人の行き交う街で
乗合馬車を乗り継ぎ故郷の都市から近い交易都市リューンと呼ばれる人族が多い街に来て一週間が経つ。この街に滞在を決めたのは、人が多く色々な情報が入ること、もう一つは孤高の賢者と呼ばれる者の情報を聞いたからだった。
孤高の賢者は、私の故郷へ向けて集まる魔物の動きを捉え、魔物の討伐をするよう冒険者関係機関や交易都市長などに訴えかけ多くの魔物を討伐させ、実力者であるレイド達一行には故郷の異変を伝えてると、すぐに向かうよう手配してくれていたらしいのだ。例え結果間に合わず、あのような惨事になっていても、私は一言お礼を言いたかった。
『リーフ、普通情報はコミュニケーションによって得るものよ?』
「いいの!気を使いながら酒場でミルク飲んで冒険者に馬鹿にされるよりずっと効率だっていいんだもん」
私は、まだお酒が飲めない。年齢的な面から言えば十五歳を超えれば自己責任なのだけれど、十五歳を超えて一年ちょっと経つけれど私は麦酒の苦みが好きになれず、葡萄酒の酸味には吐き気を覚え、蒸留酒に至っては立ち上る酒気で眩暈がした。
『馬鹿にされる度に宙を舞ってもらえばいいじゃない。浴びる邪気もなかなか美味しいもの』
「初日やったせいで、どのお店でも噂になって入り辛くなったの!」
反省はしたが後悔はしてない。思い出しても腹が立つ。
――「はははは、酒も飲めねぇ、色気も胸もねぇガキが俺様達になにが聞きてえよ」と話しかけた瞬間胸に手を伸ばして来た髭ヅラの糞野郎。言葉だけで殺意を芽生えさせ、触ろうとして芽生えた殺意を見事に育てあげたのだ。気持ち悪さで耳が逆立った。
髭?ええ、舞っていただきましたよ?それが何か?
聖女の嫉妬のお陰と育った殺意が晴れる程度には殺さずに滞空して頂きましたね。髭は死んでは無いけれど、多分今週来週に冒険に出られるとは思わないかな。
『彼だけにしておけば良かったのに、リーフったらノると更に素敵よね』
私はテンションが上がってしまい、ヤジを飛ばしていた連中に向け机を蹴飛ばした。机は倒れて音を立てるだけの予定だったのに…
「なんで吹き飛んだ机が店の奥まで届くのよ…」
机も宙を舞い、カウンターの奥壁に衝突すると爆発四散して粉々に砕けた。静まり返る店内、私は弁償のつもりで銀貨を二枚放ると逃げるように店内から出た。
「あれから、どこの酒場でも黒猫の悪魔って呼ばれてるんだもん……入れるわけないんじゃん」
そんなことがあって私は酒場に近い宿の窓を開け四ツ耳全てで酒場の会話を盗み聞きしている。そして得た情報が孤高の賢者様のお話し。どうも故郷が壊滅した頃から東の丘にあるお屋敷で従者も付けず塞ぎ込んでいるとか。本当は私の故郷を滅ぼした災厄の悪夢の情報を待っていたのだけれど、孤高の賢者様の話以外に関係しそうな話は聞こえてこなかった。
『孤高の賢者とか言うのに会ったとしてどうするの?』
「私たちを救おうとしてくれた人がいるなら……私はお礼に行きたい」
『そう、好きにすればいいわ。確かに東の方から、こないだの救世主君に劣らない波動を感じるもの』
「行ってみる。もしかしたら何かあの男の情報もあるかもだし」
私は宿を出て街の東へ歩き出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
孤高の賢者は革張りのソファーに身を沈ませ分厚い書を手に俯いていた。
「……何故帰って来ないんだ……クロ」
賢者は人との交流を好んでいなかった。欲に塗れ自己の利に走り口を開けば虚飾に嘘に、人と言う種は愚かだと、そう考えていたからだ。エルフ種の中でも先祖返りと呼ばれる変異種。神代の伝説として伝わるハイエンシェントエルフの血が身に流れる男。
彼は人が嫌いだったのだ。
手に持つ分厚い書は、文献などでは無かった。その本には、どこのページにも真っ黒な獣が描かれていた。
三角の耳をピンと立てている、しなやかな獣。漆黒の姿の中、絵の中からこちらを見つめる不思議な瞳。どのページを捲っても、瞳だけは一定に描かれず常に揺らぎを持っていた。黒い毛並に少し鋭い青い瞳の黒い猫。絵を中心に魔力の波紋が周囲を覆う。水面に石を投げたような魔力の波が薄く広く、人には感知できないほど精巧に練り上げられた探知の魔法。
「俺には……お前しかいないのに……」
孤高の賢者は打ちひしがれていた。魔法陣を駆使し、孤高の賢者、かつては賢王とまで呼ばれたことがある知識を尽くし魔力を練り上げ、大魔法とも呼べるほどの規模で一匹の黒猫を探す。それでも目的の対象は見つからず、何度も何度も同じ魔法を繰り返す。屋敷に仕える人間にも見つかるまで探すよう命じた。魔法以下の探知能力しかなくとも、わずかでも可能性があるならと料理人から庭師まで顔も知らない全ての使用人を総動員して探している。
唯一心を許し、共に生きて来た黒猫のクロが姿を消して十日が経つ。
「寿命なんて在り得ない……高い魔力を持つお前の事なのだから何かに襲われるなんてことも無い……早く早く帰って来てくれ」
部屋の隅にある鏡には、どこか冷たさすら感じる深い紺色の髪で凛々しくも鋭い水色の瞳を隠した青年が映っていた。青年は本を捲る度に、その鋭い瞳から小さな水滴を落とし再び黒猫を探すため大魔法とも呼べる魔法を繰り返す。ほどなく魔力を使い尽くし意識を失うまで、何度も何度も魔法が繰り返されていた。