賢者の謁見
◇ ◆ ◇ ◆ sideクレス=ウィズム ◇ ◆ ◇ ◆
「ほう、つまり大戦の英雄である貴殿の見立てでは我が国に危機が及んでおると、そう言いたいのだな」
「はい。お伝えしたことが全てです。ペアレンテージを襲った何者かは王都襲撃を目論んでおります」
輝く白い壁面に数多くの豪華なシャンデリア、素人目に見てもオーラすら感じかねない鷲や狼の石像、精密な彫刻の施された大扉をくぐった先、王城内、謁見の間には入り口から深紅の厚い絨毯が十段はある高台となった玉座へと続いている。
クレスは高台となる階段の下で跪いたまま、高台の上、玉座で肘を付き足を組んだ王に首を垂れ応えていた。壮年となったものの白髪のない顎鬚を肘を付いた手で撫でながら王はクレスの方も見ずに口を開く。
「貴殿のおるリューンからの税収は安定して王都を支えておる。遥か先祖の時代からの伝承で賢者が生きておることも伝え聞いてはおる。しかし、世捨て人となり人前に現れることは無いと聞いておったがな」
「私の身の真偽を図りたいのでしたら如何様にも」
「いや、幻想銀の冒険者証にリューン領主の公印をつけた面会書状。謁見前の調査も含め疑ってはおらんが、世捨て人となった貴殿から国家の危機と聞いても今一つ、な」
高台となった玉座の左右にはべる金色に輝く甲冑に身を包んだ者、クレスの跪く絨毯の左右に並んだ鉄鋼色の甲冑に身を包んだ者達から、息を殺しながらフッフッと笑うような声が漏れ聞こえだす。
王冠をひじ掛けに置き、髪先をいじりながら溜息をつく。玉座の横にいた王に次ぐ豪奢な服に身を包んだ男が、特に邪魔ともなっていなかったマントを腕で払うように靡かせ玉座の段から一段下りクレスを見下すと演説でもするように声高に話し出す。
「大昔の賢者様は、久しぶりに外に出たら、このディクライン王国が再度魔の手に掛かると!近隣諸国との小競り合いも負ける事無く、北の大国に並ばんとする我が国が、影も見えぬような敵に蹂躙されると!そうおっしゃる訳ですね」
「謁見願い提出の際にペアレンテージ壊滅の報告を添付しております。唯一の生存者からの証言を元に詳細があります。敵は魔物を使役致します」
「ほうほう、なるほどなるほど、つまり大昔の賢者様とやらは、おっと失敬。クレス殿は武力も魔力も資源もない弱小都市を壊滅させしめた恐怖の魔物が王都すら壊滅させると!そうおっしゃる訳ですね」
王が面会を行う謁見の間に入ることが出来ている者は例え鉄鋼色の甲冑を身に付けていようと貴族籍を有している。一般庶民と異なり、その国の高い教育を受けた者、その中でも選りすぐりの騎士が謁見の間で面会する者の狼藉を止める。地位も実力もあるもの達しか謁見の間にはいないのだ。
その騎士、甲冑で顔が見えない多くの騎士たちが今度は声をあげて笑いだした。
「フフ、こら宰相。あまり賢者殿をいじめるでない」
「これはこれは、差し出がましい真似をして申し訳ありません」
王も口元を緩め宰相と呼ばれた男と目を合わせると思わず失笑といった様子で声を漏らした。クレスは微動だにせず頭を垂れ跪いたまま続ける。
「破滅の園の主は受肉しており、この国を蹂躙した後に主の元へ向かう、そういった旨のことを話しておりました。手強く、一筋縄では行かない魔物でした」
「あぁ聞いているとも。ダンジョン攻略と共に氷と共に崩れ去ったとか。大仰な門の割に近衛騎士団の小間使いでしか無い騎士共が平気な顔をして無傷なまま毎度何の変哲もない報告を上げてくれている。なるほどなるほど、確かに攻略すると氷に飲まれかねない危険なダンジョンだったわけだが、攻略せずに資源を掘り下げるべき容易なダンジョンを攻略して破壊してしまった賢者様は、外に出て来る事もないダンジョンの魔物すら王国を狙うと!そうおっしゃる訳ですね」
もはや声を我慢する者はなく、多くの笑い声に包まれた謁見の間だったが王が手を挙げるとシンと静まり返った。
「賢者クレスよ、報告ご苦労。真摯に受け止め精査した後、対応を考慮しよう。下がって良いぞ」
「はい。聡明なるディクライン王、貴重なお時間を頂けたこと身に余る光栄でした」
クレスは目を臥したまま立ち上がると、背筋を伸ばし胸に手を当て凛とした姿勢で礼をすると踵を返し謁見の間を後にする。分厚い大扉が閉まると同時、扉を揺らすほど大きな笑い声が謁見の間から響いた。
謁見の間から城の出口までは防衛のため複雑な経路を辿る。その経路を案内する兵士がクレスの前に立つ。
「クレス様、お帰りになられますか?」
「そうですね。案内お願いします。それと謁見記録をリューン領主とメルトキア領主宛てに送付お願いします」
「かしこまりました」
兵士は中の様子を気にする様子も見せず淡々と業務をこなすのみという姿勢で踵を返しクレスを先導する。
王との面会には、その後に齟齬がないように必ず記録が取られる。立ち並ぶ騎士とは別に発言者と発言を一語一句間違いなく、ただ事実のみを並べた記録。クレスはそれを二つの領主に宛て送付するよう申し出た。
一度通った道など覚えていようと、王城の規則に従い兵士に付き従い謁見の間を離れる。出口に向かうのとは関係のない道を辿り謁見の間への道順を攪乱されていることも分かった上で静かに出口までの案内に従った。城門に近づくと預けていた鞄と、あえて手に持って訪れ渡してあった杖の返却を受け完全に城から出る。当然、この後で平民に紛れクレスを追跡し異常行動が見受けられないか監視されることも把握しているし、周囲の動きから誰が追跡者か特定も出来る。それでも、追跡を甘んじて受けた。
クレスは石畳で整備され装飾のされた大きな噴水のある広場を抜け、立派な宿や店が並ぶ商業区に入る。日はまだ高く、混みだしている食堂を眺めながら小さな喫茶店のテラスに座った。眼鏡をかけた老人がメニューの書かれた木版を持ちテラスに現れる。
「お客様、ご注文は。あぁ、あんたか」
「ふふ、客にあんたかは無いのでは?」
「木箱を預かるだけで紅茶代より高い金を置いて去って行った不審人物、私の目に映るあんたのことじゃ」
「その木箱を取りに来たんだ」
「ふん、今取ってくる。あぁ、約束通り開けてはない。いや、開かないようにしてあったじゃろ」
ニコニコと笑顔で答えないクレスに溜息を零し初老の男性は眼鏡を上げると店の奥に戻ると鳥かごでも入りそうな木箱を抱えて戻りテラスのテーブルに置いた。
「やたら軽い箱だが、これでワシにはもう関係ない。それでいいんじゃろ」
「えぇ、ありがとうございます。中、見てみます?」
「いいや、不審なもんには関わらんのが一番じゃ」
「それじゃあ、紅茶を」
「はん、帰ってくんな。城の見張りがウロついとる。何を言われるか分からんじゃろう、支払いの分は仕事をさせられたんじゃ」
「えぇ、ありがとうございました」
クレスは木箱を抱えると、手のひらで隠しながら一部を風の魔力で削り穴をあけながら何でもないように歩みを進め、小声で木箱に語り掛ける。
「ソフィ、外から見えないように袖を通って隠れててくれるかい?」
「はい、クレスさま。さっきのおじいさん。箱をあけようともしてないですし、そっと置いてくれてたのに、なんであんなにつっけんどんだったんでしょう」
「ふふ、厄介ごとに敏感だったんだろうね。狭かったり苦しかったりしなかったかな」
「はい、蛍光石と置いて行ってくださったたくさんの絵本のおかげで、とっても快適でした」
ソフィはクレスのローブに飛び込むと袖を通りローブで隠れた鞄の中に入って行った。ハンカチで頭をくるみ小声で会話を続けながらクレスは果物屋の前で木箱を開けリンゴやオレンジを入るだけ買うと教会へ向かう。
教会の入り口でシスター服を着る女性の前で木箱を置き、果物、絵本、いくらかの銀貨を袋に詰め孤児院への寄付だと渡すと奥の石像の前で他のものと同様に膝を付き祈りを捧げ教会を後にし、街を抜け乗合馬車の停留所に腰を下ろす。
「ガングリオンから馬車で一日、走れば数時間。北側は大きな河川までは農地が広がり東西の先には森林……河川に伏兵、実際には森林からの侵攻が本命かな」
「クレス様?」
「いや、ギルバートがこの首都を攻めるとしたら、ね。森林の先にもガングリオンのように要塞都市があるんだけど、受肉個体の強さを見ると紙切れ同然だろうし。あ、馬車が来たね」
クレスが乗合馬車に乗り込むと追跡をしていた者たちの気配も少なくなっていく。コトコトと石畳を叩く音から分厚い壁を抜け土の地面に変わる。御者が馬のヒズメに嵌めていた石畳用の消音具を取り除くころには追跡者の気配が完全に消えていた。
「さて、ここからもう一仕事かな」
「お客さん、どうなさったかね。もう出るでよ」
「いや、僕はここまでで結構です。木々を見てたら歩いて野宿もたまには悪くないなって」
「はぁ、ここで降りても料金は返せんが良いのかね?」
「えぇ、ありがとうございました」
「はぁ。ほしたら行くでな。身なりの良い人は何がいいのか分からんねぇ」
クレスを置いて馬車が走り去っていく。クレスが鞄をローブの中から腰の前に回すとハンカチを脱ぎ去ったソフィが顔を出した。
「さて、準備に取り掛かろう。時間は早いに越したことないしね」
「王さまとのお話はうまくいったんですか?」
「あぁ、まともな反応で安心したよ」
手に持った杖を手元に出した光の中に沈めていき、代わりに光の中から紋様の刻まれた卵大の石をいくつも取り出す。
「私にもお手伝いできることありませんかクレスさま」
「後で魔石を運ぶときに手伝って貰おうかな。ソフィしっかり掴まっていてね」
加速という呟きと共にクレスの姿は木々で遮られた街道脇の深くへ消えていった。