花も霊も清めてく
湯灌師・高野憑紅覇、20歳。
葬儀場の控室では、遺族に向けて柔らかな笑みを浮かべ、品のある所作でお辞儀をする。
「お亡くなりになられた方のお体を、心を込めてお清めいたしますね」
──だが、裏の声はこうだ。
(……ジロジロ見てんじゃねえよ、さっきから)
彼女は元暴走族レディース総長。霊感体質で、遺体の傍に立つ“本人”が見えてしまう。
この日も亡くなった老婆が真横で腕組みをし、「もっと派手な口紅にして」と訴えてきた。
(……知らねぇよ、葬儀だぞババア)
心の中で毒を吐きながらも、外見は優美そのもの。遺族は「とても丁寧な方」と感涙する。
湯灌師──
亡き人の体を清め、旅立ちの装いを整える者。
湯で肌をぬくめ、髪を梳き、爪を切り、化粧を施し、白装束を纏わせる。
それは単なる作業ではなく、魂を静かに送り出すための儀式だ。
遺族の涙の向こうで、湯灌師の手はただ穏やかに、しかし迷いなく動く。
柔らかな笑みと静かな所作──けれど、その裏に隠されたものは、他人にはわからない。
なぜなら、湯灌の場に立つのは、生者だけとは限らないのだから。
亡くなった人の体を拭き、着替えさせ、化粧を施す。
しかし、紅覇にとって難関なのは、作業中ずっと“視線”を感じることだった。
遺体の霊は目の前で立っているか、時には真横で覗き込んでくる。
「……あのさ、顔近いって」
口に出せばおかしな人になるので、心の中で低くつぶやく。2人での作業ということもあり、変なことを言ってると社内で変な噂が持ちきりになってしまう。
とある若い男性の霊は、紅覇の作業を見ながら鼻で笑っていた。
(何がおかしいんだコラ、眉毛整えてやってんだろうが、……こいつ、ケツふって踊ってんじゃねぇ!!)
霊たちは彼女の心の声が分かるのか、驚いたように動きを止めることもある。
ある日、依頼されたのは老人男性の湯灌。
遺族は妙にピリピリしていて、部屋に漂う空気は重苦しい。
遺体の霊は、痩せこけた爺さんで、布団の横に立ち、遺族全員を睨みつけていた。
(うわ……これ、相当怒ってんな)
紅覇は目線を外し、作業を淡々と進める。だが、爺さんの霊が低い声で囁く。
「……あいつら、俺を……」
続きは聞こえなかったが、遺族の視線を受けるたび、爺さんの霊はギリギリと奥歯を噛む音を立てている。
作業の途中、突然爺さんの霊が紅覇の耳元に現れ、
「やめろ…………あいつらが……」と怒気を帯びた声を漏らす。
遺族の方からも小声で罵り合う声が聞こえる。
(……めんどくせえ家だな)
いつもの優雅な顔を保ちながら、心の中で総長スイッチが入る。
(おいジジイ、何があったか知らんけど、仕事の邪魔すんな。泣き事ならあっち行け)
ぴたりと爺さんの霊が黙る。威圧に負けたらしい。
彼女は湯灌と化粧を仕上げ、爺さんの顔を穏やかに整える。
その瞬間、霊はぽつりと「ありがとう……」とだけ言い、消えた。
仕事を終え、退出する際、紅覇はふと天井からの妙な圧迫感を覚えた。
この家は二階建てだが、遺族は「二階は使ってない」と言っていた。
(嘘くせぇ……)
だが仕事外のことには首を突っ込まない。
控室で片付けをしていると、階段の上から「ギギ……」と古い床板の軋む音がした。
続けて低い唸り声──そして、ぴたりと止む。
(……まあ、関わんねぇほうがいいな)
彼女は表情一つ変えずに帰路についた。
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翌日、新聞に小さな記事が載った。
──「一家四人、二階から転落死 原因は調査中」
紅覇は朝のコーヒーを飲みながら煙草をふかし眉をひそめる。
(……やっぱあの二階だな)
だが声には出さず、今日の仕事の準備を始める。
「はい、次の方も心を込めて……っと」
優美な笑顔の裏で、元総長の目は鋭く光っていた。
そしてまた、新しい“視線”が彼女を迎えるのだった。