復讐への恐怖
地竜の魔石を全て回収しダンジョンを出ると、ふいに背筋に寒気を感じた。
この寒気は魔物に襲われるのとは別種ではあるものの危険が迫っていることを感じる、眠りに身を任せようとしたところ金縛りに遭い緊張感が走るような、理由もない焦燥感と緊張感を感じる。
「何か違う。なんだろうこれ」
『そう?入って来た時と一緒よ?』
四つ耳族は人の耳と魔力を察知する獣耳がついており、本来弱い種族なだけに危機察知能力は高い。猫型の獣耳をピンと立て空気に含まれる魔力の流れを、人耳で聴覚を研ぎ澄ませ周囲の音を拾っていく。距離こそ離れているが、強い戦闘力を持った何らかの脅威がこちらに向かっていることを感じる。
『リーフの猫耳って飾りじゃなかったのね』
「取れる飾りならとっくに取って捨ててるけど、これのお陰で街で平和に過ごせてたの。…過ごせてたよね?」
遠く離れた故郷がパッと、どうだったか思い浮かばないが今は脅威から身を潜める必要がある。残念なことに魔力も付きかけており、車輪付き大剣入れを引きずっていては道すがらすれ違い様に何があるか分からない。大剣入れを背負うように担ぐと地竜の巣の入り口から横に逸れ、周囲を囲む森へ突っ込む。呪いのドレスは引っかかる枝ごときに負けることなくキズは付かないが弾いた枝が素足にあたりチクチクと痛む。ガサガサと音を立て藪を抜け獣道を見つけるとダンジョンへの道に並走するように警戒して歩を進める。獣道の作り主である熊と目が合ったけど、アイテムボックスにしまいきれなかった地竜の首を掲げると泡を吹いて去って行ってくれた。
明らかに今の私じゃ手も足も出ないうちに命を刈り取られてしまう。それ程の気配が地竜の入り口に足を運んだ。居場所を知られたら一巻の終わりだと思う。緊張感で冷える手先、猫耳の先が風で揺れるのを疎ましく思うほどの重圧。草木に影に身を潜めると一旦大剣入れごと置いて、そろりそろりと距離をとっていく。
「魔力使い果たしててよかったかも」
冷や汗が浮かび出る中、出来るだけ気配がなくなるように、元いた街でクラスメイトを眺めるために存在を消すあの感覚を最高に研ぎ澄ませていく。
「……あれ?私、学校行ってたんだっけ?」
『リーフ位の年齢なら行ってたんじゃないかしら?それより集中した方がいいのではないかしら。きっと甘くない相手よ』
再び木々の一部、壁の一部に溶け込むように脱力と傍観に集中する。緊張感を意志の力でねじ伏せ遠巻きから注視するのではなく、ただたまたま視界に地竜の巣の入り口が映っているだけですという意識で見る。
視界に異常な気配を放つ存在が映りそれを認識すると心臓が跳ねた。それが地竜の巣に入り姿が見えなくなると、背中や胸がしっとりするほどに汗が出たことを自覚した。
「なんで、なんであいつが」
赤い髪を逆立てた男が重圧すら発する槍を携え地竜の巣に入っていくのを見届けた。あの姿、立ち居振る舞いに髪形!髪色!間違えようもない!!
「なんでウルザが来てるのよ!!」
二度と会いたくないウルザ=ストームがメルトキアを離れ要塞都市まで来ている。少なくとも冒険者登録証が銀製以上なのだとしても、私の知る限り人気のない地竜の巣を選んで。
「なんで?偶然にしてはオカシイ、だって傭兵団の団長なんでしょ?仕事どうしたの??なんで?私を追わないって約束もしたのに、何なに何で?傭兵崩れと違って最低限芯は通す気がしてたのに、やっぱり屑なの?屑団の団長ってことなの?しかも何?何この気配、何この重圧、空気感変わったよ?絶対勝てない、絶対勝てないじゃん、やだやだどうしよう、ねぇセルティどうしよう」
『落ち着いてリーフ、まずは落ち着きましょ。地竜の巣に入って行ったなら、ただ奥まで行って帰ってくるだけでも日帰りは無理でしょ?リーフだって48時間くらいトカゲ狩りしてたし、歩くだけでも同じくらい入って出るまでかかったでしょ?』
「!?そんなに?そんなに私あの中にいたの??」
涙目になり涙が玉状に形を作り始めていたところ、なんとか零さずに堪えていたのに地竜と二徹で戦い続けていた事実をしると堪えていた涙が落ちてしまった。
『言ったじゃない、トカゲばっかり見てて飽きて来たって』
「もっと具体的に言って欲しかった!」
一度零れるとポロポロと涙が零れていく。
『四日四晩、不休不眠でダンジョンにいたからリーフ疲れてるのよ。大丈夫、ほら、大剣拾って街に帰りましょ。大丈夫よ。しっかり寝てから宿を変える時間位あるわ。それにほら今からすぐ帰ってギルドに誠心誠意お願いして地竜の巣、入り口封鎖してもらっちゃうなんてどうかしら?ね?』
だって、あいつだよ?痛かったんだもん。容赦なく蹴ってくるし。怖かったんだもん。どこまでも追いかけてくるし。闇夜に紛れた作戦勝ちだっただけで、二度と会わないように即街から出て行ったのに。
「強かったけど、あんなどうしようもないほど強くなかったじゃん」
『言ったじゃない、素手は本気じゃないって。ただ槍そのものも相当だけれど、この間あれだけ呪ったのに中々速度も落ちなかったところを見ると、槍遣いとしてはコレが本来彼の強さなんじゃないかしら』
セルティに宥められ、おどおどしながら大剣入れの取っ手を掴むとコロコロと引いて街へ帰る。何あれ、あんな重圧これまで感じた事もなかったのに、槍を持ってただ歩いてただけで、見えない程遠かったのに背筋が寒くなった。喉が渇いて唾を飲み込む音すら聞かれたらどうしようって思った。
「うぅ、私強くなったと思ってたのに」
『そうね。スズメからカラス程度に進歩したけれど、彼はそうね、虎の魔物程度には強いようね』
「どうしよう、どうしよう私、あいつ蹴り倒して最凶の悪夢見せてるんだけど」
『そうね、まずは地竜の巣を閉鎖してもらうといいわ。どうせもう一匹もトカゲ出ないのだし』
「そう、そうだよね!塞いで貰う!」
そうと決まれば鍛冶屋さんと冒険者ギルドにお願いに行かなきゃ。残り少ない体力と精神力が尽きる前に急いで回ろう。頭もぼんやりするし、地竜の巣から離れられたことで気が緩んだせいか凄く凄く体が重い。
冒険者ギルドに着いてすぐ受付嬢さんを呼んでもらう。これまでダンジョンの場所を聞くのと買取後に冒険者証を出せと言われた際の返事しかしたことないけど、何とか伝えなきゃ。
「あの、地竜の巣、閉鎖して欲しいんです。入り口を鉄板とか槍じゃ壊せないように徹底的に」
「コフィ…リーフ様、その突然どうされたんですか?」
「地竜の巣、入り口塞いでくれないと私やばいんです」
『落ち着いてリーフ、大丈夫だから。ほら、泣いちゃダメ。四徹は、まだ無理させすぎちゃったみたいね』
焦燥感から涙腺が緩んでくる。大剣入れから邪魔になる大剣を抜いて一旦床に突き立てておく。ドシンという音と近くのテーブルが少しずれる程度の衝撃を立てると、先だけを刺して立てておこうとした大剣は、その重さで床下の地面にまで到達したようで半ば程まで沈んだ。もう一本はもう少しそっと置いたけど、テーブルこそズレなかったが重みから床板を貫いて同じ深さまで沈んだ。大剣は地竜を斬り、砕き、潰し、抉りぬいた血のりで黒く汚れており、何度も受付嬢さんを「ヒィッ」と怯えさせてしまったがそれどころではない。
「もうトカゲ全部狩って来たので、もう大丈夫なので塞いで欲しいんです」
大剣入れをひっくり返し、魔力不足の中、無理やりアイテムボックスを開く。普段がばっと開けるアイテムボックスの呪文は大剣入れ程度のサイズしか開かず、不足する魔力分を体内の何か、意識を繋ぎとめるための体力などが持っていかれたのか、眩暈と吐き気、こみ上げる何かで咽てしまう。
「ごほっ…すみません。その、これ」
堪えられず手を当て咳をすると押さえた手の指間から血が流れ落ちた。でも、そんなことに今構っている暇はない。吐いた血だってウルザに蹴られて吐いた量に比べたら僅かに過ぎない。大剣入れをひっくり返し、狩った地竜の中で割と綺麗に転がった牙や首と、戻りがけにアイテムボックスの空きがあるだけ詰め込んできた死骸が大剣入れに展開したアイテムボックスから溢れ出す。ぴちゃぴちゃと音を立て受付カウンターの前に地竜の頭や体が転がる。魔石はまた後できちんと出せばいいと思い、まずは地竜を倒した証拠を出す。
「ヒッ、キャッ…キャーーー!!マスター!ギルドマスターー!!」
受付嬢さんは椅子を倒して奥に駆け込んでいった。ギルド内に血なまぐさい獣臭が漂うが、テーブルに座り先ほどまで談笑していた冒険者たちがこちらを見て凍り付いている。
「あ、あの、みなさまスミマセン」
話したこともない人達、しかもゴリゴリのマッチョが多いので、怖くて目も合わせないようにしていたのに、トカゲをここで出したこと怒られるかと思って頭を下げる。黒のゴシックドレスだけは持前の呪縛により自己修復しておりキレイなままでも手足や頬、靴や靴下、スカート内の足は地竜の返り血で汚れたままだった。頭を下げたまま後悔するものの手遅れだった。
「うぅ、せめて体洗ってからくるべきだったのかな」
『多分そういうことじゃないんじゃないかしら』
ガタガタとしばらく椅子や机が音を立てる。やはり怒らしてしまっていたのだろう。何を言われるのかな、どうやって謝ろう、そう考えながらゆっくり体を起こすと凍り付いていた冒険者たちは一人も残っておらず、ギルドは空になっていた。
「あの棺…いえ、失礼。リーフ様でよろしかったでしょうか」
呼ばれて振り返ると白い顎髭を綺麗に切りそろえた筋肉質な壮年の男性がカウンターに座っていた。受付嬢さんは、その男性の服を掴むようにして後ろからこちらを窺うように座っている。
「ご用件は、地竜の巣を塞いで欲しい…でしたか」
「そう!そうなんです!あの、ほらこれ」
地竜の巣の牛サイズなトカゲは全部倒したことを説明するところから始めようとしてしどろもどろになる。普段冷静に見えるのに、説明するときも落ち着いてすれば大丈夫だからと父や先生に言われたことを思い出す。父や?先生?
「受肉……地竜級の魔物が受肉したのか……」
「トカゲは全部、倒したのでもういないんです、けどアイツが」
「ヒッ、ギルドマスター、ほら、地竜をトカゲって、ほら」
「お、落ち着きたまえ。棺引…リーフ様、全てとは?」
「あ、あの、いるやつ全部です。ほら」
大剣入れを再度傾け紫色で拳大ほどある魔石を出していく。
「わ、分かりました分かりました!大丈夫、もう大丈夫です」
ごろごろとカウンターからギルドマスターの足元に落ちていくがまだ五十個も出ていない、あと三倍はある。
「お願いします。すぐ、何とか今すぐ地竜の巣塞いでくれないでしょうか。その、中から何も出てこれないように!塞ぐ費用としてその石あげるので、足りなければもっと出します!お金も、お金も必要なら出すので」
「い、いえ多すぎます。これほどの魔石であれば数個で十分頑強な封印を施せるでしょう。それに、受肉した地竜となれば一匹でも脅威です街を守るため防衛費が出るよう要塞都市のギルドマスターとして掛け合いますので」
「数個で足りるなら使ってください!十倍丈夫なやつにしてください!今すぐ施工にでてください!!私、私鍛冶屋さんにもお願いに行ってきます!」
「あ、待って、リーフ様、宿はどちらに!?」
「何て言う所か知りませんが、大きなお風呂と可愛いメイドさんのいるところです。それでは」
床に刺した大剣を抜き大剣入れに刺し直し、地竜のコアを一個取り出すと受付嬢さんに「床の修理代につかってください」と渡しておいた。冒険者ギルドは魔物からとれたものをお金に変えてくれるので何とかなると思うけどダメだったら後で宿代で余ってるお金とウルザの財布の残金を渡しに来よう。冒険者ギルドを出ると、よくここの冒険者がたむろしている鍛冶屋さんを目指す。
『リーフ、貴女戦っている最中は、あんなに饒舌なのに、普通に話すのは苦手って残念で仕方ないわね』
「ぐ……だって緊張するんだもん」
鍛冶屋さんは冒険者たちが通うだけあってギルドからも遠くない。剣と盾を模した看板のある大きなお店。厚みのある扉を開け中に入る。ここにはハウスブルクのように趣味で大剣を作ってる人はいないらしく店内や見えるところに大剣はない。しかし、厚みのある盾や両手持ちの剣は華美な装飾はなく、実用品として磨き抜かれた作品なのだと思う。
「…いらっしゃい、でいいのかい?あんたぁ血生臭ぇな」
「すみません、トカゲ狩りの帰りのまま来てしまって」
自分の姿と、考えてみれば四泊五日コースでダンジョンをめぐり返り血にまみれ汚れていることを思い出すと恥ずかしくなる。
「あの、今日は武具でなくて、その、お願いがあって来ました」
「はぁ?おめぇさん、来たこともねぇツラ見せてウチで買い物する訳でもねぇってことかい?」
日焼けした筋肉の塊のような腕を見せつけるようにカウンターに置いて前のめりに凄む鍛冶屋さん。
どうしよう、こういった反応が苦手だから普段近づかないのに。
『リーフ、戦ってる時だと思って話すといいのかも』
戦いの時のように、戦いの時のように、すぅっと息を吐き気合を入れ直す。今は苦手とか言っている場合じゃない。ここで折れたらウルザが戻ってくるまで間に合わないかもしれない。喧嘩腰の人なら、こちらも多少喧嘩腰でもいいはず。セルティの言う通り、これは戦い、私の命を守る戦いなんだ。実行しなけば大丈夫、本当に殺さなければ大丈夫。だから意志だけ、意識だけ、気持ちだけ、気合だけ、殺す気で行こう。
黙らねば殺す
反論すれば殺す
聞かなければ殺す
態度を改めねば殺す
すぐ取り組まねば殺す
依頼を飲まなければ殺す
言う事を聞かなければ殺す
目を逸らし逃げればすぐ殺す
足元から床を這うように昏い想いを孕んだ呪いが黒い霧となって広がっていく。血糊を落とさないままの大剣からも黒い靄が立ち上る。
「地竜の巣を塞いで欲しいの」
アイテムボックスに戻せなかった地竜のコアを大剣入れの道具箱からいくつかカウンターに並べていく。視線を逸らさず店主と思わしき日焼け筋肉ダルマに告げる。店主は見えるほど全身から汗を拭きだしてヒューヒューとか細い呼吸音を鳴らす。
「費用は払うから、今すぐ取り組んでほしいの」
射殺すように睨み付けると口を開けパクパクと言葉ではない反応を示す。地竜とぶつけ合った殺意を、凄んで来た店主に向ける。それでもまだ色の良い返事を返さない。ダンジョンにいた時のような感覚で、店主の圧に負けないようにしながらも丁寧な声をかけに注力する。店主の後ろの方、鍛冶場のほうからは、ゴトンと金槌が落ちたような音が何度も聞こえる。
その時ガチャンと、勢いよく扉の開を音が響いた。
「リーフ様お待ちを!何卒お待ちを!!どうか、平に、平にお待ち願います。店主殿お話があります!」
冒険者ギルドのギルドマスターが走って追って来たようで息を切らしている。集中力が切れダンジョンにいた時のような緊張感を維持できなくなってしまうと、周囲の黒い霧も空気に溶けるように消えて行ってしまった。
「あの、私、すぐに地竜の巣を」
「大丈夫です、分かっております。すぐ!すぐ取り掛かります!なんなら先遣隊が既に地竜の巣へ向け資材を運び出しているハズです。馬車も用意してあります。棺引き様のご気分を害されることが無いよう万事滞りなく進めております。ですので、どうか、どうかここは冒険者ギルドのマスターにお任せいただき、リーフ様はどうぞ一度旅の疲れをお癒しください。ご安心ください、街中の大浴場付きの宿、全てすぐに入浴できるよう伝令を飛ばしております。リーフ様、どうでしょう?お疲れではございませんか?お疲れでございますよね?先ほど地竜を全て狩り尽くしたとおっしゃっていたではございませんか!そうでした、どうでしょう、そちらの大きな剣もこちらに預けて整備していただいてはどうでしょう?私もこの店であれば安心して預けられると推薦できますし、リーフ様がどちらかへご出立されるまえに、いえ、万が一リーフ様を訪ねる者がいたら、面会となる前には必ずやお届けいたします。ですから、どうかここはお任せください。どうか、どうか宿の方でお待ちください。すぐに増援を送り地竜の巣は塞ぎますので、何卒平に、平に!」
地竜の巣について再度お願いしようとしたところ、何を言っているか分からない程ギルドマスターは一気呵成に話しながら私の背中を押し鍛冶屋から出されてしまった。
『大丈夫そうね。良かったじゃないリーフ』
「うん、うん。……私、帰って寝たい」
『先に大浴場ね。何だか沸かしてくれたみたいだもの』
「お風呂入って、寝る」
安心したら疲れが出てきた。手ぶらで宿に戻ると、いつものメイドさんがいつものように小さな悲鳴を上げていたが、慣れて来たのかお風呂に案内されると髪まで洗ってくれた。私は心が緩んだからか、武装した魔物のダンジョンで武装したオーガをここのお湯で沈めた話や地竜の巣でトカゲが襲ってきた話をした。ぽつぽつと話していると、いつしかクスクスと笑ってくれたのを嬉しく感じた。




