。
お部屋で,健ちゃんとお母さんがお話をしています。
「春だね」
「そうね,もうすぐ春」
「春っていい言葉だね」
「心がやさしくなるわ」
「あたたかいね」
「春の陽射しは,気持ちがいいもの」
「きれいなお花が,いっぱい咲くね」
「そう,赤や黄色のたくさんのお花。桜も見たいわ」
「お花見だね」
「ウフフ」
でも今日は,外は冷たい風。明け方には、しとしと雨もふったのです。
庭のあちこちに,三日前の雪のなごりものこっています。せっかく開いた梅の花も、
びっくりしていることでしょう。
「ねえねえお母さん。春さん,お家に帰っちゃわないかなあ」
健ちゃんのしんぱい顔が,お母さんを見上げています。
「だいじょうぶ、もうすぐあたたかいお日さまとやわらかい風をつれて、春がやってくる。もう少しよ」
ひざにヒョッコリすわった健ちゃんの頭をやさしくなでて、お母さんは歌います。
春よこい
早くこい
歩き始めた健ちゃんが
「じゃあ,後いくつねたら」
「そうねえ,健ちゃんがいい子にしていたら,きっとすぐよ」
健ちゃんのまんまる目玉が,クルクルンと回りました。
「ぼくいい子だよ。そうでしょ」
「そうね,今日は一人でおきられたし」
「ワーイ、やったあ」
健ちゃんが,それほど春を待ちわびるのには,大きなわけがあるのです。
それは大好きなお散歩ができるから。冷たい木がらしに落ち葉がまう冬は,とても外には出られません。
一日中お部屋の中で,お母さんに本を読んでもらったり,つみ木でお城をつくったり。
そんな日がずっと続いたら、だれだっていやになってしまうでしょう。だって子どもは太陽の子。
お日さまの光をいっぱい浴びて,グングン育つものなのですから。三度のご飯より外遊びが好きな
健ちゃんならなおさらです。サンタさんにすてきなプレゼントをもらった次の日に、
「ねえ,春はまだなの」
って、お母さんをこまらせたくらいなのですから。
春よこい
早くこい
歩き始めた健ちゃんが
お母さんが教えてくれた歌を歌って、遠い南の空からやってくる春を,首を長くして待ちました。
どのくらいの日がすぎたでしょう。
「桜が咲いたよ」
朝,目をさました健ちゃんが,大声をあげてピョンピョンはねました。
「エッ,本当」
台所から走ってきたお母さんに,健ちゃんが庭の桜の木をゆびさします。
「ほら,早く見て」
「まあ」
いなかのおじいちゃんが、初まごが生まれたお祝いに庭にうえた桜の木に,かわいらしい花が二つ三つ,
プックリ。
「咲いた,咲いた,桜が咲いた。春だ,春だよねえ」
そう言えば,お庭の花も,きのうよりグンと色がふえたような。
お母さんの心もはずみます。
「お散歩行けるね,お母さん」
「すてき、春のにおいがするわ」
窓を大きく開けたお部屋に,サーッとさしこむあたたかい陽射しといっしょに、ほのかなあまいにおいが。
「うん,春のにおいだね」
健ちゃんの小さなお鼻も,ピクピクうれしそう。
「お散歩行けるね,行けるでしょ」
健ちゃんが,お母さんのエプロンを引っぱりました。
「そうね,やっと春がきたんだものね」
「やったあ」
やわらかい春のそよ風が,やさしくほほをなでていきます。あたたかい陽射しがふりそそぐ土手道を、
健ちゃんとお母さんが,手をつないで歩いています。もう少しでこの土手も,
すてきな桜なみ木にかわるのです。
「お散歩,楽しいねえ」
健ちゃんはスキップしたり,お母さんのまわりをクルッと一回り。うれしくて楽しくってたまりません。
それはそうです。長い冬の間,ズッとがまんをしてきたのですから。今日おろしたばかりの青いくつが、
キュッキュと鳴りました。
「土筆が芽を出してるわ」
「かわいい」
お母さんの手をはなした健ちゃんが,土筆の前にしゃがんでにらめっこ。
「こんにちは,土筆さん」
土筆が,プルンとゆれました。
「小さなお鼻がいっぱい咲いてるよ」
かれたさびしい土手道のあちこちに,春のいぶきが生まれています。
「アッ,鳥」
光をまばゆくはんしゃして流れる川面を、すべるように鳥が飛んでいきました。
思わず健ちゃんも,鳥に早変わり。スイスイスーイ。
「お花も鳥もぼくも,みんな春を待っていたんだね。みんないっしょだね」
「そうね,春は新しい命の生まれる時。希望の季節だから」
お母さんが,大きく息をすいました。
「オーイ,春さん,こんにちは」
健ちゃんもまねをして
「オーイ、春さん,こんにちは」
「ウフ,かわいい山びこ健ちゃん」
「ねえ,お母さん。冬なんかなければいいのにねえ」
とつぜん大発見でもしたみたいに,健ちゃんが言いました。お母さんはびっくり。
「でもね健ちゃん。きびしい冬があるから春が待ち遠しくいとおしい。春風や陽射しの
あたたかさがうれしい。そういうものよ」
「ふーん、そうなんだ」
分かったのか分からないのか,健ちゃんがうんうんとうなずきました。そして
「オーイ、春さん。みんなをうれしくさせてくれてありがとう。冬さんもねえ」
「まあ」
「お母さん手をつないで。もっと遠くまで歩こうよ」
「春がきて,健ちゃんも一つ大きくなるのね」
そうです。健ちゃんも誕生日も、もうすぐやってくるのです。
はずむ青いくつが,またキュッキュと空高く鳴りました。