第一章総集編
プロローグ
目の前に広がるのは、黒い森と紅の空、足元に広がるのは血のような池だった。
森林の中に存在する恐怖を刺激するような感覚に、スグハは怯えを隠せない。血生臭い何かが鼻の奥を突き刺して、目の奥がじんわりと熱くなる。
スグハの目の前に立つ女性。黒ずんだ煙を出している刀をただ一点に、ワンピースの少女に向けて睨んでいた。
「――――」
聞こえない。彼女の言葉が。
それはスグハの幻聴か、または誰かの妨害か。
必死に何かを伝えようとしている女性の声は、スグハの耳には届かなかった。
瞬間、目の前は明滅を繰り返す。
ゆっくり、ゆっくり、スグハの意識を削いでいくかのように。
第一章1
放課後の暗い夜
※
授業の終了を知らせるチャイムが、眠りかけていた脳を刺激する。
教室のドアがガラガラと開く音が聞こえて、その瞬間にクラスの中が少し騒がしくなってきた。それは、スグハにとって良い目覚ましであり、同時に学校から帰れるという喜びも伴うものだ。
口をむにゃむにゃとさせながら、顔を上げてみる。
目を閉じた時特有の視界の霞みが、起き上がるスグハの邪魔をした。見えない目の前の代わりに、右耳の方から声がする。
「おはよ、スグハ。先生がめっちゃ見てたよ〜」
スグハの寝ぼけた顔を見ながら笑うのは、隣の席であり同級生のナツキだった。
ナツキの言葉に、やってしまったと思いつつ、机の上の文房具をバッグの中に入れていく。
「いやーやっちまった。ちょっと疲れがでたかな」
今日の睡眠時間は二時間だけという、平日にやったら終わる時間帯まで夜更かしをしてしまったのだ。面白い漫画を見つけてしまい、それに時間を取られてしまった。
決して自分のせいではない、とスグハは責任転嫁をするが、こんなことをナツキに言ったら、『そりゃそうだろ〜』とツッコミを入れられてしまうため、わざと誤魔化してみた。
「え〜、絶対夜更かししたでしょ」
しかし、ナツキにはその誤魔化しすらバレてしまった。
ギクっといいながら、話を逸らす。ナツキはこういう鋭い思考を持っているから厄介だ。
「やっぱり夜更かししたんだ〜」
「別に、ナツキに関係ないでしょ…」
「いや〜?私は友達としてスグハのことを心配してあげてるんだよ?」
はいはい、と適当に返事を返すと、ナツキはムスッとした顔をして席に戻っていった。あいつはよくからかってくるけど、嫌いじゃない。
スグハにとって仲良くしてくれる人は貴重な存在だ。友達の少ないスグハには、心の支えと言っても過言ではない。
でも、人との対話経験が少ないため、消極的になってしまうのだ。
内心ではもっと話したいと思っているが、なぜかそういう態度をとってしまうのだ。
あれこれ考えていると、教室に担任の先生が入ってきた。
「終礼するぞー」
気だるげな声で、クラスメイトに呼びかけた。
※
電車に揺られながら、暗くなりつつある景色を見る。
スグハの家は学校から少し遠くにあり、電車や車など、交通機関を使わないとキツイ距離だった。
そこまでして、この高校に通いたかったのは、ただの自己満足かもしれない。県の中でもトップクラスの偏差値を持つ高校だ。しかし、今のスグハは入学しただけで満足している。もちろん、成績は落ちていくばかり。
変わりたいなぁ、と思っているが、なかなか行動に移せない。
「次は、日夕山。日夕山。お出口は、右側です」
まぁ、今はまだ一年生だし、少しぐらいのんびりしてもいいか。
しかも、今日は気になっていた漫画の発売日だ。コンビニに寄らないわけにもいかない。あのゲームも進めたいし、やりたいことが多くて勉強してる暇がないぜ。
すると、電車が減速していき、暗い外に灯りが見える。日夕山駅に着いたのだ。
完全に電車が止まる。ドアを開けるためのボタンが光り、ピンポンと音を鳴らしながら、開いていく。
変わりたいと思っているくせに、何一つ反省しないスグハに、一月の冷たい風が襲う。
「ううっ…さむっ…」
車内から出ると、雪がホームの中にも積もっており、滑りやすくなっている。気をつけながら歩いていき、改札を抜けていく。車内では暖房が効いていたから、快適だったが、外に出ると一日中寒さにさらされた空気へとチェンジするので、より寒く感じる。
ホッカイロの入ったポケットに手を突っ込みながら、駅から出る。
背後から、電車が動く音が聞こえた。
※
街灯に照らされた雪は、白く輝いて舞い落ちる。
粉雪のように、優しく、冷たい感触の雪だった。駅前のコンビニへ歩いていくと、ゆっくりと降り始めたのだ。
耳に落ちてきた雪は、一瞬で水へと変わり、スグハをプルっと震わせる。
今日の天気予報では、十年に一度の最強寒波!とか言われてたけど、予報された日は静かに終わることが多い。しかも、その最強寒波は毎年来るとか言われている気がする。
そんなことを考えているうちに、コンビニの中へ入る。白い壁が、天井の電気を反射して眩しい。
いらっしゃいませーの決まり文句を言われ、漫画コーナーへ足を運んでいく。
「えーっと、ぼくしらはどこかな…」
その『ぼくしら』というのは、スグハが最近ハマっているミステリー系の漫画だ。正式な名前は、『僕の知らない恋人』。主人公が知らないうちに、別の世界線にワープして、そこにいる『恋人』となんとか生活していこうという話だ。
まぁ、そんなことはどうでもいいけど。
誰に説明してるのやら、と思いつつ、スグハはレジへ本と共に歩いていく。
――「ありがとうございましたー」
また、決まり文句を言われてコンビニから出る。
雪で濡れないように、ビニール袋をキツく閉めていきながら、家の帰路へと戻っていく。
にしても、ここは住宅街のくせに、人が少ない。もっといてもいいのに。
都市の中心にある日夕市。多くの高層ビルが立ち並んでおり、面積が小さいのに対して人口が五十万人もいる市だ。
スグハの家はその中でも住宅が密集しているところに家がある。
雰囲気は殺伐としていて、街灯が気味悪く点滅しながら、アスファルトの道路を少しだけ照らす。
白い息を吐きながら、道を曲がっていく。
すると、街灯が照らしているところに、誰かが立っていた。小学生とまではいかないが、少し小さめだ。
白いワンピースを着ていて、麦わら帽子を被っている。
おかしい。
なぜこんなにも、季節外れな格好をしているのか。
夏にしか見ないようなその姿に、違和感を覚える。この女の子は、何者なのか。
ちょうど家の少し前にいるため、その子の隣を通らなければいけない。できるだけ近づきたくないが、行くしかない。
そう決めたスグハは、顔を俯かせながら、気づかないふりをして早歩きで行く。
その女の子の隣を過ぎたことを、ぎりぎり見える視界で確認する。そのまま左に曲がると、家があるはずだ。
顔を上げた瞬間、
「……あれ」
その少女と出会う前の曲がり角に、スグハは立っていた。
第一章1 終
「おねぇちゃん…なんで無視したの?」
冷たい声が、物語を始めた
第一章2
現実と幻覚
※
「おねぇちゃん…なんで無視したの?」
背筋も凍るようなその声に、スグハの体は硬直した。憎悪か、呪いか、妬みか、それとも全てが混ざっているかのような、冷たい、冷たすぎる声だった。
それだけで、スグハの本能は警鐘を鳴らしている。
得体の知れぬものが、己の存在を認識しているという事実だけで、逃げ出したくなるほど、怖い。
「ねぇ…聞いてる?」
いや、違う。コイツとは関わっちゃいけない。
スグハの本能だけは、恐怖に屈することなく、本来の働きをしてしまう。いわゆる、生存本能だ。
考えるより先に、足が動いた。その少女はスグハを睨むように目線を追いかける。
「はぁっ……はぁっ…どうだ…?」
左に曲がり、走り続けた。これなら、家の敷地に入っているはずだ。
少女の顔を見ないために、俯かせていた顔を上げる。
「おねぇちゃん…なんで私を拒むの…?」
その少女が、目の前に居た。左に曲がっても、それは無意味であり、逆に自分を危険に晒すだけの行為だったことに今更気づく。街灯の下に入り込んでしまった。この道は、無限に続いている。
冷えた存在を前に、
息が、詰まった。
体が動かなかった。
ただただ、怖かった。
情けない声しか、出すことができなかった。
「あっ…」
「なんで私を拒絶するの?なんで怖がるの?なんで逃げようとするの?なんで?なんでなの?なんでなんで?なんでなんでなんでなんで?」
少女は壊れたように、疑問の言葉を浮かべる。
スグハは足が震えるまもなく、鼓動が鳴り続け、思考は止まっていた。
「あぁ、そうなの。別にいいけど。へぇ、なるほど。わかったわかったわかったわかったわかったわかったわかった」
降り落ちる雪が、この少女に共鳴するように、地面につく前に消滅していく。地面を見るしか、できない。零れ落ちる涙すら、許しがない限り流してはいけないと感じるくらい、
この少女は、歪んでいた。
瞬間、少女はスグハの肩を強引に、離さないように、逃がさないように、掴んだ。体に悪寒が奔る。感じる手の感触は、この体から体温を奪うように冷たかった。
「いや…いやだ…」
その声すら、冷気に変えられてしまう気がした。だって、その言葉の意味は、意味を無くしてしまったから。拒絶を拒み、恐怖を禁じ、逃げることを許さない。スグハのこの身は、少女の気分次第で生きるか死ぬか決められるのだと、その覇気は語っている。
「ははっ、ははははははっ、ははははははははははははは。さぁ、さぁさぁさぁさぁさぁさぁ!私といこうよ」
肩から感じる、冷たさとは逆の熱。それに加えて、足から先の感覚が鈍くなってくる。徐々に視界も歪み、震えていた寒さも消えていた。
終わりだ。終わりなんだ。
これが幻覚と信じるには、あまりに難しい。
終焉を迎えるスグハの意識は、氷の様に溶けていく……。
「汝はすでに此岸の名を失いしもの。それでもなお歩むとは、未練の脚、重かろう。されど、その先は私が許さぬ」
意識を手放しかけたその瞬間、低い声が、耳を揺らした。
それは、まるでこの少女が死んでいるかの様な、静かで、責めるような声だった。
第一章2 終
第一章3
全てを切り裂く刀の残響
※
その瞬間、スグハの体は何者かに米俵を担ぐかのように抱き抱えられ、少女の霧のような手は肩から引き剥がされた。右手と思われるものが体に巻き付いていく。女性のような体つきに感じ、その低い声は、ウィスパーにダウナー系を合わせたような声。何が起こっているのか理解できないスグハは、自分を連れていくその背中にしがみつくしかできなかった。
「なんなんですか!あなた!」
「私は、貴方を傷つけるためにこうしているのでは無い。少し辛抱してくれ。今はここから離れることが優先だ」
スグハを担ぎながら彼女は、屋根の上へ一っ飛び。瓦の屋根を光にも負けないような速さで走っていく。現実離れした、現実離れしすぎている超人的な身体能力だ。体験したことのない感覚に、スグハは驚愕の表情を隠せない。
スグハは、さっきまで自分がいたところを見てみる。
「あっ!あの少女が居ない…!」
「追跡されている。アイツが私たちを逃すような真似はしない」
まるで、この人はワンピースの少女について知っているような口調だった。
雲と雲の間から顔を出した月が、月光で雪とスグハたちを照らしていた。瓦で作られた家の屋根を優しく風が吹くかのように、音を立てず、渡っていく。
遠のいていく自分の家を見ながら、その人に身を任せるしかなかった。
「私の体をよく掴んだ方がいい。目の前に少女がいる」
この超人とは真逆の方向を見ているため、スグハに状況は理解できない。ただ、その言葉を信じるのみ。
「……フィアーから本気で逃げる。手を離す、気をつけろ」
スグハの体に巻き付いていた右手は、ゆっくりと離れていく。これからは自力でしがみつかなくてはならない。スグハは背中を、より一層抱きしめる。
「フィアーって……?」
彼女は、少女のことをフィアーと呼んだ。それは名前なのか、それともあだ名なのかは分からないが、分かることだけはある。
――この少女は、名前の通り、恐怖そのものだった。
優しい粉雪の中で、凍てつくような息を吐く。
腰から刀を鞘ごと外し、右手がかろうじて刀に触れられるところまで、移動させた。
背中から感じる尋常じゃない『何か』に、スグハは寒気を覚える。その覇気は、世界が止まっていると錯覚させるほど、不気味なものを纏っていた。
この人の体温だけを信じ、スグハは抱きしめる。
ついに、その刀の持ち手を掴む。金属音を立てながら、その刀は姿を現していく。月光すら飲み込む黒の刀身。
「異空斬移――」
声と共に、引き出された刀は空気を斬り、この世を裂き、理を超える何かを、斬り捨てた。音だけを残し、光のようにその先へ、その先へと。
瞬間、重力が押し付けられるような圧力を、全身が感じた。潰れそうになるほど、スグハの体を何かが押さえつけている。
見える景色は闇だけで、感じる体温は信じるべき道だった。
※
冷たい風に、草が揺れる音が聞こえる。瞼の奥から感じる光と陰。暖かい光が顔を覆い、浮遊していた意識が目覚めへと向けられていく。自然が持つ香りが鼻を通り抜けていった。
息を深く吸ってから吐いて、ゆっくりと、そこが現実か確かめるように、目を開けてみる。
見えるのは、眩しく輝きながら、霞んでいる視界だった。目に手を添えて、影をつくる。慣れてきた視界で、その先をよく観察した。
すると、目の前にあったのは、どこまでも続く草原だった。あたり一面は緑で覆われていて、遠くには山が見える。頭上には、雲ひとつなく、澄んだ空が広がっていた。そして、背中に感じる硬い感触。後ろを向いてみると、それは小さい木の体だった。
どこか懐かしく、落ち着いてしまう。ここがどこか分からないのに。
暗く寒かった日夕山の町とは違い、温もりだけが漂っていた。
「ここは、どこ…?」
確か、ここに来る前は、フィアーと呼ばれている少女に捕まって、そして逃げたんだ。超人的な能力を持つ何者かと、一緒に。そのあとは、何が起きたか分からなくて……。
じゃあ、あの人はどこにいる。
自分の体を見ると、黒い羽織がかけられていた。これが、あの人のものだとすると、付近にいるはず。しかし、あんなに冷たそうな人なのに、意外と優しいんだな。
辺りを見渡すと、そこには川が流れていた。
この草原は山と山で挟まれており、川は山の根元から、反対の山の根元をつなぐように流れている。
目を凝らしてよく見てみると、そこには人らしきものが立っていた。
呼んだら気づいてくれそうな距離だ。
おーい、と叫んでみようとする。
「おーっ…けほっ…けほっ……」
しかし、喉が叫びを掻き消し、代わりに痛みと渇きを感じさせた。
息ができず、肺からどんどん空気が抜けていく。唾を飲み込もうにも、咳が邪魔をして強制的に吐き出される。
「大丈夫か。これを飲め」
すると、耳から低い声が通ってきた。それは、目覚める前にも聞いた声である。
咳をするたびに跳ねる体に腕が回され、水がゆっくりと口に注がれていく。
「ゆっくりでいい。私のことは気にするな」
優しく背中をさすられながら、一口、二口、三口と。
徐々に咳が落ち着いていき、乾いていた喉に潤いがもたらされる。
涙で滲む視界に、その人の顔が歪んで映し出された。
「どうだ?もう少し必要か?」
澄んできた視界にあったのは、黒曜石のように輝いた瞳だった。サラサラと髪が長く伸びており、輪郭はシュッとしている。柔らかい顔が、こちらの身を案じるように問いかけた。
可愛らしい顔をしているが、そこから発せられる言葉の一つ一つは重みがある。
首を静かに横に振ると、彼女は少し微笑み水が入った水筒のようなものを土に置く。
「もう少し、休むといい。あとで話をしよう」
その手は温かく、優しかった。
第一章3 終
第一章4
草原の上で
※
そよ風によって運ばれた花の香りが、スグハの鼻を通り抜けて、再び彼方へと還っていく。不穏なものが微塵も混ざっていない純粋なその空気が、あの夜の道路がどれだけ危険だったかを示しているようだった。そして、フィアーの異質さに共鳴していた空気も、今は静かに舞っている。
「落ち着いたか。ゆっくりでいいから、少し話したい」
スグハの体調を気遣いながら、落ち着いた調子で話す。その低い声には、優しさのみが渦巻いていた。フィアーに言い放った時の声とは違い、威嚇のような感情は無いように感じる。
そして、その言動の一つ一つに、スグハを気遣う心が映し出されていた。初めて会った時の印象の『怖い』という印象とは程遠い。
「うん、ありがとう…。私も話したいし、あなたについて知りたい」
お互いのことについて何も知っておらず、ただ、スグハを救った他人にすぎない。それに、聞いておきたいことも多くある。この草原は一体どこなのか、一体何者なのか。彼女なら答えてくれそうだ。
スグハがそう言うと、彼女は微笑みをこぼした。
「私の名前はナギサ。昨日の夜、君を助けた者だ」
低い声で、ナギサは答える。そのはずだろうと想像はついていたが、やはり、彼女がスグハを昨夜、助けてくれた本人だった。何よりの証拠といえば、やはり声だろう。それに、担がれていた時と同じ香りがする。
そんなことを考えているうちに、ナギサは黙ってスグハの目を見ていた。
まだそれほど信頼関係を築いていないためか、それ以上のことは話そうとしない。ならば、スグハ自身のことも明かさなければ話は進まないだろう。
「…私はスグハ。日夕市の、あれだ…高校生です」
少しぎこちない自己紹介だった。それもそのはずだ。なぜなら、スグハは友人を作ろうともしないし、紹介される機会はそもそもない。友人と言えるのは、クラスでからかってくるナツキ程度であり、彼女は男女共に評判が良く、スグハのような怖い奴……クールすぎる奴にも話しかけてくれる。
そんなナツキに話しかけられているのだが、人は寄ってこない。
次に出すべき言葉は何か考えてみる。たった一人と友人と培ってきた対話技術を活用する時が来たのだ。
「パセリが好きです…」
間違った。いや、間違ったでは済まない。完全に変なことを言ってしまった。どんな顔をされているか想像もしたくないが、ナギサの整った顔面を見てみる。すると、想像とは違った、優しく微笑んだ顔があった。
「あぁ…私もパセリはよく食べる。美味しいよな。それに、私は剣士と魔術師を仕事にしている」
サラッと流された。スグハの突拍子もない好きな食べ物について、それは川のように流された。しかも美味しいと言ってくれるとは、ナギサの気遣いには………。
またもやサラッと、わけの分からないことを聞いた気がする。
「…もう一度いいですか?仕事の内容がちょっと…」
申し訳なさそうにナギサにもう一度聞いてみる。
「……?私もパセリはよく食うと…」
「違う違う。あっ…違います。その次に言ったことです」
「美味しいよなと」
ナギサの理解力の素晴らしさに、スグハは頭を抱えた。これはナギサのせいではなく、スグハの説明力に問題がある。言葉を発しただけで理解してくれるという甘い考えを持つスグハの方が悪いのだ。
少しだけ反省しつつ、ため息をこぼす。
「職業について、もう一度聞きたいのです」
「あぁ、それのことか。私は剣士と魔術師を仕事にしている」
ファンタジー小説とか、異世界アニメでしか聞いたことのない単語が混じっていることに、スグハは困惑の表情を隠し切れていない。あまりに話が飛躍しすぎているから。しかし、嘘を言っている感じもしない。
「魔術師……」
その言葉をもう一度、自分の口から出してみる。ナギサが厨二病か、それとも本当にそういうものが存在する世界に入り込んだのか。
恐らく、前者のほうだとスグハは考えるが……。
スグハは強そうな人の、あるいは目上の人の話を間に受けてしまう性格を持っているのだ。たとえ、嘘であっても、それを本当のことと受け取ってしまう。
「あぁ、魔術師だ。聞いたことはないのか?」
全くもって聞いたことがない。スグハはそう言える自信が大アリだ。いや、漫画とかでなら聞いたことはある。でも、それを職業にしてる人なんて聞いたことがなかった。マジシャンと名乗るならまだわかるのだが。
「私は、いろいろな精霊と契約を交わしている。数千体と契約しているはずだ」
「……え?」
突然出てきた契約と精霊。そして、その数の多さ。
もしかして…ナギサは相当ヤバい奴なのではないか。
精霊を、彼女の友人に置き換えるとすれば、千人という恐るべき数の友を持つことになる。
スグハの頭は、情報量の多さにパンクしそうになった。
※
スグハが、フィアーに襲われたその夜。
「あの…娘が帰ってこないのですが?」
スグハの母―スグミが、受話器を右耳に当て、昭和のおかんのように話している。
受話器を持つ手が震えており、その声も共鳴していた。
「既にスグハさんは学校から下校したはずですよ…?もしかして家にまだ帰ってこないんですか?」
スグハの学校の担任が最悪のケースを想像して、スグミに問いかける。残念ながら、その最悪のケースの通りだった。
スグミの頭に、不安と心配が渦巻き、目の奥が熱くなるのを感じる。
今取り乱したらダメだ。落ち着かないと状況は変わらない。悪くなる一方かもしれない。
唇を強く噛み、暴れそうな心を封じ込める。
「はい…まだ家に来なくて…」
すると、担任は「えっ!?」と大きな声を出した。下校時刻は午後五時。それに対して、現在時刻は午後八時半。いつもなら七時前には必ず帰ってくる。
携帯は持たせているため、電車が雪で遅延とか運休している時は電話してくるはずだ。もしかしたら、電池が切れてて使えないかもしれない。
考えれば考えるほど、立ち込める不安の霧が、さらに濃く襲ってくる。
「まずはお母さん、落ち着きましょう。雪の季節ですし、電車が遅延しているかもしれません。サポートするので、まずは落ち着きましょう」
担任の親切さに、スグミは深呼吸をしながら、溢れ出そうな涙を引っ込めようと努力する。しかし、なかなか引いてはくれず、些細なことでも泣き出してしまいそうになってしまう。落ち着かないといけないのに、冷静に対応しないと状況は悪くなってしまうとわかっているのに、心は素直に体に反応させる。こういう素直なところを、今は憎むしかない。
「ありがとうございます…先生…」
震える声で、答える。
沈黙の時間が流れ続け、耐え難い不安を抑え込む。張り詰めた空気の中に、受話器から待機している時の音楽が流れ始めるが、今はその音楽が不気味でならない。呆然と聞き続けること約十秒。音楽が止んだ。
「電車は通常通り運転しているみたいですね…」
担任のその言葉に、スグミは言葉を詰まらせる。つまり、スグハが帰ってこないのは電車が理由ではなく、他の要因によるもの。
「なんでだ…なんで…」
言葉が出ないスグミに対して、担任は他の職員と話している。その騒がしい右耳と沈黙の左耳を、不安で固まった体の中を駆け巡るように響く。
愛する娘に不幸なことが起こるなんて、想像したくない。
スグハのことを、もう泣かせたくない。
一人にさせたくない。
父親を失ったあの子に、もう涙を流してほしくないと願うスグミは、溢れ出した涙の味を、ただただ感じることしかできなかった。
第一章4 終
第一章5
暗き夜に散る火花
※
ナギサが言うには、どうやらこの場所は『日本』ではないらしい。つまり、現在スグハが居るのは海外にある山脈の一部。
『ゾケニア山脈』という名前の山脈の高原に、ナギサとスグハはこうして話しているのだ。
ゾケニア山脈はかなり世の中に知れ渡っているらしく、世界一の高さを誇るのだとか。スグハは地理が弱く、その山脈の名前など聞いた覚えがないし、そもそも地理の時間は寝ていたため、知らないのも当たり前といえば当たり前だ。
そして気候は日本と同じく、温暖湿潤気候の特徴を持っているらしい。
しかし、今の気候は夏。日本の現在の季節は冬だが、ゾケニア山脈では夏のように日差しが暑い。ここはオーストラリア大陸のどこかと考えるのが自然だろうか。
あれこれナギサから説明を受けているうちに、自分の今の状況が只事ではないと感じ始めた。
「その『日本』とかいう場所ではない。私のこの刀……『斬理刀』を使ってここまで来てしまった。私の失敗だ。申し訳ない」
「ざんりとう……?」
正座しながら話しているナギサは申し訳なさそうに言い、拳を膝の上で握りしめる。そもそもの話、『斬理刀』とかいう刀を使うだけでオーストラリアの山脈に来てしまうとか、これは現実か夢なのかが分からない。ほっぺをつねってみても痛いし、叩いてみても痛い。その痛みは、感じたくなかった。信じたくない事実と共に、逃げ場のない不安を体が受け止める。
「そんなことはいいんです…いや全然良くないけど。とにかく!その刀があればもう一度帰れるんじゃないですか?」
摩訶不思議なその刀、行くことはできるが帰れることはできないとかいう理不尽な設定がない限り帰れるはず。
ナギサは桜色の唇を開いて言う。
「この刀は、一度『異空斬移』を使用してしまうと、だいたい半年ほどはその能力は使えなくなる…。それに、スグハが居た『にほん』っていう国も、まだフィアーが干渉しているかもしれない。申し訳ないが、帰ることはできないだろう」
スグハは唖然と、その口が無意識のうちに開いてしまった。不安と心配だけが、彼女の脳を埋め尽くす。
この未知なる地から、帰れるのか。それよりも、母は今何をしているのか。
母の元へ帰れるか。
今、母は心配してるかもしれない。今すぐにでも、母の元へ帰って『ただいま』と言いたい。心配させたくない。一人にしたくない。
それでも、母の元へ行くことはできない。
「ちくしょう…」
ナギサがスグハが悔しがっているのを、斬理刀の鞘を撫でながら見つめる。彼女自身、スグハを助けるためとはいえど、自身の手でスグハを故郷から遠ざけた。その結果、スグハの命を救うことができたが、彼女の不安も同時に作ることにもなった。
命より大切なものはない。救うためには仕方のないことだった。そう、自分に言い聞かせるが、それでも心の奥底で忸怩たる思いが渦巻いている。
善行をしたはずなのに何故か申し訳なさが込み上げてきて、なんとも形容し難い感情を感じた。
「ここまで導いたのは私だ。全ては私の責任にある。だから、貴方を必ず故郷に帰そう」
スグハの小さな手を包み込んで、そう答える。昨夜、スグハを担いだ時から、ナギサは必ず助けると決めた。だからこそ、彼女にはそう決めた時に、決意と共についてくる責任を背負うことになった。
そして、スグハを帰すと決めたからには、その責任を負うことになる。
スグハは黙って頷く。
ほんの数十分の絆を信じて。
「ところで、スグハに聞きたいことがある」
急に、低い声がまた耳を通る。先ほどの声より、鮮明に、重く、低く、スグハの耳に入り込む感覚がした。それは、まるで深い闇のように、聞こえた。
慎重に開かれた唇は、
「『にほん』という国は、実在する国か……?」
ナギサの口から、そう告げられた。
「え?」
「この世にあるのは四つの帝国と王国のみ…。そこに『にほん』という名前の国はない」
頭が、その事実を受け入れることを拒む。地理が弱いスグハにだって、日本の位置は分かる。四つの大陸があり、数百を超える国が存在する地球。
ナギサから告げられたそれは、四つの帝国と王国。ナギサは何を言っている。ありえない情報に、スグハは戸惑いを隠しきれない。
「えっ……?だって…え?ここは…地球じゃないの…?」
幻聴か何かを祈り、ナギサに確認する。ナギサは眉を歪めて同じく戸惑いの目をスグハに向けた。
「ちきゅう…。聞き覚えのない言葉だ。どこかの地名か?」
緑に包まれた草原は、この事実と釣り合わない格好をしていた。鳥も、風も、草も、全てが楽しそうに揺られ、歌を歌っている。
その中で一人だけが汗を流し、恐怖し、戸惑っている。
信じられない。
その言葉だけが、頭を埋め尽くしていた。
「大丈夫かスグハ?具合が悪くなってきたのか?聞こえる……」
急に視界が暗転していき、体が力を失っていく。
ナギサの低い声が徐々に消えていき、
意識は深い海に沈むように、消えていった。
※
スグハが意識を失ってからすぐのこと。
「息はあるな、他も…大丈夫か。意識を失っただけか。でも何故だ…?」
スグハに、『にほん』という国がどこか尋ねた瞬間に、彼女は顔色を悪くしていった。戸惑いを感じているのはナギサも同じだ。このような反応をするのはナギサが今まで出会ってきた人の中でスグハがただ一人。
汗で濡れているスグハの額に手を当てて、その体温を確かめる。
熱くはないが、彼女の体調を見る限りこれから熱を帯びてくるかもしれない。それに加えて、汗だくの彼女に向かって風が吹いている。風邪を引かれては彼女を帰らせる方法も思いつかない。
木の幹に背中をもたれかけ、スグハを隣に座らせる。
ナギサの着ている上着でスグハの体を包み込む。ナギサの黒いコートのような上着はマントのように大きいため、小さい子供一人を包むのには十分な広さだ。小さな子供と言ったら、スグハに怒られそうだが。
辛そうな顔をしながら眠る彼女を何も考えずに見る。
小さい体が背負う不安は、彼女にとって大きな負担になっていたはずだ。見ているだけで、懐かしい感覚が呼び覚まされていく。
瞬間、ナギサの頭に鋭い痛みが走る。
「……っ。またか…」
たまに現れる貫かれるような頭痛、それと共に現れる光景。
赤い空に、血のような池だった。
それが何を意味するのか分からない。だけど、これが頻繁に起こるようになった。二年前に『異空斬移』を使用した時から、今日までずっと。
「何のつもりだ」
瞬間、ナギサの前に黒い影が二人を覆った。リボルバーのような銃の銃口を、ナギサの額に触れさせる。額からひんやりとした金属の冷たさが、全身へと広がって体を震えさせる。優しかったはずのナギサの声は、威嚇と威圧がかかった恐ろしさを感じるほどの響きを出した。
相手はその威圧にびくともせず、沈黙を貫いたまま立ち尽くす。恐れている様子がない。白髪の男で、筋肉質な体は鍛えられているように感じ、その目線の鋭さから見るに、ただの男ではないだろう。上半身は裸であり、灰色のズボンを履いている。彼の手元を見てみると、トリガーには指がかかっていることが分かった。
「貴様は何者だ」
そうナギサが問うと、白髪の男はニヤリと汚い笑みを作る。トリガーを引くつもりだ。
ナギサが目を見開き、深く息を吸った瞬間、
銃弾が、彼女の頭蓋を貫いた。
※
鋭い爆発音と共に、辺りにナギサの血液がばら撒かれる。
顔が濡れる感覚と巨大な爆発音に、スグハの意識は強制的に立ち上げられた。頬を指でなぞると、深い深い、紅の液体が付着している。霞む視界で隣りのナギサを咄嗟に見る。
彼女は頭から、ありえない量の血液を流していた。目からは色が消え失せ、肌からは生気がなくなっている。
「えっ…?は……?ナギサさん…?」
突然の出来事に、スグハの思考は停止する。呼吸が乱れ、目は充血し、目の前にあるナギサの死を受け入れられない脳が涙を溢れさせる。それに加えて衝撃に耐えられなかった胃が中のものを逆流させた。
「おえっ…うぶぇぇ…」
「よぉ、嬢ちゃん。お目覚めのところ悪いね」
罪悪感が少しも混じっていない口調で、口だけの謝罪の言葉を放つ白髪の男。紅の生命の雫を銃口から垂らしながら、気持ち悪い笑みを浮かべる。
漂う血の匂い。瞬きをするごとに暗くなっていく空。
何が起こっているのか分からない。分からないから、どうなる。私はどうなる。
「あっ…あなたは…一体…」
震える喉を何とか使い、震える喉以上に震えた声を出す。寒気が体を襲い、硬直する全身は生存本能を前にしても動こうとしない。
世界が、遅くなったように見える。
人って、死を覚悟すると、こういう感じになるんだ。
リボルバーの銃口は、ゆっくりと、スグハの体を狙う。
柔らかい胸に当て、その奥に存在する生命の太鼓を狙い…。
「じゃあ、さようなら〜」
トリガーがゆっくりと引かれ、その心臓を
撃ち抜いた。
「断運刀斬…!」
力強く響く低い声。それは、すでに死んだはずのナギサの声だった。
撃ち抜かれたはずの心臓は、まだ無傷でその鼓動を鳴らしている。
瞬間、スグハの目の前で火花が散り、焦げた匂いが鼻の奥をくすぐった。
「ナギサさん…っ!」
スグハを間一髪で救ったのは、またもやナギサだった。頭から血を流し、白い肌を赤く染め、可愛らしく柔らかな顔は白髪の男だけを睨んでいた。
ギョッとした顔をする白髪の男、リボルバーをナギサ目掛けて連射。
一発、二発、三発と放たれる鉄の光を、ナギサの『斬理刀』が細切れにしていく。
「霊断解放…八十五番…」
冷たく囁かれる言葉、殺意だけが込められた声に、彼女の優しさを知っているスグハですら震える。白髪の男は地面を強く踏み、空高く飛んでいった。
しかし、それを逃さぬかのようにナギサの『斬理刀』は紫炎を纏って光線を放つ。この世のものとは思えない光景に、スグハは絶句した。
「くっ…死んでなかったか…」
「残念だが、私を簡単に殺せると思うな」
銃口が切り落とされたリボルバーを捨てて腰から新たな銃を取り出す。拳銃サイズの大きさのものが、月光に照らされて光った。
「月光……?」
空を見上げると、そこにあったのは水色の空ではなく、真っ黒な空だった。太陽の代わりに存在するのは静かに光る月のようなもの。
空高く舞い上がった白髪の男は、手に持った拳銃を連射する。
「五五八番…」
そう呟いたナギサ。
瞬間、彼女の刀の白く輝く刀身が、月光すら飲み込むような漆黒の刀身へと変化していく。光を放つ鉄の球を弾き飛ばし、月に美しく被る。その瞳に映ったのは、ただのナギサでは無かった。
紫紺の瞳が、一点を見つめて、体が黒いシルエットとなって。
戸惑いや不安を置き去りにするほどの美しさ。白髪の男は地面に降り立ち、ナギサに照準を定め続ける。絶え間なく乱射され続ける弾丸。
こんなに連射できるわけがない。何か細工されているのだろう。
ナギサも地面に静かに降り立ち、刀を鞘に収めながら低い姿勢で弾丸を避け続ける。
男は冷静を保ったままナギサを睨んだ。
銃声が静かなゾケニア山脈に響き、騒がしさを連れて行く。
瞬間、スグハの耳に鋭い音が襲い、木の幹に激突する。
木の幹に当たったもの、それは白髪の男が放った弾丸の流れ弾だった。全身の毛がゾワっと立ち上がるかのように震える。
もう少しズレていたら頭を撃ち抜かれていたと考えるだけで頭が痛い。
「結構いい動きするじゃないか、女」
「戦いに話は必要ない」
男の言葉を冷たく投げ捨てる。
そろそろ頭にきたナギサは地面を踏み込み、男に急接近。空中で刀を抜きだし、男に向かって刃を突き刺す。
「お前の負けだ」
月光に照らされた二人の間から、黒い何かが吹き出した。
第一章5 終
第一章6
スグハの決意
月の冷たい月光に照らされたナギサと白髪の男。
現実のものとは思えない激しい戦闘に、スグハは夢か現実か区別がつかない状態だ。というか、これが夢であることを祈りたい。そして、その理不尽な自身の運命を恨む。
死ぬような思いを、一日のうちに何回感じさせられるのか。何故、こんなにも死ぬような思いをこの短期間で感じないといけないのかと、運命を恨むしかない。
恨みと共に、酷い目にあっているスグハに降りかかるものが一つ増えた。
不安だ。恐怖するスグハを不安が覆い始めたのだ。何故なら、ここは異世界だから。異世界と認めざるをえなかったから。目の前の激しすぎる、この世と思えない景色が広がっていたから。
「……っ!!ごほっ…」
ナギサの腹部を、沸騰したように熱い何かが波を打った。それと同時に、この熱と同じぐらい熱い、灼熱の液体がナギサの口から吐き出される。
喉に焼けるような激痛。月光に照らされる漆黒の液体。
それは他でもない自分自身の血だ。
灼熱に唸る腹が、何かに抉られ続けている。
――迂闊だった。まさか彼が剣を隠し持っていたとは。
力が消え失せ、手に持っていた刀を草に落とす。血液が草にかかる音と共に、金属音が響いた。ポタポタと唇から血が垂れていく。
「お前が油断するとは珍しいな。あの木の下にいる少女が原因か?ちっとも面白くないぞ」
白髪の男がナギサに向かって面識があるかのように話す。
ナギサが戦闘で油断することなど、以前まではなかった。全ての行動を先読みし、それを対処するために精霊の加護を使用する。どんな不意打ちも見事に回避することができた。
しかし、今のナギサは違う。後ろに護るものがあるから。自分が死んだらあの少女を家に帰せないというプレッシャーが、かえって彼女の油断を生み出してしまったのだ。
「くっ…私と…したことが…」
自分の弱さに、力の出ない手を弱く握った。逃げ場のない怒りが、ナギサの中で暴れている。さっき撃ち抜かれた時は精霊の力があったから切り抜けられた。これも自分が弱いから死んだ。
回数制限を、無駄にしてしまった。死者の精霊の、回数制限を。
「まさか、お前が負けるとは思わなかったな。随分と鍛錬をサボったみたいだね」
血の滴る刀を、血まみれの草原に突き刺す。
「ぐぁぁっ……っ!」
抉られ、内側から切り刻まれ、耐え難い激痛に唸り声をあげた。これも、懐かしい感覚だ。
「はっ!話さなくなってしまっては面白くない。……あぁ、そうだそうだ。一つ聞きたいことがある」
死者の精霊で死んでも復活できない。回数制限があるから。じゃあどう切り抜ける。力が出ない。視界が霞んでいく。
スグハはどうしよう。責任、責任があるのに。
「お前、さっき殺したはずだが、生きてたよな。ありゃどういうことだ?」
リボルバーを額に突きつけて、最期の質問を出される。
言えない。それを言ってしまってはならない。
死者の精霊は、死んだものを三回だけ生き返らせられる能力の持ち主。しかし、一回使ってしまうごとに数時間の時間制限がかけられる。
それは精霊の気分次第。
「俺には精霊の仕業としか思えないな。どうだ?その通りか?」
ナギサは思わず体を反応させてしまった。
男はニヤけて額に向けていた銃口を、ナギサの大きな胸に突きつける。
あぁ、バレてしまった。
「死者の精霊だろう。心臓を対価に契約できるっていう伝説のさ」
トリガーに指をかけ、その心臓を……。
ナギサが、スグハのいる木の幹を見る。怯えて、今にも泣き出しそうな顔をしていたスグハがいた。威勢のいいことを言っておいて、この敗北ぶり。失望、させちゃったな。
次の瞬間、鋭い銃声が響いた。
※
まずい、まずいまずいまずい。
スグハの頭を埋め尽くす焦り、その原因は目の前にあるナギサの状況だった。
木の影から顔を覗くスグハ。暗闇で彼女の顔は見えず、更に不安は積もるばかり。ナギサの頭部と思われる所から、何度も真っ黒な液体が放出される。ただでさえ見たくない景色だ。あんなに優しくしてくれた人が、苦痛にもがいているところなんて、もっと見たくない。
どうにかナギサを救えないか。
混乱で回らない頭を無理やり動かそうとする。しかし、思いつく案はなかなか現れず、思い切って突っ走ろうとする度胸もスグハにはない。
何もできない自分に怒りを覚え、歯を食いしばる。助けてくれた恩人を救うこともできず、落ち着いて相談してくれたのに自分だけ慌てて。
「どうしよう……本当にどうしよう…」
すると、男はナギサが刺さっている刀を地面に突き刺す。ナギサの体をより深く貫き、抉った。
スグハは目を瞑り、その姿を見ないように。そうじゃないと、叫んでしまうから。そうしないと、正気ではいられないから。
すると、男は銃のようなもの手にとり、ナギサの頭に銃口を突きつけた。
ナギサが、殺されてしまう。
良く観察すると、男とナギサが話をしているようだ。口がパクパクと動いている。男が笑った瞬間、銃口はナギサの頭から胸へと移った。
何を考えている。
咄嗟に出た思考よりも先に、震えた足が前に出た。
死んでほしくなかったから、私が時間を稼ごうと。
「まてええええ!!」
今まで出したことのない大きさの声で、男の注目を引いた。
それは、銃声にかき消されたのだが。
第一章6 終
第一章7
治癒の魔術師
静寂の夜に、鮮やかな銃声が響く。
スグハの叫び声はかき消され、ナギサの覚悟は決まり、白髪の男は笑っている。
ゆっくりと、ナギサは目を閉じてその運命を受け入れようとした。
スグハはその運命に抗おうとした。
白髪の男は運命を決めようとした。
この関係を崩す者が現れたら、どうなるだろうか。
ナギサの顔に、鉄の濁った臭いが降りかかり、濡らす。
液体ではない、何か形があるものも付着し酷い吐き気を催すものだった。
白髪の男が倒れていく。膝をついて、自分で刺した剣に自ら頭を裂きに行った。
時間が止まる。いや、止まったように感じた。
それほどまでに、目の前で起きたことは衝撃的で。
「死んで…ない…」
元々低かった声が更に低くなっている。自分の胸に穴が空いていないのを確認した。
撃ち抜かれていない。どうやら、誰かが助けてくれたみたいだ。
安堵のため息を吐こうとする。
が、それよりも先に意識に限界が来てしまった。
闇に引き摺られていく意識を、ゆっくりと受け入れていく。
あぁ、スグハ……。ごめん……。
※
白髪の男が撃ち抜かれた瞬間、静かに睨んでいた月は太陽に変わり、元の暑い夏のような天気に戻る。瞬きをした瞬間変わったため、スグハは眩しさで目を細める。ナギサは撃ち抜かれていない。
足が安心で止まりそうになる。しかし、ナギサは瀕死の重傷を負っているはず。太陽の光で良く見えるナギサに向かって、走り、走り続けた。
「ナギサ…さん…!」
ふらつく足をなんとか立たせて、転びそうになる。
「ナギサさん!あぁ……」
目の前に広がるのは、見るも無惨なナギサの傷だらけな体。白い肌は赤く染まり、あたり一面に…。
吐きそうになるのをなんとか堪える。一番辛いのはナギサ自身。スグハはそれに耐えて、命を救わなければ。
しかし、命を救おうにもスグハは医学について何も知っておらず、使える道具もない。
何をしても、スグハは無力なままだった。
「どうしよう…どうしよう……」
またもや弱音を吐く。目の奥から熱が込み上げてきた。
このままナギサを殺すなんて、嫌だ。
綺麗な花から、死んでいく。
それは本当のことらしい。
「誰か…誰か!」
絶望に飲まれていくスグハ。
瞬間、後ろから足音が聞こえる。草を踏み締める音だ。
咄嗟に背後を振り向くと、そこに立っていたのは、細身の女性だった。
ルビーのように輝く赤の瞳。色白の肌。サファイアのような宝石がついた杖。まるで、魔女のような格好。
そんな女性が立っていた。
「危なかったね。少女ちゃん」
優しく、ねっとりとした声で話しかける。
スグハは唖然とし、ナギサの体へ触れる彼女を見るしかなかった。
「ナギサちゃんのトドメを刺しに来たんじゃない。死なれたら困るからね」
「あ…あなたは…なんなんですか…?」
ナギサの腹部の布を剥がし、剣を引き抜くり辺りに血が飛び散り、中の内臓が丸見えだ。その彼女の行動は、果たして合っているのか。
医学的知識を持たないスグハにはわからない。
「なっ…!何をして…」
すると、その魔女のような格好の女性は手を優しく添える。瞬間、翠色に輝く光がナギサを覆った。
「私は治癒魔術師、オーガスト・ドレイク」
腹部の傷が塞がり、顔に生気が宿る。傷口を継ぎ合わせて、癒着していく。泡立っていく傷口が、更に糸を引いて治っていくのだ。やがて傷跡も残らず、綺麗な腹へと変化を遂げた。しかし、見るのも勇気がいる、そんな光景だった。
治癒魔術師、それは本当に実在する職業だとスグハは実感する。
「別名、泡沫の魔女…かな」
※
「………ぁ」
激しい戦闘の末、瀕死の重傷を負ったナギサ。自分の体からは腐った鉄の臭いがして、不快でならない。体にのしかかる倦怠感と疲労感。
私は…どうなった。
目を開き、長いまつ毛を輝かせる。すると、目の前にはナギサの手を繋ぎながら、涙を堪える少女…スグハがいた。
そして、その隣には、
「ドレイク……」
「ははっ、なにヘマこいてんだよ。ナギサちゃん」
目覚める前の記憶を思い出す。
死者の精霊を使い、白髪の男と戦った。そのあとは剣に貫かれ、意識を…。
生きているということは、ドレイクのおかげだろうか。
「ありがとう、ドレイク。君がいなかったら死んでいただろう」
「はぁ…。それを言うならスグハちゃんにもだぞ。ずっとアンタに寄り添っていたんだから」
涙目になり頷くスグハ。その顔を見て、思わず撫でてやりたくなる。
「ありがとう、スグハ。迷惑をかけて、心配させてごめん」
スグハの黒い髪を撫でながら、微笑んでいう。
今にも泣きそうな彼女を、見つめながら。
「よかったです…ぐすっ…よかったぁぁ…うわぁぁん!」
ナギサがスグハに持つ印象はクールで変な子、というものだったが、今は、優しくて、可愛らしい女の子と変わった。自分のために泣いてくれる子。それは、ナギサにとって忘れられない、大切にしたいものだった。
「あぁ、ありがとう。ドレイクもすまんな」
「まったく…アンタは私がいないとダメなんだから〜。ほーれよちよちスグハちゃん〜」
ナギサが寝ている間に何があったか分からないが、随分と仲良くなったそうだ。まぁ、ドレイクは優しいし、私よりもいい性格を持ってるから、スグハも話しやすかったのだろう。
泣きじゃくるスグハの背中を撫でながら、ドレイクはナギサを見る。
とても、安心した。
※
「ドレイクさん!ナギサさんは大丈夫なんですか!」
ナギサが治癒魔法をかけられて数分後、意識が戻らないことを心配したスグハがドレイクに質問した。
「大丈夫!大丈夫だって!私の腕前は帝国一だからよ!」
嘘か本当か分からないドレイクの反応にスグハは疑いの目を向ける。それに、ドレイクについて何も知らないのだ。ナギサを知っているように話していたが、どんな関係なのかも分からない。何者なのかも分からない。そんな相手に恩人の命を任すなんて、怖い以外にない。
「本当に言ってるんですか!でも全然意識戻らないですよ!」
「安心しろって、治癒魔法は相手を治すことができても、その効果を発揮するためには体を休ませないといけない。だから、私はナギサの意識を戻らないようにしてるの!起きたら効果が薄くなっちゃうの!」
早口で語るドレイクに、スグハは押される。まだ、この異世界について何も知らないスグハには、これが本当の話か分からない。
魔法についても、精霊についても、一切分からないのだ。
「じゃあ、あなたは何者なんですか!なんでナギサさんのことを知っているんですか!」
ドレイクは真紅の瞳を揺らしながら、スグハの質問に答える。
「私はナギサの姉なんだよ。山脈から抜けた先にあるベルリア帝国で魔術師としてやってるのさ。私は結構有名なんだよ。知らないの?」
そうだった。ドレイクはスグハがこの世の人間ではないことを知らない。
「知りません。私はここの人じゃありませんから」
すると、ドレイクは驚いた表情をして、スグハに質問責めをする。
「え?マジ?じゃあ、オーランス王国の人?」
スグハの聞いたことのない国の名前が出される。もちろん、知るはずがない。
「違います。どこの国ですか」
「おいおいマジかよ。スグハちゃん勉強したことある?」
なんだから馬鹿にされたようで腹が立ったが、その怒りを押し込めてドレイクにぶつける。
「うー!私はこの世界について何も知らないんです!他のところから来たので!」
大声で、山彦まで聞こえる大きさで叫んだ。
ドレイクは信じられないといった表情でスグハを見る。確かに、急に大声で怒鳴られたらビックリするもんだろう。
スグハは驚かせてしまったことに申し訳なくなり、謝ろうとするが。
「あっ…ごめんなさい急に…」
「本当の話か…?」
「はい…なんですか?」
「スグハちゃんが例の…五千年に一度の転移者か!」
スグハの頭は混乱に塗れた。
第一章7 終




