バロンの列聖 その4
……僕の事をお調べになっていらしたとは。
いったいどうして……とは、言えないだろう。
年若く何の功績も持ち合わせていない一介の平神父が、列聖調査の担当者に任命されたことに少なからず疑念を抱いてしまうのも、そうおかしな事ではないはずだ。
だけどそれとは関係なく、自分たちにとって都合の良い結果を発表させる為に、脅しの材料を探り出した可能性の方が高そうだ。
いや寧ろ、僕に今回の任の白羽の矢が立ったのも、お二方たちが裏で手を回していた結果なのかもしれなかった。
ニコラス大司教が先ほど僕から目を背けたのも、それが原因なのかもしれない。
いつか、何かの時に使える即席の手駒として用意された羊。
それが僕なのか?
……井の中のむかむかが、少しずつ怒りに変わっていく。
「庭師の家業は父の代までの話です。その父でさえもストラット家に仕えていたのはほんのわずかな期間で、ブラウ男爵には一度として会ったことが無かったと言っています。事実、勤め上げた時期とブラウ男爵が渡米していた期間、そしてFBIに身柄を拘束されていた時期を見比べればわかることです!」
「それにしては妙に情報通だねえ君は。ひょっとして、幼い時分から両親に聞かされて育てられたのかな? 昔お父さんたちはバロウルってすごい技術を発明した男爵家に仕えていたんだぞ、みたいに」
怒りで視界が真っ赤になる。殴りつけてしまいたい衝動を自制するのに精いっぱいで、僕は何も口にすることが出来ないでいる。
だけども毒の息は止むことを知らず、次なる嵐を吹き付けてくる。
「そういえばアイルランドはプロテスタントの国家だったよねえ。君の家族も、ストラット男爵家だってそうだろう。なのに何故君は今この場に居るのだろうか? 信仰に、何か強烈な変革が訪れたようにしか私には思えないのだがね?」
「……改宗に、家族のことは関係ありません……! ただ僕は、僕は――神を信仰したい、ただそれだけの為に門戸を叩いただけのことです」
「バロウルを生み出した男がプロテスタントだったから、そこから逃げたかったと?」
「それは違うッ! 違います……ッ! 僕はただ逃避したかっただけでも、何かにただ縋り付きたかっただけではありません。ただ僕は……幼いころに住んでいた町で、改宗もまだ済んでいない僕たち家族のことを暖かく迎え入れてくれた神父様に、憧れと尊敬の念を抱いていただけなのです……」
僕が幼いころはまだ、国境の壁よりも宗教の壁は深く絶壁の様相を呈していた。
今よりも確実に信仰の力が強く、カトリックの町に僕たちの居場所は無かった。
どうして父がプロテスタントの国や町を選ばなかったのかは、今になっても判らない。
ただ、町の子供たちに虐められる僕を助けてくれたのは、カトリックの神父様ただ一人だったのは確かな事実で、僕の大切な思い出なんだ。
「ドメリア司教、話が逸れていますよ。ああシモン神父、つまりわたくしたちが問いたいのはですね、君がブラウ男爵に対する怒りや憎しみを理由にしてではなく、また神への盲信や願望、単なる宗教的な義務感だけで列聖を拒否している訳ではないという事を、君に尋ねたいのです」
……急に、怒りが冷めた。何を言っておられるのだ、ヴェチェッリオ司教は。
話が突拍子もなく移り変わりして思考が上手く働いていないのを自分でも理解した。だから落ち着いて、最初から整理しよう。
若者世代はブラウ男爵の列聖推挙をどう捉えているのか意見を求めたい――この問いかけは、まだ理解できる。
罪と功績を分けて考えるべきと諭される――ここも分かる。乱暴な論調ではあるものの、列聖を通したいという思惑を理解するならば、その意図も読める。
そこから、僕の過去と家族への詮索――ここからが、おかしい。
この場でわざわざ僕に詰問する必然性がないからだ。列聖推進の手ごまとするならば、事前に話を通してしまっておく方が便がいいはず。
審議の当日になってから脅したところで根回しが完了するとは限らないはず。それどころかあからさまに平神父を囲んでいる姿を見ら……れ――……
はっとなり、僕は顔をあげてこの部屋全体に目を広げる。
ニコラス大司教が、レオ大司教が、パウロ司教が、皆様方が、僕のことを注視していることに気が付いた。
「……ヴェチェッリオ司教、追い込みすぎましたねえ」
「いえいえドメリア司教。貴方こそ、話の振り方があまりに下手でしたよ。そこが原因でしょう」
やれやれ失敗だなとでも言いたげに、枢機卿の方々がため息をついたり苦笑いを浮かべたりしている。
つまりこれは、ただの――
「――どうして、芝居なんて打つ必要性があったのですか? そもそもこれはブラウ男爵の列聖調査に関する議題で……それも嘘だったのですか? いったい何処から、何から何まで?」
「いや、ブラウ男爵の列聖審議そのものは本当だ。そこなドメリア司教が推していたのも、一応は真実だ。ま、建前上だがな」
「建前……?」
肩をすくめながら歩くレオ大司教を先頭に、僕の下に近づいてくる。
「言ってしまうとな、君で四人目なのだよ」
「――四人も、このような無駄なやりとりを? 何故?」
僕は睨んでしまわない様に慎重になりながら、レオ大司教を見やる。
果たして大司教は、申し訳なさそうにこうべを下げて僕に謝罪の意を示された。
「実のところ、君ほど込み入った事情――つまり、先祖代々ストラット男爵家に仕えていたという事実はないのだが、これはと思う若い神父たちを中心に問いかける必要性があった。あるいは私たちが、何処まで信徒その人を信ずることが出来るかの、試練をだ」
「心無い信徒やインターネット上のフォーラムで、ブラウ男爵の聖人認可に関する嘆願が多くてねえ。もちろん奴らはネットジョークや質の悪い冗談のつもりで意見を述べているつもりなのは承知しているよ……ただね、その数が膨大でねえ」
数。冗談であれ本気であれ、数の多さは力になる。
過去とは違い、現代社会では匿名性を保ったまま自己の意見を言い述べ合うことが可能となっている。
正しいか間違っているか、本気か不真面目かはさておいて、主義主張を発信できる喜びにあふれている時代を迎えている。
きっとバロウルをたたえる文句を書き示す人物も現れる。それを開発したブラウ男爵のこともだ。
そうやって同じような文面を書いていくうちに、本気になる人間も現れてしまうだろう。ましてやブラウ男爵には、バロウルという強大な力がある。
ブラウ男爵を神格化する人間が現れるのも、きっと僕が想像しているよりも多く存在しているのかもしれない。
「今となっては宗教の力が及ぶ範囲は狭まっている。悲しいことにね。そこで一計を案じた我々はひとつ博打を打ってみたわけだ」
「僕を含む数名の神父に個別に列聖調査を命じ、その後審議の場に引きずり込み、各人の芝居で本音を吐き出させることでそれを尤度とする計画、というわけですか」
「概ね君の推察通りだ。少なくとも、我々を前にしてブラウ男爵の聖人認定を推す者が現れる様では、バチカンの失墜を示すようなものだからな。君たちには悪いが試させてもらった」
質の悪い冗談だ。枢機卿の方々がやるようなお遊びではないと思う。
であれど、このような冗談事にも縋り付きたくなるくらいに状況がひっ迫しているのではと考えれば、ジョークも鬼札に代替わりしてしまう。
宗教の在り方の転換期に差し掛かろうとしているのかもしれない。
「君に向けた心無い侮辱の言葉は謝ろう。だが、我々にも考え合っての行いであったことだけは、理解してもらいたい」
「主は許しを与えよとおっしゃりました。ですが、ですがこれは余りにも……あまりにも卑怯です。立場でも、心情でも、皆さまを許すしか他に無くて……卑怯だ」
「本当に済まない」
違う。そうじゃない。
僕はただ謝罪を求めているわけではなく、もっと何か、何か別の言葉が欲しくて喘いでしまう。
だけど、そのことをなんと伝えていいのかがわからなくて、しょうがなく、ただ許しの言葉だけをお返しすることにした。
「……お許しします」
「シモン神父に、感謝を。そして、これを最後にブラウ男爵の列聖調査の審問は止めることを約束しよう。彼は、やはりふさわしい人物ではなかった。少なくとも、表立って君たちが推薦するようなことにはならないと確信できたのだから」
どうやら僕以外に任命された神父たちも、少なからずブラウ男爵の列聖には反対してくれたようだ。
それだけは、本当の幸いだった。




