8.代理人
✢¦✢
「あ、いたいた。こっちおいで」
笑顔で手招きをして、朱鈴を呼び寄せるのは〈中位魔法師〉――住良木筆華だった。
魔法よりも、人の心を救う職の方がしっくりくる。
良い意味でそう思わせる、穏やかな佇まいをしていた。
「朱鈴ちゃん、少食っぽいからサンドイッチ買ってきたんだけど――足りる?」
魔法学科の制服を着た筆華は、柔らかい声で言う。
その声にほっと胸を撫で下ろした朱鈴は歩き寄る。
「うん、それぐらいがちょうど…いい」
「よかったー、テーブルに置いておくね」
ソファーの間のテーブルに置かれたサンドイッチ。それは特別、とても美味しそうに見えた。
筆華は生まれつきの優しさがそのまま形になった。
そんな風に感じさせる雰囲気を持っていた。
きっとそれは、――朱鈴の育った境遇もあっての事だろう。
分かっていながらも朱鈴自身は、〝気の緩む思い〟があった。
「あ、……ありがとう」
「いいえ。私、半休で帰るんだけど一人で大丈夫?」
半休……働き方改革ってやつかな…。
でも魔法師ならあり得るか。
中級ならお金もそこそこあるだろうけど、「位」的に、ルーティーンは無い、またはぐちゃぐちゃだろうからな。
「うん。大丈夫」
ソファーに服が少し触れる距離感で立つ朱鈴はコクッと頷いた。
「そっか。あ、その服めっちゃ似合ってるね。女性は私だけだからさ、お揃いだ!」
ニッコリとした笑顔で筆華は言う。
良い人だな本当に。――優しいな。
声も綺麗で癒しボイスって言われる系の人なのかな。
朱鈴は、頬を薄く火照らせた。
そもそもゾンネ・ルーナ学院は、創立から長い歴史を誇る学院だ。
この学校では多少の礼節を求められるものの、よほどの大問題を起こさない限り退学になることはない。
外装も内装も、そして広大な庭園さえも魔法によって常に美しく保たれ、一見すれば新設校のように整っている。
しかし――その見た目に反して、入試は厳格そのものだった。
ここは家柄も環境も一切問わない。
求められるのはただ一つ、〝純粋な実力〟総合成績が高いだけでは通れない。
その選抜の厳しさは学院内の教師陣にまで及び、影響を与えていた。
魔法学教師職委員だけに支給される制服――〝選ばれた者だけが袖を通す〟特別な礼服だった。
それは魔法学教師の女性しか着られない特別な装い。
「違うところは…そうだね。あ、朱鈴ちゃんのだけ、フードを付け外しできる仕様になってるよ」
朱鈴が今、身に纏っているのは私服のパーカーではない。
ベージュと白を基調としたワンピース型の白衣のような専用服だった。
ほどよい厚みがあり、大きすぎないフードが特徴的だ。
全体的にシンプルでありながら、華美に偏らない、落ち着いた装飾が施されている。
「可愛いすぎるな。めっちゃ似合ってる……というか似合いすぎじゃない?」
小柄に入る朱鈴に合わせるように、筆華は少し屈む。
それから自分の子供にするように朱鈴をぎゅーぎゅーと抱きしめる。
「……はず…かしい」
「ふふっ、帰る準備しなきゃだった」
筆華は自分の机であろう所へ移動し、荷物を整理する。
「――でもなんで、男性のはないの?」
「それはね、男性陣は暑がりな人ばっかだからね」
なんとなくイメージ可能な想像図に、朱鈴は「なるほど…」と納得する。
「リビードー先生なんか薄手のローブ姿で筋肉を見せたがってるじゃん。確かに筋肉は凄いけど、あそこまで見せつけられたら慣れちゃうよね」
「季節感覚のバグという「アホ」が本能的に入ってるから、兄さんは」
「クッフフッ、そうだね。軽めの脳筋かもね。ま、脳筋でも体調は壊すっていう実証結果…クッフフ」
リビードーの事をイジる二人。
筆華はまとめたバック片手に、「またね!」と穏やかな笑みを浮かべ、帰って行った。
去り際、ひらりと手を振った筆華に朱鈴は小さく振り返した。
声の温かさだけが、ふわりと残る。
一人になった空間でフードを一度だけ外し、朱鈴はソファーに腰掛けた。
和らげた表情を浮かべ、貰ったサンドイッチを二口で頬張った。
二つあるうちの一つを、リスのようにして「もぐもぐ」と噛んでいた。
その時――
〝バンッ!〟
合図もなくドアが勢いよく開いた。
手は塞がっていてフードを被る暇もなかった。
気の抜けた顔で朱鈴の視界には、ドアを開けた人の姿がぼんやりと映る。
次の瞬間、声をあげる間もなく身体に衝撃が走った。
「むぅぐっ……ぅ。しょ、衝撃ぃ!」
「鈴ー! ふふっ、鈴だ! なんでいるの? 就職したの?」
「してにゃい。……仮ってだけ……ん…代理人」
朱鈴は二個目も大きな二口で詰め込んだ。
テーブル下にあったティッシュを取り、手を拭く。
朱鈴はずっと抱きしめられた姿勢で、解放される気配が感じられなかった。
ソファー横端のチリ箱に一回で決めた。
そしてドア前に立っていた二人は反対ソファーに座っていた。
「鈴ちゃん、今日ここにいたの?女性の声が聞こえるって軽い噂になってたけど」
碧羽からの質問に朱鈴は今日一日を振り返る。
女性の声が聞こえるという噂は初耳だった。
朱鈴は一日中サイトの依頼を解き、他は写真を見ていた。それくらいで――。
しかし朱鈴は咄嗟に「――あっ、あぁ」と微妙な反応をした。
女性の声が聞こえる…、噂……・・・〝目立った〟――ヒギャー。
「……お、思い当たる節はあるかも、今日ずっと笑っていたから、噂たった…かも」
「わ、笑っていた……のね。へっ…へぇ――あ、思い出の写真とか?」
「うーんにゃ、これ!」
引っ付く紗綴という重りを感じながら、後ろの棚に置かれているアルバムを取り出す。
適当なページを開くと、不気味な微笑みが溢れる。
我慢しようとしたが不可能な朱鈴は、アルバムの内容を堂々と見せる。
「まずは左上の写真にちゅぅぅーもく!」
「え、鈴、それは待って!無理…」
「か、か、か、かぁぁぁ゙……」
「カエルだ」
「そう!カエルだよ。でも『モウドクフキヤガエル』って言う猛毒を持っているカエルさんね。――フッヒヒッ……黄色、青、オレンジとか色んな鮮やかな色を持っててね〝カエルの宝石〟って言われたりもするの。一度でいいからお目に掛かりたいな。――って…あれ。どうしたの」
朱鈴の足元と、斜め正面。
そこには片手で耳を塞ぐ人物と両目を強く瞑っている人が見えた。
人間や動物以外の生物を紗綴が苦手なのは知っていた。
しかし、説明されるだけでも嫌なんだ――と、改めて実感する。
こんなにも芸術的なような生物なのに、
――やっぱり…分かり合える人なんかいないと実感する。
ただ一人だけは動揺もしていない。
朱鈴が手に開いて持っている写真をじっと見ていた。
朱鈴が少し、アルバムを上下に動かしても、目で追いかけていた。
「――ぁ…」
「すぅずぅう、それやめて。というか何で持っているのよ!」
「お守り。植物の次に大切な毒性を持つ生物写真集だからだよ」
「だよって、鈴ちゃん……」
アルバムをパタンと閉じ、朱鈴は両手で抱えて持つ。
まるで自分の古くからの大切な宝石を抱きしめるようにする。
「ふふっ芸術でしょう」
「ん、芸術だね」
「でしょ!」
「柊!ぜんぜん違うから、…乗るなー」
「柊霞までも…はぁ」
意見が完全に真っ二つに割れた。
それでも朱鈴は――
私の可愛い生物達、私は君たちのお陰で今日も生きる意味がある。
と、魅力の共有が出来ないことを少しだけ悔やんだ。
「鈴、没収するよ」
「え、無理。だめ、絶対ダメ」
「じゃあ棚に直して」
相当嫌いらしい紗綴の声は拒絶よりも怒りが籠もっていた。
朱鈴は大人しく、きつい体勢でアルバムを棚に直した。
直さざる得ないか。
――あ、そう言えば、灰猫って…。
「猫はどうなったの?もう馴染んでいたりするの?」
突発的に話題をずらして朱鈴は話し出す。
「あぁ馴染んでる。というかめっちゃくつろいでる」
「くつろいでる…ふっ、らしいな」
お風呂に入れてもらったり、服を着せられたりしてるのかな。
後は、専用のベッドとかもあったりね。
灰猫と相手の家族との相性が合っていたのね。
――良かった。
灰猫の姿を想像し、クスクスと笑う。
「あ、昼休みもう終わりかけじゃない?」
すると一瞬だけ雰囲気が凍りついたように感じられた。
紗綴が瞬時に立ち上がり、服の埃を叩く。「良し、急ぐよ」と言って部屋の出入り口の前へ。
「碧に柊、はやくね。鈴も、またね!」
紗綴に続くようにして、碧羽と柊霞も去って行った。
「鈴ちゃん、ばいばーい」
「また」
「あ、はーい。バイバイ」
最後の柊霞はドアを閉めて出て行き、三人は急ぎ足でまるで嵐のようだった。
静かになった部屋には無音の空間が広がる。
『朱鈴』
「うん、来てるね。ここを目指してるぽい」
朱鈴の耳に直接、低く中性的な声が通った。
「魔物かな。ただ、方角が悪いな」
『住宅街が近くにある。打倒した場合そこに倒れるぞ』
「浮き上げて飛ばして落とす…でいっか」
『それしかないだろうな。――姿は』
朱鈴は温めていたソファーから立ち上がる。
目を覆うようにして深々とフードを被り、
「このままで」
と魔法学の部屋を出た。
✢¦✢
人目に触れない最短ルートで移動した朱鈴は校舎裏に姿を見せていた。
〈魔力感知魔法〉を使ってレーダーが表示されていた。
魔物との距離はレーダー上では縮まりつつあった。
『この魔物、姿が見えないな。レーダー上では近いが……』
「姿を消してるってとこでしょ」
朱鈴は〈観脈彩視法の魔法〉と〈遠近視覚全方位魔法〉の二つを組み合わせ、左目に宿していた。
――〝リン〟と風鈴の音が力強く響く。
「いた」
左目だけに、赤と紫色が混在した巨体が映される。
隙間なく全身が強化されている魔物のようだ。
朱鈴は腕に付けていた輪ゴムを指に掛け、〈遠近視覚全方位魔法〉を調整する。
拡大される魔物の頭上部位。
朱鈴は焦る素振り一切なく、左目を頼りに浄化の魔力を込めて放った。
それはわずか一秒足らずで魔物の頭上を鋭く貫く。
朱鈴は魔物は暴れ狂う魔物の姿を裸眼で捉える。
素直に全身を露わにした魔物は、攻撃は効いたようだった。ただ浄化は一切として効いていない。
『あ、見えたな。相当なデカさだ』
「うん、巨体だね」
――あぁいやだ。
朱鈴は唇を噛み締め、一瞬だけ地面を深く見る。
真上には丁度、魔物が暴れ来る。
顔を上げた朱鈴は一瞬で空中に浄化の光球を作り上げる。魔物の腹部に刹那に――撃ち込んだ。
案の定、魔物は苦しみや痛み。威嚇の混ざった呻き声を上げた。
校舎を超え、グラウンド側に宙を描くようにして高く飛ばされる。
朱鈴は空気に乗るように浮遊する。
一瞬である程度まで追い、一定の位置で留まる。
朱鈴の狙った通り魔物はグラウンドに落とされかける。魔物は朱鈴の目の前を落下し、過ぎる。
ほぼ気絶状態の巨体。
地上まで距離が六十メートルというところだった。
朱鈴は躊躇しなかった。
浄化ではない魔力だけを固めたシンプルな球を落とした。
「ふぅ――」
吐息と同時に、最後のトドメとして魔力の球が魔物の眉間に打ち込まれた。
一拍の静寂が空気を揺らし、大きな震動が学院全体に響き渡った。
砂埃がふわりと舞い上がり、光の残滓が空間に漂った。
「これさ、今思ったんだけど…‥」
『確実に響き渡ってる。人が来るぞ』
「だよね~」
魔物は地面に横たわり、ピクリとも動かなくなる。
大まかな頭部の原型だけを残し、腹部には凹んだ跡が残っていた。
ただ見るからに、血は一滴も出ていない。
――存在だけが塵のように少しずつ散っていっている。
『朱鈴、早く室内に入れ。目立つぞ』
「うん…」
朱鈴は空中で手を合わせ、目が隠れる程度までフードを指で抑える。
それから地上へ下り、校舎裏から室内へ向かう。
『騒ぎになってるな』
「ま、被害ゼロでこの騒ぎなら、まだ良いほうでしょう。代理人として一応果たしたし」
学院内にいる生徒達。
そして教師達に伝わっているらしく、既に騒ぎ声がザワザワと聞こえてきていた。
朱鈴の移動中もほとんどの階がガヤガヤしていた。
忍び足で歩き進める朱鈴は、魔法学の職委員室へ入る。
ソファーにくつろぐように横になった朱鈴は、長い息を吐いた。
『なんだ、疲れたのか』
「疲れてはいないけど、疲れた」
『適当だな』
魔物を殺すなんて――…普通のことだ。
被害を出さないためには必要で、せざる得ないこと。
魔物にトドメを刺したとき、血は一滴として出ていなかった。
――すぐに分かった。
魔獣化しそれから、魔物になって長いのだと。
自分にできることは〝楽にしてあげること〟ただ、それだけだった。
朱鈴は横向きに身体を丸め、自分に言い聞かせる。
〝あれは仕方ないことだった〟と何度も言い聞かせた。
魔物化したものを助ける術などない。
それでも最後の一撃は――〝良い気はしなかった〟
背もたれに背中がつき、数分前の温暖かさも残っていない。
「普通の魔力、久々に使った。だから……疲れた」
『そうか。じゃ休め』
「…うん」
『気休め以下かもしれん。それでも被害が出る前に解決した。そう思うしかないんじゃないか』
フードを横向きに寝ていても被っている朱鈴は、唇を揺らす。
「…朱鷺」
『何だ』
「ありがとう」
朱鈴の耳にはクスッと笑い声が聞こえ、本能に任せるまま目を閉じた。
朱鈴は夢か現実か微妙に分からない中、身体がプカプカしている。
浮いているような、芝生の上で寝ているような気分だった。
悪い気分はなく、ただ気持ちが良かった。
落ち着けた。
勝手に浮かんでくる植物達。
そこで夢だと理解しつつも、好奇心は止められない。
朱鈴は植物達にだけ目が行き、続々と植物が浮かんで来た。
えぇとぉ…あ、ニガナだ。
こっちはナルコユリ、リンドウ、ウシハコベだ。
こんなにも色んな植物達が……最高すぎる。
ふっあぁ!――こっちはベニバナボロギク…まるでしりとりだな。
顔のニヤケが取れない朱鈴はニコニコを絶やさない。
現実世界では自分の好奇心が働かない限りしない表情だった。
――皆、可愛くて綺麗で顔面偏差値高いな…。
わぁ!こっちは――ク、ク、えっと、あ!
「クズだぁ」
夢の中だと思って言った言葉。
しかし朱鈴は寝ぼけ眼の状態で、誰かの顔を視界に捉えた。
段々とボヤけが薄まる中、脳内でも認識し始める。
「俺って、クズなの…か」
「ふっふ、マメ科のぉクズ属はね。葛根だよ」
「…笑顔で……クズ」
感じたことのある雰囲気に、声質。
朱鈴は床に膝をつき、屈んでいる柊霞を視界に入れる。何かに動揺しているらしい姿で、落胆している。
被っていたフードは横になっていたせいもあってか、自然と脱げていた。
「柊、わお…めっちゃ落ち込んでるじゃん。朱鈴イコール植物のことだよ。ほとんどがね」
紗綴は柊霞の側に寄り、肩を軽く叩いた。
朱鈴は瞬きを繰り返し、ソファーから起き上がる。
窓には自分が映り、部屋には蛍光灯の光が照らされていた。
長く寝てたのかな……。
確か、魔物を退治したのが昼ぐらいで、今は……。
ま、眠気は取れたからいいか。
朱鈴は室内を見回し、正面にいる紗綴と柊霞の二人。
そしてソファーに欠伸をして座っている碧羽。
――ん?
「なんでいるの?私、バイバイって」
「それは昼の授業で一旦ってこと。もう八時近いよ」
「そうなんだ。じゃ気をつけて帰ってね」
朱鈴はソファーから立ち上がって、全てのカーテンを閉めた。
「鈴は?帰らないの?」
紗綴からの質問に、「うん。今日はお泊り、ここに」と事務的な口調で答える。
「じゃあ、私も…泊まろうかな」
「それはダメ、紗綴の両親が心配するからさ」
紗綴は手に持っている鞄にシワを作る。
不満げに口噤む中、碧羽はソファーから立ち上がる。
「鈴ちゃんは、なんで今日お泊まりなの?」
理由を知りたがるのは仕方ないことか。
「ま、頼まれたからかな…代理をね。ほらもう少しで八時だよ」
「鈴、私の家に来るとかは……」
事情を知らない柊霞と碧羽は紗綴を注目する。
静かに戸惑う二人に、紗綴は哀感の漂う表情をしている。
紗綴はやっぱり、紗綴だな。
「――私の不規則な生活じゃ迷惑かけちゃうからさ」
「朱鈴……」
「両親がいるならちゃんと帰ってあげな。意外と、一緒にいる時間は短いかもだよ」
朱鈴は紗綴の腕辺りを軽く叩いた。顔を互いの瞳に映して仄かに笑顔を浮べた。
依頼を解いていた奥の部屋へと入った朱鈴はドアを閉め、暗闇の部屋にへたり込んだ。
『朱鈴、』
「⋯」
朱鈴の耳に直接届く朱鷺の声。
『朱鈴、我はちゃんと居るからな』
「…ふっ――珍しい事も言うんだね……。逆立ちでもしたのかな」
「吊るすぞ」
「ふっ……やーだね。――でも、ありがとう」
『何だ』
それから朱鈴は椅子に座り直し、暗い部屋に一部だけの明かりが付いた。
✢¦✢




