朝、いつもの風景
そこは、小さな花園だった。
決して大きくはない、小さな小さな花園。
春の風が吹く。暖かい、やさしいほっとするような、風。
それに導かれるかのように、春の花たちは小さく揺れた。
――ザッザッ・・・・・・
軽く、芝生を踏む音がする。だんだんと近づくその足音に、彼女は気づかない。
「店長―!」
まだまだ幼い声で、そう叫んだが、やっぱり気づかない。
彼女は座り込み、目の前にある花壇に釘付けでじぃっと見つめていた。
手には軍手をはめ、隣には緑色のじょうろ。
髪留めなのか、頭にはバンダナをかぶっていた。
そして、見つめる先には白い、ベル形の花。姿はスイセン、花弁はスズランのようである。花弁の端々には緑色の斑点が付いている。涼やかに風に吹かれ、たくさんの花が揺れていた。
「店長!・・・・・・。悠里さん! 聞こえてます!?」
耳元で叫んだからか、やっと気づき振り向いた。
「はい?・・・・・・あぁ、留美ちゃんかぁ。どうしたの?」
とぼけたような声を出す悠里に、留美と呼ばれた少女はため息をついた。
「どうしたの? じゃなくて! もう開店しますよ! お店。店長がいないと思ったら、やっぱりここにいた。朝礼始められないし、あと十分で開店なんで、急いで戻ってください!」
悠里は、あれぇ、というような声を漏らす。
「留美ちゃん。今日、学校は? 部活はないの?」
留美は、また深いため息をついた。
「今日は学校は創立記念日で休みだって、一昨日も、昨日も言ってたじゃないですか。部活もないから、働くって言いましたよね? 聞いてましたか?」
悠里は頭を掻いた。
「聞いてなかったかも?」
「・・・・・・、しっかりしてください。いい大人なんですから。それ以前に、店長でしょう? 」
「はぁぁぁぁ・・・・・・。留美ちゃんは厳しいね。バイトにそこまで言われるとは・・・・・・」
「そうですよ。まったく、反省してください。わたしも店長にこんな事言いたくはないですよ」
「はい! 頑張ります! そしてとても反省をしています!」
そう言い切ってはみたが、留美の顔から怒りの表情は消えなかった。
「とにかく、早く戻ってきてください」
そういい、留美は店のほうへ戻ろうとした。が、それを阻止するかのように、悠里は彼女のエプロンの裾を引っ張った。
「ちょっと、待ってよ」
「何です?」
明らかに不機嫌そうな声を出す。まぁまぁ、と悠里はなだめた。
「咲いたの! 今日!」
「何がですか?」
「スノーフレークが咲いたの!」
悠里はそう言うと、目の前の白い、ベルのような形をした花を指差した。
留美は不思議そうな顔になる。
「スノーフレークって言うんですか? この花。私てっきりスズランかと思ってましたよ」
「確かに、似てるけどね。花びらはスズランみたいだけど、姿はスイセンに似てるでしょ? 別名、オオマツユキソウとも言われてる花だね」
へぇ、と留美は相槌をうった。
「本当ですね。スイセンにも似てます。わたし、あんまり花に詳しくないので知りませんでした」
「きれいに咲いたよ。お客さんにも喜んでもらえるといいけど」
「大丈夫ですよ。こんなにきれいなんですから」
思わず、その清らかで純粋な姿に見とれて、留美はその場で立ち尽くしてしまった。
「きれいです・・・・・・、店長の育てる花ってどうしてこんなにきれいなんだろう・・・・・・」
留美は独り言で言ったつもりだったが、その言葉はしっかりと悠里の耳に入っていた。
「それはだね、愛情があるからなんだよ!! 毎日話しかけてるからだよ!!」
完全に聞こえていないと思っていた留美は、一瞬びっくりした顔になったが、すぐさまツッコミがはいった。
「話しかけてるって、どういうことですか! 意味ってあるんですか!」
すると、悠里は急に立ち上がり、腕組みをした。
「意味はあるんだよね~。ちゃんとした理由が! 植物も、例えば『今日もきれいだね』とか、 『かわいいね』というような言葉をかけると、本当にきれいに咲くって、どっかの本に書いてた」
「それ、全然説得力ないですよ。どっかの本にっていうのもあやふやです」
それを聞いた悠里は、少し不満そうな表情になる。
「そんなことないもん。現にこのスノーフレークもちゃんと毎日話しかけて・・・・・・」
「はいはい、そんなことよりも早く戻ってください。
沙汰さんも、健吾さんも全員そろってるんですから、悠里さんが遅れてどうするんですか」
「分かったよ。すぐに行くから」
悠里はしぶしぶ返事をした。まだまだ花の世話をしていたいという気持ちがあったが、仕方がない。
「絶対ですよ!」
花園の奥にある、ログハウスの喫茶店『ぶどうの森』に向かう留美を後姿を確認し、悠里は隣にあったじょうろを片付けに向かった。