11.僕の女神
✢¦✢
カーテンで仕切られている小さな隙間から日が差し、朱鈴はソファーに横になって眠っていた。
『朱鈴、起きろ』と、聞き慣れた声が直接耳に流れる。
「もう…ちょっと……寝る」
『今日、休校だってよ。明日登校らしいぞ』
「そりゃ〜…大変な……ことで」
ゴニョゴニョと口を動かしながら朱鈴は、ソファーの腕掛けに顎を乗せた。
微睡みの中、境界線が曖昧になっている朱鈴は緩やかに、夢の領域へと誘われていた。
休校…か……。
朱鈴は他人事のように、よかったね。学校無くて。お休みだねと適当に受け流していた。
朱鈴も一応は学校に通っていた身。
そのため、学校に行く時の面倒くささ。授業が全て終わり、帰る時の解放感は身に染みていた。
『起きろー!』
朱鷺の声に、鼓膜が強く大きく振動する。
本人が声を大きく出していなくても、朱鈴は嫌な目覚めをする。
キンキンと声の残党が耳の中で響き渡る。
「起きた、うるさい」
朱鷺の声でムリに起こされた朱鈴は決して機嫌が良いとは言えなかった。ただ仕方無く、ソファーに寄り掛かって座る。
「早く起きても、することないよ」
『早……今、正午近いぞ』
「んー正午……十分早いじゃん」
ポケーっとした頭で考える朱鈴はスマホを見つける。
記憶が曖昧な朱鈴は、テーブルのスマホを手に取った。
うわっ、これはすごい量だ。
着信とメッセージ数、貯めに貯めたって感じだな。
紗綴からは『大丈夫なのか』という安否を求める数百件のメッセージが多く来ている。
他にも数件メッセージの履歴が表示されていた。
一旦は、紗綴を優先してメッセージの返信を進める。
すると一瞬で既読が付き、すぐに電話がかかってきた。
朱鈴は通話ボタンを押す。
左耳にスマホを当てかけた時。
『鈴!大丈夫だよね!生きてるよね。電話受け取ったから生存は一応確認された認識だけど、ちょいと聞いてる?』
音量調節のされていない高音の焦った声が耳を刺激した。
スピーカーのボタンを押さなくとも、一室中に響き渡る。
「うん、聞いてる聞いてる」
と、耳に当てないで手に持ち、朱鈴はメッセージを確認をする。
『はぁよかった。怪我とかはないの?今はどこにいるの?』
「怪我…ないよ。今は魔法学の部屋っていうのかな」
ある人とのメッセージにパパッと返信し、魔法学の制服を脱ぐ。
奥の部屋に入り、半袖シャツの上からいつものパーカーを着る。
直接行ったほうが…早いな。
『そっか。私、今喫茶店いるんだけど、鈴来る?それとも家に帰るの?』
「行かないよ。家には後々かな」
『…分かった』
「紗綴は、怪我」
『……ふっ――うん大丈夫、無いよ」
「…そ。――後、頭良い黒髪の人にさ、今日はなしって言っておいて」
『あ、まって。今…』
「ちょっと急ぐから。またね」
急ぎで通話を終了させた朱鈴は、パーカーのポケットにしまう。
そして、深々とフードを被った朱鈴は魔法学の職員室を後にした。
✢¦✢
――同時刻――
ある豪邸の庭園では、――一人の女性の屈む姿が鮮やかな色の中にあった。
「エピカリス様、昼食のお時間です」
と、後方からは少女が近づく。
学生のような服を着た少女はエピカリスの少し離れた側に立つ。
植物たちがのびのびと育っている庭園の中。
華美な姿をしたエピカリスは、目の前の花に目を奪われていた。
愛でるように手で優しく撫で、花弁に触れる。
光に反射する金髪はサワサワと揺れ、植物に向けられていた眼差しは少女に向けられる。
笑みを絶やさなず、
「あら、時が経つのは本当に早いわね」
と優しい声で言う。
「今日は自室になさいますか。リビングまたはダイニング。何処でお食べになりますか」
尋ねるメイドに、エピカリスは柔らかな表情を崩さない。
「そうねぇ。梨蘭ちゃんはお昼は食べたの?」
「いえ、まだです」
「それでは一緒にこの庭園で食べましょう」
膝を折り、芝生の上に屈んでいるエピカリスの膝上には、黒いカバーの付いた機器が置かれていた。
「その方がご飯も美味しいはずだわ。ねぇ」
そして、ある武道場では、――一人の老人がいた。
中央に正座の体勢で、少し下を向いていた老人。
閉じられていた瞼が動き、目をそっと開ける。
身の丈に合った着物を纏う。
目線の先にはニュース画面が表示されていた。
持ち運びできる機器を使って、テレビのような映像が映し出されている。
右横に置いている木刀を手に持った玄寿は立ち上がり、正面を見る。
目線の先には写真が飾られていた。
手に持っている木刀を振り回す事もせず、自分の肩に置いた。
――〝幻才〟のようじゃな
玄寿は、昔の淡い記憶が再び色づいた思いだった。
すると視界の左端に人影を捉える。
道場の縁側からのその人影は、
「爺さん、この招き猫捨てていい?数が多すぎ」
と、男の子は声を掛けてきた。両腕には置物が抱えられている。
玄寿は右腕を上げた大きめの招き猫の置物を目に収める。
「だ…駄目に決まっとるじゃろおぉぅ!」
玄寿の叫び声が辺りを響き渡らせた。
道場内は勿論、空気の入れ替えのため全開だった。
木刀など頓着せず投げ捨てた玄寿は、一心に、ただ足のみに意識を注ぎ込んだ。
「こんな、右も左も分かんない、百個以上もある猫の置物なんかいらないでしょ。――え…ア、アダダダ…い゙だい゙!」
男の子に噛みつくようにして、悪ガキのように飛び掛かる。
「こんの、クソバカ弟子が!」
怒号の響いた道場とは別の――
人の気配が微かに残る小さな会議室。
パタンと閉まる室内に一人、残っている人物がいた。
先程までの会議は終了し、残った人物・エルピスはパソコンと資料数枚の紙を重ね持っていた。
一時間程度で終了した会議の時に使用していたパソコンとは異なる、小型のタブレットを取り出す。
画面をつけ、三角マークの動画再生を押すと映像が動き出す。
一人になったはずの室内。
突然、ノックもなしにドアが開いた音がする。
エルピスは画面を消し、音の原因に目を向ける。
そこには女性社員二人の姿があった。
一人は前に出て、廊下と会議室部屋のドアの境界線を少し跨いでいた。
「あの課長補佐…そ、その……。お、お、お昼、ご一緒しませんか」
緊張の顔を滲ませて、一人がエルピスに話しかける。
「いえ、急ぎの仕事が残っていますので」
彼は女性の期待など気にも留めない。
ただ淡々と、距離を置くように答えた。
「そ、そうですか。すみません」
二人は、部屋のドアを閉めて出て行った。
「ノックぐらいは…、はぁ」
画面にだけ顔を向け、もう一度再生する。
その映像は闇の中、ローブの人物が魔法を放ち、数属で襲ってきた魔法を一気に消し去っていた。
そして霧のように、存在を失わせた。
最後、その人物は巨大な魔力の塊の球を一瞬で作り上げ、前方へ放った。
そしてすぐに姿を消し、映像終了になる。
「担当はリビードーだったはず。じゃあこれは…誰なんだ」
――それは数時間前の動画だった。
エルピスは頬杖を付き、停止された画面から目が離せなかった。
✢¦✢
「ふっ」
紗綴との電話終了後、朱鈴はリビードーの家に来ていた。
安静のため、ベッドに横になっているリビードーを前に、つい可笑しく感じ、鼻で笑ってしまう。
「おい、今鼻で笑っただろう」
「いや、鼻くそを飛ばしただけ」
「は?きたな」
一応病み上がりのリビードーに、朱鈴はベッド近くにいつも使っているであろう椅子をゴロゴロと持ってくる。
「兄さん。動画出てる」
「師匠と呼べ、師匠と。動画は……どうにかなるだろう」
日常で使われているであろうリビードーの書斎の椅子。
その椅子に座った朱鈴は足をぶらつかせる。
「どうにかなるだろう?」って…はぁ。
というか大本の原因がそれ言うの……?
〝なるわけないだろー!〟と叫びたい気持ちを朱鈴は強く堪える。
深く考えれば考えるほど、目眩までも朱鈴に軽く襲いかかる。
一度拡散されるとな……。
「訴え可能だよね。訴えようかな」
「した場合、一部に身バレするぞ」
「この世は残酷だ、ク…馬鹿野郎」
「今、『クソ野郎』って言い掛けたよな」
朱鈴は全部放り出したくなる思いで、膝に顔を埋めた。
「まぁいい。それよりも――ぁ゙?……なんだ」
顔を埋めたまま、朱鈴の肩は揺れる。震える肩に小さく声も漏れる。
色々放り出せるなり、そうしたい。
でも、やっぱ……ふふっ…やばい。
ちょっと面白いかも――。
「いや、…その体勢で真面目な話されると、笑いが、ふっクフフッ……」
臥床して話すリビードーを、朱鈴は見下ろす位置にいた。
朱鈴はとても面白く、笑う要素しかなかった。
リビードーの顔もまるで「ガキ」と言いたげな表情に、朱鈴は「あっ」と思い出す。
「この騒ぎで何か変化はあったの?」
数秒前の感情を切り替え、サラッとした表情で言う。
「そりゃな。本部の依頼掲示板には警護依頼が大量に来てるよ。特に金持ちさんからな」
無気力な目は天井に向けられ、淡々とリビードーは話し続ける。
「階位指定も多少はある感じに聞いたけど、魔法師の数を知ってか、八割程は関係なく来てるらしい。今は非公表の下位・中位の今回の怪我。これを公表するとかなると、上位への負担は増えるだろうな」
それはそうだろうな。
「え、怪我してんの?」
「してるらしいぞ。巨大な砲撃までの時間があったからな」
最後が少し挑発的や皮肉に聞こえた。
朱鈴は「それは…仕方ないのでは」と突っ込みたい気持ちを抑える。
未来が見れる能力とか…持ってればいいけどさ。
ないからな〜無理だね〜。
――いや無理でしょう。
「一般の被害はゼロ。魔法師の下位は四十人近く。中位は二十人程の怪我人だってよ」
「完全に魔法師不足ぽいねーどんまい」
「何が、どんまいだよ」
「いっそさ、掲示板、停止すれば?それと下位のレベルが低いの?」
朱鈴は椅子を動かしてリビードーの側へと近づく。
「魔法師は特定の人を守るボディーガードじゃない。停止も考えには出てるらしい」
「ふーん」
「下位……いや、レベル自体は上がっている…って感じじゃないか。ま、相手が強すぎるんじゃないか」
リビードーの言ってることは朱鈴も間違っていないと考えていた。
魔法師は一般のために〝魔〟という生命体に対応するための機関だ。
特定の人物だけなんて、規定はない。
それに怪我の情報を公表した場合、確実に上位に回ってくるだろう。
そうなると負担が大きいのは目に見えている〝未来〟――だろう。
「あ、そうだった。今回の件は、上位魔法師が対処したってことにはなってる。だが、時が経つほど色んなものが浮き出すからな」
「え…。そっちにもさ、女性いるんじゃ」
朱鈴は今更ながらに驚きと絶望を混ぜた感情で、リビードーのベッドに手を付き、身を前方に乗り出す。
「いることはいる。ただ姿が完全に違う。それに上位は人数も少ないから顔が知れ渡っている。まぁ時間の問題だろう」
「…ふっぇ」
口を横に引き伸ばしたまま、細く開いた唇が震える。
アワアワと声が漏れ、身体が微震してしまう。
「フードを深々被って、簡単にいくつもの魔法を同時に使い、如何にも『強い魔法師です』って言ってるようなものだろ」
「ぇ…あれぐらい普通じゃ……ないの?」
リビードーの言葉に朱鈴は今まで自分がしてきたこと。
自分が普通にできていたことが〝異常〟ということに気付かされた。
それから朱鈴は目を明らかに丸くし、驚きを隠せなかった。
「な訳無いだろう。二つ同時は無くはない。ただ三つ以上は上位でもそうそういない」
足を抱えた状態の朱鈴は、ガクリと首を傾けて固まる。
何で?なんで…。できてよ、魔法師さん方。
なんで目立っちゃったの……私。
ポカンと口が開き、朱鈴は自身の魂が抜け落ちそうになる。
「一部でしか公開されていないが人気だぞ。『強すぎる謎の魔法使い』とか、『天才』とか呟かれているぞ」
あ、なんか、目眩する。
目眩、めまい、め・ま・い…。
今日で人生終わるのかな…。
「は、はぅぅぅ!」
「マジアの方も半強制的に入れ込むと思うぞ、多分。朱鈴…あ、ぁ」
リビードーは呆れた声を最後漏らすも、朱鈴はそれどころではなかった。
いつの間にか仰向けから横向きに体勢を変えていたリビードーは、分かりきっていたかのような表情をする。
朱鈴はムカつきと不満を抱え、ただ唇を噛み締めることしかできない。
「俺もできる限りの事はする。目立たせないように。それに、だ。報酬金大量に貰え……って聞いてないな」
「うぅぅぅぅぅ!」
糸が切れたように、朱鈴は椅子から崩れ落ちた。
拳を強く握り、リビードーの腹部を布団の上から叩く。
怒りのはずなのに力は入っていない。
その拳で苛立つ思いをモグラ叩きのような調子で何度も打ち付ける。
「い、いだ、い゙だ、いだだだい」
「なんで、こんな。私は、代理人として、果たしただけなのに!クソのクソッタレがー!」
朱鈴は文句を叫び散らし、拳を受けていたリビードーは息を吐く。
「はぁ…天才より、やっぱ〝幽才〟があってるな」
独り言のようにリビードーは言った。
✢¦✢
目の前に、写真が丁寧に張り巡らされている部屋。
その枚数は約二百枚以上で、風景や楽しい思い出ではなかった。
写真の主人公はある少女で、全枚に同一人物が映っている。
「最後は逮捕かぁ――流石に焦ったよ、こっちにも来るんじゃっないかってね。……まぁでも、いいや。〝僕の女神さえいれば〟」
気色の悪い笑顔を浮かべる男は、一枚一枚の写真を手で撫でていく。
ただ奇妙なことに目線が合った写真。カメラ目線の写真は一枚として貼られていなかった。
黒い髪と少し茶の混ざった地毛、そして美しい瞳。整った顔立ちの写真の少女。
写真の所々に一緒に映っている百八十センチを超えている男達。
二人と少女は、二十センチ以上の差があった。
「君がいるから僕の人生は明るくなった。本当はね、君を危ない目になんて嫌だよ。でもね、恐怖に怯える君も――はぁ……見てみたいんだ」
ピントが合っている綺麗な一枚を丁寧に剥がす。
手に取り、執着と異常な感情の籠もった目で写真を眺める。
「次は僕の番。君の人生を僕にちょうだい。そしたら幸せになれる。そう――互いに」
閉じた唇が、一文字ずつ形をつくりながら開かれる。
「ね、紗綴ちゃん」
――その頃。
紗綴は仄かに機嫌が良く、穏やかな表情を浮かべていた。
通話が切れたスマホをテーブルに置く。
定位置になりつつある椅子を引き寄せて腰掛けた。
「あ、切れちゃった」
喫茶店の二階には碧羽と柊霞の姿もあり、少し眠気の漂うぼんやりした顔をしていた。
「今日、来ないって。それと今日の練習はなしだってさ」
「そうか」
「あ、そうだ。店員の件どう?柊も碧も」
そういえばそんなことも…言われてたな。
この店は紗綴目的の男性客が少し多い。
そのせいか、女性客の割合が四割程度――。という実体で、多いとも、少な過ぎるともいえない微妙なラインだ。
ただ女性客も最近は少しずつ増えているらしく、多少は碧羽の影響もあるんだろう。
柊霞は紗綴から聞かされていた事を思い返していた。
同時に、正面に座る碧羽に自然と目が行く。
気付いた碧羽は、いつものスマイルに一段上の笑顔が乗っかる。
「なーに…柊霞ちゃん。俺の顔、じーっと見ちゃって!…あ、――惚れちったぽいね」
「…」
面倒い。
「えぇ無視、むし。紗綴はー?どう思う?」
「うーん……ナイス営業スマイル」
紗綴の遠慮ない返しに、碧羽は流し目だけ送ってすぐに表情を戻す。
「――ま、気分は悪くないけどさ」
営業スマイルは上手だろうな…碧羽は。
多少の胡散臭さも感じさせない程には……ある意味才能だな。
「あ、俺は全然いいよ。もう既に何度か経験済みだし」
紗綴を見つめるように見て話す碧羽だったが、二人の視線は柊霞に突然向けられた。
「まぁ……んン⋯」
渋る柊霞に、
「鈴をその日は連れてくるよ。土曜なら。多分ね」
と紗綴は、すでに巧みな策略を立てていたらしい。
「土曜ならやる」
紗綴の言葉にかぶせるように、柊霞は短く返す。
その返事は、策略に気づいた上で答えた。
正面の碧羽は口元が緩み、目元には細くシワが寄っている。
誂うような碧羽の表情に、柊霞は腹が少し立つ。
それでも、否定はできなかった。
「やったね。売り上げどれぐらいかなぁ期待しておこっと」
笑顔の紗綴の表情が静止し、「あっ」と、目が大きく開かれた。
「あとさ、特に柊。鈴に名前言った?」
「名前、…言ってない」
「あ、俺も言ってない。鈴ちゃんのだけ聞いたって感じだったし」
そもそもちゃんとした自己紹介さえもない。
とは言っても、改めてっていうのも……なんだか…違う。
でも、――聞きたいな。
「……呼んでほしい――っあ」
無意識に出た言葉に自分でも驚く。
スッと口に手を当て、視線も逸らす。
「え、柊もしかして」
「あら。柊霞君。それは、それは」
一瞬たりとも聞き逃さない地獄耳の二人。
紗綴と碧羽は、互いに目を合わせて企みの笑顔を浮かべた。
案の定の反応に柊霞はスルーし、顔を伏せる。
テーブルに腕を敷き、顔を見せないように手すり側に首を傾ける。
ほんのりと春を彩らせる頬をした柊霞は「うるさい」とぼやいた。
✢¦✢




