孵化
紅く細い魔力剣は、背を向けたウルザの左胸から生えるようにして目の前にあった。
鋭利な先端から赤い滴がポタポタと立ち上がろうと床に着いた膝に落ちる。凍るような時間の中でポタポタと、何滴も止めどなく落ちる滴だけが時の流れを伝えるかのように。
『興醒メダ、脆ク弱ク小サイ。所詮コノ程度』
骸骨王が手と一体となった細剣を抜くと逆さにして栓を抜いたワイン瓶のように赤い液体がウルザの服を染めていく。
「ハッ……カハッ、ハハ、全くだな!脆い腕も吹き飛んで、随分小さくなったな骨格標本!」
溢れる血が更に水音を立て吹き出すと、ウルザは再び見失う程の速度で骸骨王に密着し体を丸め地面スレスレから拳を振り上げる。炎の源となる槍も無いのにゴウッと音を立て燃え上がる拳が、細剣を抜いて終わったものと気を抜いた骸骨王の顎を捉えると同時ドゴンと爆発音が鳴り、骸骨王は天井に打ち付けられた後、二度三度と床に弾んで吹き飛んだ。
「がはっ、は……ハッ、隠し玉だボケ……って、何て顔で見てんだリーフ」
「――ッ」
言葉が出なかった。こっちを向いたウルザからは背中の比ではない血の跡と、話すごとに口端から血が垂れ落ちて行った。炎を纏うウルザの周りだけは凍る事なんてなくて、氷の柱も立たなかったのに、今は靴の先まで凍らせたウルザは血の気の引いた白い顔をさせてるのに、いつもと同じ調子で八重歯を見えつけるように笑った。
『リーフ、まだ敵は動くわ。気を抜いては駄目よ』
「あ?どうしたよ……ほら」
バキバキと天井がヒビ割れ、ゴゴゴゴと大きく崩れ出す。地鳴りのような音が耳を覆っているのに、音が無い空間にいるかのように天井を指さすウルザの小さな声が耳に響いた。
「クレスが来るまで……繋ぐ、カハッ、約束は違え無ぇ……命に代えても、だ」
そう言うと、ウルザは膝から崩れ落ち凍る床に横たわった。ヒューヒューと細い管を通るような空気音を立て瞳の焦点が定まらないまま天を仰いだ。
「……ねぇウルザ、死ぬの?」
問いかけに応えはない。ただか細い空気音が響くだけだ。
周囲は私の体よりも大きな氷の杭が次々と天井を崩し床を砕き降り注いでいる。雷鳴のような破壊音に包まれた静かな空間で、呟くように問いかける。
「ねぇ、死ぬの?」
氷の柱を砕き、下顎を失い王冠も砕けた骸骨王が立ち上がるのが視界の端で見えた。何かを喚き散らし、落ちて来る瓦礫を砕き向かってくる。セルティがアレコレ声を荒げ、骸骨王が琥珀色の魔力大剣で周囲を砕きながら近づいて来るのが、全く気にならない。
「死ぬの?」
ウルザのか細い呼吸音が止まると同時、骸骨王が琥珀の大剣を振り下ろした。
バキン、と音を立て琥珀色の魔力剣が根元から折れる。
目に見えない障壁に阻まれたように砕けた魔力剣が霧散すると骸骨王は一つとなった左の眼窩の灯を揺らめかせ一歩また一歩と退く。退くよりも早く膨張する障壁により弾き飛ばされ、壁に叩きつけられるとズルズルと背中を滑らせ床に座り込む。
『……女帝ッ』
足元からアイテムボックスと、そう呼ぶ黒い沼が広がっていく。割れ、裂け、砕ける地面が元々凪いだ黒い水面であったかのように黒い沼が広が周囲を染め上げると、次第にボコボコと泡立っていき黒い液状の塊が天井に向かって落ちるように上がって行った。
『な、何が起きてるの……私の力じゃないわ……リーフ?』
天井にぼたりぼたりと黒い塊がへばりつくと、黒い泥のような粘着質の液体を天井から床に垂らし姿を明らかにしていく。
「認めない」
天井に張り付いた塊からドロドロと黒い泥が落ちると、断頭された羊の頭が姿を現した。ボトりボトりと十や二十よりも数を増やす羊の頭、次いで黒い沼から浮きだすように姿を現した首の無い羊の体が首と同様に天井に張り付く。首と体を切り離された羊は断面から黒い泥が引き合うように互いを寄せ合い首が繋がるとマイナス記号のような一文字の瞳孔を紅く輝かせ、天井を蹴って黒く染まる地面に降り立つ。
「死ぬなんて認めないんだけど」
天井部と砕き氷の柱が落ちて来るが見えない障壁に阻まれ氷が砕けていく。いくつもの氷柱が天井を砕き壁を砕くが、丁度リーフを中心に球形の障壁があるように瓦礫も氷柱も黒く凪いだ地面を揺らすことは出来ない。
右腕を失い半身を焦がし、ぼろぼろとなった骸骨王はリーフの障壁に押し込まれ壁にめり込むと身動きがとれず眼窩の灯を揺らすばかりとなっていた。
「ねぇ、まだ聞こえてるんでしょ」
黒く凪いだ地面で瞳を紅く光らせる羊たちがリーフに寄ろうとすると、リーフとウルザを中心に円を描いた波紋が立つ。
「私の復讐について来るんでしょ?何の得も無いのに約束したじゃない」
膨張した障壁が壁を砕き、ひび割れた天井を壊すと雷鳴のような轟音と共に氷の塊が姿を現し、黒く凪いだ床と円形の障壁を残し視界を氷が埋め尽くしていった。骸骨王は音もなく氷に押しつぶされたかと思うと、今度は下から突き上げる氷の柱に押しあげられ球形となった障壁と共に上へ上へと押し上げられていく。
どこまで上がるか分からない程、氷を砕き退けながら上へ上へと向かって行く中でもリーフが周りを気にする様子は一切見受けられない。
「私と約束したのよ?心臓が止まったくらいで終わりにしてあげるわけないじゃない」
『リーフ何をするつもりなの!?』
バキバキと氷を砕き上へ上へと上がり切り、ついに空が見えるところまで上がりきると氷の柱に囲まれた氷山の頂上のような景色が広がった。見渡す限り氷と雪に覆われた氷雪の世界、最も高い氷山の頂で下半分を漆黒に覆われた球体の中央、リーフがウルザに歩み寄る。
「何って?決まってるじゃない。止まってる心臓なんて要らないでしょ?」
『彼はもう死ぬわ。死は覆せない、私のように一体化でもしない限り無理よ!』
「ううん。まだウルザは死んでない。心臓が止まって体が冷たくなって、それでもまだ聞こえてるのよ、それでもまだ考えてるのよ」
大剣を手放すと、いつもと変わらないかのように足元に大剣が沈んでいく。リーフが人差し指を立てると、じっと指先を見つめて魔力を集めていく。リーフの爪が瞳のように蒼い炎が揺らめくような色に染まっていくと、徐々に指先から同じ色をした魔力の塊が延びていき包丁程の魔力刃が形成される。
「私だって、そうだったんだもの。死ぬまでにはまだ時間がかかるの」
『リーフ!正気を取り戻しなさい!貴女の変異も終わっていないのよ!』
宿した魔力刃と同じ色をした電気がバチバチとリーフの周りに走り出す。今なお地鳴りを伴うような轟音が辺りを包む中、まるで無音の空間にでもいるかのように静かにリーフが指先の刃をウルザの胸に刺す。
スッと、ゼリーにスプーンを入れるように滑らかにウルザの胸を切り裂く。縦にいれるだけでは思ったように心臓まで見通せなかったので縦の切り口に重ねるようにバツ印を描くように刃を入れる。
「冷静だよ私。ちょっと心臓を入れ替えるだけじゃない」
一頭の羊が足元の黒い沼に頭を突っ込むと、第一の試練で得た赤い魔石のついた心臓を咥えリーフのもとに寄って来た。羊の方に顔も向けることなく、ドクンドクンと今も送る血液が無いのに動き続ける心臓を受け取ると、にっこりと口元を緩ませ迷いなくウルザの心臓を切り取る。
「こんな簡単な修理、私でも出来るわ」
『リーフ!そんなッ』
バチンと一際大きな電流がリーフの周囲に走ると、赤い髪をした煽情的な姿のセルティが弾かれるように姿を現した。
『莫迦な!なんで出て来れるのよ』
セルティが姿を現したことにも気づかず、切り取った心臓部に第一の試練で手に入れた心臓が収められる。切り取った心臓が繋がっていた太い血管を合わせるように摘摘まむと治療術の魔力を指先に込めて組織を繋いでいく。
ドクンドクンと心臓が脈動するが心臓に付いている魔石の光が弱くなっているのが見て取れる。
「なに?魔石がいるの?」
羊たちが次々に黒い水面のような足元に頭を突っ込むと、地竜の魔石である拳大サイズの紫の魔石や怨霊の祠で手に入れた青く輝く魔石を咥えてリーフの元へ寄り集まる。リーフが魔石を手に心臓に押し付けると心臓に付いた赤い魔石が吸い込むようにして消えていく。
『リーフ、何をしてッ』
セルティがリーフに近づこうとすると青い電気が走るようにして近づくことが出来ない。リーフは黙々と羊たちが渡す魔石をウルザにつなげた心臓の魔石に吸い込ませていくが、最後の一個を吸い込ませても、まだ魔石の光は弱々しい。
「まだ足りないの?……そうだ」
何かを思いついた子供の様に口角をあげたリーフが振り向くと、障壁に押し込まれ氷の柱にめり込み最早白骨化した死体のようになっている骸骨王が眼窩の灯を大きく震わせた、胸に煌々と赤い光を纏わせながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「クレスさま、クレスさまアレを見てください!」
ソフィが三角座りで足を抱え、頭を埋めるように座るクレスの袖を引く。紺のような蒼髪を揺らし力なく前を向く。
眼前は白銀の世界に宝石のような青い氷柱が連なり奥には、その向こう側が見えない程に大きな氷山が鎮座している変わらない景色が広がっている。虚ろな紺の瞳のまま、また顔を埋めようとするクレスをソフィが更に揺らす。
「ほら、クレスさま山頂!この闇の気配、これセルティさまです。それと、なんだろうコレ……リーフさま?あれ?ウルザさまは??」
あれ?あれ?と眉を寄せながら既に破滅の園ではなく氷山と見做しているソフィが、困惑しながらクレスを揺さぶると、突如クレスがガバッと首を上げた。叩くように地面を押しのけ立ち上がると、振り落とされてしまったソフィが地面に尻餅をつく。
「キャッ、うぅクレスさまぁ」
「すまないソフィ、先に行ってくる。超加速!」
白銀の世界で爆発させるように雪を舞いあげ氷柱を飛び移りクレスが駆け抜けていく。氷山に近づく程に異常な魔力を肌で感じたクレスは焦りを推進力に変えるように弾丸のような速度で氷山を駆けあがって行った。
「ま、まってくださいよぉ、クレスさまぁ」
お尻についた雪を払い涙目となったソフィは情けない声を出しながらパタパタと羽を羽ばたかせ追いかけていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『ヤ、ヤメロ!ナ、何ヲスル気ダ』
「何って、貴方の胸の石がとても綺麗だから」
躊躇うことなくリーフが骸骨王の胸に青く輝く魔力刃を差し込む。氷を砕き抵抗を見せる骸骨王に目掛け黒い沼から牛程に大きなワニのようなもの、黒色に体を染めた地竜が次々と喰らいつくと抵抗を許さないとばかりに骸骨王を拘束する。
「これ使おうと思って」
『莫迦ナ、破滅の園ノ核ニ人ノ身ガ耐エ得ルハズガ……』
魔力刃で赤い核の周りを何度も刺し掴むようにして剥ぎ取ると骸骨王の眼窩から赤い灯が消え、ボロボロだった体が粉々に砕けていき最後に拳大の紅い魔石を落とした。
「これは使うけど、貴方の石は要らない」
リーフが興味を失ったようにウルザに向き直ると、地に落ちた赤い魔石はバシャバシャと音を立て地竜たちが奪い合うように骸骨王の魔石に食らいつき黒い地面に潜って消えた。
ウルザの心臓に破滅の園の核を近づけると、赤い魔石ではなく核の方が心臓に根を張るようにして魔石を飲み込み煌々と赤く輝き心臓を脈打たせた。
『クスクス……ふふ、あははははははは』
心臓を取り換えるために開いた傷の周りから血しぶきが噴き出す。手を血で染めながら縦に先、重ねるようにバツ印のように開いた筋肉や皮膚を元の形に戻すように押し込めると傷を治すため治癒術の魔力を流す。
「何でだろう、全然傷が塞がらない」
右の手の平に左の手を重ねて魔力を集中させる。意識を手先に置き、体を流れる魔力を持てる力を集めるイメージで魔力を籠めていく。辺り一面に広がった黒い地面が脈動するように波打つと黒い蒸気がリーフに向けて渦を巻くように集まりだす。
黒い呪いのドレスは裂けた生地も元通りとなり、次いで背中に大きなリボンような物が形成されると波打つ魔力の鼓動に靡くように帯ひもをはためかせた。
「リーフ!!な、何が起きてるんだ」
氷山の外側から飛び出すようにクレスが姿を現した。クレスは球状の障壁に阻まれることなく黒に染まった地に降り立つ。周囲を見渡しても異質な魔力が集まるリーフと紅い髪を靡かせ愉快そうに笑う女性しかいない。
『あら、間に合ったのねクレス。良いところよ』
「僕の名前を……貴女は?」
『この姿で会うのは初めてだったわね。セルティ、そうリーフに呼んでもらっているわ』
「姿を現せるんですか?いや、そんなことよりリーフは?」
クレスがリーフに近づこうとすると青い電気が走り中心に寄れない。心臓から血を流すウルザに異質異様な魔力を感じるし、リーフからはウルザを凌ぐ得体の知れない気配を感じる。
咄嗟にウルザに杖を向け、出来る限り傷や損傷した組織が回復するよう波力の弾を撃つと、血こそ止まったものの回復したかどうか確認できない。ウルザに撃った魔力弾に気付いたのかリーフがクレスに顔を向ける。
「良かったクレス……ウルザのこと治せる?」
血に塗れながら虚ろな目で微笑むリーフに目を奪われたクレスだったが、青い電気に阻まれずにリーフの近くに寄ることが出来た。
「これは……人?いや、魔族の気配」
「心臓が止まっちゃったから、取り換えたの」
虚ろな瞳をしたまま爪を青く染め、再びリーフが魔力を集めていく。リーフに重ねるようにクレスも魔力を注ぐとカハッと血を吐き出し、ウルザが呼吸を始めた。虚ろだったリーフの瞳が輝きを取り戻す。
『アハハハ、最高!最高よリーフ。まさに予想外、想像以上!』
輝きを取り戻しただけでなく蒼い炎が揺らめくようなリーフの瞳が淡い光を放ち始める。集中させていた魔力を止めても、黒く染まった地面から黒い霧がリーフに集まる勢いは一層強いものとなった。
「何が起きてるんだ……リーフ!」
「あぁ、そっか。まだ途中だったもんね」
クレスがリーフに手を刺し伸ばすが、再び青い電気が走り触れることが出来ない。黒い霧がリーフを包むほど集まり黒い球体と化したリーフを守るように青い電気が球体の周りにバチバチと音を立て光を放つ。
呼吸こそすれど意識の無いウルザを抱きかかえセルティの立つところまで距離をとるクレスにセルティが語り掛ける。
『見なさい、私が手を添えなければ変異なんてしないはずなのに、あの子ったら自分一人で変異を始めたのよ』
「変異とは何です!?」
『限界だったのよ。小さな器に大きな力を載せるのに。人の限界。それを超えるためのものよ』
「人を…人で無くなるんですか?」
『えぇ、けれど本当は私が手を添え付き添って無理なく変異をさせるはずだったの。そう、始祖型魔導人間である貴方のように』
クレスは、セルティの言い放つ言葉には理解できないものこそあれ、本来であれば変異にはセルティの力が必要なのだということだけは理解できた。バッと黒い球体に包まれたリーフを見るが中を窺い知ることは叶わない。
『リーフ、貴女一体何になるつもりなの?』