00.プロローグ
百年に渡る魔族との争いも、もう間もなく終わりを迎えるだろう。
異世界より召喚された勇者が、ついに魔族の最終拠点にたどり着いたらしい。魔族には魔族の長を護る四人の幹部がいたが、いずれも勇者に瞬殺されたという。幹部一人で一国を滅ぼす力を持っているのだから、それを瞬殺とは余りに化物じみた力だ。
だからこそ――、勇者が最終拠点にたどり着いたという報せは、暗澹たる闇に包まれていた世界にとって希望の光となった。
魔王が死ねば全てが終わる。
魔王の眷属たちは魔王の死と同時に石と変わり、支配下に置かれ群れを成す魔物たちも離散し、ただの個体となる。
これでようやく死と隣合わせの毎日から解放される。
あと少しで魔族に怯えることのない日常がやってくる。
生まれてくる赤子は争いがない幸せな人生を全うすることができる。
あと少し、あと少し。
そのときが来るのは今日か明日か、それとも明後日か。
夢にまで見た平和な世がやってくる。
村も都市も王国も、この世界に住む誰もがそう信じて疑わなかった。
だが――、何事も予想通りにはいかないものだ。
いつもあと少しのところで希望は打ち砕かれてしまう。
「しかしまあ、最後の悪あがきって無粋なもんっすねえ」
「ええ――そうね、ほんとに。あーあ、折角こんな血なまぐさい毎日からオサラバできると思ったのに。なんだか華のない人生でしたわ」
「このまま睨み合いしていれば、諦めてくれねえかな。その間に勇者くんが魔王討伐してくれるっしょ。そしたらあいつらも勝手に死んじゃうんでしょ? あっー! 勇者くん何してんだよお。頑張れよお」
「ガラルド。そう言うな。勇者殿ひとりに全ての荷を背負わす訳にもいかんだろう。これもきっと我らに与えられた天命なのだ。ふふ、最後の戦いというわけだ。血が滾る」
「ガルニは相変わらず堅いなあ。最後の最後まで戦闘狂じゃねーかよ。でもまあ――、そうか天命か。俺たちみたいなのにも神様は役目を与えてくれたってことだろ? そう考えたら悪くないかもな」
「わたしはバイカル兄さんと一緒なら、なんでもいい」
勇者を召喚したアスターク王国。
王都アスタークを護る大外壁を背にし、彼らはそれぞれが心境を零した。
魔術師ガラルド、回復術師のアイシャ、戦士ガルニ、ハーフエルフのヘラ。
そして――、部隊長のバイカル。
アスターク王国、特別攻撃部隊の面々である。
あーだこーだと不満を口にしながらも皆の顔はどこか吹っ切れたように明るい。
(相変わらずだな――こいつらは)
長く共に時間を過ごしてきた仲間たち。
そんな彼らを見ながら、部隊長であるバイカルは静かに笑った。
(時間の流れはなんと早いものだろうか――、俺たちも随分と歳をとったものだ)
バイカルと彼らが出会ってから今日まで約十年。
王国特別攻撃部隊は『人を超えた異能を持つ者たち』として、勇者の登場まで魔族の進行を食い止めてきた。それぞれは生まれ持った優れた魔力量と天賦の才を買われ、全世界からかき集められた者たちだ。かつては十名のメンバーがいたが、ひとりの魔族幹部を討伐する際に半分にまで数を減らしてしまっていた。
命を落とした仲間たち、ロザリー、アスター、ルークス、ワイルダー、ザバス――、犠牲となったかつての友のことを、バスカルは一日たりとも忘れたことはない。国を守るために勇敢に立ち向かい、四肢を欠損し、血反吐を吐きながらも魔族幹部に食らいついたあの決死の姿を、いつか伝記として残そうと決めてもいた。
しかし、その目標を叶えることは出来そうになかった。
すまんな――、とバイカルはかつての友たちに謝罪した。
「どうしました? バイカル兄さん」
「いいや、なんでもない」
ふと天を仰げば、青空に流れる羊雲が季節の変わり目を教えてくれていた。
もう間もなく眩い太陽が降り注ぐ気持ちのよい季節がやってくる。
「あーあ。なんで俺たちじゃ駄目だったんだ。勇者くんとそんなに実力が違うんかよ~。俺もちやほやされたかったぜ」
叫んだのは魔法使いガラルド。
(こんなときいつも文句ばかり言ってたくせにな――野良犬みたいだったガラルドも立派になったものだ)
「無理よ、無理無理。あたしたちじゃ、あの子にはどうやっても勝てないでしょうね。だってあれはバケモンだもの。でも……結構可愛い顔してたから、わたしてきには? バケモンでも好物なんだけれど」
恍惚の表情を浮かべたのは回復術師アイシャ。
(アイシャには世話になったな。一番年上だからと、いつも気苦労かけてしまったが)
「私は一度手合わせしてみたかったものだがな。剣の実力も相当なのだろう? ああ、なんと惜しいことか」
唸ったのは戦士ガルニ。
(戦い、戦いと言っているが早くアイシャとくっつけば良いものを。戦い以上に素晴らしいものがあるともっと早く教えてやればよかったな)
「勇者なんてどうでもいい。バイカル兄さんがいればいい」
興味無さげに呟いたのはハーフエルフ ヘラ。
(この子はまだ若い。エルフのことも、人のことも、もっと広い世界を教えてやりたかった)
残った仲間たち。
バイカルは生まれたときから親も身内もおらず、気づけばひとりで魔物の死骸を食って生き延びてきた。王都のはずれにある廃神殿に住み着き、死んだ兵士の鎧を剥ぎ金と変えるといった禁忌を侵しながら一人きりで生きてきた。だからこそ、バイカルにとって彼らは初めての仲間であり家族だった。
特別攻撃部隊は魔王が死ねば、その任を終える。
戦うことを強制されることもなく穏やかに生きていくことができる。
残った者たちで世界を旅してみようか、そのようにバイカルは考えていた。
使う暇のなかった報酬は、十年は遊んで暮らせるほどに溜まっている。
ちょっと良い馬車を買って、五人で世界を旅する。
見知らぬ街や村を訪ねよう。
世界には湖の中に浮かぶ街や神秘的なエルフの村、天高く聳え立つ古代の塔があるらしい。
見たことのないモノを食べてみよう。
霜の振った肉、瘴気の匂いがつかない新鮮な野菜を食べてみたい。
戦うことを忘れて今まで知ることのなかった世界を見てまわろう。
のんびりと空を見上げながらゆっくりと進んでいこう。
(ああ――、きっと楽しい旅になる)
叶うことのない夢物語を妄想すると、胸に込み上げてくるものがあった。
しかし、現実とは残酷なものだ。
風が運んできた死の匂いがバスカルを現実に引き戻した。
「なあ――やっぱり死んじまうかな」
現実が目の前に迫りつつあることに誰しも気付いたことだろう。
大きく息を吐いたあとガラルドが言った。
誰も答えることが出来なかった。
しばしの間を置いて――
「たぶんな」とガルニが、
「そうかもね」とアイシャが、
「でしょうね」とヘラが、
声を揃えて言った。
大地が揺れているのを足の裏から感じ取った。
太陽で歪んだ地平線の先に顔を出した真っ黒な塊は、土煙をあげながら真っすぐに王都に向かってくる。
その距離およそ十キロ。
掲げた旗印は遠目からでも分かるほどの血の色をしていた。
――魔物の大行進。
終結した魔物たちの雄たけびが空気を震わせ大地を揺らす。
まるで黒い津波が全てを飲み込むように、地の果てから迫ってきているようだった。
「――最後の悪あがきか。命がけの特攻ってやつは全くとんでもねえもんだ」
魔物たちを見据えガラルドは言った。
「ふふ。びびってんの? 逃げたい? まあ逃げたって誰も何も言わないわよ。わたしたちが死んだことにさえすれば良いんだから」
「アイシャの馬鹿野郎。そんなんじゃ死んでったアイツらに顔向けできねーだろうがよ。……まあ、怖くないって言ったら嘘になるかもしれないけどな」
「冗談よ。わたしも少し怖いから、安心なさい」
「先に死なせはせん。アイシャもガラルドも俺が逝ってから逝かせてやる。なあに、王族貴族が避難するまでの短い時間だ。もしかすれば、全員生き延びることができるかもしれんぞ」
「お前より先には逝かねえよ馬鹿野郎。なあ、ガルニ、最後の勝負をしないか? 先に死んだ方の負けってやつだ。負けた方は、あの世で正座しながら後悔しときやがれ」
「なにそれ。言ってること、ガラルドおかしい」
「……うっせーな。さーて、いっちょやったりますか」
「ええ」
ガラルドが魔力を溜め始める。
アイシャが護符を詠唱し始める。
ガルニが剣を抜く。
ヘラが杖を振りかざし王都を囲う結界魔法を張る。
杖を握るその手は微かに震えていた。
魔物の数は約五千。
人並み以上の力を持った五人とは言え、五千もの大群を相手にするのはあまりに無謀な戦いだ。『時間を稼いでほしい』と王命を受けたときバイカルは膝から崩れ落ちそうなほどの絶望を味わった。
この任務は「死んでくれ」と、言っているようなもの。
もう少しで全部が終わるというのに、寸前まで平和な世界が見えているというのに、――何故これまで国の為に尽くしてきた自分たちが死なねばならないのか、憎しみさえも覚えた。
騎士団は王族貴族、王都の住民を引き連れ、隣接する商業都市に昨夜のうちから避難を進めている。
それでもまだ住民は多く王都に残ったままだ。
残った五人を引き連れて遠くに逃げてしまおうかとも考えた。
バイカルにとって本当の家族はここに残る五人だけ。
だからこそ、もう国の命に従う必要はないのではないかと。
仲間だけでも守ればそれで良いのではないかと。
しかし、その度に国の為に死んでいったかつての仲間たちのことが頭をよぎる。
王都に家族を残したままの者だっていた。
彼らは国のため、家族のために必死に戦ったのだ。
そんな彼らのことを考えると、何もかもを捨てて逃げる選択はない。
そしてまた勇者の存在も然り。
バイカルは勇者のことを詳しくは知らない。
まだ幼さの残る顔つきだったことくらいしか覚えてはいない。
しかし、強大な力を持っているとはいえ、突然異世界より魔王を討伐するためだけに召喚され、生活の全てを討伐だけに捧げるといった重荷とは如何ほどだろうかと考えてどうしても他人のようには思えなかった。
勇者も騎士たちも誰かの命を救っている。
誰もが役目を持っている。
奥歯が割れるほどに歯を噛み締め、悩み、そして辿り着いたひとつの答え。
見慣れた仲間たちの顔をもう一度見、そして言う。
「ガラルド、お前は生き延びることが出来たら何をしたい?」
「ああ? なんだよ隊長、こんなときに!」
「まあ、そういうな。いいから」
「っあーもう。俺は自分だけの魔法書店をやりてえ! がきんちょ共に魔法のおもしろさってヤツを教えてやんだよ!」
「なにそれ、あんた意外とファンシーなところあんのね」
「うるせーアイシャ!」
「そうか。お前は誰よりも魔法については熱心だったからな。面白い夢じゃないか。アイシャはどうだ?」
「わたし? そうねえ。……その、母親になってみたいかしら。あの、主婦ってやつ? その憧れてんのよ。平和なママさん達の会に入ること」
「わはは! てめーだって、意外と乙女なところあんだな!」
「っ黙りなさい! ガラルド!」
「アイシャは孤児院育ちだったか。お前はきっと良い母親がやれるだろう。でも、父親はどうするんだ? なあ……ガルニ」
「ぬっ!? 俺か!? そんな……そのあれだな。まあそれも悪くはない!」
「アイシャとお前は良い家庭をつくれると思うけどな。ああ、生まれてくる赤ん坊が楽しみだ。さて、最後にヘラはどうしたいんだ?」
「私はバイカル兄さんと一緒ならなんでもいい」
「お前は昔からそうだな。半分はエルフの血が流れているんだろ? もっとこう、色々な世界を周って歴史を紡ぐとか遺跡を調べたいとかなんかないのか」
「ない。私はバイカル兄さんと一緒がいい」
――そうか、それは残念だ。
「ああ。俺もお前たちともっと一緒にいたかった。心を許した家族と穏やかな日を過ごしたかった。知らない世界を旅したかった」
「いったいどうしたの?」
ヘラが首を傾げる。
バイカルは大きく息を吸った。
魔物の発する瘴気でむせ返りそうな濃い空気も、今日はどこか新鮮だ。
息を吐くと同時、吼える。
チャンスは一瞬。
絶対に失敗することはできない。
「ガラルド! アイシャ! ガルニ! ヘラ! お前らは死ぬまで生き延びろ! 仲間たちの分まで幸せになれ! これが本当の命令だ!」
突然のことに、誰しも言葉の意味を理解できなかったようだ。
茫然と、バイカルを見つめていた。
一秒か、二秒か、世界から音が消えた。
いち早くバイカルの真意に気付いたのはヘラだった。
大きく目を見開き、全てを悟ったかのように叫んだ。
「――っ! やめて!! みんなバイカル兄さんを止めて!!」
刹那、握りしめた杖が眩く光る。
発せられたのは――、どんな魔法効果も打ち消す対抗魔法。
(さすがヘラだ。この魔法にはどれだけ助けられたことか。でも、この魔法はお前だけじゃ打ち破れなかっただろう)
対抗魔法は光の粒となり、空気の中に溶け込んでいった。
「これは――ギャプランの転移ッ!?」
「ギャプラン」という言葉は他のメンバーに異変を瞬時に理解させた。
魔物に向けられていた武器は手から落ち、全員がバイカルに駆け寄る。
「おい! 隊長! ふざけんな! やめろ! てめー何しようと、俺たちは隊長と――」
「バイカル! こんなことして――」
「ッ俺は! 俺はぁ!」
「やだ! やだやだやだ! 兄さん! バイカル――」
「じゃあな」
別れの言葉はこれ以上いらなかった。
「転移」
ポツリと言葉を紡ぐ。
メンバーたちの叫びが最後まで耳に届くことは無かった。
盛大なファンファーレが鳴り響くわけでもなく、ポッと気の抜ける音だけを残して――四人の姿は大外壁前から消え去った。
まるで初めからそこには誰もいなかったかのように。
残ったのはバイカルただひとりだけ。
「最期に見るのはいつも通りの顔が良かったんだけどなあ。まあ、これも仕方ない。許せ。しかし、俺が転移魔法を使えるなんて誰が思ったことやら」
にまりと笑う。
十人の仲間たちと共に戦い、犠牲を出しながらも魔族幹部ギャプランから勝利をもぎ取った。
『魔物を食って能力を得る』
数多くの天才たちに囲まれながらも、バイカルが隊長に抜擢された理由。
魔物を食って特異能力を得ても、特異能力を使えるのは一度きりというのだから不便極まりない能力。
だから――、魔王を倒すことも出来なかった、醜い能力。
腹を満たす為に魔物を食らい続けたせいか、何が理由でこんな禁忌に触れるような力を得たのか、バイカルには未だ分からない。
それでも、もしかすると、今日の為にこの力はバイカルに宿ったのかもしれない。
「オークに、トロールに、ワイバーン。まあこれはオールスターが勢ぞろいなことで。っと、能力のストック足りるかな」
魔物の軍勢は轟音を響かせながら、すぐそこまで迫っていた。
ひとりで任務を受けると言えばきっと誰もが反対したことだろう。
黙っていたとしても、十年も苦楽を共にしたのだ、それくらい容易に気付かれてしまう。
時間さえ稼げばいい。
であれば死を持ってすれば自分だけいれば十分だ。
「なあ――、みんな。これで良かっただろ」
再び天を仰いで、かつての仲間たちの顔を空に描く。
「そんな不満そうな顔をするなって。そっちに行ったらたっぷり説教聞いてやるよ」
深く息を吸い、吐く。
「さあて――、死に花咲かせにいくかぁあああああ!」
再び、吠えた。
単騎突進。
地面を抉り、真っ黒な塊に向かって駆けだした。
◇