アナザヘヴン その3
ピーター青年に連れられてたどり着いたのは、こじんまりとしたスープショップだった。
複数の店舗が寄り合って共有のオープンテラスを形成していて、どの店で購入したものでも好きな席に持ち運んで食べることができるらしい。
各店ごとのごみ処理費用の分担問題で、この手の店は三十年代後半から減少しつつあるのだが、まだまだこの辺の店では現役のシステムらしい。
俺は二種のスープとサラダのセットメニューに、別の店からサンドウィッチを購入して、なるべくきれいな席が無いかと探していた。
おごりだと誘ったピーターは、控えめなのかフルーツミックスのスムージードリンクとホットドッグという珍妙な組み合わせで俺の後ろをついてきていた。
いやいや、マスタードソースとスムージーの組み合わせはないだろう、流石にそれは悪趣味じゃあないかと心の内で批評をしながら席を探っていると、今日はどうにも顔見知りと遭遇してしまう日なのか、これまた別の知り合いと視線がぶつかり合ってしまう。
「あら、刑事さん。こんな場所で会うだなんて奇遇ですね」
「パスカーレ先生、貴方こそこんな時間にこのような場所で出会うだなんて、予想外でしたよ」
顔見知りではないピーターだけが、キョトンと瞳を丸くしていた。
しかしパスカーレ先生の方はピーターの顔に見覚えがあったらしく、おやといった表情を浮かべ、俺と彼の顔を交互に見比べていた。
「ゴミ回収の男の子と刑事さんの密談だなんて、不思議な取り合わせもあったものですね」
「密談だなんてそんな――」
「どこかでお会いしましたっけ――」
俺とピーターが、全くほぼ同時に話しかけてしまって、二人して口を噤んで顔を見合わせてしまう。
なんというか、振り回されてしまった感じだ。
パスカーレ先生はその様子が大層ツボにハマったらしく、腹を押さえてくすくすと笑い声をあげていた。
「ふふっ? ごめんなさいね。でも可笑しくって……ふう。ええと、私は今日は非番だから、ゆっくりした休日を送っているのよ。それと、そっちの君とはね、私の家の周りのゴミ回収をしている場面によく出くわしていたのよ」
「はあ、なるほど……確かに、ピーター君はゴミ処理業者だから、家の近所なんかでもよく見かけはするでしょうね」
「正確には下請け業者ですけどね。ええと、どこ住まいの方かは知りませんが、顔を覚えていなくてすみません」
「あら、いいのよ気にしないで。仕事で忙しいでしょうし、住民の顔なんていちいち覚えていられないでしょ? 気にしていないから、別に良いわよ。それよりも、何時までも棒立ちしていないで、座ったらどうかしら? それとも私とは一緒に遅めのランチを取るのはお嫌かしら」
いいえ、滅相も無いとばかりに、俺たちは慌てて開いている椅子を引いて彼女と同じテーブルに同席する。
なんだか不思議な気違いのお茶会になってしまったぞと思いながら、とりあえず俺が二人の紹介を済ませることにする。
「こっちの彼の名前はピーター君、仕事内容はご存じのようだから割愛する。それで、こちらは心療内科のパスカーレ先生、現在は俺の主治医の一人を務めあげている御方だ」
「お医者様でいらっしゃいましたか……主治医?」
「敬語は使わなくて結構よ。プライベートな環境で、かたっ苦しい言葉は聞きたくないわ。貴方も、『先生』とは付けないで話してね、刑事さん」
「『刑事』さんも止してくださいよ先生。それが嫌なら、俺の事もヴィンセントと呼んでください」
冗談めかして俺たちは笑う。
なんだか久々に笑える場面に出会った気がした。
しかしやっぱり不思議な組み合わせのランチテーブルだ。
不思議の国のアリスで例えるならば、パスカーレ先生が不思議の国に迷い込んだアリス少女で俺が狂った帽子屋か。
するとピーターは三月ウサギか。眠りネズミは不在だが、中々的を得た比喩表現だと称えたい。
俺は脳みそを挿げ替えたことで何度も正気を失いかけているし、孝行兄貴のピーターだって、繁殖期の兎並みに妹さんの目玉に固執してしまっている。
二人そろって一般的な人間とはかけ離れていて、まさに気違いのお茶会だ。
皮肉の混じった諧謔表現に腹を揺らして笑っていると、そこに水を差すかのようにピーターが疑問を俺に投げかけてくる。
「心療内科の先生が主治医という事は、やっぱり体調が悪かったんじゃないですか?」
「あら、ヴィンセントさん。それは本当ですか? プライベートな時間に仕事は持ち込みたくはないのだけれど、体調が悪いのでしたらきちんとおっしゃってくださいよ」
「いえ、そんな、大したこと……かは、判りませんが……そうですね。少し、お話しておきましょうか」
「……席を外しましょうか?」
「いや、そのままで構わないよピーター君。部外者の、第三者の君の意見も聞いてみたいしね。ただ、どうしても聞くのが嫌だったり、聞いていて気分が悪くなったら言ってくれ。途中で離籍しても構わないから」
俺は自分の内心や、ここ最近の実情を吐露した。
ピーターの為にもなるべく判り易くするために、事故にあう直前のあらましから話してやった。
キャラダインの確保、事故、そこからのマークスの死――
闘病生活、痛み、不安、身体のすげ替え――
ミザリーさんへの恐怖と不満、職場の苛立ちと暴力、苦しみ、辛み――
それら全部を話し終える頃には、俺の目の前に置かれたスープはすっかり冷え込んでしまっていた。
果たしてパスカーレ先生は複雑な表情を、ピーターはと言えば以外にも、すこぶる憤慨している様子だった。
「名前を何度も間違え続けるとか、どうかしていますね! 二度、三度ならともかく毎度毎度間違え続けるのは無神経だと思いますね! それに主治医のブロイヒさん! 無責任すぎるでしょう! 説明不足にもほどがありますし、パスカーレさんもちゃんとヴィンセントさんの事を想って行動してくださいよ!」
「い、いやそこまで怒る必要性は……」
「ヴィンセントさんも、自分の中で抱えずにきちんと主張してください! 口に出してくれなきゃあ、判らない事だってたくさんあるんです!」
「お、おう……いや、うん、そうだね……」
何かが彼の琴線に触れてしまったらしく、ひどく怒りの文句を口にしていた。
だがそんなシンプルで直情的の怒りの文句が、俺の心の重しを取っ払って、すこぶる軽さを感じさせてくれた。
縁もゆかりも薄い人間に、真正面から叱ってもらえたり代理で怒りを浮かべてもらえるのが、こんなにも救いになるとは思ってもみなかった。
「大体そのブロイヒという先生もおかしいですよ。いくら何でも脳みそだけを交換するのは変じゃないですか? 普通、首ごと交換するものだと思うんですけど!」
「ううん、それはどうかしら? 首の筋肉の太さや血管も都合もあるから、首から上を挿げ替えるよりも脳だけを取り換える方が手っ取り早くかつ安全だった可能性の方が高いわね。バロウルによる神経網の再形成手術も、後日何度か分割して施行した位だし、かなりぎりぎりだったに違いないわ。それに、ぶっつけ本番の新施術法だもの。不手際の一つや二つ、発生してもしょうがないわね」
「いや本人を目の前に不手際とか言われると……どう反応すればいいんだ、俺は」
まったく俺は困ってしまって、冷たくなったスープを啜る事すらできそうもない。
これでは何のために食事を購入したのだか判りゃしない。
苦笑いを浮かべつつ、スプーンでスープをかきまぜた。
「それで、心療内科の先生からは何かアドバイスとかは無いんですか? うつ病を軽減する心構えとか、お薬の処方とか」
「さっきも言ったけれど、薬は出せないのよ。でもそうね……ひとつ考えはあるにはあるわ」
「考え? それはどんな?」
スプーンを動かす手を止めて、俺はパスカーレ先生に注視した。
彼女もまたすっかり冷めきってしまった珈琲を一口含んで飲んだ後、俺の胸元に指を向けた状態で対処法を講じてきた。
「これはあくまで自意識の調整手段として教えるわけで、外部に対する対処法ではないのだけれども、何らかの問題に面した時、あるいは深く思案する必要性に駆られた時、マークスなら一体どのように対処するだろうかと一旦考えてみるの。次に、その考えに対して自分ならどう判断するかと考える。このように思考を二段階に分けることで感情の起伏を抑え、なるべく俯瞰的な視点で物事を推し量れば、不意に押し寄せる激情への防波堤代わりになるわ」
「つまりマークスの考えをエミュレートしろってことか?」
「一言で言ってしまうなら、そうよ」
彼女はこともなげに言い放つ。
まさか適当な事を言っているんじゃあないだろうなと疑いの視線を向けてしまうが、パスカーレ先生はさしたる動揺も無く落ち着いた態度で珈琲を飲み干した。




