7.灰猫
✢¦✢
柊霞の静寂な狙撃によって魔獣は暴れることなく、闇を払拭しながら元の姿に戻る。
動物は本来の姿を取り戻しながら、急激に空中から落とされる。
急落下しかけた時、朱鈴は〈浮遊魔法〉を使って指で操る。
ゆっくりと自分の手元に運び、猫の姿をしている動物を腕に抱える。
美しい灰色の毛並みを身に纏う猫は、目を瞑っていた。
魔獣化したせいで体力を使い切った猫は、ぐったりとしている。
「その猫」
「うん、猫だ」
「大丈夫なのか…生きているのか?」
「生きてるよ。ちょっと疲れた。そんなところだよ」
木々や自然の揺れは収まり、猫は空を飛ぶのかと自分の中で知識を巡らせていた。
通常なら絶対に飛ばない。
しかし魔獣化した場合は違うのか…?と考えても納得の行かない朱鈴は結局、飛ぶ事は不可能という答えに至っていた。
それなのに飛んでいた。
そうなると――
朱鈴は柊霞の隣に距離感をとって移動する。
「ナイスな無音の一撃だったよ」
「――っ…ん」
「私は魔法を使わないと見えないからさ。やっぱ凄いよ」
顔を上げる朱鈴の瞳に、陽が仄かに当たる。
柊霞の鎖骨辺りまでしか見えていない朱鈴に、柊霞の目が猫と朱鈴の二人を映す。
そもそも朱鈴は人と話せないわけではなく、目が合わせられない。
そして何より、敬語の使い方が超絶に下手なだけだ。
さっきまでの平穏が戻ってきたにも関わらず、朱鈴には納得の出来ない状況だった。
魔獣化は解けたのに、朱鈴には感じるものがあった。
通常どんな生物であろうとも多少は魔力を感じる。そして確かにある。
魔力が完全にない生物も探せばいるかもしれない。
それでも多少は誰もが持っている。
この灰猫からはどこか〝懐かしい〟という言葉に近かった。
もしかしたら生まれつき魔力が高かったのかもしれない。
その可能性は、なくはなかった。
それでも、あの時と同じなら――。
「この子…もしかしたら。うん、浮遊してた理由もそれなら」
大きすぎない体格に、それでいて小さすぎない猫。
柔らかい灰色の毛色に黄色がかった青い瞳は空を連想させる。
ん……?
「あ、おはよう猫さん。獣魔の猫さんって言った方が良いかな」
「獣魔?」
「うん。多分っていうか、ほぼ確定で」
朱鈴と柊霞の二人は猫を一点に見つめる。
猫は目を逸らしては、合わせる。逸らしては合わせるを三回繰り返した。
すると気分屋なのか、飽きたのか朱鈴の腕から抜け出す。
それから銃が置かれている石の上に飛び乗り、安座の体勢で座る。
「俺。いや、我は無駄なことは喋りとーない。嬢さんの言った通り我は獣魔だ」
「あ、当たった」
「獣魔、か。…猫が」
「猫だね、灰だけど」
「うん、灰」
「じゃ帰ろう。片付け片付け」
二人は猫をスルーして片付けを進める。
石の上に置いていた銃をケースに直し、柊霞がそれを肩に掛ける。
「じゃ、バイバーイ」
朱鈴は振り返って手を軽く振り、柊霞の隣を歩く。
すると朱鈴の耳に〝りん〟――と軽く音が鳴る。
待てと言わんばかりに襲いかかって来た小者の蹴りを、左片手で受ける。
瞬時に振り返った朱鈴は反対の手で、即座に猫の顔面を鷲掴みにする。
被っていたフードはパサッと脱げる。
視界が一瞬、開けた。
「何。というか、いきなり蹴ってこないで。あぶない」
「――ちょっちょ…息が、い、き……」
「えぇ君が飛び込んで来るからじゃん。はぁ騒がしいな」
朱鈴は猫の脇を掴み、抱き直す。
柊霞の目は見開かれ、朱鈴の素早い動きによって釘付けにされていた。
「ん?」
朱鈴は気配からリギギリ見えない程に顔を上げ、柊霞はハッとして目を逸らした。
その目線の先は猫に移動される。
「ふぅ助かった。にしても無礼なことを二度も…。まぁ良い。我は器が広いからな。お主らは、あれか?」
「あれ?」
「夫婦なのか?」
めおと…?何だそれ――。
朱鈴は〝めおと〟という言葉の意味が一切として分かっていない。
頭上には「?」が浮かび、目を屡叩く。
「お主、どうなのか」
適当に空中にぶら下げるように朱鈴によって抱えられている猫は、柊霞と目が合う。
身長の高い柊霞を見上げるように言う。
「そう見えるのか…」
「若い。なりたてにな」
「そうか――期待に添えない回答しかないな」
意味の通じる猫と柊霞は続々と話を進めていく。
どんなに考えても、植物界ではあまり聞かない言葉。
知らない言葉がこの世にはまだ多く残っている。その事に新たな好奇心が湧き出す。
考えても考えても分からない朱鈴は、遂に口を挟んだ。
「めおとって、何なの?」
灰色の毛並みの猫は朱鈴に顔を向ける。
歪んだ愛嬌で、だらしない表情を浮かべて振り向いた。
「め・お・と・とはな、男女で支え合って共に歩む。その始まりをしょ――うッグ!」
――その瞬間、猫の声は消えた。柊霞が猫の口を手で塞いでいたのだ。
「え、……どう、どう?え、なになに」
「なんでもない。ただの夫婦って意味だ。抱っこ変わる」
戸惑っていた朱鈴は意味が分かり、「あー」と悦の表情が光る。
柊霞は猫を自分の方へ抱き上げ、お尻を抑えて抱える。
「なんだ。あ、そういうことか。我のプリティーなお尻を触りたかったんだな。ハッキリ言えば良いものを」
「・・・」
「ありがとう。でも、この猫どうしよう。私は無理だし」
「その心配ならせんで良い。此奴の従魔になるからな」
小さな手で柊霞を指差し、躊躇も相談もなく決めていたらしい。
堂々とキングのように振る舞う猫に、柊霞は低めの声で「…は?何で」と不満げに返す。
「なんだ、そんな声を低くして言うほど嬉しかったのか?」
「真逆だろう。と言うか、何故そんな結論に至った」
「細かいことを気にしてたら、時は過ぎていくだけだぞ」
「今だって過ぎてるだろう。この数秒も」
二人の言い争いを眺めながら、朱鈴は案外いい案かもしれないと考えていた。
魔力はあるものの、どこにも属さない獣魔――猫というコンパクトな存在から、朱鈴は悪くないと乗り気になった。
それでも、正面の二人は出会ったばかりで性格に難はありそうだ。
しかし、属性がない獣魔なら誰にでも支援できる。
だから、特にマイナスなことはない。
「少女よ、お主はどう思う」
「私的には、悪くないと思う。獣魔はパシ…相棒にしたら戦いやすいとかもあるからさ」
質問に「パシリ」と言い掛けた朱鈴は微妙な黒い雰囲気を猫から感じ取るもスルーして掻い潜る。
「一つ聞いていいか」
俺様気質な猫の声とは異なり、落ち着いた声音が響いた。
「ん?どうぞ」
「飛び級しているっていうのは本当か」
飛び級、あぁ。確かにしてるね。
まぁ別に隠すことでもないし、良いんだけど。
思い当たる節のある朱鈴は紗綴が言ったんだろうと予想がすぐについていた。
ただ、朱鈴には懸念もあった。
ここで話せば、個人情報が広まってしまうかもしれない。
自意識過剰と分かっていながらも、朱鈴は嫌気を感じていた。
「飛び級はしてるよ。学校は人多くて、私にとっては地獄だったからね」
「…そうか。気になって確認しただけ。広めようとか、ないから」
朱鈴は誰にも見えないフードの中で目を見開く。
まるで心が伝染したようだと感じ、内心で驚いていた。
この人は、悪い人ではない。
紗綴が信用している友人なだけあって…と、感情が小さく揺らいだ。
私はきっと、人との関わりを断ちすぎていた。
誰も自分のテトリーに入れなさすぎた――徹底して。
最初は紗綴が信用している人。だた紹介された二人。〝ただそれだけ〟だった。
でも今はほんの少しだけ〝大丈夫かも〟――朱鈴の心が信頼し始めている気がしていた。
「あの、私も一つ。質問があって――」
胸元の服をぎゅっと握りしめ、言葉を言い終えようとした時。
朱鈴の前ポケットからスマホが鳴り響く。
「ごめん、ちょっと」
会話は途中で途切れ、朱鈴は少し離れた場所に移動して通話を始めた。
その頃、柊霞と猫は顔を見合わせる。
「何の質問だったんだろうな」
「あぁ…」
数秒前の質問が、二人の頭の片隅に残っていた。
「なんだ、気になっておるのか。お主そんなの気にしなさそうに見えるが」
「そうか。――そう見えるのか……。灰猫な」
外見そのままの姿を名前にする。
捻りもない名に灰猫は「は、灰だと!」と頭上に石がコロンと落ちて当たった様にガックリした。
それから十秒もしないうちに朱鈴は通話を終わらせ戻ってきた。
「今日はもう終了。それじゃ帰るね。気をつけて」
「うん」
「あ、獣魔契約する?」
朱鈴の「契約」という問いかけに柊霞と猫は目を合わせる。
契約か。
正直まだ考えられないな。
そもそも獣魔の利点。あと性格も細かくは分からない。
それで契約しても…だよな。
悩む柊霞に、朱鈴は薄く笑みを浮かべ、
「ま、したくなったら言ってね。契約・準契約・仮契約っていうのがあるから。じゃ、私はこれで。灰猫ちゃんもまたね」
「分かった」
「灰、猫って、お主らな…はぁじゃぁなー」
朱鈴は駆け足で柊霞と灰猫と真逆の方向へ走って行った。
本当は、聞きたいことがあった。
何を尋ねようとしていたのか気になっていた。
知りたかった。
けれど柊霞は、朱鈴がどこか急いでいるのに気づいていた。
胸の奥で小さな切なさが芽生えたが、それは表に出さず飲み込む。
「おい、お主。ここがどこか分かっておるか」
灰猫の前には、魔法で浮かび上がった地図が淡く揺れていた。
一本の矢印が、ある地点を指している。
「ここは……学院だな」
「そうか。お主は、そこに行くことはあるのか」
「学校だからな。行くけど……それがどうかしたのか」
「……いや、なんでもない」
妙に間を置いた返事に、朱鈴はほんの一瞬だけ違和感を覚えた。
✢¦✢
「後、あと、アト、二日で、は、る、春休みー!」
紗綴は一人、ベンチに座り、開いている状態のお弁当に向けて叫んでいた。
多少の人の目は気にしているようで、顔を上げてキョロキョロと顔を動かす。
「テンション高いな」
「もちろん!鈴と一緒に居れる時間が長いんだよ!最高でしょう」
一時間ちょっとの昼休み時間。
庭園のベンチで三人横並びに座り、昼ご飯を食べていた。
右端に座る紗綴と左端に座る柊霞とのテンションの差は明らかで、中央に座る碧羽はその空気感に慣れているようだった。
「そうだ。柊霞さ、猫はどうしたんだ」
「猫…灰猫なら家に置いてきた」
「え、柊、猫飼ってたの?」
「飼わざる得なかっただけだ」
「昨日さ、メッセで『猫、飼ったかも』ってだけ来てね」
そう言えば確かにそんなメッセを送ったな。
仕方なく連れ帰った結果。今では完全に飼い猫ポジションに灰猫は馴染んでいた。
家族そして使用人でさえも灰猫に夢中らしく、家庭内は『灰猫ブーム』というものが訪れていた。
「じゃあ名前は?何々」
興味津々の紗綴はわざわざ目で輝きを示し、柊霞を見てくる。
柊霞は目を逸らし、「――灰猫」とだけ口にする。食べ終えた弁当を閉じ、布で結んでなおす。
二人は驚いた様子で固まり、段々と眉が中央に寄っていく。
「…え?」
「灰猫」
「まじで言ってる?柊霞」
「本気だ」
「ダメだ、ここまでネーミングセンスないとは」
「うん。ちょっと危機的状況だね」
ネーミングセンスよりも、毛皮が灰色でそれが由来だった。
なんて言えなさそうな雰囲気に柊霞は澄ました顔を続けていた。
二人は後少しというお弁当を前に、ため息をついた。
「猫ちゃん、可哀想」「それね。灰、猫なんてね」と紗綴と碧羽の二人だけでブツブツと話す。
三人が座るのにゆとりが持てるベンチ。
柊霞達が座っている所だけでなく、広大な庭園の至る箇所に設置されていた。
高校生だけでなく、中学生も大学生も共同で使えるように広く取られていた。
全学年が昼休みで、天気も陽は強過ぎず、過ごしやすい今日。
そのせいもあり、人も多く、柊霞と碧羽と紗綴の座るベンチに視線が痛いほど刺さる。
その視線に慣れていた三人は苛つきも起きず、普通に会話をしたりしなかったりを繰り返していた。
「視線が、うざい!……なんか睨まれてるし」
柊霞はただただ面倒くさいと感じていた。
その疲弊した心の感情を代弁するように、紗綴は諦めを含んだ冷ややかな眼差しを、冷たい視線を向けてくる相手へ鋭く返した。
「女子って怖いねー。紗綴ちゃんはどう思う?」
「きも」
「まずキモイ。でもその意見には同感」
碧羽の「ちゃん」付けに、柊霞と紗綴は拒絶反応を示した。
「え、ひどくない?でもこんな所にもし、鈴ちゃんがいた場合どうなるんだろう」
「そりゃ逃げ出すでしょ。あ、でも…」
紗綴は何かを思い出したのか、言葉を途中で止めた。
碧羽は興味または好奇心からか「え、何。なになに」と気になっている様子を示す。
――眠いな…。
なんて事を思いながら喉を潤しながら、静かに聞き耳をたてる。
「一回――朱鈴と二人でいる時にさ、周りに結構人がいたのね。その内数人の女子が私に対して明らかに悪口的な事を…ね。少し慣れっこではあったんだけど」
「なんか…紗綴ってさ。不運体質?不幸体質?残念体質?そういうの多いよね」
「あんたらのせいもあるでしょう」
紗綴は軽い睨みを効かせた目を隣の碧羽に強く向けた。
碧羽は苦笑しながら「それは……なんとも言えない。一応ごめん」そう言って目を逸らし、柊霞の方を向く。
「スルーしてたけど、鈴は、ボス的な立ち位置にいる女の所にそそくさと行っちゃってね。ここからが面白いんだけど、――胸倉掴んで『黙れ性悪』って言ったんだよ」
柊霞は聞き耳を立てているだけではいられなくなり、丁度、碧羽と顔を見合わせ、二人して紗綴を見る。
あの子が、そんな事を……。と柊霞は信じられなかった。
「鈴ちゃんカッコいいね。〝性悪〟って、――ククッ」
「鈴は普段、性格の温度は平温って感じだけど、言う時は言うし。〝やる時はやるよ〟」
紗綴は興味津々な柊霞と碧羽を見て、揚々とした笑みを浮かべて二人に向けた。
「ま、その後も拳で殴りかけちゃって、流石に止めたんだけどね」
殴りかかるまで…も。
柊霞は二階の柵からまるで身を任せるようにして飛び降りた朱鈴の姿、行動力を振り返る。
友人のため――いや、紗綴だからこそしたことなのかもしれない。
表面では紗綴の熱量が少女に対して強めではある。
それでもちゃんと、少女も紗綴を思っている。
まるで透明な何かで繋がっているように思われた。
朱鈴の行動はカッコいいと思いつつも、柊霞は羨ましさや他の複合した感情が渦巻く。
「あ、そうだ。今日さリビードー先生いないらしいよね」
「あぁ……熱出したんだっけ」
「そそ。でも魔法学の職委員室から女の子の声が聞こえてくるって噂になってるよ。不気味な奇声とかね」
「ちょっと行ってみたいかも」
「じゃ、行くか。柊霞も行くよ」
碧羽の情報から紗綴は興味を示し、テンション高めにベンチから立ち上がる。
「え、ホントに……」
「ほんと、マジ。行くよ」
ほぼ半強制的に引っ張って連れて行かれた柊霞は三人で五階へと足を進めた。
噂の立ってる意図的に仕切られた部屋の中。
一箇所から画面の灯りが暗い部屋に光を灯していた。
椅子に足を上げた状態でタブレット画面を前にする。
お手玉のような連なる根の纏まり。そして小さな白い花達は可憐に寄り添うように――咲いていた。
葉は細長く伸びていてシャープな印象を与える。草丈も六十ー百センチ程の高さの画像が表示されていた。
「ふわぁおぉ……ド、ドクゼリ様!」
朱鈴は机に手をつき、椅子ごと身体を画面へと寄せる。
噂話などどうでもよかった。
画面に映る植物標本の写真──その一点だけに、視界も意識も吸い込まれる。
「葉姿はセリ、根茎はワサビィ……っ。はうっ!最高」
声は震え、抑えた笑いが喉で湧く。
ドクゼリは全草に毒を持つ。
それを知っている朱鈴は、その事実すら甘美に感じるほどだった。
山菜と間違えて採ったのかな。
それを口にして……うん。まあ、あるあるだよね。
朱鈴は拳を握り、反対の手で包み込んで気持ちを押し留める。
若葉はセリと、根茎はワサビと誤認されやすい。
その結果、めまいや嘔吐。
悪ければ意識障害や痙攣の事例もある。
「あぁ欲しい。この目で直接、拝みたい……」
左手を頬に当て、朱鈴は画面に見惚れた。
「触らぬ神に祟りなしかぁ……ふふっ」
口元が綻び、朱鈴は一瞬で雰囲気が落ち着いた。
外部から室内に〝コンコン、コンコン〟と音が鳴り、ドアからノックのような音が響いた。
椅子から立ち上がって覗くような姿勢で見る。
するとドアが開かれ、一人の女性が入って来る。
奥の部屋にいる朱鈴はフードを被る。
入ってきた人物はドアを閉め、壁のスイッチを〝カチッ〟と押すと部屋の明かりが灯る。
「朱鈴ちゃーん。お昼ご飯食べるでしょう」
「ん?あ、そう言えば私、お腹すいたのかな…」
「朱鈴ちゃーん」
朱鈴は覗いていた奥のドアを静かに開放し、部屋に光が入る。
昼の淡い日光の陽と、部屋の明かりの付いた空間に目を細めた。
今まで暗い中にいたせいかな。
眩しく感じる。
「はぁい」
「あ、いたいた」
そう言う女性は穏やかな笑みを朱鈴に向けた。
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