第14話 守る
ルイシャ=バーディ、15歳。
平凡な生まれながら、ひょんなことから異空間「無限牢獄」に迷い込み、そこで魔王と竜王に育てられたことで一般人を大きく超える力を手にした彼は、今まで多くの戦いを潜り抜けてきた。
中にはあと少しなにかが違っていれば命を落としていたものもある。
彼の戦いの歴史は決して安全なものではなく、死戦を何度も潜り抜けてきた自負を彼自身持っていた。
しかしそのどれも、今ほどの『絶望感』を感じさせるものではなかった。
初めてだった。彼は今日初めて、勝機を見出すことができなかった。
絶望という名の沼に胸まで浸かってしまっており、いくらあがいても抜け出すどころか更に沈んでしまう。そのような感覚だった。
(このまま戦い続けても全滅するだけだ。それだけは避けなくちゃいけない。今、僕にできることは……)
ルイシャは痛む頭をなんとか回し、この場を切り抜ける方法を考える。
今取れる最善の手はなにか。どうすれば最悪の事態を回避できるか。考えうる全てのパターンを脳内でシミュレートする。
(……やっぱりこの手しかない。二人には反対されるかもしれないけど、こうするしかない)
悩んだ末、一つの結論に至ったルイシャはそれを実行する決断をする。
「二人とも集まって!」
ルイシャは駆け出し、大きな声で呼びかける。
シャロもアイリスもすでに疲労の限界に達していたが、ルイシャの呼びかけに応え動き出す。
三人は迫り来るレギオンたちをなんとか倒しながら、集まることに成功する。
もちろんそこにレギオンたちは押し寄せてくるが、ルイシャが「超位火炎」で彼らを焼き尽くし、なんとか時間を作りだす。
「二人とも分かってると思うけど……今の僕たちじゃあいつには勝てない! ここは逃げるべきだ!」
「それは分かるけど、逃げられる相手じゃないでしょ! なにかいい案があんの?」
シャロの問いにルイシャはしばし沈黙する。
案ならある。しかしそれを言えば反対されることは分かっていた。
「……僕が残る。その間に二人は魔空艇に行くんだ。空に行けばあいつだって簡単には追ってこれないはずだ」
「は、はあ!? なに言ってんのよあんた! 私らにあんたを置いていけって言うの!?」
詰め寄るシャロ。ルイシャは申し訳なさそうにしながらも彼女をまっすぐに見る。
「あいつの狙いはシャロだ。シャロがやられちゃうのが一番最悪のパターンだ、それだけは避けなくちゃいけない」
「なに正論で誤魔化そうとしてんのよ! あいつが誰を狙っているかなんて重要じゃない! 私たちはみんなで生き残るんでしょうが!」
そう叫ぶシャロを見て、ルイシャはつらそうに目を細める。
「……ごめん。今のは詭弁だ。僕は二人に生き残って欲しい。僕が死ぬのは構わないけど、二人が命を落とすなんて耐えられない」
「そんなの私たちだって一緒よ! あんたが死ぬなんて耐えられるわけがない!」
シャロは思いの丈をぶつけるように叫ぶ。
勇者の子孫である彼女だが、今一番大事なのは世界の平和ではなくルイシャであった。彼のためであればどんな厳しい戦いでも身を投じる覚悟ができていた。
そんな彼女にとってルイシャの提案は到底受け入れられるものではなかった。
しかしそれは、ルイシャとて同じことであった。
互いを思い合うがゆえに、その意見は交わることはない。どちらかが、この場で犠牲になるしか道はなかった。
「ありがとうシャロ。僕と出会ってくれて。本当に……楽しかった」
ルイシャは穏やかな表情をしながら笑みを浮かべると、自分の左手の甲をシャロに向ける。
訳が分からずあっけに取られるシャロだが、その意味に気がつくとルイシャを止めようと動き出す。
「ルイ、やめ――――」
「ごめんね。こんな方法しか思いつかなくて」
次の瞬間、ルイシャの左手の甲に紋様が浮かび上がり、光る。
そしてその光を受けたシャロの左手の甲にもまた、同じ形をした紋様が浮かび上がる。
「主人として命じる。ここから逃げて王都まで行くんだ」
「そ、んな……い、や――――」
ルイシャの命令に反抗しようとするシャロ。
しかし彼女に浮かんだ紋様は、ルイシャの命令を遂行しようと彼女の体を無理やり動かす。
少しの間それに抗い苦しそうにしたシャロだが、やがてそれに対抗することができなくなり、結果として意識を失いその場に倒れてしまう。
「ごめん――――」
彼女を受け止めたルイシャは、隣で見ていたアイリスにシャロを渡す。
「ルイシャ様、今のは……」
「もしかしたらアイリスも見ていたかもしれないけど、シャロと初めて会った時、僕はシャロと決闘したんだ」
ルイシャは昔を懐かしむように話す。
それは学園に入る直前の出来事。まだ数ヶ月前のことだが、何年も昔のことのように感じた。それほどまでにこの数ヶ月は思い出が多かった。
「負けた方が勝った方の奴隷になる。そんな約束をさせられて僕たちは戦った。結果として僕が勝ったことになってこの『奴隷紋』入れることになったんだ」
ルイシャは自分の左手に刻まれた紋様を見る。
奴隷紋は主人側と奴隷側に分かれている二つで一組の代物。その力を行使すると奴隷側は主人の命令に強制的に従う。
昔は言うことを聞かない奴隷によく使われたが、最近の治安が良くなった王国ではあまり使われていない。
「これはシャロが無理やりつけたもの。この力を使うつもりはなかったんだけど、こうでもしないとシャロは逃げてくれないよね」
あはは、と笑うルイシャ。
表情こそ穏やかであるが、彼の目は既に覚悟が決まってることを語っていた。
「アイリス、シャロを連れて逃げてほしい」
「…………それは……命令、でしょうか」
「ううん、これはお願いだよ。信頼してるアイリスにしか頼めない」
「ルイシャ様はずるいです……」
今にも泣き出しそうな目を伏せ、声を震わせるアイリス。
彼女もシャロのようにそんなのは嫌だ、置いていくことなんてできない。そう泣き叫びたい気持ちであった。
しかしそんなことをしても状況を悪化させるだけであることをアイリスはよく理解していた。
自分だけが残って他二人を逃すという選択肢もあったが、自分だけではレギオンを足止めできないこともアイリスは戦いの内に理解していた。
そしてなにより――――愛する人の、命をかけた願いを、断ることなど彼女はできなかった。
「愛しております、ルイシャ様。いつまでも」
「うん、僕も愛しているよアイリス。今まで本当にありがとう」
ルイシャは震えるアイリスの体を一度抱きしめると、彼女の額に一度キスをして離れる。
アイリスは目元を拭うと、深く頭を下げた後、魔空艇の方向に駆け始める。もちろん意識を失ったシャロを抱えたまま。
「……おやおや、まさか貴方が残るとは思いませんでした」
煙の中から現れたレギオンはルイシャを見て意外そうに呟く。
ルイシャの放った火炎魔法は全てのレギオンを焼き払ったはずであったが、煙から出てきた彼の服は少しも焦げていなかった。
「貴方は僕がここで止めます。ここから先には一歩たりとも進ませません」
ルイシャは覚悟を決めた表情でレギオンの前に立つ。
それを見たレギオンは少し目の色が変わる。
「ほう……死は覚悟の上、ですか。しかし不思議ですね、私の調べでは勇者の末裔も吸血鬼の娘も、それほど長い付き合いではないのでしょう。それなのに彼女たちのために死を選ぶとは。賢い選択ではないと思うのですが」
レギオンは皮肉ではなく純粋に不思議そうに尋ねる。
するとルイシャはまっすぐな瞳を彼に向けながらその問いに答える。
「それは少し違う。僕は二人のために命を捨てたんじゃない」
「へえ、ではなんだというんですか?」
ルイシャはほんの少しだけ目を閉じ、二人と過ごした日々を思い出した。
そのどれもが楽しく、素晴らしい思い出だった。二人を守るためであれば、勇気がいくらでも湧いてくる。そう感じた。
「僕は二人のために命を賭けたんだ。お前はここで……僕が倒す!」
「面白い……! やってみろよ小僧ォ!」