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バロウル -超心霊的医術-  作者: 茜丸大悟
前の章 イデオロギー黙示録
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乙女の蛹 その3

※今回、バロウルの悪用によって気持ちの悪い外見になった人物の外見描写が入ります。

 ゲテモノ外観が苦手な方はご注意ください。

 思い出し笑いをしていると不意に背後に気配を感じ、ウェンは振り返った。ぎょっとする。

 音も立てず、いつの間にやらアリシアが佇んでいたからだ。

 ジャアジャアとお湯を溜める音に遮られて、近づいてくる音でも聞き逃したのだろうか――ウェンは固唾を飲んで様子を伺う。

 果たしてアリシアはといえば、囁くような小さな声で、そっと話しかける。


「ウェンさん、後ほどで宜しいので脚の爪を切っていただけないかと。急いではおりませんので、お仕事の後にお願いします。では」


 それだけを告げると、くるり、アリシアはその場で身をひるがえして脱衣所から出ていく。

 ウェンはどっと力が抜けるのを感じながら、ほぅっ……と一つため息をついた。

 まったく、驚かせないでよ。歩き去るアリシアの背後の姿を見送りながら、それはそれとして盲目者にしてはやけに優雅な歩き方だなと、ウェンは少し的外れな感想を抱いた。

 中々どうしてああも見事に部屋の中を歩かれると、ある意味感嘆とした声も上げたくなるというものだった。

 事実、ウェンはほぅ……と見とれた時に吐き出す声を――あるいは安堵の息をもう一度つく。


 まるで額に目が付いているようだ。それとも自分が居ない間、家の中をうろつきまわる練習でもしているのだろうか。ウェンは自分でも中々ユニークな想像力を発揮して、少しだけ笑った。

 脳裏に浮かぶのは、両目をつぶると額から第三の目が見開かれて、眼光ギラギラ光らせながら部屋の中を練り歩くアリシアの姿。

 いやいや、それはない。ウェンは飛躍しすぎた自分の想像力を流石に否定する。

 何せ、さっき自分に話しかけてきた時も、アリシアの両目は閉じられていたままだったじゃあないか。額に第三の目だなんて、あるはずない。


 きっと昨日見たテレビ番組のせいだ。そうに違いない。

 ウェンは中性洗剤に手を伸ばしながら昨日の番組の内容を思い起こした。

 確かタイトルは、世界の奇人変人の現代編……だったろうか。兄弟たちが見ていた番組を途中から眺めていただけなので、ウェンは詳しくは覚えていなかったものの、その内容だけは鮮明に記憶していた。

 バロウルに魅入られた者たち。現代の自己表現。そんなうたい文句と共に画面いっぱいに映ったものは、ウェンからしては受け入れがたい――嫌悪感を掻き立てられる、おぞましい人間たちの姿だった。


 余命いくばくもない親族の指を移植(バロウル)する男。両手の小指の隣には、それぞれ二本の()()()()が生えている。

 彼女と別れるたびに、自分の男性器を交換する男。正直意味が解らない。

 バロウルで剥ぎ取った両手の爪を、顔全体にスパンコールのようにちりばめた女性。直視することが出来なくて、思わずトイレに逃げ込んだ。

 理屈も道理も通じない、現代の見世物小屋興行にウェンは吐き気すら覚えた。


 やんちゃな男兄弟たちは怖いもの見たさで全部鑑賞したようだが、ウェンは耐えられなかった。

 だが怯える姿が面白おかしかったのか、あるいは全部視きったことを自慢したいのか、やせ我慢の振りなのか、兄弟はウェンに向かってテレビの続きの内容を教えようと早口で説明してきた。


 髪の毛を全身に均等に並べた男――何の意味が?

 恋人のために大腿骨を交換した不自然に足の短い男と、妙に背の高い女性の二人組の話――いやだ、聞きたくない。

 人種の違う肌をちりばめた、つぎはぎ女(パッチワークガール)――我慢が出来ず、思わず手を出してしまい弟を泣かせた。


 嫌な記憶に感化されている。違う、私はあんな化け物共とは違う。アリシアに対して第三の目が云々なんて想像は、決して楽しんでやったわけじゃあない。あんな連中とは絶対に違うんだ。あんな連中とは絶対に違うんだ。

 ウェンは必死になって否定の言葉を反芻する。


 ――私はバロウルなんてやらない。

 ――私はあんな連中とは違うんだ。

 ――私は違う人間だ、絶対に違う。

 ――私はバロウルなんてやらない。

 ――私はバロウルなんてやらない。


 ぐびり。ウェンは、少しだけいやな手ごたえを感じてふっと我に返る。

 危ない、腕に力を籠めすぎて、危うく服をだめにするところだったと、冷静になる。

 右手を強く振って泡を飛ばし、額に浮いた汗を拭いて息をつく。

 何を暴走しているんだ、落ち着こう。自分に言い聞かせるようにウェンは一度、深く息を吸う。吐く。もう一度繰り返す。もう一度繰り返す。


 少し冷静になれた気がした。洗いかけのワンピースに手を伸ばし、手もみ洗いを再開する。

 ウェンはバロウルという行為が嫌いだった。親からもらった身体に手を加えるのは――けがや病気などといった理由は仕方がないにしても――あまりにもおぞましい行為に思えて仕方がなかった。

 延命措置としての、あるいは医療行為としてのバロウルまでは否定しないものの、それでも忌避感はある。

 それなのに、あんな風に面白可怪しく自分を着飾るかのように肉体に手を入れる行為には、どうしても我慢がならなかったのだ。


 だからこそ、自分が第三の目などという、連中と似たような発想をしたことに、焦りと苛立ち、吐き気と頭痛をウェンは抱いたのだ。

 それは、兄弟に思わず暴力を振るってしまった事への罪悪感かもしれない。

 罪悪感を払拭させるための、責任転嫁の側面もあったかもしれない。

 だがやはり、バロウルなんてものが、根本的に相容れられない行為であると、ウェンは心の底から拒絶しているだけなのだ。


 どうしてあんな、気味の悪いものが流行っているのか――思考のドツボに嵌りそうになり、ウェンは慌てて首を振り、考えるのをやめた。

 無心、無心。ひたすら無心。

 何も考えず、ただ目の前の仕事に専念しよう。

 ウェンは細かく、そして素早く腕を動かして手洗いに没頭する。

 そもそも少し水に漬けすぎた感がある。これじゃあ素材が傷んでしまうじゃないのと、意識を別の方面に完全に切り替えていく。

 そうすることで、嫌なことから顔を背けてしまおうとウェンは努力する。


 熱を失いつつあるぬるま湯から引き揚げ、軽く水気を絞ったあと、バスタブの縁に引っかける。

 タライの中の水を一度流して捨て去り、シャワーノズルで洗浄してから先ほどまで洗っていたワンピースを広げ、再びお湯を張り直す。

 じゃぶじゃぶという音をたてながら、優しく揉みつつ洗剤を流す。

 そういえば、爪切りか。すっかり平静を取り戻したウェンは、先程言われた指示を思い出す。


 ウェンからしてみると、家の中をああも自在に歩けるというのに、自分の爪一つ切れないというのはなんだかへんてこな気分になってくる。

 爪切りの場所が分からないのだろうか、それとも深爪してしまうのが怖いのだろうか。

 部屋の中をすたすた歩く全盲の少女が、他人に爪を切ってもらわなければならないというのも不思議な話である。

 まあ確かに、目をつぶった状態で爪を切ってみろと言われたら、難しいのかもしれない。ウェンはそういうものなのかなと一先ず置いておいて、作業の仕上げに取り掛かった。


 ぬめりが綺麗になくなるまで十二分にすすぎ洗い、軽く水気を切って取り上げる。

 満足のいく仕上がりに至ったと判断し、ウェンは続けてぎゅうぎゅうとタライに押し付けるようにしながら残った水気を絞り出す。

 ぽたぽたと水滴が垂れていない事を確認すると、ウェンは脱衣所に移動して空の洗濯籠に洗ったばかりのワンピースを放り込み、棚から乾いたタオルを多めに取り出した。

 後はタオルの上に広げて陰干しにするだけだが、どこでやるべきかとウェンは思案する。


 台所のテーブルで広げるのはあまり宜しくないだろう。食事の時に邪魔になる。

 リビングならどうだろうか。背の低いテーブルがあるが、少し長さが足りないかもしれない。

 とはいえ妥当な場所も思いつかないので、ウェンはリビングに陰干しすることに決めた。

 最後にもう一度だけお風呂場に戻り、濡れたタライをひっくり返すとウェンは再び脱衣所に移動し、洗濯籠と複数枚のタオルをひっつかむ。


 と、不意に、とたとたとたという軽く駆け出した足音が耳に届きウェンは少しだけ驚いた。

 アリシアが音を立てて移動している。意外な事もあるものだと思う反面、そんなにも爪を早く切ってほしかったのだろうか、だったら先に命令してくれればよかったのにと苦笑する。


「はい、はい。急かさなくても終わりましたので、今向かいますよ」


 できれば先にタオルの上に洗濯物を広げてしまいたいものだと思いながら、ウェンは脱衣所を出る。鉢合わせる。ほとんど出入口と呼んでいい場所で、アリシアがぼうっと佇んでいるもんだから、危うく体当たりしそうになり、ウェンは危うく突き飛ばす寸前のところでたたらを踏んでそれを回避する。

 ちょっと、何よと文句の言葉が口から飛び出す寸前に、ウェンの斜め後ろからガチャリと玄関の鍵が開く音が響いた。

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