バロンの列聖 その3
「シモン神父。……シモン神父」
「は、はい。調査報告の続きでございますね、今すぐ――」
「いや――」
星でも眺めるかのように、喧噪とも呼べる熱の入った論判に意識を手向けていた僕に話しかけてくださった相手は――ヴェチェッリオ司教。
何時の間にやら席を離れ、僕のすぐそばの所にまで立ち位置を変えていらっしゃり、僕の顔を心配そうにのぞき込んできていた。
「フムン……。皆々様、如何でしょう? シモン神父には疲れの表情が見て取れます。今少し休憩を挟んだ後に、続きの書見を話していただくという形にいたしませんか?」
ヴェチェッリオ司教の提案を否定するものはおらず、小休止という事で各々思い思いの行動に移りだす。
一人目をつぶり神に祈りをささげるお方。小規模なグループを作って小声で雑談をするお方。
ともがらを連れることなく、ただ一人何かを考えながら部屋の四方を歩き続けるお方。
議題を煮詰めるために、あるいは思考を清涼なものに切り替えるために、各人適した行動をお取りになられていた。
そんな只中ヴェチェッリオ司教は僕の真横で柔和な笑みを浮かべながら佇んでいるのが、少し不気味に思えてくる。
そんな僕たち二人に向かって、椅子を携えて歩いてやってきたのはドメリア司教だった。
「やあ君、気分はどうだい? ずいぶんと気圧されていたみたいでお疲れのようじゃないか。まあまあ立ちっぱなしじゃあ休みにならないでしょ、椅子にでも座りたまえ」
「はい、いいえ、僕はその……そこまで大きく消耗したというほどでは……それに、恐れ多くもお二方を前にして自分一人だけが椅子に座るなどという所業は……」
「そんな事なら気にすることはないよ。働き尽くめの信徒をねぎらうことも、先達としては必要な行為だからね。それに、せっかく運んできたのに使われなかったら、勿体ないじゃあないかい?」
お二方から促されては、いち神父としては従うほかにないけれど、親交のない司教二人に囲まれた状態というのは正直言って心休まる暇がない。
何せお二方はおそらくブラウ男爵の列聖調査の肯定派なのだから、意味なく話しかけてくるなどという無駄な行為を行う理由がないはずだ。
しかしこんな僕のような一介の神父に干渉してくる意図がつかめない。
判らないからこそ胃が痛む。不安という名の胃袋を握り込んでくる不可視の掌が、ギリギリと時間が経つにつれ締め上げる力を増していく。
「フムン……シモン神父。聊かぶしつけな事を聞いてしまうが、今年で幾つになるのかね?」
「来月に、二十五を迎えます」
「ほうっ! それはおめでとう。いや少し気が早いかな? だがまあおめでとうと伝えておこう」
「そうだね、ヴェチェッリオ司教。年若き後輩たちに祝いの言葉を手向けるのは善い行いだろうさ。しかし、君や私が彼と同じくらいの歳の頃に、このような大任を仰せつかったことなど一度も無かったねえ。シモン神父は中々どうして、優秀な信徒として将来を期待されているのだろうね」
「いえ、自分はそんな……」
「そう謙遜することは無いよ。君の今回の務めには、大きな期待が込められているんだ。あるいは歴史が変わる立役者の一人になってしまうかもしれないね。それは言い過ぎたかな、ははは」
……ブラウ男爵の列聖認可に協力すれば名を残せる。そう仰いたいのだろうか。
ですが司教、僕一個人の発言が、他の枢機卿の方々に影響を与える可能性なんて、万に一つにございませんよ。
そのようなことはお二方ともよくご理解なさっていると思われるのに、何を僕に期待しているのだろうか。
「そんな新進気鋭のシモン神父には、若い世代の代表として少し尋ねてみたいことがあるんだ。君は、君たちの世代は、ブラウ男爵の列聖調査を志願する意見に対して、どのような感想を抱いているのかな? 私たちはそれが聞いてみたいのだよ」
「ドメリア司教、僕はそんな、代表者に選ばれるような人物では……」
「いいえ、君にはその資格があるのですよ、シモン神父。何せ今現在行われているのは列聖審議、この期間我々は一つの結論に達するまで、誰一人として出入りすることがかないません。そのような状態で、今ここに居る若い世代の信徒といえば――あなた以外に居られぬのですよ、神父」
肩に置かれたヴェチェッリオ司教とドメリア司教の手のひらから、意思の込められた強い熱意が伝わってくるのを感じる。
市場調査の一環と呼んでしまえばそれまでだが、おそらくは異なるはず。
何かの思惑があっての問いかけなのだろう。
どうか、助けてください、ニコラス大司教――
僕の救いを求める願いは、大司教には届かない。
否、一瞬だけこちらを見てくださったものの、すぐに視線を戻されて他の司教の方々との談話に戻っていらっしゃる。
僕は見捨てられたのだろうか。あるいは、自分一人で乗り越えるべき試練だと、あえて突き放されたのでしょうか。
いずれにしても、僕は独りぼっちのままだ。
「そんなに難しく考え込むほどの事ではないですよ。なにも神職の代表としてコメントを求めているわけではありませんからね。一般の信徒を含んだ、一介の若者の一人として忌憚なき意見を申してくれる事をわたくしたちは求めているだけですからね」
「僕、僕は――……やはり、ブラウ男爵は聖人としてふさわしい人物であるとは思いません。彼は――……結局のところ、大量殺人者でしかありえませんから」
ほおうと、何やら意味ありげな溜息をつかれるヴェチェッリオ司教。
目を細め、ただただ無言で僕のことを見下ろし続けるドメリア司教。
お二人が置かれた手を払いのけるかのように僕は椅子から立ち上がり、その勢いに任せるがまま衝動的に意見を述べてしまった。
「彼は何ら罪の無き人々をいたずらに傷つけ、百八十四人の尊い犠牲者を出した大量殺人犯です。たとえその研究の成果がより多くの人々を救う手助けになろうとも、彼が行った罪が無くなることはありません」
「罪を一度として行わなかったものなどおらず、また戦争に少なからず与したもの、王としての采配に過ちがあり民草を傷つけたものもおります。だがそれでも彼らは人を多く救い、また罪を償いその両の手の血の赤を拭い去ったものもいるのです。いわんや聖人であれ累が及ぶわけでして、君はブラウ男爵憎しに早計な言葉で批判しているのではないのかね?」
「いいえ、いいえ! 違います! 彼はただ、司法の手にかけられただけで、誓って自らの意思で罪を償ったわけではありません。この世に悪魔のような存在が居るとするならば、彼こそまさに悪魔そのもの、バロルの申し子そのものです。彼は死の間際まで善を理解することはありませんでした。神の奇跡の一端に一度は触れはしたものの、その御心を理解することは一度としてなかったのです!」
ブラウ男爵は異端として裁かれこそすれ、列聖されることなど決してあり得ない。列福の候補として推される事すら本来ならありえない人物のはず。
もしこれが押し通ってしまうような事態に陥るとするならば、もはやこの世の信仰が途絶えてしまうのと同義に違いない。
これだけは、これだけは通してはならないと、僕は矢継ぎ早に意見を述べる。
「彼の行いに一片たりとも慈悲の精神が見受けられることはありませんでした。彼は計画的で、周到で、自分の好奇心を満たすことと、己が信ずる超常現象を証明することしか眼中には無かったのです。彼の世界に他人というものは無く、ただただ研究の材料としか捉えていなかったとしか思えないのです」
「まるで彼を理解しているかのように君は話すが、それはあくまで君自身の想像、あるいは妄想と置き換えてもよいのではないかね? 君は痛烈に批判するが、その根拠でもあるのかな?」
「それは、僕が……列聖調査の一環で現地で調べた事だからです」
「嘘は宜しくないな、シモン神父」
ぐにゃり、胃袋がひしゃげる感覚がした。
「君が列聖調査の為に、現地に赴いていないことなど調査済みなんだよね、シモン神父。アイルランドは君のふるさとなのだから、わざわざ調べるまでもなく詳細な事情は熟知しているという事かな? とはいえ、親御さんの元に里帰りでもしてあげたら良かったんじゃあないかね――ストラット男爵家の庭師の家系君」




