第9話 紋章対消滅《エンブレムブレイク》
「大丈夫ですかエキドナさん!?」
ルイシャたちは倒れたエキドナの元に急いで駆け寄る。
エキドナ憔悴した様子ではあったが、意識はあり命に別状もなさそうであった。それを確認したルイシャはほっとする。
少しするとエキドナは自分の力で体を起こす。
「大丈夫だ。多少疲れはしたが、これくらいでへばるほどヤワではない」
「良かったです……ところでさっきのは一体?」
ルイシャは苦しそうに地面を這いつくばるテセウスを見ながら尋ねる。
今までどんな手を用いても倒せなかったテセウスを、エキドナは拳の一撃で倒してみせた。その一撃をルイシャは観察していたが、魔力も気功とも違う『力』を感じていた。
いったいどのような手を使ったのか、彼をしても分からなかった。
「私が使った技は『紋章対消滅』。古い時代に生み出された技術だ。廃れた技術ゆえ、この技を知っている者もほとんどおらんだろう」
「紋章対消滅……名前から察するに、王紋や将紋を破壊する技ですか?」
「然り。この技で奴の王紋を砕き『不死』の力を奪ったのだ」
不死を攻略できないのであれば、その不死の源を断てばいい。
エキドナの作戦は成功し、テセウスは頼みの綱の不死を失った。
「見ろ。あれが紛い物の不死に縋り続けた者の末路だ」
エキドナに促されテセウスを見ると、彼の体が急速に『老いて』いっていた。
手足が細くなり、皮膚が水分を失う。二十代後半くらいの見た目だったテセウスはあっという間にシワシワの老人になってしまう。
自分の体の異常に気がついたテセウスは、それに絶望し叫ぶ。
「私の……私の永遠の命がぁ! 神よ! 今一度私に生を! お願いいたしますぅ!」
テセウスは天を仰ぎながら、必死に懇願する。
しかしその願いは届かず、彼らの体は朽ちていく。そして遂に寿命を迎えたテセウスは「あ……」とか細い声を出し、その場に倒れる。
その細く弱りきった肉体からはもう魔力も気も感じ取れない。どうやら完全に死んでしまったようだ。
「ふう……どうやら上手くいったみたいだな」
「す、凄い。王紋を壊せる技があったなんて」
「興奮しているところ悪いが、この技はそんないいものではない。それ相応の代償があるゆえ、この技は普及しなかったのだから」
「代償? それっていったいなんですか?」
「……この技は王紋と王紋をぶつけ合わせることで相殺する技。つまり使えば相手だけでなく自らの王紋も失う。私は王紋を失ったということだ」
「そんな……っ!」
エキドナの告白にルイシャは驚愕する。
王紋とは一つのことを極めた証であり勲章であり、王の器を持つ証拠。
エキドナはそれを失ったのだ。
「そ、それじゃあ未来視の能力も……」
「ああ。未来視の力は王紋の力がなくては使えない。私はもう未来を視ることはできない」
エキドナはどこか清々しい表情でそう答える。
未来視は彼女にとってもっとも大事な能力のはずだが、その顔に悲観的なものは一切なかった。
「そ、そんな! 王紋は一度失ったらもう戻らないんですよ!?」
「いいんだ。大事なのは未来を視ることではなく、未来を守ること。私の使命はもう果たされている。後の世はお主らに任せる」
「エキドナさん……」
自分たちが未来を守るなんて言われても、ルイシャには実感などなかった。
しかしエキドナの覚悟と願いを見て、いつまでも迷ってはいられない。力強く「はい」と答えるルイシャを見てエキドナは満足そうに笑みを浮かべる。
「さて、いつまでもゆっくりしている時間はないぞ。創世教の仲間がまだいる可能性がある。早く逃げるんだ」
「は、はい。エキドナさんたちは大丈夫ですか?」
エキドナだけでなく他の蛇人族にも怪我人が何人もいる。彼女たちのことが気がかりだった。
「蛇人族は傷の治りが早い。私も王紋は失ったが、回復魔法くらいなら使える。気にせず行け」
「……わかりました。それじゃあ行かせていただきます」
エキドナの行動を無駄にするわけにはいかない。
シャロとアイリスに目配せし、ルイシャは蛇人族の里を出ることを決める。
相手は大陸に根を張る一大組織であるが、王都に戻り王国の力を借りること戦いようはある。いつまでもこの場にいるよりはいいだろう。
そう動くのが今は最善である。
そして最善ということは、敵もその動きが読めるということでもある。
「これは酷い。王紋が完全に壊れてしまっていますね。せっかく主が与えてくれたものですのに」
突然広場に響く、何者かの声。
急いでそちらに目を向けると、テセウスの側に一人の男が立っていた。
黒いスーツに身を包んだ、一人の男。
頭はもじゃもじゃのアフロヘアーで、側頭部からは羊のような角が二本生えている。どうやら獣人のようだ。
人当たりの良さそうな柔和な表情を浮かべているが、ルイシャはその男にいいようのない『気味の悪さ』を感じた。
側にいるだけで悪寒を感じ、身の毛がよだつ。人の形をした化物のようだ、ルイシャは第一印象でそう思った。
「まあしかし、役目をしっかり果たしてくれたのは褒めてあげないといけませんね。さすがは幹部の一人と言ったところでしょうか」
「お前は誰だ。なにしにこの里にやって来た」
エキドナは曲剣を握り、謎の獣人を睨みつける。
疲弊しているにも関わらずその体からは身を刺すような鋭い殺気が放たれている。
「私の名はレギオンと申します。挨拶が遅れ、申し訳ありません蛇人族の王よ。いえ……今はもう、王ではありませんのでしたね」
「そうだな。だが貴様らの仲間の不死は私が殺した。貴様らにとってもそれは痛手ではないのか?」
「いえ、テセウスは見事役目を果たしてくれました。百点といってもいい働きです」
「なに……?」
想像と違う答えにエキドナは戸惑う。
そんな彼女に獣人の男は得意げに説明を始める。
「蛇王の持つ『未来視』の力は非常に厄介です。どうしても消さなければいけませんでした。しかし蛇王を殺しても他の蛇人族が王紋を受け継いでしまう可能性があります。しかし、王紋が消えては受け継ぐことも不可能。少なくとも当分は未来視を使える者はあらわれません」
「まさか……この事態を見越して奴を寄越したというのか? 仲間が死ぬのすら計画の内だと?」
「必要経費というやつですよ。彼も主の力になれて光栄に思っているでしょう」
「この外道め!」
エキドナは激昂すると右手の曲剣を獣人の男、レギオンに叩きつける。
その一撃は見事に命中し、レギオンを叩き潰す。手に感じる確かな手応えにエキドナは勝利を確信するが、
「さすが勇者の仲間。王紋を失ったにもかかわらず凄い力です」
「な……っ!?」
なんとレギオンはいつの間にかエキドナのすぐ側にいた。
凄いスピードで動いたというより、まるで最初からそこにいたかのように立っている。
エキドナはすぐに尻尾でレギオンを叩き潰すが、今度は少し離れたところにレギオンが現れる。
「ど、どういうことだ? まるで何人もいるみたいだ……!」
「ご明察。我が名はレギオン、我々は多勢であるがゆえに強く――――」
レギオンのすぐ後ろから、もう一人のレギオンが姿を現す。
その後ろからもう一人、更にもう一人となにもないはずの空間から無数にレギオンが現れる。
そうしている内にレギオンの数はあっという間に三十人ほどに増える。彼らは全く同じタイミングで口を開くと、一糸乱れぬ動きで言葉を続ける。
「群れであるがゆえに、固い。あなた方にはここで終わっていただきます」