第二章2 虚空を見つめる虚な目
虚空を見つめる虚な目
※
体の中が、熱い。
体の中に、何かがいる。
体の中が、空っぽ。
虚な瞳が、虚空を覗いている。力のない少女はら白色の地べたに座り、暗闇に囚われていた。幸い、口の中を埋めていた管は破裂して消え、手足を縛っていた鎖のような何かも同時に消失したのだ。
静寂の中で感じる寂寥感。暗闇に消えてゆく希望の光。
――家に帰らせて。
※
血の池は止まることを知らずに、草原を侵食し続ける。楽園のように輝いていた緑が、地獄に変えられていくその姿に、ナギサは絶句した。そして、溢れ出す池の中心に存在するもの――風船のように膨張した恐怖の具現体、フィアーだ。太陽に照らされながらうるさく輝く白色の球体が、無慈悲に自然を破壊している。
あの中に、スグハが………。
球体の表面が凹凸を繰り返し、想像したくない光景が頭によぎる。スグハを今直ぐ助けに行きたい。ドレイクがナギサの体を担いでいて、手を伸ばしても近づくことは叶わなかった。
「ドレイク!何をしているんだ!あそこに…あそこにスグハがいるだろうが!」
スグハを見捨てて走りつづけるドレイクに怒りをぶつける。しかし、ドレイクはナギサの言葉を無視して、血の池から逃れ続けた。
「ドレイク話を聞け!まだ助けられるかもしれない!お前は、小さな命を見捨てるのか!」
ナギサが怒鳴り、ドレイクの肩をおもっきり叩く。
痛みに唸り声をあげるが、走って、走って、走り続け、抱き抱える力を強くするだけだった。
「お前ッ!ドレイク!」
「黙れ!私だって、見殺しにしたくてしたんじゃない!状況をよく見ろ、馬鹿野郎!」
ドレイクの聞いたことのない怒鳴り声に、ナギサは気圧される。今まで聞いてきたねっとりとした声ではない。心の底から悲しみ、自分の無力さに失望している声だ。
「お前はあの液体に触れて分かったはずだ!足は腐ったように黒く染まって、泣き出しそうなぐらい叫んでいたじゃないか!お前が耐えられないような痛みが、あの小さな少女の体が受け止め切れるわけがない!現実を見ろ!夢を見るなら強くなれよ!」
ドレイクの悲痛な叫びに、ナギサは黙り込む。確かに、夢ばかり見ていたかもしれない。
適切な判断ができずにスグハを危険に晒し、それなのに責任を背負い込もうとした。最初から間違っていたのか。
ナギサの中で渦巻く後悔が、目の奥を熱くさせる。
ドレイクの叫びは、諦めだけが混じっていた。夢を見ることをやめ、現実だけに視線を向ける。
それがどれだけ辛いことか、ナギサは分からない。長年付き合ってきた仲だが、そんなドレイクの気持ちに気づいてやれなくて、申し訳なくなって。
スグハを家に返してやれなくて、責任を取れなくて、弱くて、馬鹿で。
固まる後悔の念が、ナギサの瞳から失望の液体を流し出す。
助けてやれなくて、ごめん。
無力なままでごめん。
馬鹿でごめん。
弱いままでごめん。
全てを諦めた瞬間、膨大化したフィアーは一気にしぼみ始める。
まるで空気が抜けていくかのように、皺を作っていく。
「ドレイク…!フィアーがおかしいぞ」
泣いていることを気づかれないように、声の震えを頑張って抑える。
迫り来る何かに、集中しろ。
心の中で自分に言い聞かせ、ドレイクと連携を取らなければ。
瞬間、フィアーの体が元の人型に戻っていく。
小さく、不気味な少女へ。
すると、中に囚われていた、守りたかった少女が出てくる。遠くから見ても分かるぐらい、力が無く、虚な目をしていた。
「……!スグハ!」
ナギサが精一杯叫ぶが、それは塞がれた耳に届かない。
喉の奥が震え、声を遮断する。咳が止まらずに喉を抑えて、止まれ、止まれと懇願し続けるが。
スグハに伸ばされる最悪の手が、黒色に染まった頬を撫でた。
※
――あなたは何も聞かなくて良い。
――あなたは何も感じなくて良い。
――あなたを邪魔するだけだから。
――私だけに集中すれば良いのよ。
――何も感じず、何も聞かず、何も受け取らず、何も動かず、何もかも、私に注げば良いの。
少女の冷たい口付けが、スグハの体を満たす。
目の前は暗黒に包まれ、黒い、黒い何かが体を満たして……。
――あなたの、負け。
何かが、頬に触れた気がした。
※
苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい。
体の奥から感じる倦怠感。
手足が何かに侵食されていく絶望感。何かに染まっていく喪失感。自分が自分でなくなっていくかのように、不安に満たされていく。
結局、二人はどうなった。
フィアーに囚われたのを最後に、彼女たちの姿を見ていない。
――あれ
心配なはずなのに、なぜかどうでもいいように感じる。
変な液体に、体が満たされていく感じがする。
熱くて、冷たくて、悲しくて。
「おやおや。これは相当気が狂ってますね〜!」
誰だろう。男の子が喋っている。
まぁ、どうでもいいけど。
「あれれ?聞こえてますか〜?あの〜?無視しないでもらっていいですか〜?」
うるさい。誰に向かって喋っているんだ。
「こりゃダメだなぁ……。そうだ!俺の趣味に付き合ってもらうとするか」
気持ち悪い。独り言だとしても気持ち悪い。
そもそも、誰に何をしようとしている。
「よーし。……起きてくだ…さいっ!」
瞬間、スグハの目の前がチカチカと点滅した。
沈んでいた意識が強制的に覚醒させられ、とてつもない吐き気と共に込み上げる何かを感じる。
「おえっ…!うぐぐ……なんだっ…?」
視界の先は黄土色の土のようなものが覆っていた。視界の外から感じる光は、今が昼だということを示している。
涙で霞む視界をよそに、耳から無邪気な声が聞こえてきた。
「あー!起きましたか!いや〜よかったよかった!」
吐きそうになっているスグハを覗くのは、八歳ぐらいの小さな男の子だった。
青色のパーカーのようなものと、黒色の半ズボンと灰色のシャツを着ている可愛らしい男の子だ。
しかし、その言動には何故か気色悪さが入っている。
「あっ…あなたは…?」
唸りが混じっている声で聞いてみる。すると、少年はニカっと笑い、スグハの頭を撫でてきた。
「俺の名前はルフナ・エレイソン!ルフナとお呼びくださいや!」
今にも吐きそうなスグハと違い、元気に挨拶をする少年。白い歯を見せながらウィンクをする姿に妙なカリスマ性を感じる。黒色の髪に、青色の瞳。
幼いながら整った顔が特徴の少年という感じだ。
「ルフナ……。君が起こしてくれたの?」
吐き気を抑え込んで、顔を合わせて聞く。ルフナはドヤ顔を見せつけ、腕を組んで自慢げに話す。
「えぇ!そうですよ!俺があなたの救世主というわけです!いやーなかなか起きないから、心配しましたが、よかったです!」
「ありがとう、私の名前はスグハ。サクラギ・スグハだ」
ルフナは無邪気な笑みを見せて手を握ってくる。こんな少年がどうやってスグハを探して起こしたか分からないが、それよりも重要なことを忘れていた。
ここは、一体どこなのか。
そして、何故スグハはフィアーの拘束から逃げ出せているのか。
「一つ聞きたいんだルフナ。君はどうやって起こしにきてくれたの?」
「簡単ですよ。僕だって子供ですし外で遊びたくなります。で、遊んでいたらなんとも美人な方が倒れていたんです!なかなか起きないから、つんつんしまくったんですよ」
確かに、彼は元気そうな少年。そりゃ外で遊びたがるのは当然だ。
しかし、彼の言葉で不可解な点が。
それは、『つんつん』という言葉だ。
「つんつんしまくったってどういうこと?」
ルフナはその質問を聞くと、鼻の下を伸ばしてニヤついた。その表情を見る限り、『分からないのか』と言うかのようだった。
自分の感覚を思い出し、感じてみる。
あぁ、そういうことか。
気づいた瞬間、スグハの頬が赤く染まり、瞳から涙が滲み出てくる。
なんという、屈辱……。
「この野郎……っ!」
※
「酷いですねスグハさん。恩人にこんなことするなんて」
頬を赤く腫れさせたルフナが言う。手形がつくほどの勢いで、ビンタをしてしまった。
罪悪感がないわけではないが、スグハは触られたくないところを触られたのだ。
それなりの仕返しということにしよう。
だが、こんな幼い子供に強くビンタしたのはやっぱりやりすぎたと、後悔しないわけでもない。
「因果応報よ。女の子の体をベタベタ触った方が悪いわ。子供でも許さないよ」
「いんがおうほう?意味がわからないけど、良い意味ではないのは分かりますね〜。それに…子供じゃないですー」
第一印象がクソガキに決定されたルフナが、スグハの言葉に不満があるようだ。
子供じゃないとルフナは言うが、それはどういうことかスグハにはさっぱり理解できない。
大人っぽいことをしたいという子供の可愛い憧れだろうか。
「子供じゃないってどういうこと?」
「僕は元々十八歳の好青年だったんですよ?でも〜旅の途中で白い女の子にちょっかいかけられちゃって〜子供に戻っちゃったんですぅ。悲しい物語だよね〜」
まるで他人事のように話すルフナだが、聞き逃すことのできないことを聞いた。実年齢が十八歳というのもそれはそれで驚きだが、それよりもっと深刻な問題が。
「白い……女の子?」
スグハの頭に、嫌な予感が過ぎる。その白い女の子というのは、フィアーのことを指してるいるのではないか、と。
「ええ、そうですよ。白いワンピースに麦わら帽子!惚れ惚れしちゃいましてねー。ナンパしてみたら彼女の機嫌を損ねさせたみたいで、こうなっちゃいました!」
衝撃的な事実に、スグハは顔顰める。ルフナを襲ったのは、他でもないフィアーだった。スグハとナギサ、ドレイク以外にも、被害者がいたのだ。
「あれー?どうしましたか?顔色悪いですよー?」
俯いていた顔をあげると、ルフナが不思議そうにスグハの目を見ていた。
いや、違う。どこを見ている。
心配でも、驚きでもない。感情のない瞳だった。
自分の背筋が凍るのを感じるが、悟られてはいけないとなんとなく感じる。
「……なんでもない。とにかく、ここはどこか分かる?」
すると、ルフナが元の元気な瞳に戻り、大きく笑いながら空に指をさす。
「もちろんですとも!ここは魔法と様々な種族が混ざり合う多種族王国!そして魔女を許さない王の支配地……!」
「絶魔主義国、オーランス王国です……!」
第二章2終




