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バロウル -超心霊的医術-  作者: 茜丸大悟
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乙女の蛹 その4

 振り向いたウェンの視界に映ったのは、やや目に優しくないオレンジ色の作業着を着た男性。一瞬泥棒かと身構えたものの、それが雇い主のピーターであることに気づき、ウェンはほっと胸をなでおろす。

 午前中に帰宅してきたのは初めてのことで、ウェンは珍しい事でもあるもんだと驚いていた。


「おかえりな――」

「おかえり、ピーター!」

「え、ええと……ただいま、アリシア」


 ウェンが言い放ちかけたピーターへの帰宅の挨拶に被せる形でアリシアは声を弾ませながら小走りに駆け寄る。

 すいと横を駆け抜けて、まるで一陣の風のようだ。

 よくもまあ()()()もせずにすり抜けたものだと感心すると同時に、ウェンは自分と視線を合わせたピーターが、何故か言い淀んでいたことが気になってしまった。

 何だろうか、まさか挨拶の途中で割り込まれてしまったことに関して、謝罪の一言でも入れようとしているのかとウェンは思った。

 だが実際の所はピーターがウェンの名前をド忘れしていて、何て呼べばいいのか一瞬言葉を詰まらせたというのが真相だった。


 しばしお互いの顔を見つめ合うが、どちらも沈黙。

 何を伝えたいのかがわからず思わず出待ちするウェンと、何度思い出そうとしても、どうしても名前が出てこないピーター。

 五秒ほど黙り合ってしまうが、やや不自然な沈黙を気にも留めず、アリシアがピーターに疑問をぶつける。


「それで、ピーター。どうしたのかしら、何か忘れものでもしたの?」


 ああ、それでこんな時間に帰ってきたのかと得心したウェンは、タオルと洗濯籠を慌てて床に置きながら、


「それでしたら、私が持ってきましょうか。場所さえ言っていただければ探して持ってまいりますが」

「いや、いいんだ、いいんです。そうではなくて、出先で少しトラブルがありまして、今日の仕事はふいになったわけです」

「なんだ、残念。愛しの妹のために、早く切り上げてくれたわけじゃあないのね」


 わざとむくれて見せるアリシアの頭を撫でながら、ピーターはウェンに向けて軽く会釈する。

 仲睦まじい兄妹たちの姿を眺めながらウェンは苦笑を浮かべながらもう一度荷物を抱え直すが、ふと疑問がよぎり動きを止めてしまう。

 まるでアリシアはピーターの帰宅を予知していたかのように部屋の奥から飛び出してきたが、どうやってそれを察したのだろうか、と。

 盲目者は勘が良いと聞く。おそらくは聴覚か嗅覚か、はたまた第六感とも呼ぶべき霊感が人よりも数段優れていて、鋭敏なセンサーが階段を上るピーターの足音を察知したのかもしれない。


 数部屋先、扉数枚を隔てた先の事まで感知できるとするならば、とんでもない才能だとウェンは少し冷や汗を流しながら、その能力を称賛する。

 そりゃあそんなに優れた霊感があるなら、壁にも当たらず歩けるはずだと得心がいった。

 失われることで培われる才能もある。

 盲目者の可能性に、ウェンは舌を巻いた。


「じゃあピーターは今日はお休みなのね」

「まあ……多分呼び出しもかからないだろうし、休みになるんじゃないかなあ」

「やったぁ! それじゃあお昼は一緒に食べられるのね」


 あっ! ウェンは思わず声を出してしまい、ピーターがそれに反応して視線を向ける。


「……談笑中、失礼を。冷蔵庫の中には食材が二人分、四食分しかございませんもので……今晩のことを考えますと、一度買い出しに出かけなければならなくなったもので」


 昼を跨いで訪問介護の予約が入っている時は、通例として介護員分の昼食をともに用意して、現地で食べても良いとマニュアルには書かれている。

 ウェンもその通例に従っているのだが、そこにピーターが加わるとなると、どうしても量が不足する。

 はてさて、どうしたものやらと、午後に追加で買出しにでも行こうかとウェンは予定を新たに組み直そうとしてみるが、


「でしたら、夜の分の食材も、お昼に使っていただいて結構です。後で自分で作る分を買い出しに行くか――いや、そうだなぁ……アリシア、どうだろう、夜は久々に外に食べに行かないか? 以前食べに行ったあのレストランなんてどうだろうか?」

「――本当っ? うれしい、()()()。是非そうしましょう!」


 ウェンはびっくりした。

 出不精と思っていたアリシアが外出の誘いに同意した事もびっくりだが、それよりも何よりも感情を思いっきり出している点のほうが、より驚くべき事態だった。

 ウェンが知っているアリシアの姿といえば、どちらかと言えば内気がちで、物静か。幽霊のように足音を忍ばせて部屋を行き来し、付いているんだか消えているんだかわからない位の小音量のラジオに耳を傾けながら、小さな人形を撫でている姿が()()になっている少女。

 だが今は一転して、眼をパチパチとさせながら喜びの声をあげている。


 こちらが本性か。見慣れぬ姿にウェンは目を白黒させながら、なるほど、自分はここで仕事を始めて一か月過ぎたが、未だに警戒心を解かれていなかったことに気づき、少しだけ心に棘が刺さるのを感じていた。

 特に親しくなろうとしていたわけでもないのだが、それなりの態度で接していたというのに、自分にはああいう笑顔を見せることは無かったなあと、少しの嫉妬と無力感がよぎる。

 とはいえ、大して歩み寄ろうとしていたわけでもないのに、向こうに親近感を抱いてもらうとしたこと自体がおこがましい事だったのかもしれないと、ウェンは自重する。

 盲目者は目は見えなくとも、世情や人の顔色を読むことは長けているのだろう。

 ウェンは少しだけ、アリシアに対して優しく接してみようかと、考えを改めようと思った。


「では、日持ちのする食材はそのまま使わずにおいておきますので、後日に調理してください。お昼は三食分、夜食の準備は無し、それでよろしいですね」

「あっはい、それでお願いします」


 それだけを確認すると、ウェンはやっとこそ洗ったワンピースを干しに、居間へと洗濯籠を運び出す。

 背後では、ねえピーター、爪を切ってよと甘えた声で兄にせがむアリシアの声が響いていた。

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