バベルの薫り その3
「さて、ご質問がもう無い様でしたら、施設の案内と神秘体験の仮導入を致しましょうか」
恭二がしばらく黙っていると、秋根修養員がそう告げて立ち上がる。
施設の案内は大変宜しいが入門体験は大変喜ばしくないと口が裂けても言えないが、拒否する言い訳も思いつかず、恭二は出来得る限りのスマイル顔決めて、彼女の背に付いていくことにした。
応接間を出て廊下に出ても、壁紙の色は同一で代わり映えの無い光景が広がっている。
やっぱりここは、元エステサロンか何かだったんじゃあないか、帰ったら土地名簿を広げて調べてみるかと考えながら、恭二は案内されるがままに聖加努問総会の敷地内を自由に歩き回る。
スピリチュアルな部分は別として、美容部分を強く推しているだけあり、施設の設備は独特の様相が見て取れた。
スポーツジム、銭湯にサウナ、健康志向をうたった採食メインの食堂。
外にはテニスコートに遊歩道、リラクゼーション目的の温室が二棟。
恭二の主観からしてみてもほとんどレジャーか観光施設と見まごうばかりの設備が多く、宗教施設らしからぬ内容に驚いてばかりいた。
所謂教祖の記念館だとか、宗教団体保有のミュージアムなどを有している団体はさして珍しくも無いのだが、宗教色抜きのレジャー・レクリエーション主体の本部というものはあまり例を見ないなと、恭二は思わず舌を巻く。
掲げる教義から予想していた施設内容と現実との剥離に、これが新世代の新興宗教の姿かと感服すらしていた。
「ご覧になられて如何でしたか?」
「いやぁ……正直、予想と全然違うものがお出しされて、驚きの連続でしたよ。失礼ながら、仏像だとかマリア様だとかが並んでいるものだと思っていましたからね」
「総主は偶像崇拝を嫌っておりますから。我々の教義では神とは己自身が似せるものであって、濫造することを目的とは致しておりませんので」
「確か……物質界のオータルな行いは神霊粒子を甚く損なう、でしたか。なるほど、ご立派なお方ですね」
直前に受けた教義説明から聞きかじった言葉を恭二が少し口にするだけで、秋根と呼ばれた女性は満面の笑みを浮かべる。
そういうスピリチュアルな部分が印象を下げているんだよなあとは口に出さず、恭二は屋内に戻り紙カップに淹れられたインスタントコーヒーを啜る。
その表情は一見して満足気なものを浮かべているが、内心は微妙な面持ちだった。
恭二の感想としては教義がバロウル的な要素よりもスピリチュアルな部分に傾向しすぎているし、宗教施設のほうもあまりに健全過ぎた。
もう少しおどろおどろしいものを期待していたんだがなあと、平成あるいは昭和時代の新興宗教を想像していただけに、少なからず諦念さえしていた。
しかしそのスピリチャル志向と呼べる部分も、例えば幸運のお守りだとか、運気を変える壺などといった物品によるものでなく、ふわっとした言動とバロウルによる施術任せというのが、却って薄っぺらさを増していると恭二には感じさせていた。
「それでは岩本さん、これから御手様方による施術が執り行われますので、見学なさって行ってください」
続けざまに秋根修養員に案内され、恭二は男性用施術室と書かれた部屋へと足を踏み入れる。
ふんわりと漂う甘めの香りが鼻をくすぐり、恭二はくしゃみを放ちそうになるのを何とかこらえながら覗き込むと、編み細工のパーテーションで区切られた空間が目に映った。
仕切りごとに五人の男性がマットの上で横たわっていて、御手様と呼ばれる幹部が二人、彼らの肉体を代わる代わるバロウルしていた。
はたから見るとただのアロママッサージか何かにしかとらえることが出来ず、ここでも恭二はがっかりしていた。
多少儀式めいたところがあるとすれば、壁にかけられた掛け軸に梵字らしきものが書かれている所くらいだろうか。
もはやスピリチュアルを名乗る事さえおこがましい、ただの健康志向団体としか呼べない有様だった。
「いかがでしょうか、岩本さん」
自慢げな様子の秋根修養員の機嫌を損ねない様、果たしてどんな潤色に満ちた返答をすればよいだろうかと、恭二はひどく頭を悩ませ続けるのであった。
それから恭二はいくつかの新興宗教の見学会をこなし、その度に失望の雨に晒され続けていった。
どこもかしこも今までの宗教的な概念に、ちょっぴりバロウル要素を加えただけの団体ばかりだったからだ。
身体に尊師の聖骨を埋めましょう――調べてみると、中身はただの盗聴器。
一時五感機能を絶って精神修行に励みましょう――禅か何かの間違いか。
肉食の業を祓う為に体内残留物を排除しよう――ヴィーガニズムの親戚だ。
専用器具を用いず自らの手でバロウルを成功させる為の会――もはや宗教ですらない。
ろくな相手に出会えなくて、恭二は心が折れそうになる。
これでは酒に酔っているときにさんざん馬鹿にした老い先短い血縁者の肉体移植や、バロウル房中術の方がはるかにマシなのではないかと思うほどであった。
恭二は以前海外のルポ仲間から、バロウル関連のカルト教団の話を聞かされていた。
バロウル開発者であるブラウ男爵を真なる神と崇める熱狂的な教団。
抜き取った内臓をブラウ男爵へと捧げ、地上への再臨を求める教団。
彼が残した聖典の開示を求め、あるいはFBIへとハッキングを仕掛けるサイバーテロ教団。
そんな多種多様で独特のアプローチにふけるカルト集団を求めていたというのに、恭二が出会う新興宗教団体はすべてうわべだけの、バロウル要素の薄っぺらい団体ばかりだった。
SNSや公式ホームページ、口コミなどでは詳しい実態が――特に、儀式の細部などが詳細に明かされていないので、詳細を調べる為には否が応でも現地に飛ばなければならなかったが、期待を膨らませて赴いても予想を下回ることが非常に多く、恭二は何度このテーマを取り止めようかと思い悩んだほどであった。
過度に期待を膨らませすぎた結果ではあるが、それでもまだ恭二が調査を諦めずに何度も挑戦し続けたのは、トリに大きな案件を残していたからこそだった。
その宗教団体の名は――『創如交世智慧派』。
字面からしてとても強そうなワードをしていると、名前をに目にした時も恭二は思ったものだが、団体名に負けず劣らずその教義も他に類を見ないほど狂っている内容だった。
「バロウルによる肉体交換を繰り返すことで、新人類に進化しよう……ねぇ。世の中捨てたもんじゃあないな。まだまだとち狂っている奴が残っていやがる」
恭二は携帯端末で開いたホームページを歩き読みしながら、そんな事を呟いた。
創如交世智慧派が掲げる教義は以下の通りだった。
ひとつ、バロウルによる身体部位の交換により、互いのチャクラ同士が引合い覚醒が行われ霊的エネルギーが加速度的に高まっていく。
ふたつ、繰り返し行うことにより肉体はおろか精神も変容し、より高次のアファメーショナルな視点で物事を捉えることが可能となる。
みっつ、この世に持って生まれた己の肉体をバロウル交換により失えば、前世からのカルマより解き放たれ梵我を創如するに至る。
以上の三つを執り行えば、心意を成した超常なるニルミタを得、大遜霊師オリヤと共に新世代を生きる超人種となるであろう。
「要はみんなでぐっちゃぐちゃになるまでバロりまくって、新人類になりましょうって事だわな」
携帯端末をポケットにしまい込みながら、恭二はニヤリと笑いを浮かべる。
待ちに望んだ正真正銘のバロウル的新興宗教団体との接触に、胸の高まりを抑えきれない様だった。
「聖加努問総会と似たり寄ったりなスピリチュアル具合ではあるが、こっちはアチラさんよりももっとバロウルへの依存度が高いからなあ。くく……面白くなってきた」
不敵な台詞を吐きながら、恭二はとうとう創如交世智慧派の本拠の前まで、あと数歩というところにまで迫っていた。




