高野憑紅覇の日常
数日前の一家転落死の報せは、紅覇の心に薄く沈んでいた。
新聞記事を畳み、鏡の前で髪を整える。
「……今日も、心を込めてお務めいたします」
唇に淡い紅を差し、微笑を形作る。
(死人はいいけど、あの二階の何かはマジ勘弁な)
控室で紹介されたのは、新人の湯灌師、西条蘭。
二十歳そこそこの小柄な女性で、丁寧な所作が印象的だ。柔和な笑顔をこちらに向ける。
「高野憑先輩、よろしくお願いいたします」
紅覇は柔らかな笑みで会釈する。
「こちらこそ、どうぞよろしく……お互い、良いお仕事ができますように」
軽く会釈し準備に取り掛かる彼女の横に中年太りのおっさんが彼女をずっと眺めてる。
(お前、霊感ないだろ……それ、羨ましいぞ)
西条に準備に必要なものを一つずつ丁寧に教えていった。
本日の故人は二十代半ばの青年。
ベッド横には、うつむいた霊が座っていた。
「お体を清めさせていただきますね」
紅覇は湯を浸し、タオルを滑らせる。
(目も合わせねぇ……不貞腐れたガキか。ま、この死に方なら仕方ねぇか…)
首周りに縄で絞まった跡が残っていた。おそらく自殺だろう。体液もある程度漏れていて、それもきっちり洗う。
少し温かい程度の湯で汚れを洗う。
化粧に移ると、霊はじっと紅覇を見上げた。
「いかがでしょうか。是非皆様もお顔をご覧になって下さい。」
ご遺族の母親がとぼとぼと歩み寄り、青年の顔をのぞき込んだ。
「…とても、きれいにしてもらって………ありがとうね。この子も喜んでると思います。」
青年はふっと笑ったが、その笑みにはわずかな寂しさが滲んでいた。
儀式を終えると、青年の霊は立ち上がり、深く頭を下げた。
(お、ちゃんと礼はできんじゃねぇか)
紅覇は何も言わず、一礼して控室へ。
西条が「先輩、今日の方……なんだか笑ってましたね」と不思議そうに言う。
「ええ、とても穏やかなお顔になられました」
(……生霊みたいに張り付いてたけどな)
そして、数日後、葬式が近づいた時、一通の連絡が事務所に入った。どうやら紅覇と西条が担当したご遺族様からの連絡らしい。
「あのあとから息子の声が聞こえるの。お前らも連れてってやるって。あなたたちに頼んだあとからよ!どうしてくれるのかしら!」
事務所は流石にクレームとして処理し、事務的に誤りに行くことになったが、紅覇と西条が向かった日には誰も家におらず、外出中とのことでとんだ無駄足となったが、連絡もつかず、その後どうなったかはわからない。
紅覇は事務所の喫煙所にて煙草をふかし携帯を見る。ネットニュースに何かないか探したがまだ何も上がっていなかった。
これがいいことなのか悪いことなのか。
それでも紅覇の業務は続いていく。
煙草を灰皿に沈め、消臭剤を振りまく。
身支度を整えてワチャワチャと慌てて事務処理をしている西条に教えながら業務を終えた。
あの青年の一家からは音沙汰なし。葬儀は親戚により進められたそうだ。