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バロウル -超心霊的医術-  作者: 茜丸大悟
前の章 イデオロギー黙示録
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バロンの列聖 その5

 あれから半月が過ぎた。

 僕は心に少ししこりのようなものを残してはいるものの、なんとかやっていけている。

 人間不信に陥ることは無かったが、それでも人と話す前に、まずじっと相手の目を見つめる癖がついてしまった。

 相手が口にする最初の言葉、立ち位置、所作の振舞い。これらを観察してから自分の意見を述べるようになった。


 少し貫禄が出ましたねと、言われることも多くなった。

 ……やはり僕は少し変化してしまったのだろう。幼い頃に憧れた、クラウディオ神父の様な人間になりたかったのに、今の僕はまるで別人だ。

 そんな思いに更けながら、僕は自分が受け持っている聖堂に職務を果たすために向かっていたところ、どこか聞き覚えのある声に呼び止められて歩みを止めた。

 振り返る。驚いた。レオ大司教が木陰のベンチに座り、僕にお声を掛けていたのだ。


「レオ大司教、このような場所に何故……」

「何、少し話しでもと思ってな。君も座りたまえ」


 付き人も連れずとは、一体どうしてと少しばかり挙動不審になりながらおずおずと隅っこの方に腰掛ければ、


「大勢で囲むのは気に触るだろうからな。一応、護衛はその辺にいるはずだ」


 その辺とは、また随分曖昧な。

 ただ多少なりとも僕の事を気遣っていただけている様で、かえって恐縮してしまう。

 そんな僕に対してレオ大司教は、ほれ、とミネラルウォーターを一本手渡してきた。

 ……大司教に手ずからペットボトルを手渡される神父って、果たして世の中に何人居るのだろうか。突飛すぎて、思考が逃避してしまう。


「ブラウの事に関してだがな、あれから別の決議があり、その一応の顛末を君にも伝えておく事にした。結局のところバチカンとして列聖調査の事は肯定も否定もしない取決めになった。可能性を残すわけではなく、完全に沈黙する事で世論を黙殺するという方針の上でのことだ」

「……審議中の頃の僕でしたら、なぜ最初からその様な当たり前の判断をなさらなかったのですかと、詰め寄った事でしょうね」

「ほう……?」


 あれから改めて調べ、分かった事がある。

 インターネット上のバロウル信仰は空想ではなく、不確かな存在であれど確固として存在する偶像の神話だった。

 日々の書き込みが積み重なり、狂信と妄言の力が高まっていくのが読み取れた。


 バロウルによって命を救われた人々。

 家族を失わずにすんだ人々。

 深刻な内臓疾患を手術でどうにか切除できた人々。

 バロウルが無ければ確実に死んでいたと思われる、重症を負ってしまった人々。


 書き込みの中には現職の神父もいた。それが真実であれ虚偽の申告であれ、インターネット上にはバロウルを支持する神父の姿も存在したのだ。


「今やカルト教団ですらブラウ男爵とバロウルを直視せざるを得ない段階に入っております。彼を真なる教祖あるいは先達者として崇め奉るか、あるいは完全に逆らい、そのカルト教団独自の教義で無理矢理叩き潰さなければ、集団グループを維持できなくなっています。不思議なのは、どのカルトも即物的な救済思想や黒魔術といった儀式を取り止め、超自然的あるいは物理的な解釈をかなぐり捨てた精神志向の傾向がある事です」

「ブラウが完全に証明してしまったからな。どうあがいても、やつが証明してみせた理論を覆すだけの科学的根拠が無ければ太刀打ちは出来ん。奴のもたらしたバロウルの夜明けはカルトにとっても日没に等しいのだろう」


 アイルランドの怪物バロールは光の神ルーの投げた槍に刺殺されてこの世を去った。

 神話研究科によればバロールもまたルーと同じく太陽の神で、日光がもたらす日照りや山火事などといった災害、過ぎゆく古き年月の象徴ともされている。

 それを新たなる太陽の神ルーが打ち倒すことで、新たなる太陽の到来、すなわち新世代を象徴しているともされる。


 では、この現代のバロールの申し子、ブラウの子バロウルもまた、いずれ現れるだろう光の神に打ち倒される日が訪れるのだろうか。

 僕は不安になる。バロウルを打ち倒せるものが現れるとするなら、それはどれだけ強大な力を持ち合わせているのだろうかと。

 果たしてそれが、善良な神である可能性が、どれだけ残されているのだろうかと。


「もう秋が近づいているのか」


 レオ大司教が足元に飛んできた落ち葉を拾い上げながら、その様な事を口にする。

 手元でくるくると回される落ち葉を見て、僕はついレオ大司教に問いかけてしまった。


「ブラウ男爵が神の御業の一端を紐解いたように、次なる担い手が新たな奇跡を紐解いてしまう可能性はあると思われますか?」


 しばしの沈黙の後、レオ大司教は言う。


「無いとは言い切れんな。一つが読み解かれたとして、次なる数式がすぐに証明されてしまうとは思わん。だが、我々は既に神の奇跡の復元をその手につかんでしまっている。このアスクレピオスの杖が振るわれ続ける限りは、次なるバロールが現れるのも時間の問題だろう」


 バロールの足音が近づいてきている。

 悪しき太陽の神がもたらす冬の時代だ。

 僕は幾分か皺が付いてよれてしまったレポート用紙を取り出し、それに目を通す。

 レオ大司教もそれに興味を持ったらしく、僕に問いかけてきた。


「それは……?」

「FBIから届けられた、ブラウ男爵の獄中記録です。あの列聖調査の時、これを読み上げる機会がありませんでしたから、大司教はご存知なかったかと思われますが」

「フム……」


 書かれている内容の殆どは、すでに公表されている物とほぼ同一だった。

 ただし、バロウルに注視した一部の製薬会社などの圧力により、その完成度を高めさせるため、ブラウ男爵当人に極秘に研究を継続させていた事が懺悔の言葉とともに記載されている。

 バロウル研究において、彼以上に精通した人物は存在しない。その理論の全貌は未だに解明され尽くしてはいないのだ。

 よしんばそれが、二十三年前の時代であれば……研究の継続を、ブラウ男爵自身に続けさせる他なかったわけだ。


 彼は囚われてもなお、悪しきバロールとして君臨し続けていた。

 そのブラウ男爵だが、不思議な事に獄中での死因が公表されていなかった。

 僕は今まで単なる病死か、バロウル実験の失敗か何かで命を落としたものだと予想していた。

 だが、FBIから送られてきたこの資料に目を通した時、僕は思わず目を疑ったものだった。


「ブラウ男爵は……」

「んむ……?」


 あのとき列聖調査の場で口に出来なかった言葉をレオ大司教に打ち明ける。


「牢獄の最中でも政府の意向で研究を続けていました。その死が訪れる二年後――つまり今から二十一年前のことですが、彼はただ一言、壁に『至った』とだけ書き残して絶命していたそうです」

「それはまあ、なんともはや……」


 レオ大司教は、ブラウ男爵が研究者として一定の段階までに『至った』ものだと思っておられるようだけど、実際は違う。

 少なくとも僕にはそう思える。そうとしか思えないでいる。


「その死因は、不明。全くの不明。何故ならそれは埒外の現象で、我々はそれを言葉として表す事ができないからだ――」

「神父? 何を言っている? どういう意味なのだ?」


 僕は最後の一文を読み上げる。

 震え声が掠れて、秋風に吹き消されようとするのを感じながら、言葉にする。


「全神経の損失。ブラウ男爵の遺体を司法解剖に回したところ、その全身から全神経が失われていた事を確認した。原因は至って不明。まさしく彼は、何処かに『至って』しまったのだ」

「………………っ」


 落ち葉が一枚、絶句するレオ大司教の足元に、ひらりと落ちた。

 アスファルトとこすれ、それはカカカカと悪魔の様な笑い声を一言あげて、舞い飛んだ。

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