第二章5 刹那に解ける心
刹那に解ける心
「ここが脱衣所です。私はルフナ様に報告してきます。その後は外で待っていますので、ゆっくりでどうぞ」
ライドに脱衣所まで案内され、バスガイドさんみたいに紹介される。
オーランス城の外見は石造りのイカつい見た目だったが、中身は高級そうな色をしている木材でびっしりだった。やはり、日本の建築様式とは全く異なるもので、欧米のような装飾だ。
「一つ言っておきますが、温泉に上られた後はそこら辺にいるメイドが執事を尋ねてください。最高の飲み物を貰えますよ」
ライドが風呂上がりの雑学的なことをいう。もしかして、この国にも風呂上がりの一杯という文化があるのだろうか。そうだとしたら最高だ。
にしても、そんなことを教えてくれるなんて思いもしなかった。まるでナギサのような性格のライド。
風呂上がりの一杯に心を踊らせ、待ち受ける風呂に胸を高鳴らせ、今のスグハは興奮状態だ。
それに、有益な情報を教えてくれたライドには礼をしておかなければ。
「ありがとうございます。風呂上がりの一杯…楽しみです。では…」
そう言うと、ライドがお辞儀をしながら見送る。
少しその目線に鼓動を鳴らしながら、ライドに背を向けて歩く。
脱衣所に入ると、冷たい感触が足の裏を刺激した。そこには、大理石で作られた床が広がっており、城らしい雰囲気を醸し出している。
先へ進んでいくと、大理石の床が体育館並みの大きさに広がっていた。あまりの大きさに思わず「すごく広い…」と声を漏らしてしまう。
広すぎる脱衣所を見渡すと、天井にランプのようなものが垂らされていた。ありえないぐらい発光しており、ただのランプではないことが分かる。
これも、魔法の効果なのだろうか。
スグハが城の中で見てきた発光体は全てロウソク。それから考えられることは、オーランス王国には電気などの技術がないように感じる。
……それよりも、
「風呂も広いんだろうなぁ……」
これから待ち受ける楽園に、スグハは楽しみのあまり口が緩んでしまう。異世界に来て初めての風呂。どんな感じなのか楽しみでならない。
―脱衣所は日本の温泉と似たようなシステムだった。ロッカーのようなとこに籠があり、そこに服を入れるといった感じだ。
しかし、一つだけ違う点がある。
「このマーク…魔法陣?」
魔法陣が、籠の持ち手に小さく書かれていた。どういう理由か分からない。ライドに聞こうにも、今はルフナに報告しに行っているだろう。
「まぁいいか…適当に入れちゃおう」
特に考えず、今は楽園に進むことを考える。土で汚れた制服を脱ぎ、あらわになった裸をバスタオルで隠して、制服をたたみ、木製の籠に入れた。―そういえば、学校帰りだったな。
タオルきゅっと握りながら、一人でいる母親の顔が頭に過ぎる。今頃、警察と学校に電話をかけて捜索届を出したところだろうか。それとも異世界と日本の時間は進み方が違い、日本の方はほとんど時間が進んでいないかだ。
できれば後者の方がいいのだが。
考えてもキリがないが、考えられずにはいられない。
顔を横に振り、しっかりしろと自分に言い聞かせる。今は帰れる方法を探せる体になってから、考えよう。
浴室へつながるであろうドアの前に立ち、取っ手を握る。
ドアを勢いよく開け、その部屋へと足を踏み入れた瞬間、白い煙と共に熱が体を覆った。
「……!あっつい…」
熱を理解するには数秒かかり、その正体は浴室の中に溜まった水蒸気だと分かった。視界が煙に覆われて見えない。
しかし、その霞はすぐに薄れていき、お待ちかねの風呂への対面を果たす。
「…………!すごい……」
目の前に広がるのは、見えるはずのない星空だった。
あの夜、スグハたちを睨んでいた月が、悠然とそこに存在している。
樹木が一面に広がり、まさに大自然の中に存在するオアシスのようだ。露天風呂の上位互換みたいな風景。
濡れている石の床を歩きながら、辺りを見渡す。
「これ、すごいけど…どうなっているの?」
確かに、幻想的な光景だ。しかし、その美しさの裏には何かが隠れている気がする。何故なら、少しだけ星の光が歪んでいるからだ。
これは本当の星空ではなく、再現された星空だと。
しかし、これはこれで最高の景色なため、今はその味を噛み締めておこう。
一歩踏み出すたびに水音が鳴り響き、温泉特有の心地よさを感じる。
「よし、早速体を洗うとし……」
その言葉は続かなかった。何故なら、そこにシャワーらしきものはなく、目の前には石造りの浴槽だけがあったから。
辺りを見渡し、体を洗える何かはないかと探す。
「やっぱり無い……。じゃあどうすればいいの…?」
体を洗わずに風呂に入るのは流石に気が引けるし、そもそもマナー違反だ。
―異世界はやっぱり、日本の作法とは違うのか?
「何か仕掛けとか無いのかな…」
灰色の壁を触ってみる。
特に変な感じはせず、ただの壁だ。
「うーん、このまま入れってことかな」
何も無い以上、そういうことだろう。諦めて、湯船に入ろう。
大理石で作られた円形状の浴槽に足を沈める。
「気持ちいい……」
足を入れた瞬間、炭酸が入っているかのような感覚を感じる。足を覆う心地のいい泡。足から全身に熱が広がっていく。
熱すぎず、ぬるすぎない温かさで丁度いい温度だ。腰までお湯に浸かってみると、未知なる感覚に体が包まれ、思わず顔を蕩かせてしまう。
これは、極上だ……!
そのままゆっくりと、肩まで浸かる。
今までは実家の風呂が一番落ち着き、最高の時間だった。しかし、このお湯はそれを遥かに超えてくる安心感と幸福感。家の風呂に勝るものは無いと思っていたが、世界は広いものだ。
―寒い夜に投げ出されたスグハにとって、このお湯が二回目に感じる温もりだった。最初の温もりはナギサがくれた。見知らぬスグハに優しさを与え、守ろうとしたという温かさだ。
二回目の温もりは、このお湯だ。一人で彷徨い、見知らぬ土地に投げ出される不安は計り知れない。それを体験してしまったスグハにとって、この風呂だけは日本を感じさせてくれた。故郷に戻れた気がした。
「……うっ……くずっ…帰りたい…帰りたいよぉ…」
目の奥が熱くなり、涙が流れる。この一瞬だけは、不安から解放された気がして、安心して、耐えられなかった。この星空も懐かしく思えて、寂しくなって。体にかかるタオルを抱きしめながら、母の顔を思い出す。やっぱり、不安だ。不安はスグハを縛り続け、ささやかな幸福感でさえも闇に染めていく。
―体の中で、何かが動いた気がした。
瞬間、ガチャっとドアが開く音が浴室に鳴り響いた。誰かが来ている。
あまりの気持ちよさで忘れていたが、この風呂は決して貸切ではない。他の誰かが入ってくるのは必然のことだ。
涙を濡れている手で拭き取る。さらに濡れただけだが、それでも今はいい。
恐らく、政治関係の人が来るはずだ。オーランス城は、政治家たちが集う情報機関と化した場所であるとライドから聞かされている。
泣いていることを気づかれないようにしなくては。
すると、ドアが再び音あげ、水音と共に誰かが近づいてくるのが分かる。
「あっつぅ……。何度もやっても慣れないわ…」
水音と共に聞こえるのは、ギャルみたいな声だった。
政治家というよりも、ただの学生のように感じる。
「お、人がいる。よぉ、嬢ちゃん何して…」
おっさんか!と心の中で呟く。しかし、その声は途中で途切れ、
「アンタ…もしかして例のお客さんかい?」
紫色の瞳が、こちらを見ていた。
第二章5 終




