買われた婿
デイジーには買われた婿と呼ばれる婚約者がいる。
婚約者は文武両道、頭脳明晰で見た目も麗しい。
そのために女性に大人気でよく嫌味なども飛び交う。
だがいきなり現れた少女に「解放しろ。」なんて言われるとは思ってもみなかった。
お金で買われたと言われる婚約者を持つ令嬢とその婚約者による『真実の愛』について。
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「デイジー様!いい加減ノアール様を解放してください!」
目の前の可憐なと言われそうな小柄な女生徒が叫んでくる。
解放とは一体なんなのか?
私は公爵家の娘。目の前にいるのは子爵家を筆頭に男爵家や騎士爵、平民はさすがにいないが低位の爵位の者達ばかり。
あ、後ろに弱小の伯爵家もいた。
なんの伺いもなしにいきなり来た無礼な者達は、好き放題に叫んで周りの注目を集めている。
今日は所用のために友人とも婚約者とも別で昼食をとっていたせいで、誰も味方がいないと思ったのか、ゾロゾロと引き連れて来たようだ。
一対一では何もできない弱者がよく吠えること。
本当にどうしようもない者達のようだ。
いい加減注意しようかと思い口を開こうとしたら、近くまで急いで来たらしい婚約者が堂々と遮った。
「これはこれは、コランバイン嬢とその取り巻きの皆さまお揃いで。
我が愛しの婚約者であるデイジーに対して何か御用で?」
「ノアール様!そんな家名でなんて他人行儀なこと!私のことはロベリアと!」
ノアールが話すとキラキラした目をしながらまた叫ぶ愚か者。
ノアールがボソッと『話が通じんバカめが。』と毒づく。
まぁ目の前の愚かな令嬢はノアールの顔に釘付けで周りが見えていない。
確かにノアールの顔はいい。が、性格もいい性格をしているのは、親しい者ならわかっている。
今も笑顔の裏で様々な考えを巡らせて目の前の愚かな令嬢達を貶める算段をしているのだろう。
彼を呼びに行ったであろう友人のローダンセ子爵令息は、ノアールを呼びに行ってそのまま戻って来ていない。
確か彼は後ろにいる伯爵家の次女との婚約の話が出ていたはず。
そのまま自分の家にこの顛末を告げに行っているか、手紙でも認めているのだろう。
彼と彼女の婚約は彼女と彼女の家からの強いアプローチだと聞いているから、多分流れるのは言うまでもない。
「貴女とは幼少期に2度ほど家の関係でお会いしましたが親しい関係ではありません。
私のことも家名でお呼びください。コランバイン嬢。」
「そんな私達は幼馴染で!」
2回会っただけで幼馴染とは。
それなら私だってノアールとは幼馴染になるだろう。
だって…。
「先程も言いましたが私達にそのような関係はありません。一方的に貴女がそう思っていたところで私は認めません。」
「そんな!?」
「それに私の幼馴染は私の婚約者でもあるデイジーとその兄君、そして公爵家の訓練に一緒に参加していた者達です。
貴女のことなどさして知りませんよ。」
「そんな…っ。」
そう、うちは独自の騎士団も持ち、その訓練生や家のために奉公に出る者達を受け入れている。
彼の家は10年以上前の災害やその復興のために貧しく、家のために幼少期から奉公に出ていた。その上で訓練にも参加していた努力家だ。
私や兄とは遊び友達としても育った。
つまり正真正銘の幼馴染に当たる。
彼は努力し自身の価値を高めてうちに売り込んで来た強者でもある。
だから父は最終的には彼を婚約者に認めたし、次期公爵の兄も認めている。
一部では金で買われた婿などと謗りを受けているけれど、その程度の言葉など彼には然したることもない。
「それに貴女の父親は幼少期の私に向かって、『見てくれは良いが、たかが貧乏伯爵家の次男にうちの娘はやれんな。
もっと価値を高めた後なら考えても良いが。』などと言い放ち、我が家を蔑んでいました。」
「そんな私の父が…?」
「成金子爵家はお金はありましたからねぇ。
我が家が援助を頼んだ際にね、そんなことを平気で言い放ったんですよ。
しかもうちは別に貴女の家に婿に入りたいなどと一言も言ってもなかったのに。
大方、私の見てくれだけを好んだ好色な貴女が私との婚約を望んだのでしょう?」
「見てくれだけなんて!そんな!」
彼女がノアールの見た目にうっとりしている姿は見ている人は見ているだろうから、それなりに知られている事実だとは思うが。
だが私は彼の狡猾さや腹黒さも好んでいる。
彼は自身の価値を高めるための努力も怠らないところも。
腹黒さはあれど高位貴族には必要なものだ。
清濁併呑できないものは自然と淘汰される。
だがノブレスオブリージュの精神もきちんと持ち、義務と権利を混同せずきちんとやるべきことはやっている。
彼の魅力は見た目を遥かに凌駕するその中身に本質があるのだ。
「ですが、貴女の父親には感謝していることもあるのです。」
「感謝…?」
「えぇ。貴女の父親の言葉は、私に“自分の価値を高めれば高く買ってくれる人がいる”のだと教えてくれたのですから。
ですから私は自分の価値を高めるために努力してその結果が今なのです。」
「それは私のために…」
「そんな事実はどこにもありません。
私の努力は私と私の家族や領民、そしてデイジーとそのご家族達のためにあるものです。
間違っても貴女のような愚か者のためではない!」
「っ!」
珍しく怒気を表す彼は相当怒っていたのだろう。
目の前の愚か者やその家族に。
怜悧な美貌を持つノアールは普段は無害を装った柔和な表情をしているが、今はそれが鳴りを潜めてその怜悧さを全面に出した冷たい瞳で睨んでいる。
蛇に睨まれた蛙のように動けなくなったらしい彼女は、腰が抜けたようでへたり込んでいる。
この程度でへたり込むような柔な精神でよくもまあ私に楯突いて来たものだ。
一緒にいる取り巻きも顔を青ざめて震えている。
「ねぇ、ノアール。」
「何でしょう、我が愛しの婚約者デイジー様。」
「彼女達は“愛”があれば生きていけるそうなんだけど。」
「へぇ。」
「彼女達に愛だけで生きるようにさせようかと思っているのだけど、可能かしら?」
「それは私も犠牲になれと?望んでもいないのに?」
「そうね。私は確かにお金で貴方を買ったようなものだったから、貴方が望むのなら彼女との“愛だけ”の生活を薦めようかとも思ったのよ。でも貴方がそれを求めていないのなら無理よね?」
愛だけで腹が膨れるわけではない事を彼は誰よりも知っている。
何故なら彼は彼の家族に愛されているから。
それでもお互いの愛だけでは解決しないことが世の中には腐るほどあることを知ってしまっている。
だから目の前の彼女の言葉を絶対に肯定しない。愛だけなんて彼には無意味だから。
「私に死ねと仰っているのでしょうか?
私の愛は貴女のためにあってこの愚か者のためには欠片もありません。」
「そうよね。」
「えぇ、周りも誤解している者もいるようですから、この際はっきりと宣言します。
私は確かにお金で買われた立場ではあります。ですがそれは私から強引に売り込んだ結果でしかありません。
私から買ってくださいと頼んだから私は今の立場にいます。
その結果、私の実家は立て直しができ、領地も少しずつ豊かになりました。
貧乏伯爵家と謗りを受けることもなくなっていくでしょう。
買って下さって先行投資をしてくださった公爵家には感謝しかありません。
そして私は買われた立場でありながら、烏滸がましくもデイジー様を愛してしまいました。
お金だけでなく愛まで乞いました。
それが私、ノアール・ブラックなのです。」
堂々と結構な事を宣言する彼は肝が据わっている。
まぁそうなのだ。私達の間には金銭や援助だけでなく純然たる愛や恋があるのだ。
勝手に周りは私達の間には愛がないと言っているが、そんなことはない。
むしろガンガンに押して来たのは彼の方だった。
へたり込む彼女はノアールの言葉に顔色を青から白に変化させ、茫然自失と言った表情でいる。
私達の間にないと思い込んでいた愛があった。
彼女を支える根本が崩れ去った。
残ったものは身分が上の私達への侮辱行為。
彼女と彼女の言葉に乗せられて加勢した取り巻きの将来は暗いものになるだろう。
家も潰されてしまうかもしれない。
爵位の返上もあるやもしれない。
「ねぇ、コランバイン嬢。
貴女の言う愛は重要かもしれません。
ですが愛だけでお腹は膨れません。
昔、貴女の父親が我が家の援助を拒まなければ、救えたものもあった。それを踏み潰しておいて、貴女の父親は今更ながらに私に擦り寄って来ましたよ。厚顔無恥にもね。」
「…。」
「知ってましたか?貴女の家は昔ほど裕福でない事を。」
「…?」
「まぁそうでしょうね。一人娘でありながら領地経営科に進まず、淑女科でも落ちこぼれ。見た目に騙された男どもに愛玩動物として可愛がられて調子に乗った貴女では貴女の家はすぐにでも没落するでしょうね。」
「…!」
「そしてその女の言葉に便乗した後ろにいる貴女達も同じく…ね。」
「「「「!!!」」」」
まぁ子爵家は成金で調子に乗りすぎて周りからそっぽを向かれた自業自得でしかないのだけど。次代も彼女のような愚か者であれば没落待ったなしでしょうしね。
「まぁ平民になれば愛だけを求めても周りに然程影響はありませんから、お好きになさったら良いかと。
ただ貴女達が夢見るような甘い生活は無理でしょうけどね。」
「そうね、今のように周りに何でもしてもらって、働かずとも衣食住も保証されている生活の上にある愛のある生活はもはや幻となるでしょうね。
場合によっては侮辱罪で牢屋に入れられても仕方ない事をしでかしている自覚もない愚かさは、この貴族社会には不要なもの。
いつまで生きていられるかしら?」
そう、この社会の根本を揺るがすような発言は元々問題視されていた。
今回は特に目立って私を侮辱した。
私が死を命じずとも周りが忖度をして実家もじわじわ締め殺されていくことになる。
場合によっては私を侮辱した事をきっかけに社会を混乱させた罪として投獄・処刑もあるやも?
それは上の者が判断するだろうけど。
「さて、もうそろそろ先生方が到着するでしょう。
言い訳は反省室でされると良いでしょう。
そこから先がどうなるか我々にもわかりませんが、私は貴女達の顔など二度と見たくはない。とだけお伝えしておきましょう。」
公爵家の娘の婚約者で、父や兄の覚えもいい彼が見たくないと宣言した。
つまりはこれからの社交界には出てくるなという事だ。
彼自身にそこまでの権力はないけれど、彼の言った言葉は我が家の代行。
つまりは公爵家の総意を彼がこの場で代表して述べたまで。それは周りも気づいてる。
そのためにこれからの社交界に出られないと言うこと。
私の母は王妹。父は公爵。
国王陛下はもちろん王妃陛下とも仲の良い母を敵に回せばさもありなん。
王宮や高位貴族が行なう茶会、夜会は軒並みアウト。
王宮が無理ならデビュタントも無理だという事。まぁデビュタントは貴族の義務でできなくはないけれど、彼女達の家が真っ当ならデビューさせずに領地に蟄居や平民にするか修道院に押し込めるかするだろう。
つまり社交界デビューが絶望的。
貴族として残れたり誰か権力者の愛人になれれば、小さな地方の社交界には誰かの付き添い程度で出られるかもしれない。
まぁその辺りはその社交界のルールによるが。
ちなみに修道院は敬虔な信者が修行のために静謐に暮らすところで、貴族子女の問題児のゴミ箱じゃないけれど、都会から離れたところにある事が多いので、寄付金を積んで熱りが冷めるまでしばらく預かってもらうというのが正しい。
そこで目が覚めてそのまま修道女や修道士として暮らすものもいれば、手がつけられずに牢屋行きになる者もいる。
平民となってある意味自由に暮らす者もいるだろう。
ただし、基本的には一度入ったら貴族には戻れない。
例外は政治的な問題で最初から修道院への進路が決まっていた王族やそれに連なる者、何か問題を犯して入ったわけではない何かしらの問題で一時避難として所属した者など。
彼ら彼女らはまた政治的、家の存続などの問題で帰家することがある。
まぁそこまで多くはないのだけれど。
「デイジーから言うことはありますか?」
「…そうね。
ねぇ、目の前のお馬鹿さん。
とりあえず私達の間には貴女達の主張する愛があるみたい。
だからノアールは解放しないわ。彼も解放を望んでいないしね。
これでいいかしら?」
目の前の彼女の焦点は合わず、ただ私が一方的に主張しただけだけど、少しは溜飲が下がる気持ちだ。
向こうからローダンセ子爵令息がやって来るのが見えた。
そういえば…。
「最後に。」
「えっ?」
もう終わりかと思っていたところに声をかけた私に周りが少し驚く。
「えぇ、最後に。ねぇ貴女達は私が身分を笠に着てノアールを囲っている様なことを言ってたけれど。」
「そんな事実はどこにもありませんがね。」
「えぇそうね。でも貴女達の中に同じような事をしている方がいらっしゃるけど、そちらにはご注意なさらないの?」
「はっ?」
本当に知らないらしいわ。
本人が事実を捻じ曲げているのか、自分でも理解していないのか。
「そこにいらっしゃるローダンセ子爵令息様は、格上のナーシサス伯爵家から身分を笠に着て婚約の打診を何度もされているそうよ?
ねぇ、ローダンセ子爵令息様?」
「えぇそうですね。私にはお相手がいると何度もお断りしていますが、いかんせん聞く耳を持ってくださらないので、困っておりました。」
「そんなっ!」
今まで後ろにいたナーシサス伯爵令嬢が思わず声を出す。
噂に聞くに彼女はローダンセ子爵令息と相思相愛で、でも婚約がなかなか進まないとか言っているらしい。
彼女も十分に愚かな者なのだろう。
まぁそうでなければこんなところにいないだろうけど。
「確かお相手は隣国の有数の伯爵家のご令嬢なのでしょう?」
「えぇ。彼女の叔母上様がこちら出身の方でその縁で幼少期から交流しておりました。
まだ婚約が整っていなかったのは、私の能力を試すためであり、しかしながら婚約は元々ほぼ決まっておりました。」
「合格を頂いていた矢先に横槍が入ったとお聞きしましたが。」
「えぇ、その通りです。こちらはお断りしても諦めて貰えず、正式に婚約が整うまでのらりくらりと逃げるしか…。」
「まさか…そんな…。」
国を跨ぐ貴族同士の婚約であるため少し時間がかかってしまうのだろう。
その隙を狙われた形で、横槍を入れた彼女の方が爵位が高いのもあってなかなか手を焼いていると聞いている。
その彼女は自分達の言った事が、自分に返ってきた驚きと彼からの言葉にショックを受けている様。
「ねぇ?彼女のやっていることは貴女達が嫌悪し、私を貶めるために主張した愛のない婚約の強要に当たらないのかしら?」
「それは…その…。」
「…。」
まさか自分達の中にそんな裏切り者がいたなんてねぇ?
まぁナーシサス令嬢が主張していることは事実と真逆の様だから知らなかったのでしょうけど。
「ねぇ、今周りにいらっしゃる方々。
ローダンセ子爵令息様とナーシサス伯爵令嬢様が仲良くされているところを見たことがあったかしら?」
私の言葉に周りがざわつくが、誰も2人の仲睦まじい姿は見ていない様だ。
それもそのはず、ローダンセ子爵令息は誰に対しても丁寧だが、特定の女性はこの学園にはいなかったのだから。
「ねぇ、その他の方々。私より身分は低くとも貴女方とて貴族。
貴女方より低い身分の婚約者のいらっしゃる場合、貴女達には愛があるのかしら?」
「それは…。」
自分達の主張が自分達に返ってくると人は動揺してしまうだろう。
すぐには答えられない様。
そういえばロベリアの右横にいる男爵家の長女は爵位は同じでも家格が劣る婚約者がいたんじゃなかったかしら?
左側にいる別の男爵の一人娘には平民で裕福な婚約者候補がいたと聞いたけれど?
「貴女達のことを私の方も把握してますのよ?ねぇ、ノアール。」
「えぇ。ルコウソウ男爵令嬢は同じ男爵家の嫡男との婚約がありましたね。
爵位は同じでも男性側の方が家格が低いので、よく相手側を貶める様なことをおっしゃってるそうで。」
「そんなことありません!私とホスタは幼馴染でいつものじゃれ合いです!」
「ですがお相手の方が貴女の言葉に知らず知らずのうちに傷ついていた様ですよ。
何度か仲間内に解消を仄めかしていましたからね。」
「…そんな!」
「今回の騒動で彼から切られてしまうかもしれませんね。」
「…っ!」
「その場合は貴女と彼の間にも愛はなかったようですから、さっき貴女方の言った言葉が貴女にもそのまま返ってくることになりますねぇ。その時が楽しみだ。」
「あ…あぁ…。」
ノアールの嘲りにショックを受けてルコウソウ男爵令嬢が震えながらへたり込む。
ノアールの腹黒さに周りも慄いているがこの程度は普通だろう。
「グリーンベル男爵令嬢にはクルクマ商会の次男との婚約が出ていた様ですけど、グリーンベル家がクルクマ商会に婿に貰ってやるから融通利かせろと随分と酷い事をしていた様ですね。」
「あら、ローダンセ様はクルクマ商会と懇意で?」
「えぇ、私の家が提携しているところでして。長男のスギとも次男のネズとも交流が。」
「あら流石の人脈ですわね。」
「お褒めに与り光栄です。これからもよしなに。」
「えぇ、ノアールともね。」
「もちろんです。」
ローダンセ子爵家も商家の顔を持つ家。
国内外に人脈は多く、ノアールと同じく彼も彼でいい性格をしている。
「そんなの嘘です!ネズが私を愛してくれているから婚約を…!」
「そのネズから僕の家にヘルプが来てましてね。
好きでもない女から付き纏われ、婚約者にしてやると高飛車に言われて辟易していると。」
「そんな!嘘よ!嘘よ!」
男爵家の一人娘として大事に育てられてきたのでしょうけど、婿を取って爵位を継ぐには幼い様で、家と家からの躾の質の悪さが露呈している。
「ネズは商会に相思相愛の彼女がいて、その彼女と既に婚約しているのにごり押ししてきたんだろう?」
「あれは私のものを狙う泥棒よ!」
「もう勝手に言ってろ。今回のことでお前は一人娘であっても爵位が継げなくなるだろうから、お前の圧力なんて意味がなくなるからな。」
誰にでも丁寧なローダンセ様がお前と言うなんて。
相当面倒な女性なのだろう。目の前で喚く彼女は。
「不幸な被害者を生まないためにも、私もお力になるわ。」
「そう言って頂けてありがとう存じます。
ネズも不要な悩みから解放される事でしょう。」
「そのかわりに我々には融通を利かせろよ。シオン。」
「もちろんだとも!」
シオンはローダンセ子爵令息のこと。
ノアールとローダンセ様の間に何かしらの密約が交わされた。
まぁローダンセ様は爵位こそ低いが優秀で素晴らしい方だから、ぜひノアールとの友誼を続けてもらいたい。
ロベリアが引き連れてきた取り巻きは皆、一方的な愛だけを持ち、それを棚に上げて私を糾弾していたのだ。
もう滑稽でしかない。喜劇にもならない陳腐さで周りも白けている感じだ。
もちろん、元凶のロベリアもまた一方的な愛で押しかけた愚か者だけど。
自分の仲間が仲間じゃなくなっていく様子をまざまざと見せられ、周りからの冷たい視線についにロベリアは下を向いて泣いている様だ。
だが誰も助けない。
彼女の取り巻きも自分のことでいっぱいいっぱいだ。
こんな公の場で騒ぎを起こしているから、しっぺ返しが来るのだ。
少なくともこんな場を使うのは愚かでしかない。
大方、私の罪とやらを暴き糾弾して周りを味方につける算段だったのだろうけど、公爵家の令嬢である私を敵に回して良いことなんてないのくらい、多少の頭脳があればわかること。
しかもノアールは私への気持ちを隠していなかった。
それにも関わらず集団でやってきて一方的に言いがかりをつけてくるのだから、見たいものしか見えない盲目なのだろう。
一度病院に入れた方が周りのためだと思う。
「私とノアールの間には確かに身分の壁があるわ。下位の貴女達とその婚約者(?)の間よりも高い壁が。
伯爵家と公爵家ですもの。
高位貴族の一員とはいえ彼は伯爵家の次男。
残酷だけどどうしたってね。
でもそれでも彼は実力と私への愛で勝ち取った。周りの雑音を跳ね除けても来たわ。
私の方が爵位が上だけど、私は彼を大事に思うし愛しているわ。」
「それはもちろんなことです。」
「ねぇ貴女達は勝手な想像とコランバイン嬢の言い分だけで判断して、彼と私の努力を無にしたの。無駄だと言ったの。
貴女達に私達の何がわかるのかしら?」
聞いたところで答えなんて返って来ないだろう。
高位貴族との交流も然程ない低位貴族のクラスでしかも皆んな殆ど落ちこぼれ。
自己都合だけでのさばる愚か者に考える頭があるとは思えない。
まぁ反省は反省室で好きなだけすればいい。
その反省室すらスルーされて退学になったところで心が痛むこともない。
それくらいこの貴族社会では彼女達は不要だということ。
もちろん若気の至りで温情がないとは言えないけれど、もともとの態度も悪かったので学園から不要とされる可能性は高い。
貴族の端くれとはいえ、彼女達は周りに生かされているのだから、その分の教養やマナーなどが求められるのだ。
それがわからない様なら好きにしろと放逐されても仕方ない。
それくらいシビアな世界なのだから。
そのままへたり込んだ状態から、私の話を到着しても見守っていた教師と守衛に強引に引きずられていくのを横目に昼食後の紅茶を頂く。
引きずられていく彼女達は、絶望感を顔に全面に出して周りを見渡すが、直ぐに誰もが助けてくれないと気づいた様で大人しく連れて行かれた。
まぁ自分の根幹を支える主張がなくなればポッキリと折れるのも仕方ない。
本当に甘い考えのお子様の相手は疲れるものだ。
あれを学園に通う年齢に達したとしてここに入れた家にももちろん相応の対応はせねばならない。
これから無駄に増える後始末に嫌気がさす。
まぁ私ができることはそこまで多くないが、父や兄には面倒をかけることになるので申し訳なく思う。
これは帰りにスイーツでも買って来てもらおうかしら。なんて考えてると、彼の手が私の前に示される。
「あと10分ほどで午後の授業ですので。」
「あらエスコート?ありがとう。」
「帰りには最近評判のスイーツを買って帰りましょう。」
「あら?私の心が読めたのかしら?」
「何年貴女の隣にいると思っておいでで?」
「ふふふ、それもそうね。」
言わなくても通じることもある。
でも言わないとわからないこともある。
私達は今までお互い言葉を重ねて時に感情もぶつけて今に至る。
でも学園での普段の淡々としている様子が、対外的にはそっけないように見えたのかもしれない。
そして買われた婿という言葉が一人歩きして周りがその言葉に振り回された。
今回はそこに一方的な執着の様な思慕も混ざって問題が大きくなってしまった。
だが噂を鵜呑みにして学園は平等だからと罵るのは愚の骨頂。
例えその場は収められても卒業後はどうするのか?
いや、平等に学問を受けられる権利はあれど、この貴族社会において学園の中が治外法権にはならない。
見えないが明確に線引きがあるのだ。
ある程度若さを免罪符に自由を少しだけ与えられているだけ。
それを見誤って間違いを犯した。
今回の彼女達のやったことは人身御供のように晒されることになるだろう。
特にノアールは主犯の彼女の家との因縁があった。今まで我慢して来たこともあって、とことん追い詰めることになるだろう。
運が悪かったのかもしれない。
自分の愚かさが不運を呼び、その不運が重なって彼女達はここまで来た様にも思える。
主犯のロベリアの親が真っ当であれば救いの手が差し伸べられるだろうが、それも現状どうなることやら。
彼女の方が取り巻きができるくらいなので、親よりも案外人望があるのかもしれない。
周りの取り巻きの家も真っ当であれば温情は出るかもしれない。
その辺りは私にも読めない。
ここから先は私が関与できることは少ない。
まぁ侮辱はされたが、実際のところあの程度は微風の様なものだ。
お馬鹿な人間が自滅するために喚いていただけ。
社交界の落とし合いはもっと苛烈で鮮烈だ。
我が父は若い頃それはそれは人気があった。
母は王妹ではあったけれど、地味だなんだと言われていた。
当時は現在の国王陛下の兄が王太子であった。だが愚かにも大勢の前で婚約者を貶めて婚約破棄を宣言しようとした。
愚かな女と側近を引き連れて。
まぁ王家の調査でその企みは事前に阻止されたが、結果、王太子は病気療養と偽られ毒杯を賜り、唆した女は斬首、家は取り潰し。側近は家が二階級降格の上に廃嫡と罪人として強制労働が命じられた。
騎士家系の子息は5年の強制労働後に父親に斬られて最終的に一家心中。
宰相の息子は逃げようとしたせいで、両親が責任を取って毒杯を申し入れた。
真面目なご両親だったのに息子が愚かだったせいで、毒杯を賜った。
息子に労働は難しいので男娼としての役割を与えられプライドの高さに心が壊れた。
最後はお前の愚かさで両親が既に毒杯を賜り死んだと聞かされて錯乱し、頭を壁に自分で打ち付けて自死した。
その他も環境に耐えられずに早く亡くなった。
そう言ったことがあったために、既に臣下として下る予定だった国王陛下が、元王太子の婚約者を娶り立太子する羽目となった。
国王陛下にはまだ婚約者がいなかったので、未来の王太子妃として教育を受けてきた王妃陛下(当時は国内有数の侯爵家令嬢)が支える形で収まったのだ。
先の王太子と王女だった母は折り合いが悪く馬鹿にされていたため周りも追随していた。が、新たに立太子した現国王陛下と母は仲がよく、一気に社交界の勢力図が変わったのだ。
王妃陛下も元婚約者に貶められていたせいで、周りも軽んじていたが、母はそんな彼女を励まして支えていた。
2人は現在も社交界のトップに君臨している。
王太子の交代でかなり変わった勢力図にあぶれた愚か者は淘汰されたと聞く。
それを秘密裏に排除したのは母と王妃陛下。
2人は爪を研ぎ澄まし耐えていたのだ。
母と王妃陛下は、愚か者を王太子にしていた前国王陛下と王妃の排除も早めに行った。
前国王陛下は真っ当であったが、前王妃が愚かさを内包していたためにそちらを先に片付け、国王陛下の譲位まで前国王陛下を馬車馬の様に働かせたと言う。
私にとっては祖父母だが、祖父との交流はあれど祖母とは全くないので感情は薄い。
祖父は今でもアドバイザーの様な事をしていると聞く。
敢えて地方に住み、その様子を国王陛下に時折奏上して支えている様だ。
祖父である前国王陛下も不運から前王妃を娶ることになったので、仕方ないことではあったのだ。しかも側妃が取れない条件であった。
前王妃があまり役に立たないせいで、仕事が多く全てに手が回らなかったのだ。
そう云った様々なドロドロした裏事情を幼い時から知らされている私には、愛がどうのと叫ぶだけの小動物に傷つけられる物などないのだ。
彼女達はまだデビュタント前だった。
まぁそこは考慮の余地はあると一応は両親には伝えておこう。
まぁそれでも貴族として残れるとは思えないが。残っても周りからの悪意によって、あの程度の人間は潰されてしまうとも思えるし。
彼女達の愚かさのおかげでノアールからの熱烈な言葉も貰えたことだし、ローダンセ子爵家にもクルクマ商会にも恩が売れた。
ただ幼児が手に入らない玩具に駄々をこねている程度の癇癪を見せられて、その退屈さに疲れ、昼食の邪魔をされたことは多少の不愉快はあれど、メリットも多かったから。
少しの口添えで温情を与える慈悲深い令嬢として私の好感度が上がるのも理由としてはあった。
ふと思考から浮上して目の前の彼の顔を見ると、そこには険しい顔。頭の中はどうすれば彼女達を最大限に貶められるかの算段をしてるのだろう。
完全に気を逸らすわけではないけれど、確実に思考が中断するであろう質問を敢えて投げかけてみる。
「貴方は“買われた婿”と言われているけれど、それはいいのかしら?」
「先程も申しましたが、私は“自分から”“強引に売りつけて”買われた婿ですので。
高く売りつけてそれをお相手に言い値で買って頂いた果報者です。
私にとってその称号は自慢にすれど謗りにはなりません。」
「本当に貴方らしいわ。
そんな貴方ならあの彼女達の愚かさは、まだ社交界の本当の恐ろしさを知らない幼さ故のものだという事くらいわかるでしょう?」
私からの擁護の言葉に不意を突かれた様な顔をするのが何だか可愛らしく思う。
そのあとの少し拗ねた様な表情も。
「幼さに免じてという事でしょうか?」
「まぁある程度の罰は必要よ。周りに示しがつかないもの。
貴方は彼女にウンザリしていたでしょうけど、それは彼女には彼女の愚かな親という下駄を履かせられていたせいでもあるわ。」
「確かにそれはあるでしょうが。」
「潰してしまうことは私達の身分なら簡単よ。でも一欠片の救いを与える寛大さもなければ…ね?」
何でもかんでも潰してしまえば良いということでもない。
今回の場合は自身で問題を大きくしてしまった彼女達の自己責任はあるけれど、多少の救いもないと無駄に周囲に恐怖を与えてしまう。それは私達にとっても損になるのではないか。
「わかりました。私は買われた婿です。
貴女の愛を希う従僕です。
貴女がそれを願うなら少しは手心を加えましょう。ですがそれは今回のみです。」
「えぇ分かっているわ。」
そう彼は買われた婿。
お金、地位、権力、そして私の愛までも欲しがる強欲。
でも本当は優しさを持つ青年でもある。
彼だって本当は完膚なきまでに倒そうと本当は思ってないはず。嫌悪感はあっても。
若さ故の暴走として免罪符を与える一欠片の優しさは、完璧であろうとする彼には今は必要な事。
苛烈さだけを全面に出すにはまだ私も彼も若い。
そこは親にある程度任せて、若輩者としてとして一歩引くこともあって良いのではないか。
彼は私と結婚して最終的には私の家が持つ伯爵位になる。
彼は私が女伯、自分はその伴侶として支えると言ってくれている。
私と爵位を継いだ時には苛烈さは必要ではあるが、まだ学生の身。
少しくらいの余裕と甘さを持っても、決定的な事をしなければどうにでもなる。
私は彼の強欲さと腹黒さも愛している。でもできればそれを発揮し過ぎる機会は多くしたくない。
それで彼の精神が少しでも傷つくのは嫌だから。周りの悪意が彼に集中するのは嫌だから。
悪意に晒されて何でもない顔をさせるくらいなら少しの温情を与えても良いだろう。
それで揺らぐ様なものは持っていない。
私のエゴで傲慢さではあるけれど、仕方ないのだ。
彼は私に買われた婿なのだから、主人である私のモノなのだから。