第24話 昏闇の中で
その者の意識は暗い、暗い、闇の中にあった。
どちらが上で、どちらが下なのかも分からない、暗黒。
暖かくて、冷たい。心地よくて息苦しい。
そんな不思議な空間に、ヴィニスはいた。
(もう、何も考えたくない。何もしたくない……)
この空間に来てから、彼は昔の記憶を見せられ続けていた。
それは自分のことを奇異の眼差しで見る者たちの顔。
こんなに辛いのに、こんなに苦しいのに誰も理解してくれない。
何人かそんな彼を馬鹿にせず接してくれる人はいたが、そういった者はみな優秀で、長い時間共にいることは不可能だった。
皮を被るしかなかった。
誇張し、ふざけているように見せることでしか正気を保てなかったのだ。
「つらい……いたい……くるしい……」
心の奥底がじくじくと痛む。
彼をそうさせた張本人であるク・ルウは、彼の心の傷に付け入りその体を掌握していた。
外に出たいなど考えさせない。そのためにク・ルウは彼の苦い記憶を思い出させ続けていた。
――――もっと自分の殻に引きこもり、もっと私に依存しろ。
強力な電波を浴び続けたヴィニスは、完全に洗脳されつつあった。
しかしそんな彼にも一つだけ、希望があった。
「たす……けて」
その人は初めて自分を受け入れてくれた人。
強くて、頼もしくて、でもどこか抜けているところもあって……そんな彼のことが、ヴィニスは大好きだった。
「ルイシャ……兄……」
虚ろな意識で、その名前を呼ぶ。
しかしク・ルウはその記憶を黒く塗りつぶそうとしていた。
「やめ、ろ……」
上書きされていく思い出。
抵抗しようとヴィニスは必死に手を伸ばす。
――――無駄だ。全てを私に委ねるのだ。
脳内に響く悍ましい声。
しかしヴィニスはその声に屈することなく手を伸ばし続ける。
「た、すけ……」
薄れゆく意識。
伸ばした手がゆっくりと下がっていく。
しかしその手は下がり切る直前で、ガシッと掴まれる。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
真っ暗な世界に射し込む光。
逆光でその声の主の顔は見えない。だけど握るその手の温もりと力強さでヴィニスはその人物が誰なのかを理解した。
「ルイシャ兄……」
「頑張ったねヴィニス。もう大丈夫だから」
ルイシャはぐったりとするヴィニスを抱えて立つ。
ク・ルウの全ての足を切り落としたルイシャは、魔眼の力でヴィニスの位置を特定。柔らかくなったク・ルウの胴体を切り、中にいたヴィニスを救い出したのだ。
「横になってて。船に運ぶから」
「ああ……頼むよルイシャ兄」
ぐったりとするヴィニスを抱えながら、ルイシャは一旦船に戻るのだった。
◇ ◇ ◇
――――ク・ルウ頭頂部。
動きが止まったク・ルウの頭の上に、シンディとバットは行った。
そこにいたのは、ク・ルウの頭から生えた人間だった。下半身がク・ルウの体と同化したその人間は、二人がやってくると瞳をぎょろりと動かし睨みつけてくる。
バットはその人物に見覚えはなかったが、シンディはよく覚えがあった。
「……やっぱりあんただったかい。本当に救えないやつだよ」
シンディは呆れと憐れみを混ぜた目でその人物を見る。
「おいシンディ。この男は誰なんだ?」
「こいつの名前はエドワード・ドレイク。海賊だよ」
少し前にルイシャを襲った“人喰い”の異名を持つ海賊。それがドレイクだった。
ク・ルウの電波を受信した彼は、海竜の腹の中に潜み海底島に侵入。ルイシャたちより先にク・ルウとの邂逅を果たしていたのだ。
動物的な勘を持つシンディは、ク・ルウからドレイクの気配を感じていたのだった。
「シンディ……また、俺の邪魔をするのか……!」
ドレイクはシンディを睨みつけながら恨みがましく言う。
怪物と同化した彼はもはや正気ではない。ク・ルウの怒りや憎しみの感情に強く影響を受けてしまいまともな思考は出来なくなってしまっていたのだ。
ドレイクはその衝動の赴くままに攻撃を開始する。
「俺が……俺が海の支配者なんだよォッ!」
肉体の接合面から無数の触手を生やすドレイク。
それはク・ルウの体に残された最後の力であった。全ての足を落とされ、ヴィニスまで失った今、ク・ルウは自分の体をロクに動かすことも出来ない。
しかし目の前に上質な餌が二つもある。一つは白骨化してしまっているが、それでも出汁は出るだろう。ク・ルウはドレイクに戦闘命令を出す。
「死ねシンディ! 貴様の全てを俺に寄越せッ!」
迫りくる触手の群れ。
しかしシンディは冷静であった。
「あんたみたいなダサい男にくれてやる物なんか何もないよ。それに海に支配者なんていらない。海は海に住む全員のものなんだから」
シンディはサーベルを抜き、近づいて来た触手を切り刻む。
そして一気に駆け抜けドレイクに接近する。
「馬鹿め、そこは俺の領域だ!」
地面から更に触手が生え、シンディに襲いかかる。
すると今度はバットがその触手を殴り飛ばした。
「いいこと言うじゃねえかシンディ。流石俺の孫だぜ」
シンディとバットはお互いの隙をカバーし合うように触手に対処しながらドレイクに接近していく。その息の合った連携を前に、ドレイクの攻撃は全て意味をなさなかった。
「これなら、どうだぁ!」
二人を囲むように、地面から大量の触手が現れる。
するとバットは触手ではなく地面に自分の手の平をつける。
「波打ち・海王振!」
波の揺れる力を体に溜め、手より放つ海の技『波打ち』。
海賊王であるバットは当然その技を極めている。
彼の放った振動は地面、つまりク・ルウの頭部を激しく揺らし、その細胞を死滅させてしまう。当然触手の動きは鈍くなり、攻撃は止まってしまう。
シンディはすぐさまその隙をつき、襲いかかってくる触手をみじん切りにする。
「シンディ、合わせろ!」
「……ああっ!」
二人はサーベルを構えながらドレイクのもとにたどり着く。
必死に触手で応戦するドレイクだが、波打ちの影響で触手の動きは鈍っている。二人の海の王を足止めすることすら出来なかった。
「ふざけんな! 俺は海賊王になる男だぞ!」
「あんたは器じゃないよ。その称号は世界で一番かっこいい男の称号だ」
シンディとバットは、全く同じタイミングでドレイクを袈裟斬りにする。
胴体を『×』の形に切られたドレイクは、その場に崩れ落ち体がドロドロと溶けていってしまう。
「……本当に哀れな男だよ」
最後にそう呟き、シンディは船に戻るのだった。