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バロウル -超心霊的医術-  作者: 茜丸大悟
後の章 新世紀エゴイズム
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若きアマデウスの悩み その3

 そもそも彼のこの悪癖が――少なくとも、彼はそうだと信じて疑わない――始まったのは、その昔最高傑作と信じて送り出した楽曲が記録的な爆死の結果を出したことに由来する。

 まだ若く、実力も伴って無かった十代最後の夏の日。

 スポンサーに求められた要素をとにかく詰め込んで完成させた曲は、とにかく終始、()()()()()()

 売上は不振、スポンサーの心象は最悪。

 同業者のレビューでさんざんこき下ろされ、担当したバンドは解散し、彼は無能のレッテルを貼られて業界から追い出される寸前だった。


 今から思えば、彼自身もその楽曲には無駄も荒も指摘できるほど、拙くて未完成で商品としての価値がまるで無い、全く駄目な出来栄えの曲だったと自己判断している。

 何よりもスポンサーの意向を拒否できず、すべて飲み込んだ結果支離滅裂な出来栄えになってしまったと評価していた。

 あの時の若い自分にスポンサーの要望を蹴っ飛ばしてまで曲作りを出来たのか、と問われれば、それも確かに難しい話だったと彼も思っている。

 だがそれでも、何か他にやりようがあったのではないのか……そうも考えていた。

 いずれにせよ、その曲が駄作だった事には変わりなかった。


 彼は荒れた。大いに荒れた。

 荒れ過ぎて、別の意味で業界から追放されるのではないかと思われる位に荒れに荒れた。

 酒に溺れる日々。

 泥酔と嘔吐と自己憐憫と、そんな自分への嫌悪感に塗れた日々。

 よくもあんな生活を送っていて、死ななかったもんだと思うほどだった。


 そんな彼に変化を与えたのは、音楽ラジオ番組のディレクターだった。

 彼のデビュー作がお気に入りだったらしく、その才能を枯らすのは惜しいと、足繁く彼の家へと足を運び、世話をしてくれていた。

 彼はまともな受け答えすら出来ない有様だったが、それにも関わらず真摯に接してくれていた。

 今でも頭の上がらない、命の恩人だった。


 ある日男は彼を家に招待した。

 まともな食事を送っていない彼の事を慮っての事だったが、酒で舌を痛めていた彼にとっては、何を食んでも砂の味と変わらなかった。

 何を食べても反応を示さない彼の様子に、男はある提案を出してきた。


「食に喜びを感じないのは、アシェ、それはお前の舌に命が宿っていないからだ。そんな状態では、お前は死んでいるのと変わらない」

「なら俺は、きっと死人なんだ。俺はもう死んでいて、ここに居るのは亡骸だ」

「だったら俺が生き返らせてやるさ。俺の舌を使え、アシェ。それで命を吹き返すんだ」


 バロウル。肉体の交換。

 男は彼に舌の交換を提案した。

 それで味わえ、そして生きる事を思い出せと、彼に向って説いたのだ。

 正直言ってそんな事で生きる気力が蘇るとは到底思えなかったのだが、彼は否定するのも億劫だったため、男になすがままにされ舌を交換してしまった。

 そして、スプーンを握らされ、口元に運ばれるスープ。


 瞬間、電流が走る。

 彼の脳裏に走る有りもしない筈の懐かしさの予感。

 記憶に無い、慣れ親しんだ母の味。

 見に覚えのない幼年期の海の香り。

 母に手料理を振舞われたことの無いはずの彼の過去に、新しいページが上書きされる。


 その瞬間、彼は命を落とした。

 次の瞬間、彼は命を吹き返した。

 その瞬間から彼は、アシェ・ミルハウザーに成っていた。


 その日の内に新しい曲を書き上げ、彼に失望していたはずのスポンサーに叩きつけた。

 紆余曲折があり、もう一度だけチャンスを与えようと言われた。

 曲は売れた。その年のベストヒット曲に選出された。

 男の舌と母の料理が、アシェ・ミルハウザーを生み出したのだ。


 アシェ・ミルハウザーは夢中になって舌を交換した。

 誰かにとっての懐かしい味が、アシェ・ミルハウザーの原動力になった。

 誰かにとってのおふくろの味が、アシェ・ミルハウザーの生み出す音楽になった。

 幼い頃の思い出を塗り替える度に、彼の曲は飛ぶように売れた。

 アシェ・ミルハウザーとは、数多の人間の味覚によって生み出された幼ごころの君の思い出で出来ていた。


「人間誰しも悪癖の一つや二つ、心の内に秘めているものである、か。私は……自由でいられているのだろうか……」


 自分と同姓の作家が過去に記したエッセイ文を諳んじながら、アシェ・ミルハウザーは嘯く。

 曲作りの為に他人の舌を借りて料理を食べている。それは建前だ。

 彼の真の目的は、ただ単に母親の味を恋しんでいる子供に過ぎなかった。

 たとえ偽りの記憶でも、誰かの舌のおかげだったとしても、おふくろの味だと確かに言えるものを欲しがっているだけだった。


 両親が離婚して、資産的に裕福だった父親方に引き取られた彼は親の手料理というものを知らなかった。

 外食か出来合いのものしか食べた事の無い彼にとって、誰かの舌で味わう追体験は、まさしく生を実感させてくれる現実感そのものだったのだ。

 だがそれも、実際の所は夢まぼろしに過ぎない。

 曲を書き終えてしまえば失ってしまう、まほろばの夢だった。


「ミルハウザーさん、バロウルの準備ができました」

「……うむ」


 アシェ・ミルハウザーは頷き、舌の交換に備える。

 誰かの舌で生を感じたいが、誰かから借り受けた舌をそのまま乗っ取ってしまいたい訳ではなかった。

 舌そのものにはそこまでの価値はない。

 親の料理と合わさってこそ、真の価値が現れるとアシェ・ミルハウザーは想っていた。

 舌だけ分捕った所で意味はない。そのことをよく理解していた。


 曲作りという建前で、一日だけ追体験できる逢瀬のようなものだった。

 作り終えてしまえば、アシェ・ミルハウザーは用済みとされる。

 名残惜しさを感じながら、バロウルで舌を剥ぎ取り持ち主へと返す。

 そして、戻ってきた彼自身の舌。

 親の愛を知らない寂しがり屋の彼の化身が、定位置に収まった。


「こ、こ、これで契約は成立ですね、ミルハウザーさん。新曲、売れるようにお祈りします」

「……ああ、判っているとも。この小切手は、契約金だ。受け取り給え」

「ははぁー、有難うございます! それと、あのぉ……印税の方は……」


 ギラギラとした欲望の色も隠そうとはせず、マリオは下卑た笑いを浮かべながらアシェ・ミルハウザーに詰め寄る。

 アシェ・ミルハウザーはそんなマリオの事を冷ややかに見つめながら、ただ一言、


「売上の3パーセント額が自動的に振り込まれるだろう」

「や、そうでございましたか。ふふふ、楽しみのお待ちしておりやす」

 

 欲望を取り繕おうともせず、笑い声をあげるマリオを無視してアシェ・ミルハウザーは立ち上がる。

 舌と料理も無いこの場所に、アシェ・ミルハウザーは居続ける意味を持ち合わせては居なかった。

 揉み手で見送るマリオに一編たりとも気を配ることなく、アシェ・ミルハウザーは帰り路につきながら記憶を反芻する。


 夏の夕暮れ。

 柑橘の香り。

 苦味と甘味。


 歩く度に、記憶いっぱいに広がる生きる喜び。

 アシェ・ミルハウザーは、今日も誰かの舌で生かされている。

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