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改造聖女モルガーヌの真っ白な結婚 ~誰も知らない無名の女神から『改造』の加護を授かり実家で冷遇されている私が、戦争最前線の辺境伯の元に嫁いだ結果、聖女と呼ばれるかもしれない話~

掲載日:2026/02/09


「――そなたに授けられた加護は『改造の女神』の加護である」


 モルガーヌ・ド・モーリア、十歳の誕生日のことであった。

 その日から、全てが変わった。


 ●


 人は皆、十歳の誕生日に加護を授かる。

 この世の万物、概念の数だけ存在する女神達、八百万の女神(デエス・アンフィニ)の中から一柱が、哀れな人の子に生きるための力を授けるのである。

 そして、その加護は一生を左右する。


 『剣の女神』から加護を授かれば、剣士として大成するかもしれない。

 『水の女神』から加護を授かれば、水を操る大魔道士になるかもしれない。

 『数の女神』から加護を授かれば、数理の深淵に挑む学者になるかもしれない。


 だから、十歳の誕生日におこなわれる加護の神授式は、人生における一大行事。

 モルガーヌのような貴族の令嬢にとっては、尚更に重要である。


 ●


 神授式の会場となった教会で、司祭は分厚い辞書を捲り、うなずいた。


「記録にもありませんな。おそらく、新たに生まれた女神でしょう」


 父、マルドリウス・ド・モーリアが猛然と司祭に歩み寄るのを、モルガーヌは口をきゅっ(・・・)と引き結んで見ていた。


 『旦那様は怒るのが趣味なのよ』と、生前の母は言っていた。

 『メイドの私に手ェ出して孕ませたのは旦那様なのに、いつの間にか、あの人の中では誘惑した私が悪いってことになってるでしょ。他責思考っていうのかな』とも。つまり、マルドリウスはとにかく怒りっぽいのだ。


「何かの間違いだろう、司祭! 我がモーリア侯爵家は代々、最高位の女神である『火の女神』から加護を授かる血筋だぞ! 無名の女神の加護など……!」

「八百万の女神に位階などありません。全ての女神、全ての加護は等しく――」


 マルドリウスは苛立たしげに「建前はよい!」と言い放った。


「文明の礎となり、敵を焼き捨てる『火の女神』だぞッ!? 噂に聞く『厠の女神』や『蚯蚓の女神』のような低俗な女神と等しいわけがあるまい!」

「いえ、等しいのです。授かる加護が、人の営みに役立てやすいか否かというだけの話であり、女神に位階は――」

「ええい、これだから教会は! ……もう一度やるのだ、司祭。もう一度、神授式をおこないたまえ」

「いえ、神授式は人生に一度だけです。人が人生で授かる加護はひとつだけ――」


 しばらく、マルドリウスと司祭は何かを言い合っていた。

 というよりも、マルドリウスが神授式のやり直しを求めてまくしたて、司祭がそれは無理だ、できない――と突っぱねるだけの、一方的なものだった。


 当事者なのに放置され、祭壇の前で突っ立っているモルガーヌの耳に、くすくす、という笑い声が届いた。

 モーリア侯爵家の娘の神授式である。列席していた貴族達が、モルガーヌを見て笑っているのだと、すぐに気づいた。


「あれが、妾の……。正室の子より先に生まれたらしいですわよ」

「淫乱で奔放なメイドだったそうよ。娘もそうなのかしら」

「……可哀想なことだ。せめて加護がまともであれば、マルドリウスも相応に扱うだろうがなぁ……」

「無名の女神の加護ですって! どんなショボくれた女神なのかしら? どんな惨めな女神なのかしら?」


 ぎゅっと拳を握りしめる。

 生前の母は言っていた。

 『強くなりなさい、モルガーヌ。てか強くならんと死ぬわね』と。

 『だって、旦那様は他責思考の阿呆だし、貴族の社会は弱肉強食だもの。私も病でもう長くはないし、守ってあげられないわ。だから、強くなりなさい』


「――話にならん!」


 マルドリウスの怒声が響き渡り、モルガーヌは腕を引っ張られて立ち上がった。強く捕まれた腕が痛い。

 そのまま、モルガーヌを引きずるようにして、足早に教会を出る。


「お父様、腕が痛いです……!」


 そう訴えると、マルドリウスは酷く冷たい目でモルガーヌを見下ろした。


「うるさい、黙っていろ!」


 彼はモルガーヌを馬車に押し込み、自分も座席にどっかりと座った。


「ふん。希少な『地の女神』の加護を持っていたし、抱かれたがっていたから抱いてやったが、こんな出来損ないを押しつけられるとはな! 所詮はメイドの子、下賎の女の(はら)はこれだから……。しかし、まずい。このままでは社交界での私の価値が下がってしまう。なんとかせねば……やはり、大がかりで豪華な夜会を開きまくって……」


 苛立たしげに、モルガーヌなんて存在しないかのように、ぶつぶつと呟く。

 馬車の屋根がぱたぱたと音を立て、窓に水滴がぶつかる。雨が降り始めたのだ。屋敷までの道すがら、徐々に雨は強くなっていく。

 ざあざあと音が鳴る中、モルガーヌは掴まれて痛む腕をさすりながら、小さくなるしかなく――けれど、心の中には、一つの覚悟があった。


(強く……、強く、ならなくちゃ……!)


 ●


 ――十五歳のモルガーヌは目覚めた。


「……また、この夢ですか。もう五年も経つのに」


 むっとしながら、起き上がる。

 狭い部屋だ。屋敷の屋根裏にある物置のひとつ。部屋の隅には壊れた椅子や机などのがらくたが積まれている。

 ここが、モルガーヌの自室である。


 見た目は粗末ながらもふかふか(・・・・)のベッドから抜け出て、サイドテーブルの小さな水差しを手に取る。

 小さな桶に水差しを傾ければ、白く柔らかい湯気を上げるお湯が無尽蔵に沸いて出てくる。

 ごく普通の水差しといくつかの魔石を組み合わせて改造(・・)し、自作した魔道具(・・・・・・・)である。


 温かいお湯で顔を洗って、エプロンドレスに着替える。

 屋根窓(ドーマー)から覗く外の景色は、まだ薄暗い。

 音を立てないよう、そっと屋根裏からはしごで下りて、炊事場に向かう。

 窯のレバー(・・・)を引いて火を入れたところで、メイド達がやってきた。


「おはようございます、モルガーヌ様」

「おはよう、みんな。今日もよろしくお願いしますね」

「御意に。……たまには、朝、ゆっくりお過ごしになってもよいのですよ」

「ダメよ。それがバレたら、みんなまで罰されてしまうわ」


 笑ってそう言うと、メイド達は何も言わず、ただ目を伏せた。

 モルガーヌの事情に、同情してはいる。だが、貴族の複雑な家庭環境に口を挟むほど、彼女達は命知らずではない。

 実の娘を屋根裏の物置に押し込め、メイド扱いする男であっても、侯爵であり、雇い主には違いないのである。


「それに、わたくしがいないと、みんなも困るでしょう? わたくしに頼りきりなんですから」


 からかうと、メイド達は苦笑した。

 モルガーヌの母は、気立てのよい美女で、メイドだった。同僚だったのだ。

 マルドリウスに手籠めにされ、望まぬ形で妾にされた挙げ句、六年前、病で没した。メイド達にとって、モルガーヌは同僚の忘れ形見でもある。

 ……母に似た、素敵な少女に育ったと、メイド達は安堵している。


「では、さっそく頼らせていただきます、モルガーヌ様。本日の朝食は、どのようにいたしましょうか」

「白パンと塩漬け肉のスープ、それから新鮮な野菜のサラダも出しましょう。白パンは保冷庫に生地を仕込んであるから、焼けばいいわ。野菜は畑から採ってきて。トマトとキュウリがなっているはずです。あとは――」


 慌ただしく、時間が過ぎていく。

 毎朝、こんなものだった。


 ●


 朝食の時間だ。

 モルガーヌはキッチンカートを押して、食堂に向かった。

 一度、深呼吸してから扉を押し開ける。


「おはようございます、お父様、お義母様、アリアンヌ様」


 しずしずと、礼儀正しく部屋に入る。

 食卓には、三人の貴族がいた。


 一人は父。マルドリウス・ド・モーリア。モーリア侯爵家の当主。

 一人は義母。ベルティーユ・ド・モーリア。マルドリウス侯爵の正妻。

 一人は義妹。アリアンヌ・ド・モーリア。マルドリウスとベルティーユの娘。……『火の女神』の加護を授かった、モーリア侯爵家の嫡子。


「おはようございます、お姉様っ」


 くすんだ金髪を持つアリアンヌは、ひまわりのような笑顔でモルガーヌに挨拶をした。大人二人は、挨拶どころか、モルガーヌをちらり(・・・)とも見なかった。


 メイド達と手分けして皿を配膳し、食事が始まってから、しばらくした頃だ。

 金属が木製の床を転がる鈍い音がした。

 スプーンが落ちたのだ。


「あ。落としてしまいましたわ、お姉様。拾ってくださいな」


 アリアンヌが笑顔で言う。

 室内の空気が、ぴりっと緊張する。

 これから何が起こるのか、メイド達は理解した。


「……かっ、代わりのスプーンをご用意いたします」


 メイドの一人が、震える声で言った。


「そうね。用意してちょうだい。でも、お姉様はスプーンを拾って。拾いなさい。いいから拾え(・・・・・・)


 マルドリウスは興味がなさそうに新聞をめくり、ベルティーユはおかしそうにくすくすと笑った。


(また、この妹は……)


 モルガーヌは小さく嘆息した。


「はい、アリアンヌ様」


 床に転がったスプーンを拾うべく、モルガーヌはテーブルの下に這ってもぐり――ごっ(・・)、と頭が強く床に押しつけられた。

 ……何が起こっているのかは、すぐにわかった。

 アリアンヌの靴が、モルガーヌの後頭部を強く踏みつけているのだ。


「はあ、本当に……お姉様は美しいわ。お人形のようなかんばせ、シルクのごとく白銀の髪、均整のとれた肢体……。だから、汚したくてたまらなくなってしまうの。わたくしが悪いんじゃないわ、お姉様の美しさが悪いのよ。謝って」

「申し訳ございません、アリアンヌ様」


 木製の床に押しつけられたまま、モルガーヌは淡々と言った。

 痛くはない。強くなった(・・・・・)から。


 でも、平気なわけではない。これは、人間の尊厳に対する攻撃だ。

 ぐっと拳を握って、心を押し殺す。

 何も感じなければいい。そうやって反応してしまったら、アリアンヌはもっと嬉々として、モルガーヌに加虐的な行動を取り始めるだろうから。


「あーあ、わたくしが男ならよかったのに。そうしたら、お姉様のことを、体の芯からぐちゃぐちゃに愛して、どろどろに汚して……と、この話題は、はしたないかしら。ごめんなさい。でも、それくらい、お姉様のことが好きなの、わたくし」


 ぐりぐりと足を動かして、アリアンヌは言った。


「だから、残念だわ。とっても残念」


 ……残念? どういう意味だろう、と思う間に、足が退く。

 机の下から這い出たモルガーヌを見て、アリアンヌは唇を尖らせた。


「けっこう強めに踏んだのに、血も出ないなんて。見た目は華奢なのに、頑丈よね、お姉様ったら。つまんないわ。もっと、ぐちゃぐちゃになってほしいのに……。あ、そうだわ! 『火の女神』に祈り奉る――」


 アリアンヌの手のひらに、小さな火球が浮かんだ。

 火の魔法だ。


「これで、肌を焼いてみましょう!」

「アリアンヌ、お姉さんが大好きなのはわかりますけれど、食事中ですのよ。そんなことをされたら、食欲がなくなってしまいます」

「……はあい」


 ベルティーユが眉をひそめてたしなめた。アリアンヌは火球を握りつぶす。

 つまるところ、それがこの五年間の、モルガーヌの生活だった。


 ――ただし、今日は少し、違うこともあった。


「そうだ、やめておけ、アリアンヌ」


 マルドリウスが、アリアンヌをいさめたのである。

 五年前の一件以来、モルガーヌにまるで興味がないか、あるいは『下賎の娘』とさげすんできた、マルドリウスが。

 思わず顔を上げたモルガーヌに、マルドリウスは淡々と言った。


「モルガーヌ、お前に縁談が来ている。……だから、肌は焼くな。傷が付いたら価値が下がるからな」


 これには、さすがのモルガーヌも驚いた。


「縁談? わたくしに……、ですか?」

「お前に耳は付いていないのか? 二度同じことを言わせる気か? ……まあいい。相手はディオン・ド・アルジャンティーヌ辺境伯。鋼鉄卿ル・セニョール・ド・アシエと呼ばれる軍人貴族だ」


 モルガーヌは困惑するしかなかった。

 だって、縁談だ。縁談? 縁談というと、あの、結婚をするやつ?

 我が事であると認識できない。


「ああ、おかわいそうなお姉様! 鋼鉄卿といえば、気難しくて、冷徹で、暴力的で、残酷な男性と噂ですもの。しかも、アルジャンティーヌ領は魔軍との戦争の最前線! 劣悪な環境と聞いております。前の婚約者も、その前の婚約者も、みんな鋼鉄卿と劣悪な環境に耐えられず、逃げ出したそうですわ!」


 アリアンヌが弾んだ声で言う。


「でも、本当に残念。直接、お姉様がぼろきれになる姿を見たかったのに……。ああ、やはり男に生まれたかったわ。男なら軍役についてアルジャンティーヌ領に行けるでしょう?」


 この妹は本物の変態だとモルガーヌは思っている。


「馬鹿なことを言うな、アリアンヌ。……いいか、モルガーヌ、お前はほかの令嬢とは違う。逃げることは許さん。これは政略だ。辺境の軍人など、貴族としては泡沫も泡沫。格も何もないが……、奴ら、魔軍との戦いで金だけはあるからな」

「おほほ。これで、我がモーリア家も立て直せますわね、あなた」


 嬉しそうなベルティーユを見て、なるほど、と察する。

 結納金目当てなのだ。結婚後は仕送りも要求するつもりだろう。

 マルドリウスは元々、領地運営の才に欠けている。加えて、後妻のベルティーユは浪費家で、アリアンヌも父母両方の悪いところを引き継いでいる。


「……いつ、向かえばよいのでしょうか」

「明日の夕刻、迎えが来る。まったく、軍人貴族は何事も急いてばかりで、優雅さの欠片もない……」


 モルガーヌは息を呑んだ。

 ……明日? 明日って、明日!?


「急ぎ、支度をいたします。……その、嫁入りの道具や、ドレスなどは」


 おずおずと聞くと、マルドリウスは面倒くさそうに金貨を一枚、机に置いた。


「嫁入りにかかる一式は、適当に用意せよ。これ以上は出さん」


 金貨一枚で、貴族の嫁入り道具を用意できるわけもない。

 しかも明日までに、だ。めちゃくちゃである。

 だが、モルガーヌに反論することは許されない。


「承りました」


 淡々と一礼して、頭の中でそろばんを弾き、筋道を組み立てる。

 いや、違う。散々考えてきた。


 もし、この家から外に出されることがあれば――。

 モーリア侯爵家から、旅立つときが来るならば――。


(来たのね。来るべき日が、ついにやってきたのね……!)


 一礼したまま、モルガーヌはうっすらと笑った。


 ●


 メイドのひとりに頼み、金貨で布を買ってきてもらった。

 紫の上質な布である。モルガーヌの白銀の髪に、よく似合う色合いだ。


「モルガーヌ様。お釣りはこちらです」

「ありがとう。……ずいぶん安く買えたのね」

「値切りましたので」


 嘘だな、と思った。大方、メイド達で示し合わせて、いくらか出してくれているのだろう。


「……ありがとう。布も、お釣りも、大切に使うわね」

「はい。……それと、モルガーヌ様が『改造』を施された、数々の物について、ですが」

「安心して。置いていくわ。なくなると困るでしょう?」

「いえ、いけません。全て動かなくしてくださいませ」


 モルガーヌは首を傾げた。


「……なぜ? 便利じゃなかったかしら」

「便利だったからこそでございます。それらはモルガーヌ様の『改造』あってこその快適さ。モルガーヌ様が去れば、失われるのが必然というもの」

「それは、メイドみんなの意思?」

「はい。全員で決めたことでございます」

「……そう。これから、わたくしがどうなるかはわからないから、気軽に頼って、なんて言えないけれど……。何かあったら手紙をちょうだい」

「ご安心くださいませ。何がなくとも、お手紙はお送りいたします」


 母は愛されていたのだな、と思う。

 自分は望まれた生まれではないかもしれないが、しかし、母には恵まれていた。だって、同僚達が、こんなにも助けてくれるのだから。


 屋根裏部屋に戻ったモルガーヌは、紫の布に魔法をかける。


「『改造の女神』に祈り奉る――」


 それが終われば、次は嫁入り道具を作らなければならない。

 部屋の隅に目をやる。

 もはや斧で叩き壊して乾かし、薪にするしかないような、使い古した家具や端材。屋根裏に溜め込んできた、宝の山(・・・)


 金貨一枚の支度金? 明日の夕刻までに嫁入り道具一式を?

 くすりと笑う。


「十分すぎますわね」


 ●


 翌日、夕日が照らす中、モーリア侯爵家の屋敷に、ディオン・ド・アルジャンティーヌ辺境伯の迎えがやってきた。

 三頭立ての見事な馬車である。


 マルドリウスは二人の御者に近寄った。

 一人は白髪の目立つ中年の御者。もう一人は、若い御者だ。黒髪に黒目で、細身ながらもがっしりとした肉体をしている。


「ご苦労。で、結納金はどうなっているかね」


 若い御者は不快そうに眉をしかめつつ、一抱えもある箱を馬車から降ろした。


「ご希望のものです。……花嫁は、どこに?」


 マルドリウスが返事をする前に、玄関のほうから、


「お待たせいたしましたわ、お迎えの方」


 紫の豪奢なドレスを身に纏ったモルガーヌが、優雅に歩いてきた。ふんだんにフリルのあしらわれたドレスは、一目で高級品だと分かる。

 ベルティーユが「は?」と間抜けな声を出した。


「あ、あんなドレス、どこから……!? アリアンヌ、まさか、盗られたのではないだろうね!?」

「わたくしだって持っていませんわよ、あんなに見事なドレス。ああ、美しいわ、お姉様……今からでも壊したい……」

「家具や調度類もだ。我が家にはなかったはずだが」


 メイド達が運び出してくる家具類もまた、どう見ても高級品。

 しかし、屋敷の中で見たこともない品々だ。

 モルガーヌはその反応を見て、満足そうに微笑んだ。


「それでは、行ってまいりますわね、旦那様、奥様。アリアンヌも、もう会うことはないかもしれませんけれど、お元気で」

「え、ええ……」

「うむ……」

「お元気で、お姉様。またお会いしましょ?」


 荷台に嫁入り道具を積み込んで、馬車は出発した。

 それを見送ったマルドリウスは鼻を鳴らし、「おい」とメイドを呼んだ。


「あの下女に関するものは、全て捨てろ。これでようやく、我らを取り巻く不運なさだめからも解放されるというものだ」


 メイドは目をぱちくりさせてから、恭しく頭を下げて微笑んだ。


 ●


 馬車は王都を出て、街道をしばらく進み――ややあってから、馬車の御者席から、若いほうの御者が馬車に乗り込んできた。

 ぎょっとするモルガーヌに、彼は帽子を脱いで、鋭い視線を浴びせる。


「えっと、あの……お馬は?」

「御者がやる」

「あなたが御者では?」

「俺はディオン・ド・アルジャンティーヌだ。国王に用事があったから、ついでに拾って帰ることにしただけだ。おい、女。手短に言っておくぞ」


(ほ、本人……!? ていうか、初対面の婚約者を女呼ばわりですの?)


 モルガーヌはちょっと引いた。

 ディオンはうっとうしそうにモルガーヌを見る。


「お前に興味はない。愛することもない。これは政略だ。あんなのでも侯爵家だからな、繋がりができれば、色々と話が早くなる。前線支援の寄付や義勇兵の――いや、それはともかく。結婚はするが、それだけだ」

「は、はあ……」

「金銭的に不自由はさせんが、放蕩は許さん。前線ゆえに、女が好きな娯楽は、そう多くはない。逃げ出すならば、いま逃げろ。着いてから逃げられるのでは、その間、時間が無駄になるからな。追いはしない」

「……そうですか」


 モルガーヌは、ちょっとむっとした。


「逃げませんわよ。逃げても行くところがございませんし」

「なら、黙って乗っていろ。五日はかかる。途中、街には一度寄るが、補給を済ませ、馬を変えたら、すぐに出る。四日は野営だ。湯が出るかどうかもわからんが、文句は言うなよ」

「湯なら無限にありますので、お気遣いなく」

「……なんだ? どういう意味――」


 そのときだ。


「旦那ァ! 待ち伏せだァ! 魔軍の奴らですぜ!」


 御者席から、大声が上がった。


「ッ、伏せていろ、女! 『鋼鉄の女神』に祈り奉る――!」


 電光石火、ディオンは馬車の扉を蹴破って外に飛び出す。

 目を白黒させるモルガーヌを放って、外からは鉄と鉄がぶつかり合う、甲高く不快な音が連続して聞こえてくる。戦闘だ。戦っているのだ。

 怒声も複数聞こえる。集団で襲いかかってきたのだろう。

 ……モルガーヌも、それなりに強くなった(・・・・・)つもりではあるが、しかし、戦闘訓練を積んだわけではない。


 なので、言われたとおりに伏せていたのだが……、何かが物凄い勢いで、馬車の中に突っ込んできた。

 反射的に「きゃっ」と悲鳴を上げてしまう。

 それ(・・)は、鋭い牙を持つ青白い肌の男。真っ赤に輝く瞳が、モルガーヌをぎろりと睨み付けた。


 魔軍――夜に生きる者達の勢力。吸血鬼(・・・)

 初めて見た。


「ハッ、まさか情報通りとは! 前線指揮官がのんきに婚姻か! ちょうどいい、この女は人質に貰っていくぞ、ディオン!」


 吸血鬼の手がモルガーヌに迫る――。


「え、やだ。お断りいたしますの!」


 モルガーヌは吸血鬼をぶん殴った。全力で。


 ……吸血鬼からしてみれば、抵抗されるとも思っていなかったし、されたところで、女の柔腕では傷一つつかないはずだった。

 なのに、吸血鬼は飛び込んできたとき以上の勢いで、馬車の外へと殴り飛ばされる結果となった。


 意識が一瞬、空白になる。首がぐるりと一周するほどの衝撃。不死身に近い吸血鬼でなければ、間違いなく即死していた威力。

 地面を三度バウンドしてから、吸血鬼は足をがくがく震えさせながら立ち上がり、一周した己の首を両手を使って逆回転させ、元に戻した。


「ぐっ、がっ! な、なんだ……!? なんだ、貴様!? 何者だ!?」


 おかしい。威力がおかしい。

 一撃で、歴戦の吸血鬼を戦闘続行不可能なところまで持っていくなんて、それこそ――。


 ずざざ、と足下に何かが転がった。部下の死体だ。全身を、聖なる銀の剣で切り刻まれている。


「死ぬまで切れば死ぬ。当然だな」


 残忍なディオン・ド・アルジャンティーヌめ、と吸血鬼は奥歯を噛んだ。

 部下はまだいて、馬車を取り囲んでいるが……、勝てる見込みはなさそうだ。

 鋼鉄卿を殺すための不意打ちだったが、失敗した上、人質を取ろうとしたら化け物が二匹に増えた。判断するなら、ここだ。


「――撤収だ! 夜陰に紛れて逃げろ!」


 ●


 一方その頃、モーリア侯爵家では騒動が起こり始めていた。


「窯が使えない? ふざけているのか?」

「申し訳ございません。モルガーヌ様が、ご担当されておりましたので」

「貴様ら、薪も扱えんのか!?」

「薪を買う経費を絞ったのは旦那様でございます。ですので、モルガーヌ様が『改造の女神の加護』によって、薪いらずの窯を用意してくださいました」

「ならばその窯を使えばいいだろう!?」

「使えません。あの下女に関するものは全て捨てろと仰せでしたので、使えなくなりました」


 本当はモルガーヌが出立前に、改造前に戻しただけなのだが。


「馬鹿者が! これだからメイドは……! もういい、肉類を出せ! アリアンヌに焼かせる! 貴様らは野菜を用意しろ、庭の畑の新鮮なやつをな」

「ございません。全て捨てましたので」

「……待て。では、あの新鮮な野菜も全て……?」

「はい。モルガーヌ様が『改造』したものでございます。嫁入りにあたり、旦那様が『あの下女に関するものは全て捨てろ』と仰られましたので、全て廃棄いたしました」


 なお、実のところ、メイド各員の実家に植え替えてある。

 一日で成し遂げるのは骨が折れたが。

 マルドリウスはわなわなと震えて、顔を真っ赤にした。


「貴様ァ……! どう責任を取るつもりだ!?」

「では、責を負い、辞任いたします。これまでお世話になりました」

「えっ」

「こちら、辞表でございます」


 泣いて許しを請うかと思ったら、あっさりとそんなことを言って、辞表を手渡してきた。……しかも、やけに分厚い。


「な、なんだね。なぜか、二十枚くらいあるようだが」

「全員分でございます。もはや我々はモルガーヌ様なしでは皆様のお世話もできないうつけもの、メイドの風上にも置けない役立たずでございますので、総員で辞させていただきます。では」


 呆然とするマルドリウスを放置し、何か金切り声で訴えているベルティーユに笑顔で別れを告げ、手を振るアリアンヌ――は、怖いので、失礼にならない程度に別れを告げて、メイド達はモーリア侯爵家を後にした。

 無職の集団である。


「このあと、どうします?」

「いったん、うちの実家おいでよ。避難しよ。そんで手紙送ろ」

「前線かぁ、仕事はいっぱいあるだろうねぇ」

「腕が鳴るよ」


 ふと、そのうちのひとりが、手を止めて空を見た。

 夜空には星が瞬いている。


「……ヒルデ。あなたの娘は、立派に巣立ちましたよ」


 ●


 馬車の中で、ディオンは困惑していた。

 目の前の女が、魔軍の隊長、幾度となく戦場で(まみ)えたことのある歴戦の吸血鬼を、ぶん殴って撤退させたからだ。

 じっとモルガーヌを見つめて、その内実を推し量る。あまたの戦士、あまたの人外を見てきたから、観察力には自信があった。


「女、お前……。尋常な肉体ではないな。常人の数倍の魔力、見た目とは裏腹に強靱な皮膚、無駄の一切ない筋肉、金剛石のごとき骨……」


 興味がないから見ていなかったが、しかし、見れば見るほど……美しい(・・・)。これは究極の機能美だ。

 ごくりと唾を飲む。目の前にあるのは、ただ強い(・・)だけの肉体。

 生物として、ただただ、強い。一般的な人間の美醜からかけ離れた美しさ。例えるならば、雲を突き抜ける名山の美しさ。空を飛ぶ竜の美しさ。

 スケールが、違う。


「……その、そんなに見つめられると」

「あ、ああ……。すまん。それで、どういうことだ。そういう加護か? 身体を強化するような。しかし、無名で力のない女神の加護だと聞いていたが」

「はい。ほかの例のない無名の女神、『改造の女神の加護』でございます。その改造魔法を用いて、わたくしは……その、己の肉体を改造しているのです」


 言いづらそうに、女が言った。


「複数の魔石を、臓器に組み込んであるのでございます。魔力が巡り、体を最高の状態に維持、保全し、強化するように、と」

「魔石? あれは、せいぜい爆発させるのが関の山の、ただの魔力塊だろう。そんな複雑なことはできないはずだ。どうやって成し遂げている?」

「魔石に、魔力の道筋と、八百万の女神様への祈りを刻む(・・)のです。そうすれば、あらゆる魔法を擬似的に再現可能ですの。これをわたくしは術式(・・)と呼んでおりますわ」


 ディオンが眉をひそめた。


「……それはつまり、加護を授かった女神ではなく、他の女神の魔法を扱っている、ということか? にわかには信じられんな……」

「もちろん、完璧ではございませんが。例えば『強化の女神の加護』の魔法に比べれば、わたくしの強化術式は、およそ五割落ち程度の性能しかございません」


 なるほど。質が落ちるのか、とディオンは少しほっとした。


「ですから、合計二十四の強化術式を掛け合わせることで、十二倍ほどの強化倍率を実現しております。これが限界でしたの……」


 ほっとできなかった。


「女。お前、ただの令嬢だろうに。何のために、そこまで……」

「生きるためでございます」


 言われて、少し考える。

 ――思い至った。


「……マルドリウス・ド・モーリアといえば、放蕩貴族の代名詞。高級な娼婦を一晩で十人も買い、その全員に娼館が止めに入るような暴力を振るった、なんて噂も聞く。その妻は装飾品狂いで有名だな。嫡女は暴力事件を四つ、もみ消しているはずだ。……何をされていたか、詳しく言えるか」

「……いえ」

「お前はもう、当家の嫁だ。俺のものだ。それでも、実家をかばい立てするか」

「別にかばっているわけでは。その、単純に、あまり心地のよい話ではありませんから……」

「くだらんな」


 ディオンは吐き捨てた。


「実にくだらん。女――モルガーヌ。いずれモルガーヌ・ド・アルジャンティーヌになる女よ。これから向かうのは魔軍との戦争の最前線、アルジャンティーヌ領だぞ。耳を塞ぎたくなる話なんて、掃いて捨てるほど転がっている。……だから、いつか聞かせろ」


 今ではないのか、とモルガーヌは少しだけ意外に思った。

 実は、けっこう思いやりのある人間なのかもしれない。


「それでだ。本題に入ろう。モルガーヌ、その魔石を用いた改造、他人にも……、俺にも施せるか? 一人あたりの予算はいかほどだ。かかる時間は? バリエーションや副作用についても細かく教えてくれ」

「……え?」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。


「いいか、モルガーヌ。お前との結婚は政略目的で、お前自身に興味はない。抱いたり産んだりも急ぐ必要はない。だが、その技術は役に立つ。王都の馬鹿どもは、戦争など遠い彼方のことだろうが」


 ディオンは目をらんらんと輝かせて言った。


「戦場では、毎日、誰かが死んでいる。否応なくな。……ならば、モルガーヌ。この技術を持ったお前は――戦場の聖女となるだろう」



「引退した老兵の膝から下をキャタピラに改造するタイプの聖女」を思いついて、せっかくなのでドアマットヒロインと組み合わせてみました。

がっつりギャグに寄せて、一人称で書いた方が良さそう……ですかね?

モルガーヌの性格を、もっと明るく楽しく、でも言動は異常って感じにして……。


・感想コメント

・下の☆☆☆☆☆


で、忌憚のないご意見をいただけると幸いです。

また、長編化する可能性もございますので「続き/これをベースにした物語が読みたい!」という方は、


・作者フォロー


をして、お待ちいただけると幸いです。



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