改造聖女モルガーヌの真っ白な結婚 ~誰も知らない無名の女神から『改造』の加護を授かり実家で冷遇されている私が、戦争最前線の辺境伯の元に嫁いだ結果、聖女と呼ばれるかもしれない話~
「――そなたに授けられた加護は『改造の女神』の加護である」
モルガーヌ・ド・モーリア、十歳の誕生日のことであった。
その日から、全てが変わった。
●
人は皆、十歳の誕生日に加護を授かる。
この世の万物、概念の数だけ存在する女神達、八百万の女神の中から一柱が、哀れな人の子に生きるための力を授けるのである。
そして、その加護は一生を左右する。
『剣の女神』から加護を授かれば、剣士として大成するかもしれない。
『水の女神』から加護を授かれば、水を操る大魔道士になるかもしれない。
『数の女神』から加護を授かれば、数理の深淵に挑む学者になるかもしれない。
だから、十歳の誕生日におこなわれる加護の神授式は、人生における一大行事。
モルガーヌのような貴族の令嬢にとっては、尚更に重要である。
●
神授式の会場となった教会で、司祭は分厚い辞書を捲り、うなずいた。
「記録にもありませんな。おそらく、新たに生まれた女神でしょう」
父、マルドリウス・ド・モーリアが猛然と司祭に歩み寄るのを、モルガーヌは口をきゅっと引き結んで見ていた。
『旦那様は怒るのが趣味なのよ』と、生前の母は言っていた。
『メイドの私に手ェ出して孕ませたのは旦那様なのに、いつの間にか、あの人の中では誘惑した私が悪いってことになってるでしょ。他責思考っていうのかな』とも。つまり、マルドリウスはとにかく怒りっぽいのだ。
「何かの間違いだろう、司祭! 我がモーリア侯爵家は代々、最高位の女神である『火の女神』から加護を授かる血筋だぞ! 無名の女神の加護など……!」
「八百万の女神に位階などありません。全ての女神、全ての加護は等しく――」
マルドリウスは苛立たしげに「建前はよい!」と言い放った。
「文明の礎となり、敵を焼き捨てる『火の女神』だぞッ!? 噂に聞く『厠の女神』や『蚯蚓の女神』のような低俗な女神と等しいわけがあるまい!」
「いえ、等しいのです。授かる加護が、人の営みに役立てやすいか否かというだけの話であり、女神に位階は――」
「ええい、これだから教会は! ……もう一度やるのだ、司祭。もう一度、神授式をおこないたまえ」
「いえ、神授式は人生に一度だけです。人が人生で授かる加護はひとつだけ――」
しばらく、マルドリウスと司祭は何かを言い合っていた。
というよりも、マルドリウスが神授式のやり直しを求めてまくしたて、司祭がそれは無理だ、できない――と突っぱねるだけの、一方的なものだった。
当事者なのに放置され、祭壇の前で突っ立っているモルガーヌの耳に、くすくす、という笑い声が届いた。
モーリア侯爵家の娘の神授式である。列席していた貴族達が、モルガーヌを見て笑っているのだと、すぐに気づいた。
「あれが、妾の……。正室の子より先に生まれたらしいですわよ」
「淫乱で奔放なメイドだったそうよ。娘もそうなのかしら」
「……可哀想なことだ。せめて加護がまともであれば、マルドリウスも相応に扱うだろうがなぁ……」
「無名の女神の加護ですって! どんなショボくれた女神なのかしら? どんな惨めな女神なのかしら?」
ぎゅっと拳を握りしめる。
生前の母は言っていた。
『強くなりなさい、モルガーヌ。てか強くならんと死ぬわね』と。
『だって、旦那様は他責思考の阿呆だし、貴族の社会は弱肉強食だもの。私も病でもう長くはないし、守ってあげられないわ。だから、強くなりなさい』
「――話にならん!」
マルドリウスの怒声が響き渡り、モルガーヌは腕を引っ張られて立ち上がった。強く捕まれた腕が痛い。
そのまま、モルガーヌを引きずるようにして、足早に教会を出る。
「お父様、腕が痛いです……!」
そう訴えると、マルドリウスは酷く冷たい目でモルガーヌを見下ろした。
「うるさい、黙っていろ!」
彼はモルガーヌを馬車に押し込み、自分も座席にどっかりと座った。
「ふん。希少な『地の女神』の加護を持っていたし、抱かれたがっていたから抱いてやったが、こんな出来損ないを押しつけられるとはな! 所詮はメイドの子、下賎の女の胎はこれだから……。しかし、まずい。このままでは社交界での私の価値が下がってしまう。なんとかせねば……やはり、大がかりで豪華な夜会を開きまくって……」
苛立たしげに、モルガーヌなんて存在しないかのように、ぶつぶつと呟く。
馬車の屋根がぱたぱたと音を立て、窓に水滴がぶつかる。雨が降り始めたのだ。屋敷までの道すがら、徐々に雨は強くなっていく。
ざあざあと音が鳴る中、モルガーヌは掴まれて痛む腕をさすりながら、小さくなるしかなく――けれど、心の中には、一つの覚悟があった。
(強く……、強く、ならなくちゃ……!)
●
――十五歳のモルガーヌは目覚めた。
「……また、この夢ですか。もう五年も経つのに」
むっとしながら、起き上がる。
狭い部屋だ。屋敷の屋根裏にある物置のひとつ。部屋の隅には壊れた椅子や机などのがらくたが積まれている。
ここが、モルガーヌの自室である。
見た目は粗末ながらもふかふかのベッドから抜け出て、サイドテーブルの小さな水差しを手に取る。
小さな桶に水差しを傾ければ、白く柔らかい湯気を上げるお湯が無尽蔵に沸いて出てくる。
ごく普通の水差しといくつかの魔石を組み合わせて改造し、自作した魔道具である。
温かいお湯で顔を洗って、エプロンドレスに着替える。
屋根窓から覗く外の景色は、まだ薄暗い。
音を立てないよう、そっと屋根裏からはしごで下りて、炊事場に向かう。
窯のレバーを引いて火を入れたところで、メイド達がやってきた。
「おはようございます、モルガーヌ様」
「おはよう、みんな。今日もよろしくお願いしますね」
「御意に。……たまには、朝、ゆっくりお過ごしになってもよいのですよ」
「ダメよ。それがバレたら、みんなまで罰されてしまうわ」
笑ってそう言うと、メイド達は何も言わず、ただ目を伏せた。
モルガーヌの事情に、同情してはいる。だが、貴族の複雑な家庭環境に口を挟むほど、彼女達は命知らずではない。
実の娘を屋根裏の物置に押し込め、メイド扱いする男であっても、侯爵であり、雇い主には違いないのである。
「それに、わたくしがいないと、みんなも困るでしょう? わたくしに頼りきりなんですから」
からかうと、メイド達は苦笑した。
モルガーヌの母は、気立てのよい美女で、メイドだった。同僚だったのだ。
マルドリウスに手籠めにされ、望まぬ形で妾にされた挙げ句、六年前、病で没した。メイド達にとって、モルガーヌは同僚の忘れ形見でもある。
……母に似た、素敵な少女に育ったと、メイド達は安堵している。
「では、さっそく頼らせていただきます、モルガーヌ様。本日の朝食は、どのようにいたしましょうか」
「白パンと塩漬け肉のスープ、それから新鮮な野菜のサラダも出しましょう。白パンは保冷庫に生地を仕込んであるから、焼けばいいわ。野菜は畑から採ってきて。トマトとキュウリがなっているはずです。あとは――」
慌ただしく、時間が過ぎていく。
毎朝、こんなものだった。
●
朝食の時間だ。
モルガーヌはキッチンカートを押して、食堂に向かった。
一度、深呼吸してから扉を押し開ける。
「おはようございます、お父様、お義母様、アリアンヌ様」
しずしずと、礼儀正しく部屋に入る。
食卓には、三人の貴族がいた。
一人は父。マルドリウス・ド・モーリア。モーリア侯爵家の当主。
一人は義母。ベルティーユ・ド・モーリア。マルドリウス侯爵の正妻。
一人は義妹。アリアンヌ・ド・モーリア。マルドリウスとベルティーユの娘。……『火の女神』の加護を授かった、モーリア侯爵家の嫡子。
「おはようございます、お姉様っ」
くすんだ金髪を持つアリアンヌは、ひまわりのような笑顔でモルガーヌに挨拶をした。大人二人は、挨拶どころか、モルガーヌをちらりとも見なかった。
メイド達と手分けして皿を配膳し、食事が始まってから、しばらくした頃だ。
金属が木製の床を転がる鈍い音がした。
スプーンが落ちたのだ。
「あ。落としてしまいましたわ、お姉様。拾ってくださいな」
アリアンヌが笑顔で言う。
室内の空気が、ぴりっと緊張する。
これから何が起こるのか、メイド達は理解した。
「……かっ、代わりのスプーンをご用意いたします」
メイドの一人が、震える声で言った。
「そうね。用意してちょうだい。でも、お姉様はスプーンを拾って。拾いなさい。いいから拾え」
マルドリウスは興味がなさそうに新聞をめくり、ベルティーユはおかしそうにくすくすと笑った。
(また、この妹は……)
モルガーヌは小さく嘆息した。
「はい、アリアンヌ様」
床に転がったスプーンを拾うべく、モルガーヌはテーブルの下に這ってもぐり――ごっ、と頭が強く床に押しつけられた。
……何が起こっているのかは、すぐにわかった。
アリアンヌの靴が、モルガーヌの後頭部を強く踏みつけているのだ。
「はあ、本当に……お姉様は美しいわ。お人形のようなかんばせ、シルクのごとく白銀の髪、均整のとれた肢体……。だから、汚したくてたまらなくなってしまうの。わたくしが悪いんじゃないわ、お姉様の美しさが悪いのよ。謝って」
「申し訳ございません、アリアンヌ様」
木製の床に押しつけられたまま、モルガーヌは淡々と言った。
痛くはない。強くなったから。
でも、平気なわけではない。これは、人間の尊厳に対する攻撃だ。
ぐっと拳を握って、心を押し殺す。
何も感じなければいい。そうやって反応してしまったら、アリアンヌはもっと嬉々として、モルガーヌに加虐的な行動を取り始めるだろうから。
「あーあ、わたくしが男ならよかったのに。そうしたら、お姉様のことを、体の芯からぐちゃぐちゃに愛して、どろどろに汚して……と、この話題は、はしたないかしら。ごめんなさい。でも、それくらい、お姉様のことが好きなの、わたくし」
ぐりぐりと足を動かして、アリアンヌは言った。
「だから、残念だわ。とっても残念」
……残念? どういう意味だろう、と思う間に、足が退く。
机の下から這い出たモルガーヌを見て、アリアンヌは唇を尖らせた。
「けっこう強めに踏んだのに、血も出ないなんて。見た目は華奢なのに、頑丈よね、お姉様ったら。つまんないわ。もっと、ぐちゃぐちゃになってほしいのに……。あ、そうだわ! 『火の女神』に祈り奉る――」
アリアンヌの手のひらに、小さな火球が浮かんだ。
火の魔法だ。
「これで、肌を焼いてみましょう!」
「アリアンヌ、お姉さんが大好きなのはわかりますけれど、食事中ですのよ。そんなことをされたら、食欲がなくなってしまいます」
「……はあい」
ベルティーユが眉をひそめてたしなめた。アリアンヌは火球を握りつぶす。
つまるところ、それがこの五年間の、モルガーヌの生活だった。
――ただし、今日は少し、違うこともあった。
「そうだ、やめておけ、アリアンヌ」
マルドリウスが、アリアンヌをいさめたのである。
五年前の一件以来、モルガーヌにまるで興味がないか、あるいは『下賎の娘』とさげすんできた、マルドリウスが。
思わず顔を上げたモルガーヌに、マルドリウスは淡々と言った。
「モルガーヌ、お前に縁談が来ている。……だから、肌は焼くな。傷が付いたら価値が下がるからな」
これには、さすがのモルガーヌも驚いた。
「縁談? わたくしに……、ですか?」
「お前に耳は付いていないのか? 二度同じことを言わせる気か? ……まあいい。相手はディオン・ド・アルジャンティーヌ辺境伯。鋼鉄卿と呼ばれる軍人貴族だ」
モルガーヌは困惑するしかなかった。
だって、縁談だ。縁談? 縁談というと、あの、結婚をするやつ?
我が事であると認識できない。
「ああ、おかわいそうなお姉様! 鋼鉄卿といえば、気難しくて、冷徹で、暴力的で、残酷な男性と噂ですもの。しかも、アルジャンティーヌ領は魔軍との戦争の最前線! 劣悪な環境と聞いております。前の婚約者も、その前の婚約者も、みんな鋼鉄卿と劣悪な環境に耐えられず、逃げ出したそうですわ!」
アリアンヌが弾んだ声で言う。
「でも、本当に残念。直接、お姉様がぼろきれになる姿を見たかったのに……。ああ、やはり男に生まれたかったわ。男なら軍役についてアルジャンティーヌ領に行けるでしょう?」
この妹は本物の変態だとモルガーヌは思っている。
「馬鹿なことを言うな、アリアンヌ。……いいか、モルガーヌ、お前はほかの令嬢とは違う。逃げることは許さん。これは政略だ。辺境の軍人など、貴族としては泡沫も泡沫。格も何もないが……、奴ら、魔軍との戦いで金だけはあるからな」
「おほほ。これで、我がモーリア家も立て直せますわね、あなた」
嬉しそうなベルティーユを見て、なるほど、と察する。
結納金目当てなのだ。結婚後は仕送りも要求するつもりだろう。
マルドリウスは元々、領地運営の才に欠けている。加えて、後妻のベルティーユは浪費家で、アリアンヌも父母両方の悪いところを引き継いでいる。
「……いつ、向かえばよいのでしょうか」
「明日の夕刻、迎えが来る。まったく、軍人貴族は何事も急いてばかりで、優雅さの欠片もない……」
モルガーヌは息を呑んだ。
……明日? 明日って、明日!?
「急ぎ、支度をいたします。……その、嫁入りの道具や、ドレスなどは」
おずおずと聞くと、マルドリウスは面倒くさそうに金貨を一枚、机に置いた。
「嫁入りにかかる一式は、適当に用意せよ。これ以上は出さん」
金貨一枚で、貴族の嫁入り道具を用意できるわけもない。
しかも明日までに、だ。めちゃくちゃである。
だが、モルガーヌに反論することは許されない。
「承りました」
淡々と一礼して、頭の中でそろばんを弾き、筋道を組み立てる。
いや、違う。散々考えてきた。
もし、この家から外に出されることがあれば――。
モーリア侯爵家から、旅立つときが来るならば――。
(来たのね。来るべき日が、ついにやってきたのね……!)
一礼したまま、モルガーヌはうっすらと笑った。
●
メイドのひとりに頼み、金貨で布を買ってきてもらった。
紫の上質な布である。モルガーヌの白銀の髪に、よく似合う色合いだ。
「モルガーヌ様。お釣りはこちらです」
「ありがとう。……ずいぶん安く買えたのね」
「値切りましたので」
嘘だな、と思った。大方、メイド達で示し合わせて、いくらか出してくれているのだろう。
「……ありがとう。布も、お釣りも、大切に使うわね」
「はい。……それと、モルガーヌ様が『改造』を施された、数々の物について、ですが」
「安心して。置いていくわ。なくなると困るでしょう?」
「いえ、いけません。全て動かなくしてくださいませ」
モルガーヌは首を傾げた。
「……なぜ? 便利じゃなかったかしら」
「便利だったからこそでございます。それらはモルガーヌ様の『改造』あってこその快適さ。モルガーヌ様が去れば、失われるのが必然というもの」
「それは、メイドみんなの意思?」
「はい。全員で決めたことでございます」
「……そう。これから、わたくしがどうなるかはわからないから、気軽に頼って、なんて言えないけれど……。何かあったら手紙をちょうだい」
「ご安心くださいませ。何がなくとも、お手紙はお送りいたします」
母は愛されていたのだな、と思う。
自分は望まれた生まれではないかもしれないが、しかし、母には恵まれていた。だって、同僚達が、こんなにも助けてくれるのだから。
屋根裏部屋に戻ったモルガーヌは、紫の布に魔法をかける。
「『改造の女神』に祈り奉る――」
それが終われば、次は嫁入り道具を作らなければならない。
部屋の隅に目をやる。
もはや斧で叩き壊して乾かし、薪にするしかないような、使い古した家具や端材。屋根裏に溜め込んできた、宝の山。
金貨一枚の支度金? 明日の夕刻までに嫁入り道具一式を?
くすりと笑う。
「十分すぎますわね」
●
翌日、夕日が照らす中、モーリア侯爵家の屋敷に、ディオン・ド・アルジャンティーヌ辺境伯の迎えがやってきた。
三頭立ての見事な馬車である。
マルドリウスは二人の御者に近寄った。
一人は白髪の目立つ中年の御者。もう一人は、若い御者だ。黒髪に黒目で、細身ながらもがっしりとした肉体をしている。
「ご苦労。で、結納金はどうなっているかね」
若い御者は不快そうに眉をしかめつつ、一抱えもある箱を馬車から降ろした。
「ご希望のものです。……花嫁は、どこに?」
マルドリウスが返事をする前に、玄関のほうから、
「お待たせいたしましたわ、お迎えの方」
紫の豪奢なドレスを身に纏ったモルガーヌが、優雅に歩いてきた。ふんだんにフリルのあしらわれたドレスは、一目で高級品だと分かる。
ベルティーユが「は?」と間抜けな声を出した。
「あ、あんなドレス、どこから……!? アリアンヌ、まさか、盗られたのではないだろうね!?」
「わたくしだって持っていませんわよ、あんなに見事なドレス。ああ、美しいわ、お姉様……今からでも壊したい……」
「家具や調度類もだ。我が家にはなかったはずだが」
メイド達が運び出してくる家具類もまた、どう見ても高級品。
しかし、屋敷の中で見たこともない品々だ。
モルガーヌはその反応を見て、満足そうに微笑んだ。
「それでは、行ってまいりますわね、旦那様、奥様。アリアンヌも、もう会うことはないかもしれませんけれど、お元気で」
「え、ええ……」
「うむ……」
「お元気で、お姉様。またお会いしましょ?」
荷台に嫁入り道具を積み込んで、馬車は出発した。
それを見送ったマルドリウスは鼻を鳴らし、「おい」とメイドを呼んだ。
「あの下女に関するものは、全て捨てろ。これでようやく、我らを取り巻く不運なさだめからも解放されるというものだ」
メイドは目をぱちくりさせてから、恭しく頭を下げて微笑んだ。
●
馬車は王都を出て、街道をしばらく進み――ややあってから、馬車の御者席から、若いほうの御者が馬車に乗り込んできた。
ぎょっとするモルガーヌに、彼は帽子を脱いで、鋭い視線を浴びせる。
「えっと、あの……お馬は?」
「御者がやる」
「あなたが御者では?」
「俺はディオン・ド・アルジャンティーヌだ。国王に用事があったから、ついでに拾って帰ることにしただけだ。おい、女。手短に言っておくぞ」
(ほ、本人……!? ていうか、初対面の婚約者を女呼ばわりですの?)
モルガーヌはちょっと引いた。
ディオンはうっとうしそうにモルガーヌを見る。
「お前に興味はない。愛することもない。これは政略だ。あんなのでも侯爵家だからな、繋がりができれば、色々と話が早くなる。前線支援の寄付や義勇兵の――いや、それはともかく。結婚はするが、それだけだ」
「は、はあ……」
「金銭的に不自由はさせんが、放蕩は許さん。前線ゆえに、女が好きな娯楽は、そう多くはない。逃げ出すならば、いま逃げろ。着いてから逃げられるのでは、その間、時間が無駄になるからな。追いはしない」
「……そうですか」
モルガーヌは、ちょっとむっとした。
「逃げませんわよ。逃げても行くところがございませんし」
「なら、黙って乗っていろ。五日はかかる。途中、街には一度寄るが、補給を済ませ、馬を変えたら、すぐに出る。四日は野営だ。湯が出るかどうかもわからんが、文句は言うなよ」
「湯なら無限にありますので、お気遣いなく」
「……なんだ? どういう意味――」
そのときだ。
「旦那ァ! 待ち伏せだァ! 魔軍の奴らですぜ!」
御者席から、大声が上がった。
「ッ、伏せていろ、女! 『鋼鉄の女神』に祈り奉る――!」
電光石火、ディオンは馬車の扉を蹴破って外に飛び出す。
目を白黒させるモルガーヌを放って、外からは鉄と鉄がぶつかり合う、甲高く不快な音が連続して聞こえてくる。戦闘だ。戦っているのだ。
怒声も複数聞こえる。集団で襲いかかってきたのだろう。
……モルガーヌも、それなりに強くなったつもりではあるが、しかし、戦闘訓練を積んだわけではない。
なので、言われたとおりに伏せていたのだが……、何かが物凄い勢いで、馬車の中に突っ込んできた。
反射的に「きゃっ」と悲鳴を上げてしまう。
それは、鋭い牙を持つ青白い肌の男。真っ赤に輝く瞳が、モルガーヌをぎろりと睨み付けた。
魔軍――夜に生きる者達の勢力。吸血鬼!
初めて見た。
「ハッ、まさか情報通りとは! 前線指揮官がのんきに婚姻か! ちょうどいい、この女は人質に貰っていくぞ、ディオン!」
吸血鬼の手がモルガーヌに迫る――。
「え、やだ。お断りいたしますの!」
モルガーヌは吸血鬼をぶん殴った。全力で。
……吸血鬼からしてみれば、抵抗されるとも思っていなかったし、されたところで、女の柔腕では傷一つつかないはずだった。
なのに、吸血鬼は飛び込んできたとき以上の勢いで、馬車の外へと殴り飛ばされる結果となった。
意識が一瞬、空白になる。首がぐるりと一周するほどの衝撃。不死身に近い吸血鬼でなければ、間違いなく即死していた威力。
地面を三度バウンドしてから、吸血鬼は足をがくがく震えさせながら立ち上がり、一周した己の首を両手を使って逆回転させ、元に戻した。
「ぐっ、がっ! な、なんだ……!? なんだ、貴様!? 何者だ!?」
おかしい。威力がおかしい。
一撃で、歴戦の吸血鬼を戦闘続行不可能なところまで持っていくなんて、それこそ――。
ずざざ、と足下に何かが転がった。部下の死体だ。全身を、聖なる銀の剣で切り刻まれている。
「死ぬまで切れば死ぬ。当然だな」
残忍なディオン・ド・アルジャンティーヌめ、と吸血鬼は奥歯を噛んだ。
部下はまだいて、馬車を取り囲んでいるが……、勝てる見込みはなさそうだ。
鋼鉄卿を殺すための不意打ちだったが、失敗した上、人質を取ろうとしたら化け物が二匹に増えた。判断するなら、ここだ。
「――撤収だ! 夜陰に紛れて逃げろ!」
●
一方その頃、モーリア侯爵家では騒動が起こり始めていた。
「窯が使えない? ふざけているのか?」
「申し訳ございません。モルガーヌ様が、ご担当されておりましたので」
「貴様ら、薪も扱えんのか!?」
「薪を買う経費を絞ったのは旦那様でございます。ですので、モルガーヌ様が『改造の女神の加護』によって、薪いらずの窯を用意してくださいました」
「ならばその窯を使えばいいだろう!?」
「使えません。あの下女に関するものは全て捨てろと仰せでしたので、使えなくなりました」
本当はモルガーヌが出立前に、改造前に戻しただけなのだが。
「馬鹿者が! これだからメイドは……! もういい、肉類を出せ! アリアンヌに焼かせる! 貴様らは野菜を用意しろ、庭の畑の新鮮なやつをな」
「ございません。全て捨てましたので」
「……待て。では、あの新鮮な野菜も全て……?」
「はい。モルガーヌ様が『改造』したものでございます。嫁入りにあたり、旦那様が『あの下女に関するものは全て捨てろ』と仰られましたので、全て廃棄いたしました」
なお、実のところ、メイド各員の実家に植え替えてある。
一日で成し遂げるのは骨が折れたが。
マルドリウスはわなわなと震えて、顔を真っ赤にした。
「貴様ァ……! どう責任を取るつもりだ!?」
「では、責を負い、辞任いたします。これまでお世話になりました」
「えっ」
「こちら、辞表でございます」
泣いて許しを請うかと思ったら、あっさりとそんなことを言って、辞表を手渡してきた。……しかも、やけに分厚い。
「な、なんだね。なぜか、二十枚くらいあるようだが」
「全員分でございます。もはや我々はモルガーヌ様なしでは皆様のお世話もできないうつけもの、メイドの風上にも置けない役立たずでございますので、総員で辞させていただきます。では」
呆然とするマルドリウスを放置し、何か金切り声で訴えているベルティーユに笑顔で別れを告げ、手を振るアリアンヌ――は、怖いので、失礼にならない程度に別れを告げて、メイド達はモーリア侯爵家を後にした。
無職の集団である。
「このあと、どうします?」
「いったん、うちの実家おいでよ。避難しよ。そんで手紙送ろ」
「前線かぁ、仕事はいっぱいあるだろうねぇ」
「腕が鳴るよ」
ふと、そのうちのひとりが、手を止めて空を見た。
夜空には星が瞬いている。
「……ヒルデ。あなたの娘は、立派に巣立ちましたよ」
●
馬車の中で、ディオンは困惑していた。
目の前の女が、魔軍の隊長、幾度となく戦場で見えたことのある歴戦の吸血鬼を、ぶん殴って撤退させたからだ。
じっとモルガーヌを見つめて、その内実を推し量る。あまたの戦士、あまたの人外を見てきたから、観察力には自信があった。
「女、お前……。尋常な肉体ではないな。常人の数倍の魔力、見た目とは裏腹に強靱な皮膚、無駄の一切ない筋肉、金剛石のごとき骨……」
興味がないから見ていなかったが、しかし、見れば見るほど……美しい。これは究極の機能美だ。
ごくりと唾を飲む。目の前にあるのは、ただ強いだけの肉体。
生物として、ただただ、強い。一般的な人間の美醜からかけ離れた美しさ。例えるならば、雲を突き抜ける名山の美しさ。空を飛ぶ竜の美しさ。
スケールが、違う。
「……その、そんなに見つめられると」
「あ、ああ……。すまん。それで、どういうことだ。そういう加護か? 身体を強化するような。しかし、無名で力のない女神の加護だと聞いていたが」
「はい。ほかの例のない無名の女神、『改造の女神の加護』でございます。その改造魔法を用いて、わたくしは……その、己の肉体を改造しているのです」
言いづらそうに、女が言った。
「複数の魔石を、臓器に組み込んであるのでございます。魔力が巡り、体を最高の状態に維持、保全し、強化するように、と」
「魔石? あれは、せいぜい爆発させるのが関の山の、ただの魔力塊だろう。そんな複雑なことはできないはずだ。どうやって成し遂げている?」
「魔石に、魔力の道筋と、八百万の女神様への祈りを刻むのです。そうすれば、あらゆる魔法を擬似的に再現可能ですの。これをわたくしは術式と呼んでおりますわ」
ディオンが眉をひそめた。
「……それはつまり、加護を授かった女神ではなく、他の女神の魔法を扱っている、ということか? にわかには信じられんな……」
「もちろん、完璧ではございませんが。例えば『強化の女神の加護』の魔法に比べれば、わたくしの強化術式は、およそ五割落ち程度の性能しかございません」
なるほど。質が落ちるのか、とディオンは少しほっとした。
「ですから、合計二十四の強化術式を掛け合わせることで、十二倍ほどの強化倍率を実現しております。これが限界でしたの……」
ほっとできなかった。
「女。お前、ただの令嬢だろうに。何のために、そこまで……」
「生きるためでございます」
言われて、少し考える。
――思い至った。
「……マルドリウス・ド・モーリアといえば、放蕩貴族の代名詞。高級な娼婦を一晩で十人も買い、その全員に娼館が止めに入るような暴力を振るった、なんて噂も聞く。その妻は装飾品狂いで有名だな。嫡女は暴力事件を四つ、もみ消しているはずだ。……何をされていたか、詳しく言えるか」
「……いえ」
「お前はもう、当家の嫁だ。俺のものだ。それでも、実家をかばい立てするか」
「別にかばっているわけでは。その、単純に、あまり心地のよい話ではありませんから……」
「くだらんな」
ディオンは吐き捨てた。
「実にくだらん。女――モルガーヌ。いずれモルガーヌ・ド・アルジャンティーヌになる女よ。これから向かうのは魔軍との戦争の最前線、アルジャンティーヌ領だぞ。耳を塞ぎたくなる話なんて、掃いて捨てるほど転がっている。……だから、いつか聞かせろ」
今ではないのか、とモルガーヌは少しだけ意外に思った。
実は、けっこう思いやりのある人間なのかもしれない。
「それでだ。本題に入ろう。モルガーヌ、その魔石を用いた改造、他人にも……、俺にも施せるか? 一人あたりの予算はいかほどだ。かかる時間は? バリエーションや副作用についても細かく教えてくれ」
「……え?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「いいか、モルガーヌ。お前との結婚は政略目的で、お前自身に興味はない。抱いたり産んだりも急ぐ必要はない。だが、その技術は役に立つ。王都の馬鹿どもは、戦争など遠い彼方のことだろうが」
ディオンは目をらんらんと輝かせて言った。
「戦場では、毎日、誰かが死んでいる。否応なくな。……ならば、モルガーヌ。この技術を持ったお前は――戦場の聖女となるだろう」
「引退した老兵の膝から下をキャタピラに改造するタイプの聖女」を思いついて、せっかくなのでドアマットヒロインと組み合わせてみました。
がっつりギャグに寄せて、一人称で書いた方が良さそう……ですかね?
モルガーヌの性格を、もっと明るく楽しく、でも言動は異常って感じにして……。
・感想コメント
・下の☆☆☆☆☆
で、忌憚のないご意見をいただけると幸いです。
また、長編化する可能性もございますので「続き/これをベースにした物語が読みたい!」という方は、
・作者フォロー
をして、お待ちいただけると幸いです。




