第一章5 暗き夜に散る火花
暗き夜に散る火花
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ナギサが言うには、どうやらこの場所は『日本』ではないらしい。つまり、現在スグハが居るのは海外にある山脈の一部。
『ゾケニア山脈』という名前の山脈の高原に、ナギサとスグハはこうして話しているのだ。
ゾケニア山脈はかなり世の中に知れ渡っているらしく、世界一の高さを誇るのだとか。
スグハは地理が弱く、その山脈の名前など聞いた覚えがないし、そもそも地理の時間は寝ていたため、知らないのも当たり前といえば当たり前だ。
そして気候は日本と同じく、温暖湿潤気候の特徴を持っているらしい。
しかし、今の気候は夏と似た天気だ。
日本の現在の季節は冬だが、ゾケニア山脈では夏のように日差しが暑い。ここはオーストラリア大陸のどこかと考えるのが自然だろうか。
あれこれナギサから説明を受けているうちに、自分の今の状況が只事ではないと感じ始めた。
「その『日本』とかいう場所ではない。私のこの刀……『斬理刀』を使ってここまで来てしまった。私の失敗だ。申し訳ない」
「ざんりとう……?」
正座しながら話しているナギサは申し訳なさそうに言い、拳を膝の上で握りしめる。
そんな刀を使うだけでオーストラリアの山脈に来てしまうとか、一体どんな刀なのか。夢と信じたい。夢と信じたいのだが、頬を引っ張ってみても、叩いてみても痛い。その痛みは、感じたくなかった。
信じたくない事実と共に、逃げ場のない不安を体が受け止める。
「そんなことはいいんです…いや全然良くないけど。とにかく!その刀があればもう一度帰れるんじゃないですか?」
摩訶不思議なその刀、行くことはできるが帰れることはできないとかいう理不尽な設定がない限り帰れるはず。
ナギサは桜色の唇を開いて言う。
「この刀は、一度『異空斬移』を使用してしまうと、だいたい半年ほどはその能力は使えなくなる…。それに、スグハが居た『にほん』っていう国も、まだフィアーが干渉しているかもしれない。申し訳ないが、帰ることはできないだろう」
スグハは唖然と、その口が無意識のうちに開いてしまった。不安と心配だけが、彼女の脳を埋め尽くす。
この未知なる地から、帰れるのか。それよりも、母は今何をしているのか。
母の元へ帰れるか。
今、母は心配してるかもしれない。今すぐにでも、母の元へ帰って『ただいま』と言いたい。心配させたくない。一人にしたくない。
それでも、母の元へ行くことはできない。
「ちくしょう…」
ナギサがスグハが悔しがっているのを、斬理刀の鞘を撫でながら見つめる。
彼女自身、スグハを助けるためとはいえど、自身の手でスグハを故郷から遠ざけた。
その結果、スグハの命を救うことができたが、彼女の不安も同時に作ることにもなった。
命より大切なものはない。
救うためには仕方のないことだった。
そう、自分に言い聞かせるが、それでも心の奥底で忸怩たる思いが渦巻いている。
善行をしたはずなのに何故か申し訳なさが込み上げてきて、なんとも形容し難い感情を感じた。
「ここまで導いたのは私だ。全ては私の責任にある。だから、貴方を必ず故郷に帰そう」
スグハの小さな手を包み込んで、そう答える。昨夜、スグハを担いだ時から、ナギサは必ず助けると決めた。
だからこそ、彼女にはそう決めた時に、決意と共についてくる責任を背負うことになった。
そして、スグハを帰すと決めたからには、またその責任を負うことになる。
スグハは黙って頷く。
ほんの数十分の絆を信じて。
「ところで、スグハに聞きたいことがある」
急に、低い声がまた耳を通る。先ほどの声より、鮮明に、重く、低く、スグハの耳に入り込む感覚がした。それは、まるで深い闇のように、聞こえた。
慎重に開かれた唇は、
「『にほん』という国は、実在する国か……?」
ナギサの口から、そう告げられた。
「え?」
「この世にあるのは四つの帝国と王国のみ…。そこに『にほん』という名前の国はない」
頭が、その事実を受け入れることを拒む。地理が弱いスグハにだって、日本の位置は分かる。
四つの大陸があり、数百を超える国が存在する地球。
ナギサから告げられたそれは、四つの帝国と王国。ナギサは何を言っている。ありえない情報に、スグハは戸惑いを隠しきれない。
「えっ……?だって…え?ここは…地球じゃないの…?」
幻聴か何かを祈り、ナギサに確認する。ナギサは眉を歪めて同じく戸惑いの目をスグハに向けた。
「ちきゅう…。聞き覚えのない言葉だ。どこかの地名か?」
緑に包まれた草原は、この事実と釣り合わない格好をしていた。
鳥も、風も、草も、全てが楽しそうに揺られ、歌を歌っている。
その中で一人だけが汗を流し、恐怖し、戸惑っている。
信じられない。
その言葉だけが、頭を埋め尽くしていた。
「大丈夫かスグハ?具合が悪くなってきたのか?聞こえる……」
急に視界が暗転していき、体が力を失っていく。
ナギサの低い声が徐々に消えていき、
意識は深い海に沈むように、消えていった。
※
スグハが意識を失ってからすぐのこと。
「息はあるな、他も…大丈夫...。意識を失っただけか。でも何故だ…?」
スグハに、『にほん』という国がどこか尋ねた瞬間に、彼女は顔色を悪くしていった。戸惑いを感じているのはナギサも同じだ。国名前を聞いただけでこのような反応をするのはナギサが今まで出会ってきた人の中でスグハが初めてだった。
汗で濡れているスグハの額に手を当てて、その体温を確かめる。
熱くはないが、彼女の体調を見る限りこれから熱を帯びてくるかもしれない。それに加えて、汗だくの彼女に向かって風が吹いている。風邪を引かれては彼女を帰らせる方法を探すどころではなくなる。
木の幹に背中をもたれかけ、スグハを隣に座らせた。自分の着ている上着でスグハの体を包み込む。
ナギサの黒いコートのような上着はマントのように大きいため、小さい子供一人を包むのには十分な広さだ。
小さな子供と言ったら、スグハに怒られそうだが。
辛そうな顔をしながら眠る彼女を何も考えずに見る。
小さい体が背負う不安は、彼女にとって大きな負担になっていたはずだ。
見ているだけで、懐かしい感覚が呼び覚まされていく。
瞬間、ナギサの頭に鋭い痛みが走った。
「……っ。またか…」
たまに現れる貫かれるような頭痛、それと共に現れる光景。
赤い空に、血のような池だった。
それが何を意味するのか分からない。だけど、これが頻繁に起こるようになった。二年前に『異空斬移』を使用した時から、今日までずっと。
「何のつもりだ」
瞬間、ナギサの前に黒い影が二人を覆った。リボルバーのような銃の銃口を、ナギサの額に触れさせる。額からひんやりとした金属の冷たさが、全身へと広がって体を震えさせた。優しかったはずのナギサの声は、威嚇と威圧がかかった恐ろしさを感じるほどの響きを出す。
相手はその威圧にびくともせず、沈黙を貫いたまま立ち尽くす。恐れている様子がない。白髪の男で、筋肉質な体は鍛えられているように感じ、その目線の鋭さから見るに、ただの男ではないだろう。上半身は裸であり、灰色のズボンを履いている。彼の手元を見てみると、トリガーには指がかかっていることが分かった。
「貴様は何者だ」
そうナギサが問うと、白髪の男はニヤリと汚い笑みを作る。トリガーを引くつもりだ。
ナギサが目を見開き、深く息を吸った瞬間、
銃弾が、彼女の頭蓋を貫いた。
※
鋭い爆発音と共に、辺りにナギサの血液がばら撒かれる。
顔が濡れる感覚と巨大な爆発音に、スグハの意識は強制的に立ち上げられた。頬を指でなぞると、深い深い、紅の液体が付着している。霞む視界で隣りのナギサを咄嗟に見る。
彼女は頭から、ありえない量の血液を流していた。目からは色が消え失せ、肌からは生気がなくなっている。
「えっ…?は……?ナギサさん…?」
突然の出来事に、スグハの思考は停止する。呼吸が乱れ、目は充血し、目の前にあるナギサの死を受け入れられない脳が涙を溢れさせた。それに加えて衝撃に耐えられなかった胃が中のものを逆流させ...。
「おえっ…うぶぇぇ…」
「よぉ、嬢ちゃん。お目覚めのところ悪いね」
罪悪感が少しも混じっていない口調で、口だけの謝罪の言葉を放つ白髪の男。紅の生命の雫を銃口から垂らしながら、気持ち悪い笑みを浮かべる。
漂う血の匂い。瞬きをするごとに暗くなっていく空。
何が起こっているのか分からない。分からないから、どうなる。私はどうなる。
「あっ…あなたは…一体…」
震える喉を何とか使い、震える喉以上に震えた声を出す。寒気が体を襲い、硬直する全身は生存本能を前にしても動こうとしない。
世界が、遅くなったように見える。
人って、死を覚悟すると、こういう感じになるんだ。
リボルバーの銃口は、ゆっくりと、スグハの体を狙う。
柔らかい胸に当て、その奥に存在する生命の太鼓を狙い…。
「じゃあ、さようなら〜」
トリガーがゆっくりと引かれ、その心臓を
撃ち抜いた。
「断運刀斬…!」
力強く響く低い声。それは、すでに死んだはずのナギサの声だった。
撃ち抜かれたはずの心臓は、まだ無傷でその鼓動を鳴らしている。
瞬間、スグハの目の前で火花が散り、焦げた匂いが鼻の奥をくすぐった。
「ナギサさん…っ!」
スグハを間一髪で救ったのは、またもやナギサだった。頭から血を流し、白い肌を赤く染め、可愛らしく柔らかな顔は白髪の男だけを睨んでいた。
ギョッとした顔をする白髪の男、リボルバーをナギサ目掛けて連射。
一発、二発、三発と放たれる鉄の光を、ナギサの『斬理刀』が細切れにしていく。
「霊断解放…八十五番…」
冷たく囁かれる言葉、殺意だけが込められた声に、彼女の優しさを知っているスグハですら震える。
白髪の男は地面を強く踏み、空高く飛んでいった。
しかし、それを逃さぬかのようにナギサの『斬理刀』は紫炎を纏って光線を放つ。この世のものとは思えない光景に、話す言葉が見つからない。
「くっ…死んでなかったか…」
「残念だが、私を簡単に殺せると思うな」
銃口が切り落とされたリボルバーを捨てて腰から新たな銃を取り出す。拳銃サイズの大きさのものが、月光に照らされて光った。
「月光……?」
空を見上げると、そこにあったのは水色の空ではなく、真っ黒な空だった。太陽の代わりに存在するのは静かに光る月のようなもの。先ほどまでは明るかったのに。
意味不明な現象に置いていかれるスグハの目の前で激しい戦闘が繰り広げられる。
男が連射する弾丸が、目にも止まらぬ速さで刻み込まれた。
ナギサが男の胴目掛けて横に斬撃を喰らわせようとするが、先読みをされてしまった。
空高く舞い上がった白髪の男は、手に持った拳銃を連射。
「五五八番…」
そう呟いたナギサ。
瞬間、彼女の刀の白く輝く刀身が、月光すら飲み込むような漆黒の刀身へと変化していく。
光を放つ鉄の球を弾き飛ばし、月に美しく被る。その瞳に映ったのは、ただのナギサでは無かった。
紫紺の瞳が、一点を見つめて、体が黒いシルエットとなって。
戸惑いや不安を置き去りにするほどの美しさ。白髪の男は地面に降り立ち、ナギサに照準を定め続ける。絶え間なく乱射され続ける弾丸。
こんなに連射できるわけがない。
何か細工されているのだろう。
ナギサも地面に静かに降り立ち、刀を鞘に収めながら低い姿勢で弾丸を避け続ける。
男は冷静を保ったままナギサを睨んだ。
銃声が静かなゾケニア山脈に響き、騒がしさを連れて行く。
瞬間、スグハの耳に鋭い音が襲い、木の幹に激突する。
木の幹に当たったもの、それは白髪の男が放った弾丸の流れ弾だった。全身の毛がゾワっと立ち上がるかのように震えが止まらない。
もう少しズレていたら頭を撃ち抜かれていたと考えるだけで背筋が凍る。
「結構いい動きするじゃないか、女」
「戦いに話は必要ない」
男の言葉を冷たく投げ捨てる。
そろそろ頭にきたナギサは地面を踏み込み、男に急接近。空中で刀を抜きだし、男に向かって刃を突き刺す。
「お前の負けだ」
月光に照らされた二人の間から、黒い何かが吹き出した。
第一章5 終




