片目乞いのピーター その1
「なあ旦那ぁ、オイラとバロウルしてくれやしないかい? なあにお代はこれっぽっちで。オイラは根無し草のアウトロー、一晩の酒代のためには身売りも厭やしませんよ。で、旦那ぁ……いったい何処を御所望で?」
超心霊が技術として確立してから二十年、バロウルした人間の数は一割を超えたとメディアがテレビで騒ぎ立てている。
大学のお偉いさんは、安易なバロウルを禁止するべきと警鐘を鳴らす。
いやいやバロウルは文化だよ、これはもう一種のコミュニケーションだと、コメンテイターは否定。
若い世代からもバロウル行為を積極的に行ってもらえれば、サンプル数も増えることで医学の発展に大いに貢献するのではないでしょうかとゲストは指摘。
バロウル、バロウル、バロウル。
テレビ画面の登場人物は、口を開けば誰もがバロウル。
言葉の端々にバロウルと付けなければ、罰せられでもするかのようにバロウルと口にする。
「何が、バロウルだよ」
テレビ画面をにらみつけながら、ピーターは独り言ちる。
今にも拳で叩き割ってやろうかと思わんばかりの表情で、もう一度、吐き捨てる。
「安易だって言うんなら、なんで俺の妹とバロってくれないんだよ……」
バロウル。それは非常に簡単で、お手軽な医療行為である。
少なくとも注射器が怖くなければ、大体の人間はバロれるだろう。
まず注射器で、血液を十ミリリットルほど採血。あんまり多いとぐったり疲れてしまうから、これくらいが適量だ。
次にバロウル液へ混入し、よく混ぜる。二人以上でバロウルする場合は、同じバロウル液に混ぜ合わせる点にご注意を。
続けて、バロウルしたい部位あるいはその付近に、血液と混ぜ合わせたバロウル液を塗りたくる。
最後にバロウル手袋を装着して、患部に指をねじ込めば――おめでとう、バロウル行為の始まりだ。
皮膚を突き抜けて指がどこまでも沈み込んでいく事が解るだろう。
柔らかい肉をかき分けていく感覚、指先に仄かに抵抗を感じる骨の硬さ。温かく鼓動を伝えてくる内臓の形。
それらの感覚を存分に味わったあとは、お目当ての幹部に向けて指先を進めよう。
腎臓? 大腿骨? 何処でもいい。望みの場所を目指せばいい。
そうしてお目当ての部位に届いた後は、おもむろにバロウル手袋に付けられたスイッチを押すだけだ。
微弱な生体電流が流れ、患部の形を認識し、その部位だけ指先が貫通することなく掴みあげることができる。
後は持ち上げ、身体から引きずり出せば――超心霊的医術行為、完了だ。
つまるところバロウルとは、心霊医療――メス等で身体を切り裂くことなく、内臓などを取り出して手術する技法――の科学的再現に他ならない。
ドラッグストアに売られているこのバロウルツールキットを使えば、今日から誰もが名執刀医、いや名霊術師になれるという寸法だ。
だがバロウルが超心霊技術たる部分は、他人と身体の部位を交換できるところにある。
例えば、腎臓が悪い裕福な男性が居たとしよう。
お金のない男性も居たとしよう。
彼らはお互いに欲しいものを持っている。
だったらどうする?
簡単だ、取引をすればいい。
お金の代わりに腎臓を一つ売りつける。現代のギヴ&テイク、新世紀の人身売買の始まりだ。
バロウル液を使い、お互いの腎臓を引きずり出す。
バロウル生体電流の流れていない側の手袋で、つながっている管を摘まみ、プツン。切り落とす。
身体から伸びている管と、健常な腎臓から垂れ下がった管とを合わせた状態で、バロウル手袋に内臓されたスイッチの一つ、接合モードをオン。親指と薬指で十秒間摘まんだままにしておけば、自動的に接合される。
後は元の場所までねじ込んで、バロウル液をぬぐい取れば処置完了。
腎臓を提供した側にも同様の手順を踏んでつなぎ合わせれば、こちらも同じく処置完了。
バロウル定着錠を二週間飲むだけで後処理は無し、後遺症も拒絶反応もまったく無し。
誰でも名医になれるお手軽医療キット、それがバロウルだ。
バロウルは大変ウケた。大流行りだった。
何も移植行為のみの利用方法というわけではない、骨折や誤飲の治療、患部の触診、摘出手術、損傷した皮膚の張替えとなんでもござれ。
バロウル名医ともなれば、神経・筋繊維の絶妙な調整によって、視力の矯正すら執り行えるというのだから驚きだ。
だが、それだけでバロウルが大受けしたわけではない。
そう、大受けしたのは――美容整形、そして幹部の交換だ。
鼻をもう数センチ高くするために――
身長を僅かにでも高くするために――
腹のぜい肉をこそぎ落とすために――
美しい爪を手に入れるために――
青色の瞳を手に入れるために――
健康な身体を取り戻すために――
バロウルに飛びついた。
ピーターの朝はとても早い。
朝五時までには家を出て、朝七時の出社の時間までジョギングをする人、ホームレス、長い長い通勤時間が原因で憂鬱そうな表情を浮かべる会社員などとあいさつを交わしながら、これはと思う相手に取引を持ち掛けるためだ。
「なああんた、もしよければなんだけど、片目だけでもうちの妹とバロウルしてくれないか?」
何故片目だけなんだ? そう訊ね返されると、ピーターは馬鹿正直にこう答える。
「妹は目が見えないんだ。あんたも、目の不自由な苦労は理解できるだろう? だから、片目だけでも視力を取り戻してほしいんだ。どうか、交換してやっちゃあくれないか?」
もちろん快く請け負ってくれる人物など存在しない。
誰だって我が身が一番可愛いのだ、何が悲しくて、わざわざ片目をはした金でくれてやる義理があるというのだ。
彼は貧乏だった。朝七時から十五時まで働くごみ収集の清掃業者の下請けで、月々の貯蓄も微々たるほどしか増えない底辺側の人間だった。
そんな彼が、妹のために支払えるバロウル代などたかが知れていた。
果たして片目一つが幾らになるのか……相場は不明だが、少なくともピーターが差し出せる金額を上回っていることだけは確かだ。
だが万に一つの可能性にかけて――ピーターは毎朝必ず、道行く人に声をかけるのだ。
どうか俺の妹と、片目を交換してください……と。
そして今日もまた空振りに終わる。
それが彼の毎日だった。
「おいピーター、そろそろ集荷に出るぞ。テレビばっか見てないでさっさと準備しろよ準備」
「……ウス」
テレビを睨みつけているうちに、いつの間にやら時間が過ぎ去っていたようだ。見れば他の皆はすでに作業着一式を装着していたようで、ピーター一人だけが、まだ完了していない状態だった。
テレビに文句をつけてもしょうがない。今は妹のために金を少しでも稼がなければ――ピーターは、少しきつすぎて指と指の間が痛くなってくる手袋をつけながら、あわてて同僚を追いかける。
それを尻目に眺めながら、同僚たちは肩をすくめ合う。
多少の同情と、あざけりを込めて。
「あいつなあ……まあ、悪い奴じゃないんだけどなあ」
「ニュースのバロウル特集見てたみたいだが、すっげえ顔してたぞ」
「妹の目ん玉の事だろぉ? お前、交換してやったらいいんじゃね?」
「冗談! 妹とヤらせてくれたとしても御免だぜ。それよかお前ンところの爺さんとバロってやったらどうなんだ? 寝たきり老人なんだろ確か。一個ぐらい引っこ抜いても、差支えないんじゃねえの?」
「嫌だね、俺は孝行息子で通してるんだ。片目でもくりぬいてみろ、ババアもかあちゃんも怒鳴り散らして、じいちゃんのため、じいちゃんのためって言いながら今度は俺の目ん玉引っこ抜いちまうよ」
「ははは」
ピーターの苦労も、彼らにしてみれば話のタネに過ぎなかった。
もちろん同僚たちもピーターを目の前にして冗談めかした物言いをすることはなかったし、ピーターの方からも、同僚たちに片目をせびるような話題を振ることはなかった。
職場のトラブルで仕事を失うわけにはいかない。早朝の、道行く人々に片目を乞うぶしつけさはあっても、同僚たちにせびる無神経な言動は控えるだけの領分を、ピーターも持ち合わせていた。