第7話 嵐の前触れ
――――ルイシャが無限牢獄の中に消えた日の夜、ヴォルフたちを乗せた空の女帝は王都に到着していた。
彼らは王城のすぐ側の発着所に魔空艇を止めると、すぐに王城の中に駆け込んだ。
「ユーリ! ユーリを出してくれ!」
鬼気迫る表情で衛兵に詰め寄るヴォルフ。
もし彼が王子であるユーリの学友だということが知られてなければ、怪しい人物として捕まっていただろう。
「わ、分かった! 今お呼びするから中で待て!」
ヴォルフのただならぬ様子と、アイリスが抱えた意識を失ったシャロを見て、衛兵は非常事態を察し彼らを城内の一室に案内する。
そこに置かれていたベッドにシャロを寝かせ、少し待っているとユーリが部屋にやってくる。
「おかえり二人とも、無事で帰って来てくれて嬉しいよ……と言いたいところだけど、どうやらなにか起きてしまったみたいだね」
ただならぬ様子のヴォルフとアイリス、そしてベッドの上で意識を失っているシャロを見て、ユーリは非常事態であることを悟る。
「ヴォルフ。なにがあったか説明してくれるかい?」
「ああ、実は――――」
ヴォルフはアイリスから聞いた内容をユーリに話す。
時折アイリスが情報を補完し、蛇人族の里でなにが起こったのか、そしてどのような危機が迫っているのかをユーリに伝える。
「そんなことが……思ったより事態は深刻そうだ」
ユーリは険しい表情をしながら考え込む。
ルイシャとシャロとアイリスの三人がかりでも倒せなかった相手が、王都に迫って来ている。もしそれが本当ならば、王都が滅亡する可能性がある。
王都には優秀な兵士や騎士が何人もおり、彼らは頼れる存在ではあるが……彼らの強さはあくまで一般的な水準で高いというだけに留まる。
王紋を持つものすらその中にはおらず、とてもそのレギオンという人物に勝てるようには思えなかった。
「ユーリ……大将もいない今、頼れるのはお前だけだ。お願いできるか」
「相手は規格外の化物、僕になんとかできるかは分からないが……なんとかできるよう尽力する。まずは国王である父上に話を通す。そしてそのレギオンとかいう者の対策を立てる。別室を用意するから君たちは休んでてくれ」
ユーリの頼もしい言葉にヴォルフたちは彼に「ありがとう」と礼を言う。
「気にしないでいい。なにか必要なものがあったら使用人に言ってほしい、それじゃ」
ユーリはそう言うと扉から外に出る。
そして今出てきた扉に背中を預け、一人呟く。
「ルイシャ……無事でいてくれよ。君が来るまではなんとか持ち堪えさせてみせるから」
自分にも言い聞かせているようにそう言ったユーリは、扉から背を離すと国王のもとへと歩き出すのだった。
◇ ◇ ◇
「来い!」
「はいっ!」
無限牢獄第二層。
そこではルイシャとサクヤが激しく拳を撃ち合っていた。
お互いの攻撃がぶつかり合う度に激しい音と衝撃波が周囲に飛び散る。常人であれば近くにいるだけで跡形もなくバラバラになってしまう程、その戦いは激しかった。
(やっぱりサクヤさんは強い……! 攻撃も激しいけど、それ以上に硬い! しかもこの硬さは鎧じゃなくてこの人自身のものだ!)
いくら強力な攻撃を叩き込んでも、サクヤは一切体勢を崩さなかった。
まるで巨大な樹木や大きな岩とでも戦っているみたいだとルイシャは思った。いくら押してもびくともしない、圧倒的な存在感、ルイシャはそれをサクヤから感じていた。
「はあ、はあ……こんなに頑丈な人と戦ったのは初めてです」
「鬼族には『鬼硬肌』という秘技がある。気の力によって極限まで硬化された肉体は、身を守る盾になると同時に、最強の矛ともなる」
サクヤは自身の右腕を鬼硬肌によって硬化させる。
鬼の血は気の力を通しやすい性質がある。それを利用し毛細血管の隅々まで気功を巡らせ、その力を最大限まで高める。
生物としての格であれば、鬼族より竜族に軍配が上がるだろう。
しかしこの世界でもっとも気功をうまく使える種族は鬼族であった。
「いくぞ!」
「……っ!?」
超高速で接近してくるサクヤに、ルイシャは反応しきることができず手痛い一撃を受ける。
咄嗟に右腕を挟みガードしたが、それでもサクヤの攻撃を受け止め切ることはできず、吹き飛ばされ地面を転がる。
「痛っ……凄い攻撃だ」
ルイシャはすぐに立ち上がって再び拳を構えようとするが、右腕がだらんと下がってしまう。見ればガードした箇所が真っ赤に腫れ上がってしまっている。
どうやら骨にヒビが入っているらしく、少し動かしただけで強い痛みが走る。これではしばらく戦うことはできないだろう。
「……それでは戦えそうにないな。見せてみろ」
サクヤはそう言ってルイシャに近づくと、腫れた腕をつかむ。
「あの、なにを……」
「見ていろ」
サクヤはつかんでいる手とは逆の手でルイシャの腕を触ると、手の平からほのかな光を放つ。その光がルイシャの腕の中に溶け込んでいくと、腫れが徐々に引いていき痛みもなくなっていく。
「凄い。これは気の力ですか……?」
「そうだ。気功は生命力の源。それを操ることができれば傷を治すことはたやすい」
サクヤの気の力は凄まじく、ルイシャの腕を一瞬にして治してしまう。
ルイシャ自身も気の力で怪我を治すことはできる。しかしそれは自然治癒力を上げて傷を塞いだり痛みを和らげたりする程度で、このように一瞬で骨を繋ぐようなことは不可能だ。
「もう痛みがない……ありがとうございます。凄い気功ですね、こんなに早く治してしまうなんて」
「鬼族は魔力をほとんど持たないから、気功の扱いに優れている。これくらいできて当然だ」
「そんなことないですよ! こんな繊細な気のコントロール、初めて見ました! 凄いですよ!」
「む、そ、そうか」
ルイシャに褒められたサクヤは、ぽりぽりと兜を人差し指でかく。
素顔が見えないので表情は見えないが、どうやら照れているようだ。
「でもこんなに凄い力を持っているのに、その呪いの鎧を脱ぐことはできないんですか?」
ルイシャはサクヤが来ている禍々しい鎧を見ながら言う。
「……この鎧は中から魔力を流すことでのみ、壊すことが可能な物らしい。つまり鬼族や獣人族のような魔力をほとんど持たぬ者には解くのが難しい物なのだ」
「そうなんですね……少し調べてもいいですか?」
「ああ、好きにするといい」
ルイシャはサクヤが見つけている呪いの鎧をじっくり観察する。
(中に特殊な魔力が流れている。これが呪いのもとだろうね。確かに強力で外からじゃどうにかできそうにない……)
ルイシャは外から魔力を流して呪いの解除を試みるが、失敗に終わる。
この呪いを解くのは勇者オーガですら失敗した。そう簡単にできることではなかった。
「でもどうしてこの鎧を着ることになったんですか? この鎧はひとりでに動いたりするんですか?」
「この鎧にそのような効果はない。私は仲間を助けるためにこれを着たのだ」
「仲間を……助けるために?」
ルイシャの言葉にサクヤは「ああ」と頷く。
「鬼族は珍しい種族だ。その身を狙う者もいる。私たちの『角』は漢方薬の素材として高く売れるらしいからな。しかし強靭な肉体を持つ鬼族を簡単に捕まえることはできない。だから奴らはこの鎧を使うことにした」
サクヤは自身を覆う鎧を触る。
「これを装備したせいで私の力の大部分は抑えられてしまっている。鬼王である私ですら力を抑えるこの鎧は、普通の鬼族が着ると立っていることすらできなくなってしまう。人間に騙されこの鎧を着た同族を助けるため、私は呪いを肩代わりしたんだ」
「そんなことがあったんですね……」
その話を聞いたルイシャは納得する。
圧倒的な強者であるサクヤが、例え不意を突かれたとしても呪いの鎧を着けさせられたのには違和感があった。仲間を助けるためにそれを着ることになったいう話であれば納得できる。
(見た目は怖いけど、優しい人なんだなあ。なにか力になれればいいけど……あ)
あることを思いついたルイシャは、それをサクヤに提案する。
「あ、その呪いが他の人に移せるのであれば、僕が着ましょうか? 僕なら魔力があるのでそれの呪いを解除できるはずです」
「それは無理だ。鎧は対象を選ぶ。自分を解除できる者には移らないのだ」
「そうですか……そう簡単にはいきませんよね」
ルイシャは困った顔をしながら考える。
自分も大変な状況であるが、自分によくしてくれているサクヤを助けてあげたいとルイシャは思っていた。
「ルイシャ、私のことは一旦置いておいて……」
「そうだ! あの手があった!」
突然なにかを思いつき大きな声を出すルイシャ。
サクヤはそれに驚きビクッと体を動かす。
「どうしたんだ急に?」
「その鎧の呪いは魔力由来なんですよね? なら僕の使える技でなんとかできると思うんです。試してみてもいいですか?」
ルイシャの突然の提案に、サクヤは少し困惑したような素振りを見せる。
しかし駄目で元々、呪いを解く手がかりに少しでもなるなら試す価値があるかと「分かった、試してみてくれ」とそれを許可する。
「ありがとうございます。それじゃあやってみますね」
ルイシャは集中すると、手の平からそれを放つ。
「魔煌閃!」
右の手の平から放たれたのは、黄金に輝く光の奔流。
魔王にのみ使用が許されたその技は、サクヤの着る鎧の中に勢いよく吸い込まれていく。
「これは……!?」
その技がただの魔法でないことを察知したサクヤは身構えるが、その光が自分に害をなさないことに気づき動きを止める。
その光に痛みはなく、むしろ心地よい温かさを感じた。
「この技は魔力に反応し、それを分解し無力化する効果があります。この呪いの魔力にのみ反応するようにしましたので、サクヤさんの魔力に反応することはないと思います」
最初は魔力や魔法であれば無差別に無力化してしまったが、ルイシャは特訓で魔煌閃をパワーアップさせていた。
そのおかげでサクヤの魔力は分解せず、呪われた鎧の内部にある魔力のみ無力化した。
サクヤが身につけている呪いの鎧は、世界に存在するアイテムの中でもかなり上位の力を持っている物であった。
しかし、それが魔法である以上、魔王の光から逃れることは不可能であった。
「呪いが……解けていく……!?」
鎧の隙間から黒い魔力が漏れ出ていく。
それが呪いの大元であることは明らかであった。
今までサクヤの力を封じ込めていた呪いの効果は失われ、サクヤは自分の力が戻ってくるのを感じた。
そして完全にその効果を失った鎧はガシャ、という金属音を立てながらサクヤの体から剥がれ落ちていく。
「これは本当に呪いが……!? まさかこんな日が来るとは……!!」
声に喜びを滲ませるサクヤ。
その様子を「良かった」と嬉しそうに見守るルイシャだったが、鎧が完全に剥がれ落ちた時、ルイシャの表情は驚きに染まる。
「感謝するぞルイシャ。改めて名乗るとしよう、我が名はサクヤ。鬼族最強の『鬼王』にして、鬼族の姫。この力、お前の為に使うと誓おう」
鎧の下から現れたのは、額から生えた立派な角と、燃えるような赤い髪が特徴的な美しい女性であった。
厳つい大男だと思っていたルイシャは、驚いて口をパクパクと動かす。