書置きの効果
食の都ハウスブルクに朝日が昇る。色とりどりの装飾を施す商店街、食の都に恥じない個性的な飲食店が軒を連ね広場を囲う。噴水にかかるように上る朝日を広場にあるベンチの上から眺めてみると、この街の建築技術の高さに感動する。
そんな興味の無い建築だなんだのという部分に目が向けられる状態であった。そう、結局私は宿を見つけることが出来ず噴水広場と呼ばれる噴水を囲うだけの広場で夜を明かした。ベンチで横になっていると朝日が昇る前から屋台を組み立てる音に起こされて朝日を眺めることになってしまったのだった。
「無駄に広い……もう今からでも宿屋いって寝たい」
『折角だし、食の都と言う位だからリーフに向かって欲しい場所があるんだけど』
なんだろう。
セルティは私の独り言や恨み言を、よくワインがどうとか酔いがどうとか言ってるけど、私がお酒飲めないの知ってるはずだし。
「食べ物とかお酒より、私は寝たいんだけど……どこ行くの?」
『屠殺場』
「よし!寝る!おやすみセルティ宿屋が私を待っているもの」
今、私結構いい笑顔で走れてると思う。最近で一番自然に笑顔が零れたもの。街行く人や市場の準備をしているオジさんオバさんに手を振ると手を振って応えてくれるの。素敵。人と人ってこんな挨拶で心が繋がるのねフフフフ。
『リーフ、現実逃避しないで聞いて。屠殺場って怨念が溜まるだけじゃないの。飼い主との別れの悲しみや、泣く泣く売ってしまった飼い主の後悔とか、本当に良いところなのよ』
フフフ、今の説明のどこに良いところがあったのかな?
もー、やだッあたしったら聞き間違えちゃったのかなックスッ
『リーフ、徹夜で壊れていても伝わってくるのだけれど、貴女、語尾に星や音符がつくような喋り方は似合わないから止めた方が良いわ』
「頭の中にいるからって考えまで読まないでよ。私にだってプライバシーがあるの」
『ぶふ……そ、そうよね……リ、リーフにも王子さフハ、あははは』
「笑わないでよ!いいじゃない!私にだって王子様が現れたって!!」
市場にも人が賑わう中で叫んでしまったことを、やっと見つけた宿の中、寝付けない程後悔した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日、孤高の賢者と呼ばれるクレス=ウィズムは交易都市リューンの東、丘にある草原で夢を見ていた。
エルフとしては年若い彼が、人と比べても尚若く、時の回廊を作り時代に置いて行かれるずっと前。周囲の同級生は、まだ魔法どころか魔力操作や魔力感知の練習に励んでいる少年時代、その類稀なる魔力と抑えきれない好奇心から彼は大人の目を盗み、いくつもの禁術を身につけて行った。
クレスは寂しかったのだ。
圧倒的な知力は年の近いものを彼から遠ざけた。
圧倒的な魔力は年の離れたものにも敬意を払われた。
圧倒的な魅力は年に関わらず異性から奇異の目に晒された。
そして、圧倒的な能力は彼を両親からも引き離した。
止む気配の無い他国との戦火はクレスが生まれる前から続いていた。王国は焦っていたのだ。切り札も無く、続く戦火で抱える猛者も減るばかり。どこかに力のある者はいないのか、と。クレスは親許を離れ王国の英才教育を受けた。
クレスに寄り添うものはいなかった。
深い森の中で、周囲の木々にすら紋様を描き魔力を滾らせる。彼が禁術を駆使してまで叶えたい願いからすれば、それは自然な事だったのだろう。
「永久に、共に歩めし者よ。我が前に姿を現せ」
エルフの寿命は平地に山が形成される様を見届けられるほどに長いと言われている。今でこそ、血が薄れ短命になっていると言われているのに、今でも千年を生きるエルフがいるのだ。しかし、先祖がえりを起こし、超古代のエルフの血を宿す若いクレスにはエルフすら短命なのだと理解できていた。
どうか、この寂しさを埋めて下さい。
どうか、この僕と仲良くして下さい。
どうか、この孤独を終わらせて下さい。
聡明なクレスを、将来の不安が、いつか来るであろう孤独への恐怖がいつも身を焦がしていた。星を見守るものとして生きるとされるハイエンシェントエルフ。神代の大戦でいなくなった種族への先祖返りにより、現代では自分ひとりである永久を生きる者。想像する永遠の孤独は暗闇の中で時が過ぎるのを待つだけのような気の狂いそうな昏いものであった。
永遠を生きるものの召喚。気を失うほどの魔力を費やして禁術とされる、その召喚魔法は成功した。
不死なる者を喚ぶ魔法。現れたのは夜闇のように漆黒の毛並を携え蒼い瞳が炎のように揺らめく、猫だった。
「ははは、こんなに苦労したのに失敗か……いや、例え人を呼べたとしても、そこに主従に縛られるだけだとしたら、かえって言葉の分からない獣の方が良かったのかもな」
疲れから地に膝を付き猫を見据えていた。真っ黒な、そしてどこか恨めしいような目つきの黒猫。魔力も高く、ただの猫ではないのかもしれない。しかし、ジトっとした目つきとムスっとした表情、そして漆黒の中に輝く青い炎の揺らめきのような宝石のような瞳。手をかざし頭をなでようとしてもフイっと手を避け前足を舐め始める黒猫。
「はは、俺の呼びかけに応えてくれてありがとう。そうだな、お前はクロ、黒猫のクロだ」
時が流れた。
成長したクレスは開戦した国と国の戦争を個人で止められるほど圧倒的な戦力となった。
いつしか人はクレスを賢者の王「賢王」と呼ぶようになった。
時が流れても、変わらずクレスは一人だった。
けれど彼の傍には、いつの時もクロがいた。
彼は、もう寂しく無かった。
時が流れ、戦争に固執する王国へは隠居すると述べ辺境の地に移った。村だったリューンが栄えるように手を貸し、静かに暮らしていた。その頃になって、ようやく人間で言えば十七、八に達した。
居室に向かう通路に時の回廊を作り上げた。居室で過ごす時間、周囲の時の流れに置いて行かれる。戦争に重きを置く醜い権力者たちからも、戦争の悲惨さを体験した者たちからも忘れ去られるよう、最低限リューンが廃れず平穏を築けるよう、時折村にだけ手を出し、時代からおいて行かれ忘れ去られるよう隠遁の生活を送った。
周囲の時の流れが速いため、ありがたいことに書籍だけは家を出るたびに新しいものに出会えた。魔法の研究も進められているが、戦時を知らないものの空想を拡大したような間違った解釈、頭打ちになる理屈が世に蔓延していることを把握すると、いよいよ自分が時代から切り離され、取り残されていることが体感できた。
本を読みながらお茶を飲み呟く。
「永遠に生きたとしても、クロがいる。俺はそれで十分だ。おいでクロ」
黒猫はクレスの膝の上で丸くなった。
過去に築いた蓄財を運用し自宅の管理を任せた。時折食事を運ぶ使用人以外は部屋を出るたびに違う人間になっている。自身の生活のため発展の手助けをしているリューンの村でさえ、孤高の賢者として敬遠され無暗に人が近づかなくなっていることを知ったのは王国歴でいえば何年前にあたるのだろう。
それがいつであっても構わない。平和であれば、孤独がないのであれば、クロがいてくれるのであれば、俺の生活は満ち足りている。
人との繋がりがなくとも、本があれば物語の登場人物と繋がれる。外界にいる生ける者と違って僕を置いていなくなることのない、僕の頭の中に住み続けてくれる登場人物の方が僕には身近な存在だ。物語の勇者のように姫と結ばれるような未来が永遠に訪れなくとも、孤独に悩んで生きる僕を、物語はいつも救ってくれている。時に置いて行かれても、クロと本があれば僕は満ち足りているのだ。
その永遠を共に歩む友が部屋の扉を出てしまった。時の加速に置いて行かれ見失わないよう、すぐに部屋を出て追いかけたが既に十日ほど前から見当たらない。久方ぶりに太陽の昇り沈みに合わせて暮らしクロを探し続けた。喚んだその時から、いつも一緒にいた。悠久の時を一緒に過ごして来たクロは、どれだけ探しても見つからなかった。
他人から見たら姿かたちこそ黒猫だが、およそ異形の存在。永遠を生きる怪異。しかしクレスにとって、クロは友であり、心の支えであり、生きる意味であった。
――クレスの目が覚める。
「あれは……クロが別れ際に見せた幻だったのだろうか」
クロと同じ耳を持ち、クロと同じ蒼い炎が揺らめく瞳を持ち、クロのように恨めし気な目つきで、クロのように猫らしく簡単には懐かない。クロが溶け込んで一体化した女の子。
そんな女の子が、家の前にいたのだ。
そんな女の子と、言葉を交わしたのだ。
そんな女の子を、両腕で抱き締めたのだ。
リューンが寒村から交易都市へと姿を変えるほどの間。時の回廊などというものを作り上げ星が終わるその時まで時間を加速させようとしていた。自らの命を絶つという逃げ道に負けたくないというプライドから、自身の死が望めないのであれば星の終わりを待てばいいのだと、永遠を生きるのなら終わりが早まるようにと時間を進め、自分の周りだけ時が凍り付いたような空間でクロと本を読んで過ごす日々を送った。
クロを失い気力も失ったその時、クロが姿を変えた女の子との出会いで凍った時が動き出したのを感じた。クロが俺に人との関わりを持てと、人をクロを大切にできたように大切にしろと、クロへ向けた以上の愛を以って番を見つけ愛せと、そう訴えてきたように感じた。見失っていた生きる意味を再び見つけたように感じたのだ。
「あれは……俺を想い天へ還るクロが見せた幻だったのかな」
空を仰ぐ水色の澄んだ瞳から一筋の涙が零れた。心が洗われるような気持だった。
結局俺は、周囲の期待に応えていただけだったんだ。魔族や魔物、悪魔の手から人々を守る者として期待を受け、応えた。人々が飢えることのないよう言葉を交わし知恵を授けた。どれもこれも人に望まれたものに反応していたにすぎない。いつしか相手の印象を崩さないよう、俺を僕に変え、その性根まで変わったように振舞うことで、演じることで自分を偽ることに疲れてしまったのかもしれない。
クロを喚び出したときのような好奇心を、わくわくと緊張を、子供の時と同じよう求めたいという自分を押さえつけていたんだ。涙が、そんな偽りの僕を洗い流し、クロを喚んだあの時の俺に戻してくれた。そんな気がした。
「ありがとうクロ。いつまでも心配かけてゴメンな。もう俺は大丈夫、これからは一人でも生きていけるから、だから、もう心配しなくていいんだ」
いつまでも一緒。そんな想いを押し付けてこれまでついて来て貰った。
いつまでも一緒。そんな想いを受け止めてここまでついて来てくれた。
そんな友が見せてくれた最後の幻。幸せな夢。
冷静さを取り戻し涙を拭い体を起こす。不思議なことに気持ちは軽やかなのに体が少し重いように感じる。覚えがないが怪我でもしていたのだろうか、周囲に自動治癒の発生痕が感じられる。最初は、どこまでも、どこまでも力を抜き、女の子になったクロを抱きしめて眠る幸せな夢から覚めたくない僕だったさっきまでの心の名残かと思ったが、魔力感知に集中するとクロのネックレスに付与してあった万が一の時の自動回復の術式と、誰のだか分からない拙い治癒術の痕跡が感知できた。痕跡から推測するに3日程度、ここで俺は眠っていたらしい。
立ち上がると、ふと地面の違和感に気付く。周りの草を薙ぎ倒し、石などで深く掘られた溝。よくよく目を凝らしてみると書きなぐった文字だと分かる。
『不届き者の妄想野郎へ
私は、あなたの飼い猫ではない。
女の子に急に抱き着くな!!
リーフより』
全てが現実であると理解した孤高の賢者クレス=ウィズムは、その喜びを表現するために叫びだすのを止められなかった。




