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バロウル -超心霊的医術-  作者: 茜丸大悟
後の章 新世紀エゴイズム
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アナザヘヴン その2

 突如言い渡された、三週間の休暇。

 上司は俺に傷心旅行を勧めてきた。

 だが、何処に行けという? 何をしろっていうんだ?

 この俺の心の暗闇を照らす事など、旅行などでは出来そうもない。

 気晴らしすらやる気になれず、ひたすらアパートの中で芋虫の様にのたうつことしか俺にはできなかった。

 死にたい。死にたくない。

 生きたい。生きていたくない。

 そんな気持ちで胸の中がいっぱいだ。


 外にも出かける気力も湧かないが、食うや食わずやの生活を送る訳にもいかなかった。

 もはや使いまわされすぎて陳腐を通り越した言い回しだが、人間、生きているだけで腹が減る。

 辛く苦しい現実から逃れるように、絵空事ばかり思い浮かべている訳にもいかない。

 三週間の休暇を終えれば、再び元の職場に戻って刑事としての職務に励まなければいけないんだ。

 ただでさえ怪我の後遺症で基礎体力が落ちているというのに、食事を怠って筋力や体力を落とすわけにもいかなかった。


 服を着替えて財布を取り、玄関を出る。

 念のためゆっくりと扉を開いてみたのだが、何も置かれていなかったので俺の心配は杞憂に終わった。

 毎夜毎夜ミザリーさんが、()()()()()()()食事をこさえてやって来て、毎夜遅くまで愛しの夫が帰ってくるのを待ち続けては、何時までも帰らぬ姿に落胆して、その場に弁当を残して帰宅していたらしいのだ。

 らしい、とかそうだ、なんて文句で言い表しているのは、俺が直接目撃していたわけじゃあないから。

 同じ階の住民やアパートのオーナーから、苦情込みでの報告を俺に伝えてくるからだ。


 まあ、想像しなくても不気味だろうさ。

 手に弁当をぶら下げて男を待ち続ける未亡人の姿。まるで怪談だ。

 しかもその女は部屋に明かりが灯っている事にも気づかずに、ずうっと待ち続けているというのだから、完全に気がふれている。

 俺は今、自主的な自宅謹慎を行っているような状態だ。だから必要最低限の外出以外は控えているし、当然その数少ない買い出しだって日中に行っている。

 いつもと帰宅する時間が異なるのだから、当然彼女と出くわす事はない。

 なのにあの人は何時も何時も馬鹿正直に帰宅の時間に待ち伏せて、俺の――マークスの帰宅に備えている。


 学習能力が無いのか、応用が利かないのか、要領が悪いのか。

 彼女は俺が部屋の中に居ることに気付かない。ちょっと玄関から離れて、外からアパートを眺めれば電灯がついていることに気付くはずなのだが、そんな事にも思い至らない。

 機械の様に、或いは条件付けされた犬の様に、想像力を働かせることなく待ち続ける事しかできない壊れた人間もどきになっていた。

 まともな人間なら、夜な夜な待ちぼうけている不審な女性を放っておくわけがない。

 彼女は三日目にしてようやく通報され、俺は駆け付けた警官の聴取と大家や隣人の報告によって、ようやく事のあらましを理解した。


 毎朝新聞を回収する際に弁当箱が置かれていることから、夜中のうちに置いて帰ったのだと思い込んでいたと説明する俺。

 愛しの旦那のために食事を届けに来ただけだと伝えるミザリーさん。

 住民の一人の外見が、何時の間にやら変化していたことに初めて気づく隣人。

 騒動のあらましは知っていたが、いくつかの事情が重なって摩訶不思議な事態になってしまったと叫ぶ大家。

 それら全員の証言をまとめ、どうにか穏便に済まそうとする警察。


 結局のところは俺が身分証明となる警察手帳を提示した上で、市警本部からの伝達や病院からの施術説明でなんとか警官二人に事情を呑み込ませ、ミザリーさんを自宅まで送り届けると同時に心療内科への受療を強制させることで一件落着することになった。

 そんなひと騒動が起きたのが四日前。

 彼女はそれから俺の部屋にはやって来てはいない。

 警官を呼ばれたことが功を奏したのか、心療内科の受療が成果を上げたのか、事情は俺にも判らない。

 だが、彼女が俺の部屋を訪れる事をやめた事実だけは本当にあった事なのだ。


 俺を悩ませる原因の一つが取り除かれて、少しだけ気が晴れる思いをした。

 いや、もちろんぬか喜びかもしれない。彼女はまだまだ気が狂っていて、機会をうかがっているだけなのかもしれない。

 またぞろ明日から何食わぬ顔で食事を持ってこないとは決して言い切ることはできないだろう。

 だがそれでも、一時的であろうとも彼女の視線や言葉から解放されたという事実は、ぬぐい去ることのできない本当の幸いだと呼べた。

 とはいえ御先は真っ暗なままだ。

 俺のこの肉体の事情には、何一つ好転の兆しはない。

 いっそのこと整形手術で顔も身体も作り変えてしまいたい。

 そうすればきっと、今よりはるかに楽になれるはずだ。

 けれど執刀医のブロイヒ先生曰く、脳神経も含めた全身のバロウル手術の経過確認の必要性や、何らかの後遺症・副作用が出てくる可能性も踏まえて、向こう数年以上のバロウル医療行為を禁止されてしまった。


 別に後遺症が残ろうが、副作用が発生しようが――それこそ、死んでしまおうが構わない、とは……流石に言えなかった。

 今のような生活を送るよりはずっとましだとは思うが、それでも懸命に手を尽くしてくれただろう先生に対して、命の価値を貶める様な言葉を向けたくはなかった。

 警官を辞めることも視野には入れていた。

 誰も俺やマークスを知らない田舎にでも引っ越して、ひっそりと暮らしてみる事も考えてはみて。

 だが、もしそんな場所に移り住んだとしても、結局彼ら新しい隣人たちの瞳に映るのは、俺の心を包み込む、マークスとしての姿である。

 誰一人として、俺の本来の姿を知る由もしない。

 名前こそ言い間違われる心配は無くなるだろうが、ヴィンセントという人間の外見を完全に勘違いされたままになってしまう。

 それはそれで、非常につらい。

 だから、引っ越すつもりにもなれなかった。


 はぁ。ため息をつく。

 昼飯を食べに行く道すがらの最中に、随分ナイーブな事を考え込んでしまっていた。

 あてもなく歩きながら考え事ばかり続けていたものだから、今自分がどの場所を彷徨っているのかすら判らなくなってしまい、思わず苦笑が漏れた。

 時計を見れば、家を出てからもう一時間近くが経過していた。

 道理で足に疲労が溜まっている。空腹感も限界だ。

 もう何でもいいから手ごろなものでも食べようか――そんな事を考えながら、視線をきょろきょろ巡らせていると、見覚えのある、意外な人物と目が合ってしまった。


「お――」

「ええと……こんにちわ刑事さん。お仕事は、お休みですか?」


 金髪の雑な髪型に緑の瞳。

 甘い顔つきに質素なシャツを着た男子。

 孝行兄貴のピーターが、生け垣に腰を下ろしたまま俺に話しかけてきた。


「ああ、いや俺は……」


 つい、いつもの癖で俺は自分がマークスではないと反射的に否定しようとしてしまうが、よくよく考えると相手は俺の名前もマークスの名前も知らないことに気づいて、言葉を途中で取りやめた。

 まったく、口癖というのは怖い。

 いや、口癖になるほど同じ台詞を言い続けているほうが、よっぽど怖いか。

 思わず苦笑を浮かべてしまう。

 ピーターは、そんな俺の反応の意味が判らず困惑した表情を浮かべていた。


「ああいや、すまない、何でもないよ。個人的に思う所があっただけだ。プライベートな事だから、君のせいという訳ではないよ、ピーター君」

「そうですか? なら良いのですが……刑事さん、体調でも悪いのですか? 顔色がかなり悪いですよ」

「ううん、まあ、決して良くはないかな。お腹がすっかり空いてしまっていてね、フラフラなんだ」


 冗談めかして俺は言う。

 罪の無い幼気な青年に余計な心配をさせてしまう程、俺は人が悪いつもりは無い。

 多少無理してでも元気であるところをアピールして、彼の心配そうな表情を緩めてやった。

 だがやせ我慢であった事はバレバレだったようで、より一層心配そうな表情を浮かべさせてしまった。


「よくわかりませんが、お仕事大変そうですね。ニュースで見ましたよ。目玉の潰れた例の死体の事件以降、似たような事件が起き続けているって。捜査、大変なんですね」

「ああ、神経網連続消失事件か。ちょっと事情があって、俺はしばらくその件から離れていたんだけど、事態はちょいとややこしくなっているみたいだな」


 キャラダインの事故死によって事件は暗礁に乗り上げたとばかり思っていたのだが、事態はどうにも摩訶不思議な領域に足を踏み入れてしまっていた。

 アメリカの東部を中心に、神経網の一部が消失してしまう事件が勃発していた。

 あるものは寝ている間に足の一部を、またある者はキャラダイン同様に死体となった状態で、身体の一部の神経を抜き取られてしまっているという怪現象が発生していた。

 FBIは夜な夜なバロウルを用いて神経採取を行っているカルト団体の仕業ではないかと予想し、ニュースキャスターはこれはブラウ男爵の再来だ、だなんてメディアを賑やかしている。

 警察の無能を笑い、叩き、或いはこれは幽霊の仕業だ、バロウルの乱用によって化け物が現れたんだ、などといった飛ばし記事を書く雑誌も現れ、まったく始末に置けない状態だ。

 外野は言いたい放題言えて楽な気分だなあと、大層馬鹿にしてしまいたい気持ちにも駆られるが、一応俺も警官という当事者ではあるものだから、迂闊な発言もできそうにない。

 俺の事情もさる事ながら、世間も実に狂乱している。

 嫌な世界だ、まったく。


「そうだな……遅い昼飯がてら、君からも少し意見を尋ねてみてもいいだろうか? 事件発端の第一発見者の一人なんだし、何か面白い新発見もあるかもしれない。良いかな?」

「えっ……? いいんですか、一般市民に事件の内容をお話しちゃっても……」

「なに、なに、かまやしないさ。ただ、消化に優しいものが食べたい所だな。いい店、知っているかい?」

「なら……ストリート沿いに美味いスープの店がありますよ。そこにしますか?」


 スープか、そりゃあいい。

 俺は大満足と言いたげに、満面の笑みを作って大きく頷いた。

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