5.才能の開花
✢¦✢
「おばあちゃん、おじいちゃんはどこに行ったの?」
「――そうねぇおじいさんはね。幽霊になっちゃたの」
そう言う私に――祖母は最初、とても悲しい顔をした。
次は困った顔をして、笑顔で言った。
四歳の私にとって、理解できることは多くなかった。
突然消えた大好きだったおじいちゃん。
――おじいちゃんは私とよく遊んでくれた。
小さい頃から植物の図鑑を一緒に読んでくれた。
私にとって、おじいちゃんとおばあちゃんは育ての親だった。
「幽霊って、なぁに?」
「…っ、ふっ――そ、そうねぇ。幽霊っていうのは、目には見えないけど近くにいてくれる存在ってことよ」
「近くに?じゃあ、おじいちゃんは私の近くにずーっと、居てくれてるの?」
祖母はどこか遠くを見て私に笑顔を向けた。
「ずっとは無理かな。でも…そうだな。――朱鈴が大丈夫だって、思えるまでかな」
「わたしが、大丈夫?」
おじいちゃんが居なくなってからは、写真が飾られていた。
お花が定期的に飾ってあった。お菓子も置いてあった。
その写真の前で私はよく、植物の図鑑を読んでいた。
読み聞かせてくれていたおじいちゃんは居なくなり、…自分で読むようになった。
それでも私はやっぱり子供で、――漢字は読めなかった。
これは小さい子供〝あるある〟なのかもしれない。
平仮名だけを飛び飛びで、その頃は読んでいた。
後で、おばあちゃんに聞いたりもしていた。
「そう。朱鈴が自分のぜーんぶを知って、…後はね。
石の置物に花を持って行って。朱鈴が笑顔で、お話ができた時。
それはもう大丈夫ってなるの」
私は首を傾げる。
でも、すぐにパッと明るい表情に変わる。
「じゃあ、お石の所には何の花がいいの?」
「そうねぇ。じゃあ、三つ…三種類お願いしてもいいかな?」
「うん、いいよ!」
「それと朱鈴、これはね――」
祖母は私の手をそっと包むようにして握る。
その手はちょっとシワシワで細くて――でも暖かくて。
私はもう片手を祖母の手の甲にそっと乗せた。
『未来への約束ね』
✢¦✢
朝を過ぎ昼を過ぎた頃。
風通しのない部屋は真っ暗で、春光が一ミリとして入ってこないカーテン素材。
パソコンやテレビも真っ暗。
スマホは机の上に適当に置かれている。
この部屋の主人・朱鈴は、頭から毛布を被り、深い世界へ行っている。
それから午後十五時を回った頃。
放置されているスマホから目覚ましの音が鳴り響く。
「…ん…う、うぅ」
体を起こし、目覚ましの音を消す。
そしてベッドの棚に置いてある櫛を手に取る。
朱鈴は毛先を通し、二回に分けて旋毛からも通す。
あぁ、アツミゲシ、欲しかったな。コレクションにしたかった。
ま、今となってはもう、諦めて…いや、諦めたくないけど。しかたない。
あの後、警察がどうのこうのという感じの曖昧な記憶の朱鈴。
ただ紗綴と、身長の高い男、柊霞と碧羽。
その三人が警察の対応をしていたことだけは薄っすらと記憶にある。それぐらいの程度。
すると朱鈴は櫛の置いてあった棚。そこに輪ゴムを見つける。
二つ手に取り、右手首にかける。
一つは輪ゴムを、小指を通して人差し指に掛ける。
そして鉄砲のようにして対角線上のゴミ箱の上。そこに置かれているペットボトルに向けて打つ。
しっかり狙って打つものの、ペットボトルに掠れる。
「やっぱ、私は――無くちゃだな」
朱鈴の左目には『〈遠近視覚全方位〉』の魔法が出る。
左目は魔法によって強化される。輪ゴムはペットボトルに正確に当たった。
ペットボトルはそのままゴミ箱の中へと落ちる。
「ふースッキリした」
朱鈴はベッドから下り、椅子に座り、パソコンを起動する。
すると画面に出てくるネットニュース。
「動物園に…か」
一〜五位までの全てが魔獣化についてのニュース。
朱鈴は、二位から順にクリックして内容を読んでいく。
『―魔獣化の一日の件数増加―平均八件』
五位までは魔法系で、六位からは企業系さん、か。
俗に言う、お金持ちさんなのかな…企業の社長さんって。
平均が八件か…それも報告された情報分だろうな。
全てが全て知らせられる訳じゃない、からな。
それでも怪我人や死亡者がいないだけ、凄いのか…。…良い方か。
それに、上位の魔法師さんも大変そうだな。
徹夜続きだったりしてね、
――待機しているんだろうなぁ。これからも頑張ってほしいです、――ふふ。
朱鈴は肘をつき欠伸を何度か繰り返し、他人事のような感情でスクロールしていく。
朱鈴は時々、口を無意識にモグモグ動かす。
頬を指で抓り、ニュースを閉じ、不思議相談の掲示板を開く。
「よぉしぃ。植物、お毒!…恵まれてください」
朱鈴は、平常心ではいられないほどの毒への好奇心。そして植物毒へのわずかな耽溺。
朱鈴は胸に刻むように、手を何度か叩く。
――最後の一回は強く手を合わせ、目に輝きを灯す。
「あ、…これは温暖な場所…か」
朱鈴は一つの依頼の写真に目が止まる。
カチッカチッと部屋に音が小さくなる。
『この写真に写っている赤い花のような植物について教えていただけませんか?
花弁が内側に反り返っているように見えるのですが、有毒性があるのか、あるいはそもそも植物の名前が分かりません。
この写真を撮ったのは冬頃で、その後いつの間にか姿を消してしまいました。
直接関係があるのかは分からないのですが、犬を飼っており、同じ時期に強い下痢や嘔吐を繰り返し、脱水症状を起こしたことがあります。
何が原因だったのか分からず、不安に思っています。どうかご助言をいただければ幸いです。』
これは少し珍しい。と言うかこの花は――。
画面に表示されている写真。
そこには花とはあまり思えない、円筒状の尖った先端をしてる花弁。色は鮮紅色で垂れ下がるような形をしている。
「ペットが強い下痢や嘔吐……脱水症状……か」
単純に考えた場合は、何か良からぬ物を食べたってところかな。
ただそれが何か――。
冬にあった赤い花は消え。写真に写っている葉は細めの曲線。
幅は薄めだけど、長さは多少はある。
後は…葉がギザギザとしているって感じの特徴…か。
「うん、完全にアロエだな。――キダチの方かな」
キダチとは、キダチアロエのこと。
食用にされるのは主に二種類で、――アロエベラ、そしてキダチアロエがある。
「まぁそれよりも…ふふ。
キダチさんの花を見れるとは。ありがたや〜だな。写真もコレクションだね。ふふ」
朱鈴は普段人に見せないような笑顔を画面に向けて浮かべる。
そしてマウスを動かし、写真をダウンロードする。
今回のケースは日当たりや温度、肥料、その他。
それらの条件が揃っていたのだろう。
じゃなければ、キダチアロエは開花できない。
朱鈴は、送られてきている写真と依頼文にもう一度目を通す。マウスでスクロールし、画面を動かす。
依頼人の文章からして、手入れをしていた様子は…
ない。な――多分。
そもそもキダチアロエは、人間と犬では毒の重みが違う。
例外もいるけど、アロエを食べすぎてはいけない。下痢やお腹の調子が悪くなる。
それは人の間でもよく知られていることだ。
しかし、犬にとっては違う。
犬は中毒症状を起こしたり。
可能性は低めだが、ひどい場合は臓器に異常を…。
命あるものは、危険な成分になりうる。
ただそれは全て同じではない。
それぞれの体質。生まれ持った何かによって皆違う。
自分の中での見解はある。
――要するに犬は、花が取れた後のアロエの葉を口にした。
それは、一時的な空腹や遊びという好奇心。――まぁ分からなくもない。
それが原因で体調に異常を…。
そんな事考えもしなかったのだろう。
その証拠に写真のアロエの葉には、噛み跡のような跡があった。
時が経ち、葉から跡は塞がれた。
それでも、形は薄く残っていた。
そんなところだろう。
「医者いらずでも…時や使用方法、…命ある生物によっては〝毒〟にもなる、か」
キダチアロエは火傷や擦り傷。
便秘、肌の保湿などの民間薬として利用されてきた。
そして何よりも〝百種類以上〟の有効成分が含まれていると言われている。
そのため別名で『医者いらず』とも呼ばれているのだ。
「ま、そ・れ・よ・り・も!!
――フヒヒヒ。フヒャー!、ア、ア、アッロエ!ふふふ、っヒッヒッヒ…」
画面には保存された写真。
画面全体に大きく表示され、朱鈴の目には輝きが灯されている。
机にリズムよく力加減無くして、手を打ち付け、机は揺れ動く。
すると朱鈴は勢いよく立ち上がる。
椅子は反動でドアにぶつかり、大きな音をたてた。
しかし椅子のことなど、どうでもいい朱鈴。
「はぁ――最高」
うっとりとした表情を浮かべる。
キダチアロエの写真を愛でるような瞳をする。
朱鈴は写真によって幸せを感じた。
✢¦✢
〈九時間前〉
「ふぅ…何体だっけ。四と一体か……終わってんのかな、あっちは」
そういう人物の足元には一体の巨大な魔物。
動物だった跡形が曖昧なほどに変形変化している。
その魔物の腹は大きく引き裂かれ、大量に出血している。
魔獣化した場合は二つ方法がある。
一つは、単純に殺す。もう一つは、浄化すれば良い。
ただ浄化は時間が掛かり、そもそも浄化自体できる魔法師がほぼいない〜少ない。
そして魔物の場合は、魔獣化から魔物化にまで進むと一択。
〝殺す〟ただ一つだけだ。
そして最後はゆっくり灰となって散っていく。
学院からそこまで遠くない動物園。
そこの動物が大量に魔獣化。そして一体は魔物化された。
動物園という場所は、魔獣化繁殖の穴場。『魔』にされる基盤になる『動物』がいるからだ。
数名、見張りとして常備していた中位の魔法師から案の定、連絡が入り、今日の担当のために回ってきた。
魔獣化した獣達に対処すべく〝リビードー〟と〝幽才〟は園内を二手に分かれて動いていた。
「終わったかー。師匠はもう二十分も前に終了してるぞー」
鼻に付く言い方をするのは
――〈上位魔法師〉リビードー・ランプロス。
リビードーの呼びかける視線の先。
そこには空中に浮き、フードを深く被っている。
黒と紫色を混ぜたようなローブに身を包んでいる人物。
そして左肩には何かの金の刺繍が施されている。
その人物はリビードーの声にスッと地に下り、右手で指差す。
「ふっ、…どんだけ浄化してんだよ。ほぼ元通りじゃないか」
指で示された先。
そこには魔獣化で暴れまくっていた動物達。
その魔獣化が浄化され、
――元通りの動物の姿に戻り、元気に動き回っている姿がある。
…なんつぅ浄化力だよ。
それに多少の歪みはあれど、柵もほぼ壊れていない。
ローブ姿の人物は、汚れ一つ無い。
リビードーも似た感じで、少量の血を手に付けているだけだ。
ここは動物の数が多く、土地の広さもあり、
――情報が来た時点で繁殖が既に始まっていた。
上位と言えど、全てをカバーするには疲れる。
そのため一人より二人の方が疲れない。
単純に考えたリビードーは――〝魔法の幽才〟をよんだのだ。
「報酬金は振り込んでおくから、気をつけて帰れよ」
ローブの人物は、「シャキーン」と効果音が鳴るに相応しい程、綺麗な親指を立てる。
ローブの人物は、リビードーの手を指差す。
「…あぁ、返り血な。魔物いたからな」
その人物はローブの中からハンカチを取り出し、投げ渡す。
リビードーは上手くキャッチし、返り血をハンカチで拭く。
「おぉ珍し。ありが、とう。…って……もういない」
リビードーは汚れを拭き終わる数秒の間だった。
ローブの人物の姿は周辺には既になく、姿を消していた。
リビードーは鼻で一笑し、手にはハンカチを握る。
「二十体以上、か」
その後、中位の魔法師達に動物園の修繕を言い渡し、その場を後にしたリビードー。
学院に戻り、職員室という名の自室のソファーに横になる。
リビードーは軽い睡眠を…と思い、深い眠りへと出かけた。
気づけばあたりはもう春宵の色に染まっていた。
そして、妻からの着信が数件。
「こ、殺されるかな…」
恐怖に襲われるリビードーだった。
✢¦✢
広大な平地。
そこは朱鈴の名義になっている。
周りには崖もあり、自然も多い。
そのため朱鈴は自分の魔法の練習によく今でも使っている。
人通りはほぼ無い。
その場で倒れたら一週間以上は見つけられない。そう思わせる森の一角のような場所。
ただ自然が多いということは朱鈴にとっては極楽な場所だった。
「じゃあ、やってみよぉ!」
未だにハイテンションな朱鈴は拳を握り、手を空に伸ばす。
その姿に、理由も原因も知らない三人。
紗綴、柊霞、碧羽は小さく固まる。
「あ、の、なんで、そこまで、テンション高いの?それとも上げてる?」
「ん?・・・あ、――さっさとや、れ、くだしゃい、さい」
紗綴言われ、人前だと脳が認識する。
すると瞬時に我に返り、パーカーのフードを深く被る。
「まず、的を視幻覚魔法を使って作り出すので、これで打ってく、くだ、す、さい」
朱鈴が渡したのは、狙撃銃。
その場の全員が騒然とする中、ケースから取り出していく。
近くにある大きな石。朱鈴は指で指示するように魔法で呼び寄せる。
大きな石は浮き上がり、平地の真ん中に置かれる。
この銃重いんだよね…総重量十一キロ以上あるし。まぁ命中距離は長いし、いっか。
石の上に狙撃銃(バレッドM99)を設置っと。
――あぁ重かった。
「鈴、いや、朱鈴。貴方――銃刀法違反で捕まりたいの?」
「大丈夫。魔法店からのやつで、ちょっと私がいじったりはしてるけど。あ、これで打ってくださいね」
「…人を殺すのか?今から、柊霞は」
「?…人を殺す?、銃弾はないですよ。本人の魔力で作るので」
紗綴と碧羽に驚かれながらも、設置し終える朱鈴。
柊霞に一応の安全性を伝える。
柊霞は設置された場所に行き、膝をついて銃に触れる。
「あ、待って」
朱鈴は駆け足で柊霞の触れている銃の先端に魔力を注ぐ。
そして場所をバラけさせるように指で位置を決める。
魔法を使い、的を十箇所作り上げる。
「そのままスコープを見て。それと、色々面倒な部位は取っ払ってあるから魔力を注ぎさえすればいつでも…あ、敬語」
「別に、敬語はいらない。敬語苦手そうだったし。
このまま打って良いんだよな」
「――はい。一旦、真正面の的を」
柊霞は銃に手をセットする。
スコープを覗き、トリガーに人差し指を掛ける。
朱鈴は〈遠近視覚全方位〉魔法を左目に宿す。
フードを剥ぎ、真正面の的を見る。
そして柊霞はスコープを覗き、トリガーを引く。
魔力の籠もった銃弾は無音で刹那の間に的に当たる。
朱鈴の左目には拡大された的が映し出され、そこには深い傷がつく。
中心から、一ミリのズレってところか。
…やっぱり向いてるかも。――いや……一発でこれは。
柊霞は銃から手を離し、的をジッと目を丸くして見る。
「開花、しまし。あ、いや。したね」
柊霞は朱鈴の言葉にハッと唇が動き、広角を自然と上がった。
「…あぁ」
✢¦✢