閑話 動き出す影
エクサドル王国領土内、某所――――
森の中にある、人里離れた家屋にその少女はいた。
燃えるような赤い髪に、野生動物のように鋭い目。
顔はとても整っていたが、喋りかけると噛みつかれそうな気配すらある。街をあるけば人目を非常に引くが、話しかけられることは稀だった。
彼女の名前はエレナ・バーンウッド。
かつてルイシャと同じ村に住み、彼のトラウマともなった少女であった。
「あー、暇。なんか面白いことはないのかしら」
椅子を揺らしながらつまらなそうな表情を浮かべ、エレナは言う。
するとテーブルを挟んで向かい側に座っている男が彼女をなだめる。
「もう少し辛抱してください。貴女の力はこの先絶対必要になりますから」
そう言った彼の頭部からは角が生えていた。
羊の獣人、名はレギオン。ルイシャに絶縁され荒れていたエレナを拾った、謎多き人物である。
エレナ自身、彼のことは熱心な創世教の信者であることくらいしか知らなかった。魔力も低く、腕力もたいしたことはないように見える。
しかしどこか彼からは底知れないものをエレナは感じ取っていた。なのでエレナは彼の言うことは余程嫌でないこと以外は素直に従っていた。
もっとも、レギオンはエレナの嫌がることを命じることはなかったのだが。
「ねえ、あんたの言ってる『選別の日』ってのはまだなの? 私さっさとこんな下らない世界とはおさらばしたいんだけど」
「まだその時ではありません。我々は来る日に向けて不安の芽を全て摘まなくてはいけないのですから。貴女も『神選者』の一人なのですからその自覚を持ってください」
「不安の芽、ねえ。あんたらが本気になったら邪魔できる奴なんていないんじゃないの?」
「ええ、まあ。しかし念には念を。失敗は許されないのですから」
エレナは以前創世教幹部の集まりに顔を出したことがあった。
そこにいたのは身の毛もよだつ『化物』たちであった。一人で国を落とせるような怪物たちを見て、エレナは強い恐怖を覚えた。
そんな彼らが不安を感じる存在がこの世界にいるのか。エレナは疑問に思っていた。
「エレナ、貴女の力はまだ発展途上。選別の日まではあまり派手に動かないでください」
「……はいはい。分かったわ」
エレナはそう言うが、不満げな表情をしたままであった。
彼女はレギオンに拾われてから厳しい訓練と実戦を重ねたことで、ルイシャと別れる前より数倍強くなっていた。
今ならルイシャにだって勝てる。エレナにはその自信があった。
この強さに更に磨きをかけるためにも彼女は力を振るう先を欲していた。
「焦らなくてもその時は近い内に来ますよ」
「本当?」
「ええ。約束し……ん?」
突然扉がノックされ、中に一人の男が入って来る。
黒いローブに身を包んだその人物は、レギオンと同じく創世教の信者であった。
「レギオン様。ご報告があります」
そう言って男はレギオンになにやら耳打ちする。
エレナは耳をすませて聞こえないか試してみるが、なにも聞き取ることはできなかった。
「ほう、ほう……それは素晴らしい。すぐに動くとしましょう」
報告を聞いたレギオンは満足そうにそう言うと、席を立つ。
「なに。行くの?」
「ええ、例の不安の種の一つを見つけたと報告がありましてね」
「ふうん、面白そうじゃない。私も行っていい?」
「貴女は言った通り大人しくしていてください。なに、すぐに帰って来ますよ」
レギオンはコートを着ると、家の扉の前に立つ。
お留守番となったエレナはつまらなそうにしながらレギオンの背中に声をかける。
「とっとと帰って来なさいよ。あんたみたいなのでもいたら多少は気が紛れるんだから」
「ええ。お土産を買ってきますので楽しみにしていてください」
レギオンは相変わらず柔和な笑みを浮かべながらそう言うと、エレナを残して外に出るのだった。