悪魔の囁き
レイドに吹き飛ばされたヤギ甲冑は砕けた壁の砂埃で姿こそ見えないが、そちらからガラガラが立っている今、まだ生きている。ひとまずウルザもクレスも後で考えればいい。クレスの腕を払い強く踏み込む。
『ここは、はわわとか、ふぇ、とかじゃないの?キャーでも及第点だったと思うけれど無視して特攻なんて知られたらルル先生がお嘆きになるわよ』
セルティが黙ってればルル先生にはバレないから大丈夫。もうもうと立ち上がる砂煙に入ると動く影に向けて大剣を背負い飛びかかって振り下ろす。ガゴンッ!と硬質な音が響くと、衝撃で周囲の砂埃が消えた。
「舐メルデナイ!三匹ニ増エタ程度デ、通レル道理ナド無イ!」
亀裂の入った大盾で大剣を絡め周囲の砂埃を更に吹き飛ばし迫る馬上槍を炎で覆われた槍が止める。
「一人で行くこたぁ無ぇだろリーフ」
「うるさい約束破り!」
馬上槍が止まったと同時、ヒィィィンと高音が耳に届くと、一瞬の閃光と共にヤギ甲冑の腹部に大きな穴が開いた。
「三匹の質にもよる。そうは考えないのかな」
「……無念」
ヤギ甲冑は腹部を見るようにヤギの頭蓋骨のような兜を俯かせると馬上槍を残し光の粒子になっていった。クレスの方を見ると掲げた杖の先からバチバチと静電気が飛んだような音をさせ蒼い電気が走り、それがヤギ甲冑がいた地面まで走っていた。
「リーフを抱きとめた感動だったのかな?ようやく体が動くようになったんだ」
「黙れ妄想野郎!」
投げた大剣の代わりに馬上槍を拾い、左の大剣をウルザに、右手のランスをクレスに向ける。
何でここに居るの、この二人。ウルザは地竜の巣に閉じ込めたし、一週間後に開けるまで出てこれないんじゃなかったの?鉄の扉に、よくわからない魔法陣で封鎖されてたんじゃないの?
猫狂いの賢者は交易都市リューンで引きこもってるんじゃなかったの?何?石で頭砕かれた恨みでも晴らしに遠路はるばる?暇なの?
「なんだいウルザ、破った約束というのは」
「いや俺は約束を一つも違えちゃいねぇっつーの。それより妄想野郎ってクハハ」
ウルザは何が可笑しいのか目元に手をやりクレスに槍を向けながら声をあげて笑っていた。クレスはウルザに目もくれず私に向けてにこにこしているんだけれど、根に持つ上にあえて言葉に出さずプレッシャーをかけてくるタイプなのかな。
「破ったじゃない。メルトキアの傭兵は誰も私を追わないって約束したのに!」
大剣を振り切っ先を向け直す。ウルザは、笑い声を止め口角をあげ私に向き直ると
「あぁ、だから俺は傭兵を辞めて来たんだ。言っただろリーフ、お前は俺が貰うってな」
「最悪の夢見になるよう寝かしつけてやったのに、赤鯱はどうしたのよ!」
スゥっと空気が凍るような緊張感が走る。にこにこと笑顔のままクレスから発せられた異様とも呼べる殺気が走ると背筋に冷たい汗が流れた。
「寝かしつけた……ね。聞き捨てならないんだけれど、どういうことかなウルザ」
「ハッ、言葉通りだクレス。そういう関係ってこった」
ウルザが槍を握り直すと足元が揺らめくほどの熱が発せられ地竜の巣を出た時に感じたような驚異的な圧力が発せられた。犬歯を見せるように口角をあげクレスを睨むウルザの燃えるような圧力と、クレスの凍るような殺気で空気を吸う事すら苦しく感じる。
「ま、まってくださいよ~、わ、わたしを置いてかないでくださいクレスさまぁ、ウルザさまぁ」
吐く息を押し返されそうな重圧は涙目でパタパタと羽を羽ばたかせる人形のような女の子の情けない声でようやく霧散した。
金髪のサイドポニーを揺らし涙を零しながらクレスの鞄に飛び込みようやく私に気付くと今度はぱっちりした目を大きく見開き私を指を指しながら口をパクパクさせながら声にならないといった様子でクレスと私を交互に見ていた。ルル先生に勝るとも劣らない圧倒的女子力の存在感に私の矮小な女子力は息の根を止められるような圧力を感じた。
「――つまり、故郷を壊滅させた相手を追った旅だったんだね。それで、僕にはお礼を述べに、ウルザには執拗に追われただけ……と。なるほど」
「チッ、言い方にトゲがあんだろクレスさんよぉ。俺もリーフにゃ礼を述べに行って出会ったって事だろうが」
お前のはお礼参りの方だろ、とジト目で睨み付けるがウルザは意にも介さない様子だった。三人とクレスの鞄に戻った女子力の塊で少し距離を離してではあったけれど輪になって座った。
ソフィが、来てくれたことで弛緩した空気からクレスの提案で武器を納めて話し合おうということになった。クレスから促されるままに故郷で起きたこと、喚く災厄の悪夢が目指す王都を目指していたこと、聖女様やレイド達と会ってクレスが手配してくれたと聞いてお礼に行こうとしたこと、乗合馬車を襲う馬鹿を張っ倒したらウルザに追われたこと、要塞都市の周辺で災厄の悪夢の気配を感じダンジョン巡りをして、今は受肉個体で何やら企んでいると思ったので魔物の移動先を追って破滅の園にいること。
「リーフの話を聞く限りじゃ、俺達こそ、その強ぇ味方ってのになんじゃ無ぇか?」
「寝言は寝て言って女の敵」
手元にアイテムボックスの黒い沼を出すと大剣の柄に手をやる。しかし、クレスが展開した魔法陣がアイテムボックスを囲うと黒い沼は小さくなり剣を引き抜くことが出来なくなった。
「ふふっ安心してリーフ、僕は君の力になるから」
不思議な魔法を駆使したクレスの方に目をやると微笑むようにしながら、どこから取り出したのか女性用の櫛を手に両腕を広げていた。
「だから!私はクロって猫じゃないって言ってるでしょ!」
大剣が取り出せないので散らばった瓦礫から石を拾って投げつけるが、クレスに近づいた石は風に包まれるように速度を遅くしてポトリとクレスの手の平に落ちた。何を思ったのかクレスは石をハンカチに包み鞄の中に仕舞いこむとソフィと呼ばれる人形のようなサイズの天使が酷く石を怖がっていた。
二人の話を聞くとクレスは目覚めた時には夢だったと思ったけれど、私の書き置きを見て私を探し始めたらしい。要らんことをしたのが悔やまれる。ウルザは、傭兵は私を追ってはダメだという約束を守って冒険者に戻って追いかけて来たらしい。
「そ、その、リーフさま、話に出てきたセルティさまはどちらに?」
『私ならリーフの中にいるじゃない』
「ヒィッ、や、闇です!クレスさま!ほら、あれ!」
鞄から身を乗り出しクレスの服を掴みながら私を指さすソフィには、相変わらずルル先生に劣らぬ女子力の波動を感じる。小さな体を一杯に使い感情を露わにする仕草、表情、学んで行かなければとジッとソフィを眺めているとウルザ達もセルティが気になるようだ。
「俺にゃ見え無ぇが、ソフィが言うようにセルティだったか?そいつもリーフの中に居るってことか。クレスにゃ見えんのか?」
「いいや僕にも見えない。話の上で知っているだけだね」
「話してみればいいじゃない」
憑依と口にしてセルティを身に宿す。セルティも同意見だったようで、すんなりと体が入れ替わると久しぶりに意識だけの不思議な状態になった。セルティは、ゆっくり目を開けると私とは思えない妖艶な微笑みを見せ口を開いた。
「ふふふ、初めまして。で良いのかしら。ソフィだったかしら、先に言っておくけれど怨霊の祠を壊しのたのは私じゃないわ」
チャキっとウルザが槍を握り直した音が響く。クレスも先ほどまでの笑顔から真剣なまなざしに切り替わった。
「ハハッ、リーフたぁえらい違いじゃ無ぇかセルティさんとやら」
「貴女が禁忌の儀式で召喚されたものでしたか、ならリーフが言う災厄の悪夢とは何です?」
クスクスと人差し指を咥えるように指で隠して笑うとセルティは出会った時と同じように二人に伝える。
「手順を踏んで喚び出したら自分のものになるなんて、私の事を莫迦にしているのかしら。貴方達は何?リーフに再び出会えたら自分のものになるなんて思うのかしら?儀式はあくまでお見合いの場づくりのようなものよ。私にも選ぶ権利があって当然じゃないかしら」
セルティが話すと体こそ私のなのに姿勢も綺麗だし、仕草から何から私でないように凛としたものになるから不思議だ。
「現世に顕現した貴女がリーフを乗っ取るということは無いんですか?」
「無いわね。私、リーフのこと気に入っているもの。大切に育て上げて私の後継になってもらおうと思っているところよ」
『何それ、後継って私初耳なんだけど』
「あら、言ったじゃないリーフ。私にならない?って。覚えていないの?貴女言ったのよ、あいつを殺せるならって」
覚えてない。いや、私なら言いそうではあるんだけど、ソレ死の際で放った最後の言葉なんじゃないかな。死に際の事なんて覚えてるわけないじゃない。
セルティは、それから負の感情や呪いなどを力に変えて私を育てている事、セルティ自身が戦っても私が育たないからリーフが普段は戦っている事、今みたいに憑依で一時体を借りられるけど膨大なエネルギーを消費していることを説明した。
「私の話は、こんなところね。そうそうリーフのことなのだけれど、この子ったら復讐の旅路で運命の相手とのラブロマンスも求めているらしいの」
『ちょ、セルティ!何言って、もう戻って、オシマイ!話終わったでしょ!』
セルティが突然、何の脈絡もなく私のプライベートを晒し出したので憑依を解除しようと肩を揺さぶる勢いでもがいてもセルティは聞いている素振りすらない。意識だけなのに顔から蒸気が噴き出そうな程に恥ずかしいのにセルティはと言ったら、どこ吹く風といった様子。
「クレス、貴方リーフからは猫狂いの妄想野郎って思われているわね。それじゃあ、この子は落ちないわね。ウルザ、貴方リーフからは女の敵と思われているわよ。殴る蹴るに売るって発言、この子結構根に持っているみたいね」
クレスは眉根を寄せ瞳を閉じると考え込むように、ウルザはグッと呻いた後で苦虫をかみつぶしたような苦い顔になった。
『いや、そうだけど、セルティの言っている通りなんだけど何で本人に言うのよ!一応でも何でも助けに来てくれたんだからイイじゃない!もう解除!憑依解除だってば!!』
私の話は一切聞いてくれる様子無く、セルティは私のとは思えぬ程、妖艶な目つきで二人を挑発するように微笑んだ。
「この子ね、強い味方を探しているの。強く、優しく、裏切らず、きちんと復讐完遂までついて来てくれる、そんな仲間を、ね」
セルティがスカートを押さえ立ち上がる。しなを作るようにして胸に手を当てると、いつの間にか換装されていた白の下着に散りばめられた幻惑の魔石が魔力に反応し髪や指先、瞳が反射する光が強く大きくなり潤んだ瞳に濡れガラスのような黒い髪をかき上げ再度二人に微笑んだ。
「どうかしら?もし、私と一緒にリーフについて来てくれるなら、私、ついて来てくれる人とリーフの事、応援をしても構わないわ。意識ある限りリーフと一緒にいるのだから」
『ちょっ、セルティ!ヤダかんね、私こんな奴らと一緒に旅するのなんて無理!』
私の声が届かないまま、ニコッと笑いかけて小首をかしげるセルティからは、私の体なのに私では絶対にひねり出せない驚異の女子力が発せられていた。
「ハッ、ソレ、いいえって答えるヤツ居んのかよ」
「さっき言った通り、僕はそのために来たんだ」
二人は何故かやる気に満ち溢れた表情で立ち上がると力の漲った声でセルティにそう応えていた。セルティは答えを聞く前に憑依解除して体返してくれたんだけど、これ私どうしたらいいのかな……