バベルの薫り その6
隣部屋の雰囲気は、先程まで居た謁見の間とほぼ同一くらいの広さがあったが、いくつか異なる点があった。
まず、四方にろうそく立てがない。この為先頭を歩く付き人が持った行灯の明かりが無ければ、真っ暗で何も見えなくなってしまうだろう。
次に、出入り口から少し離れたところに百両箱や葛籠などが置かれていて、なんだか田舎の物置を彷彿とさせた。
教祖の私室とはとてもではないが呼べそうも無い。
きっと中間通路代わりの物置部屋なんだろうなと恭二は当たりをつけていた。
このまま奥にあるだろう教祖の間にまで案内してくれるのかと思いきや、
大遜霊師オリヤは突如立ち止まって葛籠の蓋を持ち上げて、中から座布団を取り出しその場に敷いた。
どうも奥の間までは案内してくれないのだなと、恭二は少しがっかりしていた。
「お座りなさい。姫屋、お前も隣に」
「はっ、オリヤ様」
付き人の名前が判明したが、そんな事よりも教祖の私室を見学させてはくれないかと願い出したい恭二であったが、そんなことを言ってしまえば今度こそ叩き出されるに違いないと自制心を働かせていた。
恭二の思惑はさておき恭二と丹生谷の見学者組、オリヤと姫屋ら宗教組といった形で、向かい合うように座布団に座る。
唯一の明かりである行灯は、ちょうど真ん中の位置に置かれていた。
「さて――どこからお話しましょうか」
「どこからもあらへんやろ、どうしてこの岩本のニイチャンを追い出そうとしたんか、説明してもろう為にここまで来たんじゃ。早う言いねえ」
おいおいおい、そんな言い方じゃあ相手の機嫌を損ねるだけだぞと、心のうちで制止する恭二だった。
もちろん付き人の姫屋は青筋を立てて怒り心頭の様子だったが、大遜霊師オリヤの方はあいも変わらず涼しい顔つきをしていた。
と言うよりも、元から表情の起伏が極端に薄い。
先程の謁見の間の時からだが、表情は一編たりとも動いていない。
摩訶不思議に煌めく紫色の瞳でじっと見つめ返してくる。ただそれだけだった。
「それでは順から申し上げましょう。そちらの貴方、恐らくは親族の方相手だとは思うのですが、腎臓あたりをバロウルなさいませんでしたか?」
「なっ……なんでそんな事知ってっ……あ、あんたらあ、ワシの事調べとったんかぁっ?!」
唐突にオリヤが告げる丹生谷のバロウル系歴が正解だったのか、彼は驚愕抗議を口にする。
電話による事前予約はこの為に必要だったのかと恭二も同じような事を考えたが、オリヤはゆっくりと首を横に振り否定する。
「口を慎めッ!! オリヤ様は類稀なる霊力を有しておられるお方、貴様程度の未熟な旧人類の事など、すべからく霊視によって判明しておるわ」
「姫屋、全てとは言いすぎですよ。わたくしに理解るものといえば、バロウルによる霊的な線の有無やその部位の場所、嘘付きな方か否か……などと、些細な事柄ばかり。君ほど物理的な効力を発揮するニルミタは有しておりません」
「……はっ、出過ぎた真似を。お許しください……」
恭二と丹生谷は醒めた目線で二人のやり取りを眺めていた。
霊力等といった言葉を持ち出してきたので、まるで茶番に思えてきたのだ。
実際に事前調査を施していたか否かはさて置いて、まさしく新興宗教らしい会話に呆れ果てていた。
「つまりあんたは、ワシの身体をレーシだかなんだかで見て、姪っ子に腎臓を提供したのを見破った、そう言いたいっちゅーんか」
「姪っ子さんとは知りませんでしたが、概ねそのとおりです」
「ハッハッハ! まるで超能力者気取りやのぉ!」
大笑いする丹生谷を、今にも殴り掛からんとする表情で睨めつける姫屋の顔つきが対照的だった。
これまた茶番の様な展開だなと恭二は他人事じみた感想を抱いたのだが、どうもそれはオリヤも同じらしく、相変わらずの表情を浮かべたまま紫色の瞳で見つめ返してきた。
ドクン。恭二の胸の鼓動が高鳴る。
この瞳で見つめられるのは、やはりどうしても慣れない恭二だった。
霊視能力を馬鹿にし続ける丹生谷を無視したまま、オリヤはゆっくりと口を開く。
「先程の数字はつまり、バロウル移植をおこなった数字の事です。先程の間で身入りの儀を執り行っている御二方は、男性の方が十七回、女性の方が三回行っておりました。そして貴方は――」
すぅぅと細められるオリヤの瞼。
抑揚のない声で言い放った。
「――無、ゼロです」
「本当かい、ニイチャン」
恭二は黙って頷く。
彼はバロウル移植行為を行ったことは一度も経験したことが無かった。
「……どうやって調べとんのか知らんけどなあ、移植なんてやった事のない人間の方が多かろ? そないな理由で駄目出しして、入信はお断りだのすぐ帰れだのは、やっぱ傲慢とちゃうんかね?」
「そ、そうですよ。ここまで遠路はるばる訪れたのに、すぐに追い返されるのは心外です」
「教義の事をお忘れでしょうか? 我々の教義はバロウルによる身体移植を繰り返す事により、小尋常的な人間という形骸から霊心を解き放つ処にあります。これまで一度も取り換えたことのない御方は、見込み無しと判断しても仕方のない話ではございませんか?」
「た、たまたま機会が無かっただけで、気が向いただけかもしれないじゃないですか」
「偶然? かもしれない? おかしなことをおっしゃられますね。自分の事なのに、まるで他人事みたいにおっしゃられる」
ぎくり、恭二はわずかに身をよじる。
勢いに任せてしゃべりすぎたと理解して、二の句が継げないでいた。
その隙に、姫屋は言葉を畳みかける。
「むろん、バロウルを行ったことのない者でもオリヤ様は受け入れられる。だが、その者は事前の電話予約の際に一言未経験者である事を伝えすらしなかった。真に入信する覚悟があるとするならば、その位のビジネスマナーは守るべきではあろう?」
「び、ビジネスマナー……? 宗教にそんなん当てはめるとか、どうかしとんのじゃないか?」
「いいえ、宗教は立派なビジネスですよ、丹生谷さん」
再びオリヤが言葉を紡ぐ。
「別に拝金主義に被れるだとか、お金儲けが主軸というわけではございません。団体の維持、掲げた教義の主張、施設の運営、この世に生まれ落ちた以上、お金とは切っても切れない関係にあります。我々も、うまくお金と付き合っていく以上、ビジネスを学びそれに従わなければいけません。仏教だろうとキリスト教だろうと、お金との付き合い方を見れば我々とそう違いは無いでしょう」
「せ、せやかて全部の宗教がそうとは限らんやろ……?」
「もちろん例外もあるかもしれません。ですが我々は少なくとも、これを一つのビジネスだと捉えております」
確固とした自信をもって答えるオリヤの姿に反論を付けることは難しい。
そもそも宗教がビジネスであるか否かを論破してみせたところで、恭二の入信を許されるかどうかは別の話である。
いやむしろ恭二的にはあまり深入りしないように、少し距離を置いた仮入信にとどめておくつもりでいたため、儀式を見ることなく追い出されてしまうのは困りものだが、逆に本格的に入信させられてしまうのも簡便だった。
恭二の理想はほんのさわり程度、軽く浅く触れてみて、新世代のバロウル的新興宗教のデータを集めてみたいだけだった。
しっかりとした潜入捜査を行うかどうかはその時の手ごたえ次第で、今はまだ深くのめり込むつもりはさらさらなかった。
だがその願いも、どうやら状況が許してくれそうもない。
丹生谷とオリヤたち宗教側が、恭二の扱いを勝手に取り決めようとしている。
恭二は頭を抱えていた。
「お互いの身体の一部を預け合う関係になるのです。生半可な覚悟で来られた方にはお断りをするのも致し方のない事ではありませんか?」
「……そうやな、そこは認めてもええ。ワシも冷やかし半分じゃったからな、別にあんたらと仲良くしとぉて来たわけでもなし、お互いに嫌がってんなら無理強いもよかないね」
「その通りだ、理解したのなら疾くと帰れ!」
「待ちぃや! ワシはええとしても、こっちのニイチャンはまだ判らんじゃろ? 真面目に入信したいんかもしれん。もうちっと話位してやってもええんちゃうか?」
「えっ!」
いや別に残念ではあるけれど、別に本気で入信したい訳じゃあ……とは流石にこの場で言うわけにもいかず、恭二は言葉を濁してしまう。
ここまできて食い下がってしまったら、それこそ入信の意思ありきと捉えられてしまう。
かといって拒否すれば今日の取材が無駄になってしまう上に、他の新興宗教団体で入手したつまらない情報でつまらない記事を書かなくてはならない事になる。
浅くとも深くともならない、記者魂のジレンマが恭二をさい悩ませていた。
もういっそ、教祖の独断で拒絶してくれれば楽になれるとオリヤに熱い視線を送る恭二だが、相手は表情一つ変えることなく涼やかな表情でこう返す。
「お話ですか。構いませんよ。そうぞ、お好きにお尋ねください」
終わった。
最後の逃げ場を塞がれて、恭二は天を仰いでいた。




