災厄の気配
『要塞都市っていう位なのだから戦場を想定しているのよね』
ハウスブルグを経ってから、数時間が経過している。ハウスブルグ周辺では牧場や田畑が、復讐のための旅程とは思えない程のどかな風景を作り出していた。
要塞都市ガングリオンを目指す幌馬車に乗っている者が少ない。向かいあって10人以上は乗れる馬車の中には、大きなカバンを抱えている恰幅の良い中年男性と、10歳にも満たない女の子を連れた夫婦、それと私しか乗車していない。馬車は森に沿いゴトゴトと長閑に移動している。
「大昔に王国を守ったって聞いたことあるけど、どんなところなんだろ」
「何だい嬢ちゃん、ガングリオンに向かうのは初めてかい?」
鞄を抱えた中年男性が私の独り言に答えてくれた。要塞都市は隣国が攻め込んで来た際、強固な壁となるよう堅牢に作られた高い壁と見上げるほどの要塞によって成り立っていて、時代に合わせ補強しているので今でも王国の防衛線として機能しているとか何とか。
「ハウスブルグから離れて、要塞都市がこんなところにあんのは魔物の氾濫から王都を守るって役目もあんだ。嬢ちゃん、あんたダンジョンって知ってるかい?」
『あら、こんなところにダンジョン生成してる物好きがいるのね』
「ダンジョンを生成している何かがいるの?」
「あん?生成?ダンジョンは突然現れる魔物と資源の宝庫さ。不思議なことばっか起きて命を落とすやつが後を絶たねぇが魔物素材にダンジョン素材、上手く行きゃ一攫千金ってわけよ。要塞都市はよ、戦争さえなきゃ近くにいくつかあるダンジョンに潜る冒険者達の一大拠点ってわけだ。俺ぁよ、そこの冒険者相手に商売してんのさ」
抱えた鞄に手を入れると、いくつか毒々しい色の液体が入った小瓶を見せてくれた。傷を治す薬や疲れをとる薬の原薬らしく、中年男性は薬を適度に薄めたものを売る商人らしい。
「だが最近、変な噂が流れててよ。ダンジョンの魔物といやぁスタンピードって言う魔物が溢れかえる災害位しかダンジョンの外には出て来ないんだが、ここ数日夜な夜な魔物たちがダンジョンから出て別のダンジョンに入って行くって言うんだ」
「えぇ私達家族もハウスブルグで、その噂を聞いて、もしスタンピードの予兆だとしたら自宅のある要塞都市内部の方が安全ではないかと思って戻るところなんです」
商人の話に夫婦が交じる。スタンピードは私も知っている。ダンジョンの魔物が減らないと時々溢れかえって人里を襲うといったもので、規模によっては街どころか国も滅ぼしかねないと聞いている。
『リーフいいかしら?ダンジョンには2種類あるのよ。1つは神の使徒が人を鍛えるために作ったもの。鍛えて強力な悪魔に対抗しようって目的のもので文字通り神の試練ね』
声を出すと不審がられると思うので、頷いておく。ダンジョンに神様の試練があるなんて初めて知った。
『もう1つは悪魔が作ったもの。その土地のエネルギーを利用して魔物とダンジョンを作り出して資源や宝物で人を釣って依存させ欲や邪念を集めるの。魔力や生命力なんかも吸収するし、あわよくば魂まで奪うけれど、依存させた方が長期的に見れば利が大きいのよね。強い人間の方が良質なエネルギー源になるから結局神の試練と同じく人を鍛えるような構造になっていて深くに行くほど宝の質も良いし魔力も強力になるの』
なるほど。セルティみたいな悪魔が管理してて、人から邪念を集めてるってことね。
『スタンピードは、人が入らなければ力を得られないのに誰も来ないダンジョンの悪魔が、余った土地の力で魔物を増産して行う警告が主ね。悪魔も作ったダンジョン内でしか力を得られないからダンジョン外で人を殺してもメリットがないもの』
「なら、スタンピードでもないのに魔物が出るって変だよね」
『えぇ、しかも悪魔側からしたら自分のダンジョンで作った魔物を他の悪魔のダンジョンに出すなんて損しかしないもの。異常と言って差支えないわね』
商人と親子たちは話に夢中になってつぶやきに気づかないようなので、セルティと堂々と話す。ハウスブルグまでは、痕跡が全く無かった“災厄の悪夢”、あいつは国に戻りと言って私の故郷から東にある王都の方へ飛んで行った。戦火をどうのと言っていたから必ず何かある。その何かがここにあるのかもしれない。
『リーフの仇が飛んで行った方角とも合致するものね。あ、リーフ、ちょっと体貸してくれないかしら』
「ちょっと貸してって貸すものじゃない気がするんだけど」
『いいからほら早くなさい』
「急になんなの、本当にちょっとだけだからね?……“憑依”」
ダンっと大きな音を立て馬車内で踏み込むと商人の目の前に手を出し、同時に幌馬車の幌を貫き商人に向かってきた矢を掴み止める。
「な、ちょっ、や、矢だ!何だ何が起きた!?」
「キャーーママぁ」
「御者さん、何が起きているんです」
「ま…魔物!魔物の群れだ!クソ、ガングリオンまで距離があるってのに」
少ない人数だが馬車内は混乱状態に落ちった。御者も周りを見回し狼狽えているせいで不安が馬にも伝わり停車してしまった。少なくとも矢を放つような魔物がいる中ではいい的にしかならない。
「ほら、リーフが遅いからギリギリになっちゃったじゃない」
そんな中、セルティだけは飄々と、見えないところから飛んできた矢を掴んだとは思えないほど落ち着いていた。幌を少し上げた隙間から外を見ると森の中から次々に魔物が出てきている。緑色をした子供のような魔物は手にボロボロの武器を持ち、皺くちゃの顔で黄色い目をニタつかせ集団で馬車に向かい歩いてくる。
「ご、ゴブリンの群れ……」
「コボルトもいっぱいいる」
御者と商人が震えあがって見ているのは二足歩行で立つ狼コボルトだ。こいつらも群れており、杖を持ったコボルトが幌馬車に向かって火の玉を放った。ボッと音を立て幌が燃え外が見えると、小さいゴブリンやコボルトに私より大きなゴブリン型の魔物、ホブゴブリンも混ざり100を超える魔物が馬車を囲うように歩を進めている。
「さぁ、リーフ。今日の筋トレも済ませましょ。ちゃんと剣の使い方、見習いなさいよ」
『セルティこれ全部あのデカイ剣で倒すの!?』
御者も親子も商人も身を寄せ震える中、乗り合い馬車の停車駅に着いたかのように軽やかに馬車を下りると魔物が密集する方へ歩き出す。アイテムボックスを進む先に展開すると両手を広げて地面から沸き上がる大剣を右手、左手に一本ずつ持ち羽を広げるかのように魔物の群れに向かう。
「当然じゃない。素振りじゃ伝えられない斬るって感覚、貴女に教えてあげるわ」
セルティは、体が隠れる程デカイ剣を持ったまま、重さも感じさせずに口元に手を持ってき小指で口紅でも塗るかのような仕草をすると妖艶に微笑んだ。
そこからは、まさに地獄絵図だった。
大剣は体が隠れる程の大きさで拳よりも厚みのある鋼鉄の塊。セルティは重さを感じさせない動きで動くけれど、剣が当たればゴブリンの頭は吹き飛んだ。斬れるとか、断ち切るとか叩き切るとかでなく、重量にものを言わせた爆散。
右手の大剣で薙ぎ、勢いに引かれる体で左の大剣で切り上げると触れた端からゴブリンの体は弾け、コボルトは左右に体が分かれ、飛び散る血しぶきで周りの魔物が真っ赤に染まる。
「フフフ、さぁ!さぁ!さぁ!さぁ!もっと寄って頂戴!!斬り応えがないんだもの、せめて束にくらいなりなさい」
『セルティ、もうちょっと加減してお願い、これ絶対体おかしくなるから、足も腰も腕も分解したくなるやつだからこれ』
棍棒を振り回すホブゴブリンを棍棒ごと胴体を切り裂き、倒れ行く体に飛び乗ると杖を持つ魔物が集まる群れの奥へ飛び込む。膝を曲げ、杖を持ったコボルトの頭に勢いよく蹴りだすと自分の体を抱くように大剣を抱え群れの中心で円を描く。血しぶきと脳漿が円をより広く大きく見せた。
「あはは、そんな奥からコソコソこそこそしてるからよ。ふふ、もう少し前に出ていたら楽に死ねたのに残念ね」
『止めて、セルティお願いヤメテ、これ私大丈夫なの?私の体大丈夫なのこれ?』
ドシンドシンと大きな足音を立て、ひときわ大きな赤いからだの魔物が森から顔を出すと、商人の男がオーガがどうのこうのと叫んでいた。私としてはオーガがどうこう叫んでることより、あのお姉ちゃんに皆殺されちゃうと泣き叫んでいた幼女の錯乱っぷりが気になった。
「グォォォォォ!」
オーガは丸太のように太い棍棒を振り回し襲い掛かってきた。セルティは、棍棒に向かうように跳ぶと丸太を搔い潜り背中側へ回り込むと他の魔物と同様、一太刀で胴体を上下に分けた。
「いいリーフ?鈍重な武器を振り回す奴は懐に潜り込まれると弱いの。気をつけなさい」
『今振り回してる大剣、あの丸太より重そうなんだけど』
ゴブリンにコボルトで死屍累々の状況を作り上げオーガまで倒れると、まばらとなった魔物たちは踵を返し森の中へ帰って行った。
「せめて最後の一兵まで諦めない姿勢が欲しかったわね」
大剣を地面に落とすようにしてアイテムボックスに沈め馬車に向かい歩きだすと、商人と業者が抱き合い、家族は娘を隠すように固まり魔物ではなく私に対して怯えていた。
「嬢ちゃん、あ、あんた……名のある冒険者か何かだったのかい」
「さぁ?でも覚えておいて頂けるかしら。リーフ、貴方達を救ったのは名のある冒険者でなく私よ」
商人が絞り出すような声を上げると、御者がその背中に隠れる。
「ねぇ商人さん、あなたが扱っている薬に筋肉痛に効くものはあるかしら?」
「筋肉痛?ポーションにゃ怪我に効くものはあるんだが、筋肉痛に効くかは分からねぇ、筋肉痛ぐらいで高価なポーション使う奴がいないからな」
「なら怪我に効くやつでいいわ。一本譲ってくれないかしら」
「お、おう!もちろんだとも。あんたぁ命の恩人だ!街についたら必ず、ちゃんと礼をするからな」
商人に声をかけると返事を聞き流すように馬車に乗り込む。馬車は幌こそ失ったものの車輪も荷台も特に問題なく、馬も逃げ出していない。
「お嬢さんの名前なんて言うのかしら」
「ぁ、ぁ、ま、マリィです」
「そう。マリィ。安心していいわ、私、貴方達に危害を加えたりしないもの」
「む、娘が失礼を!助けていただきありがとうございました」
「気にしていないわ。御者さん、障害は無くなったのだし、馬車を出してくださらない?私、少し疲れてると思うから、きっと眠るわ」
怯えていた子を庇うように父親が抱き寄せている光景を目にした後、セルティは座った格好を崩し空いている座席で横になると憑依から体を私に返した。
途端に全身を激痛が襲う。肩から腕ごと外したい程の痛みに、何かがちぎれているかのような足、上下がくっ付いているいるのか不安になる程の腰痛、痛みが強すぎて声も出ず、耳だけがピーンと張りつめた。
『やっぱり体を動かすっていいものね。多少動きが悪くてもスッキリするわ』
痛すぎて呻くことも出来ず、セルティに恨みの念を向けても『運動が出来てリーフの怨念まで浴びられるなんて最高ね』と喜びだす始末。確かに、あの時体を預けていなければ商人さんは矢に頭を貫かれ、魔物の群れに囲まれていたのは分かるもの。結果的には良かったと認めるけれど。
でも100体以上の魔物を倒したのなら、大分強くなったんではなかろうか。どんな力を手にいれたのだろう。そう思っているとセルティが考えを見透かすように。
『そうそうリーフ、筋トレにはなったから肉体的には強くなれても、倒した魔物の瘴気で貴女が強くなる訳ではないから、私が憑依している時には動きをトレースできるように見て、感じて、技を盗みなさい』
しれっと、そんなことを言い放つものだから体中の悲鳴が一層強まった気がした。呻き声を出すのに肋骨が痛む。
『大丈夫よリーフ、商人さんが薬を出してくれるから』
横になった私を見ると、ようやく無事である実感を持てたようで、御者さんや商人さん達が騒がしかった気がしたけど、体が痛くてそれどころじゃなく、耐えきれず意識を手放した。馬車の揺れで全身が痛み目を開けると商人の座る周りにいくつか緑の液体が入った瓶が見えたので、横になったまま手を延ばした時、あれこれ言われて渡された薬を飲んで、またすぐ意識を失った。