第8話 自己犠牲
自分を犠牲にして、みんなを守る。
それがシャロの下した結論であった。
シャロはすでに自分のせいで愛する人を失ってしまっている。
その想いに報いるのであれば、なんとしてでも自分は生きなくてはいけないと考えるべきだろう。
しかし……これ以上、他の誰かが自分のために傷つくのは耐えられなかった。
この選択で事態が好転するのかは分からない。
しかしそれでも、かつて今この場で大切な友人を守ることはできる。シャロはアイリスを見ながら「ごめんね」と呟く。
「いい選択です。素晴らしい自己犠牲の精神、さすが勇者の末裔です」
「おべんちゃらはいらない。早くみんなから手を引いて、王都から去りなさい。あんたらの目標は私一人のはずでしょう」
「はい、分かりました。私としても生け捕りできるならそれに越したことはありません。貴女の提案を飲みましょう。私はこれ以上彼らに手を出しません。約束します」
「……本当ね?」
「ええ、もちろん。我が主に誓っても構いません」
にこやかに言うレギオン。
シャロは胡散臭さを感じながらも、その言葉を信じるしかなかった。
「さ、こちらへ」
レギオンが手を差し出すと、シャロはそちらにすたすたと歩き出す。
地面に倒れているアイリスが必死にシャロを呼び止めるが、シャロの決意は固く、その歩みは止まらない。
そしてついに、シャロはレギオンのもとにたどり着いてしまう。
「時間はかかってしまいましたが、無事任務完了といったところでしょうか。何度も苛つかされましたが、学びもありました」
「なにわけの分からないこと言ってんのよ。早く王都から手を去りなさい。私ならどうしても構わないから」
「まあ焦らないでください。せっかくだから王都が滅ぶ様を特等席で見ていってください」
「な……!?」
レギオンが右手の指をパチリと鳴らすと、今まで大人しくしていたアルテミシアンデスワームが雄叫びを上げながら動き出す。
そして王都の正門めがけて侵攻を開始してしまう。それを見たシャロの顔がサッと青くなる。
「あ、あんたなにやってんのよ! これ以上手を出さないって約束したじゃない!」
「落ち着いて下さい。手を出さないと言ったのは私だけ。あの子の食事を制限する約束はしてません」
「そんな屁理屈聞いてないのよ! いいからアレを止めなさい!」
シャロは鬼気迫る表情でレギオンに詰め寄る。
まさか自分の決死の想いがあっけなく踏みにじられ、その悔しさと怒りで泣きそうになる。
しかしレギオンはそんな少女の心になど、微塵も興味がなかった。
詰め寄る彼女の腹部を殴り、抵抗する力を奪った彼は、その髪を乱暴につかみ、王都の方に目を向けさせる。
「よく見ておきなさい。貴女が最後に見る王都の光景なのですから」
シャロの視線の先でデスワームが王都に向かって動く。
多数の兵がそれを止めようとするが、突進するデスワームの勢いは微塵も止まらない。
たくさんの人が死んでしまう。誰も守ることができなかった。
シャロの目から涙がこぼれ落ちる。
そんな深い絶望の中で、彼女が口にしたのは……やはり愛する人の名前であった。
「ルイ……」
来てくれるはずのないその名を呟いたその瞬間、突然天から巨大な光の剣が落下してきて、デスワームの体を串刺しにしてしまう。
『GYOOOOO!!』
デスワームの絶叫があたり一面に響く。デスワームはその剣から抜け出そうと必死に体をくねらせるが、光の剣はしっかりとデスワームを地面に縫い付けておりビクともしない。
「これは、魔法……!?」
想定外の事態に、レギオンの顔が驚きに染まる。
アルテミシアンデスワームの力は非常に強い。それを押さえつけてしまう魔法を使える者などそうはいないだろう。
一体誰がこれを。
戦慄するレギオンの前に、その人物が現れる。
「――――良かった。間に合ったみたいだね」
その声を聞いたレギオンの体が、震える。
なぜならその人物は、ここにいるはずがない人物であったからだ。
「ルイシャ=バーディ!!」
「お久しぶり……いや、貴方から見たら昨日ぶり、でしたか」
奇跡の生還を果たしたルイシャは、かつて自分を殺した存在を前にしても落ち着いた様子であった。体から放たれる魔力も前と大差はない、しかしレギオンはルイシャから強者の威圧感のようなものを感じ取っていた。
「貴様、なぜここに……」
「まずは僕の大切なものを返してもらいますよ」
そう言ったその瞬間、ルイシャの肉体が消える。
そして気付いた時にはレギオンの前にルイシャが現れ、竜王剣で一刀両断してしまう。そして彼がつかんでいたシャロを受け止め、彼女を抱き寄せる。
「大丈夫? シャロ」
「ルイ……? あんた、本当にルイなの?」
「うん、遅れてごめんね」
シャロはまだ信じられないようでルイシャの頬を触ったりつねったりする。
しばらくそうやって、ついにそれがルイシャだという確信が持てた彼女は、キッと彼を睨みつける。
「こ、この……バカっ!!」
「え、え?」
まさか再会してそうそう怒られると思っていなかったルイシャは驚き戸惑う。
そんな彼にシャロは言葉の雨を浴びせる。
「ばかばかばか! 私が、いや私たちがどんだけ心配したと思ってんのよ!」
「そ、それは……ごめん」
「いーや今度とという今度は許さないんだから! 勝手に命を捨てて助けようとするなんて勝手すぎる!」
「うん……ごめんね」
「あんたはずっとそう! 勝手に突っ走って、私たちの気持ちも知らずに。いっつも自分が傷ついて、人のことばかり優先して……」
シャロの言葉は最初こそ強かったが、徐々に弱々しくなっていく。
「あんたはいつも……本当に、本当に……生きてて……よかった……!」
感情が溢れたシャロは泣き出し、彼の胸に顔を埋める。
ルイシャはそんな彼女の頭を抱き、優しくなでる。
そうしていると、彼らのもとにアイリスもやって来る。
「ルイシャ様、なのですか……?」
「アイリス! 良かった、アイリスも無事だったんだね。僕の頼みを聞いてくれてありがとう」
「生きて、おられたのですね……本当に良かった……っ」
アイリスもルイシャに駆け寄り、その胸に飛び込む。
二人の背中をなでて宥めたルイシャは、敵の接近を察知して二人を体から離す。
「色々気になることはあると思うけど、その話は後にしよう。敵はレギオンと、あのおっきなモンスターでだけ?」
「はい。もう一人いましたが、それはコジロウ様とバット様が倒してくださいました」
「さすが二人だ。後でお礼を言わないとね。それじゃあ……すぐに倒してくるよ」
ルイシャは笑ってそう言うと、二人から離れていく。
彼はつい先日同じ相手に負けたばかりだ。攻略法も分かっていないのに再び挑むなんてどう考えても無謀である。
しかしシャロとアイリスは不思議と不安を感じなかった。去っていくルイシャの背中はいつもより広く見え、今までの彼とは違って見えた。
「おや、感動の再会は終わりですか?」
「はい、また後でたくさん話せますからね」
レギオンの煽りにルイシャは平然と返す。
昨日とは、なにかが違う。レギオンの胸の中に焦りに似た感情が生まれる。
「いつまで遊んでいるのですか! こいつを食べなさい!」
レギオンが吠えると、アルテミシアンデスワームの動きが激しくなる。
そして剣が刺さっている部分を切断し無理やり拘束から抜け出ると、ルイシャに襲いかかる。
まるで巨大な建物が襲いかかってくるかのような突進。しかしルイシャはこの状況でも落ち着いてた。
「大きいな……でもこれくらいだったら」
ルイシャは拳を固め、気を込める。
すると右の腕に赤い線のような模様が走り異常な量のエネルギーが充填される。
『GYAOOOOOO!!』
耳が割れるような声と共に噛みついてくるデスワーム。
ルイシャはそれを紙一重のところで回避すると、その長い体に思い切り拳を打ち込む。
「鬼拳・鬼哭」
まるで雷が落ちたかのような激しい音と共に、ルイシャの必殺の拳が命中する。
鬼族のみが使える鬼功が込められたその拳を食らったデスワームは『GYUOOO!?』と苦しそうに鳴きしばらく地面を転がりまわる。
そしてしばらくするとぐったりと地面の上で動かなくなり、活動を停止する。





