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バロウル -超心霊的医術-  作者: 茜丸大悟
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片目乞いのピーター その3

 ピーターの散策は一時間ほどに及んだ。

 夕闇に浮かぶアパートのカーテン越しの明かりを眺めながら、教会へ延びる道をあっちへ行ったりこっちへ来たり。


 どの道が一番人通りが激しいだろう?

 朝、すがすがしい空気の中、出歩くならどの道を辿りたいだろう?

 もし自分なら、どの道を通っている時に声をかけられるのが一番迷惑と感じないだろう?

 そんなことを考えながら歩く時間が、ピーターはこの上なく好きだった。


 誰かの生活を予測するのは昔から大好きだった。

 妹のことが無ければへとへとになって疲れ切るまで、あちこち彷徨い続けたかったに違いない。

 けれどもピーターには兄一人妹一人の生活がある。

 歩き続けるにはもう十分に暗すぎる時間帯だった。


 特に理由が無ければ二十時までには帰宅するのがピーターの日課だ。

 途中夜と朝の分のパンだけを買い込んで、駆け足になりながらアパートの入り口にたどり着いたのは、いつもの帰宅予定時刻の二分前だった。

 我ながらベストな時間配分だ。誰とも知れず自慢げな表情を浮かべ、ピーターは部屋の鍵を取り出す。


 カチリ、きぃぃ。

 玄関の扉を開ければ、目に映るのはめいいっぱいの闇。

 畜生。またかよ。ピーターは毒づく。


「ヘルパーの人、また部屋の電気をつけずに帰りやがったな」


 視覚障がい者支援団体のすすめでピーターは週に三度のヘルパーを雇っているのだが、最近代替わりした中国人の女はやたらと節約に拘っているようで、部屋の電源をすべて切って帰宅する。

 真っ暗闇の中で妹を一人にしていくのかと怒鳴りつけたこともあるが、相手は事もあろうに、どうせ目が見えないんだから付けていたってしょうがないじゃないですか、などと無神経な言葉を浴びせてきたので、()しものピーターも手を挙げそうになったことがある。


 見える、見えないだけの問題ってわけじゃあない。

 防犯って意味もあるんだぞチャイニーズ。

 それをあの女……何度言っても聞きやしない! 一体全体これで何度目だ!


 ピーターは思いつく限りの呪いの言葉をしたためると、よし決めた、明日はこれらを全部吐き出してやる、いつもの日課は中断してヘルパーを交代するように言ってやると誓いをたてた。

 がしゃ、ばさん。

 憤りと不満を表現するかのように、荒々しくダイニングのテーブルにパンを置くと同時に、丁度タイミングを計っていたかのように奥の部屋から小柄な少女が現れる。


「お帰りなさい、ピーター。今日もお疲れ様」

「アリシア、ただいま。俺の方はいつもの通りだからなんともないよ。それより、アリシアの方はどうだった?」

「ピーターと同じ。つつがなくいつも通り。けど、今日はいつもより夕方の鳥たちが静かだったかも。ひょっとしたら、そろそろどこかへ渡ってしまうのかも」


 少女――ピーターの妹アリシアは、すっと足音も無くピーターに近寄る。

 盲目者を思わせない滑らかな動きだが、これはあくまで家の中だからこそできる芸当だ。

 何処に何があるか判らない、外の世界ではこうはいかないよなあ……ピーターは身を寄せてきたアリシアへ手を向けながら、これまたいつもと同じことを考えていた。


 何時のころからだろうか。

 外から帰ってきた兄の身体から、妹が外の薫りを嗅ぐようになったのは。

 アリシアは猫のように鼻をすんすんとさせ、手に取ったピーターの両手首から首元にかけて頭を寄せて薫りを味わった。

 やがて、得心でも行ったのか、うんうんと頷いてピーターの顔を見上げた。

 焦点のずれた藤色の宝石箱を見開いて、柔らかな笑みを浮かべながら、見上げた。


「今日は――いつもと違うパン屋さん?」


 解放された右の手のひらでそっとアリシアの髪を撫でながら、ピーターは売れ残りのパンたちへ視線を向ける。

 先ほどまでの不満が立ち消えていくのを感じる。ピーターの心の均衡は無事平穏へと向かいつつあった。


「ああ。ちょっと西の出回りでね、帰りが遅くなりそうだったからそっちで買った」

「そうなの。私、いつものパンよりも、こっちのほうが薫りが甘やかで、好きな感じがする」

「感じ、感じかぁ。アリシアはいつも、そんな言い回しするよな。あれはこうだ、それはこうだって、何かを断定とかしないで、好きな感じとか嫌いな感じとかって曖昧な事を言う」

「だって、そうだって感じるから、感じるとしか言えないもの。ピーターも、言葉にできない何かを感じたりすることだってあるでしょ? そういうことよ」

「そういうもんかなあ」


 左手で顎をさすりながら疑問を浮かべれば、


「……それに、食べてみない事には正しい評価は下せないと思うの」

「なんだ、結局は食欲か! さてはお前、お腹を減らせていたな!」


 アリシアは切れ長の瞳を猫のように細めて、笑った。

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