第20話 後悔の記憶
「よいしょ……っと!」
シンディの船グロウブルー号の船体から跳んだルイシャは、無事ブラック・エリザベス号に着地する。
その船はかなり年季が入っていたが、整備はちゃんとされていたみたいで、百年ぶりの航海にもかかわらず海を自在に移動していた。
「ようこそブラック・エリザベス号へ。まずは自慢の大食堂へ……といきてえところだが今は時間がねえ。我慢してくれや」
「はい、残念ですが諦めますよ」
ルイシャがそう軽口を叩くと、バットは楽しそうに笑う。
「少ししたら奴の触手めがけて集中砲火する。そうすりゃ少しの間だけ奴には八本の足しか残らなくなる」
「その隙に接近して足を切る。そういうことですね」
「ああ、その通りだ。お前らはそれまで船首で休んでろ」
そう言ってバットは船員たちのもとへ行く。どうやら作戦を伝えに行ったようだ。
ルイシャはひとまず船の柵に寄りかかり呼吸を整える。休めるのはこれが最後、ここからは勝つまで戦い通しになるだろう。
束の間の休息を取っていると、一緒に来たアイリスが暗い表情をしていることに気がつく。何かに思い詰めているような、そんな感じであった。
「どうしたの? 大丈夫?」
「え、あ……はい。申し訳ありません」
暗い表情が解けないアイリス。
ルイシャはそんな彼女のもとに近寄り、その手を握る。
彼女の手は細かく震えていた。想像以上に思い詰めているようだ。
「アイリス。僕で良ければ話を聞かせてほしい」
手を強く握りながらルイシャは言う。
するとアイリスはゆっくりと固く閉ざされた口を開き、心情を吐露する。
「……ヴィニスは昔から変わった子でした。声がする、とか、誰かに呼ばれてる、とか、俺は選ばれたんだ、とか、そんなことを言う子でした」
アイリスは昔を思い返しながら話す。
「そのせいで彼は同族からも少し距離を置かれていました。私はなるべく普通に、努めて普通に彼と接してはいました。しかし……彼の言葉を真剣には受け止めていませんでした」
「アイリス……」
「だけど彼は本当に悩んでいたんです。ク・ルウの電波のせいで悩んでいたのに、苦しんでいたのに……私はそれに気づけてあげられなかった! なんてひどいことを……私は……私は……!」
手で顔を覆い苦しむアイリス。
もしその苦しみを分かってあげられていたのならば、今回みたいな事態にはならなかったのではないか。そう考えてしまう。
嗚咽を漏らしながら苦しみ彼女の姿を見たルイシャは、そっと彼女のことを抱きしめ、背中をさする。
「アイリスのせいじゃないよ。悪いのは全部ク・ルウだ。それにアイリスはヴィニスの言ってることを馬鹿にしなかったんでしょ? だったらヴィニスもアイリスに感謝していると思うよ」
それは決して慰めだけの言葉ではなかった。
ヴィニスがアイリスに取っていた態度を見れば分かる。彼はアイリスのことを慕っていた。頼りになり、憧れている存在だということをルイシャはちゃんと見抜いていた。
「それでもまだ心が痛むなら、助けた後に謝ろう。大丈夫、僕も一緒にいるからさ」
「……ルイシャさま」
アイリスは腫れた目元を隠すようにルイシャの胸に顔を埋める。
しばらくそうした彼女の体から震えが消える。弱音を全てそこに置いたアイリスは、いつも通りの冷静な表情に戻りルイシャから体を離す。
「ありがとうございます。もう……大丈夫です」
「うん。よかった」
満足そうにそう言ったルイシャは、ク・ルウの方を向く。
依然その目は恨みがましく船を見ている。今からあの怪物の側に行くと思うと体がすくむ。
「負けるもんか。力を貸してねテス姉……リオ」
竜王剣を出現させ、右手で強く握る。師匠から貰ったその剣は握るだけで不思議と勇気が湧き出てくる。
「時間だ! 間もなく砲撃を始める! しっかり掴まっとけよお前ら!」
「分かりました!」
ルイシャとアイリスはしっかりと船の柵に捕まる。
すると次の瞬間、船の左舷につけられた砲台が火を吹き、砲弾の雨がク・ルウに降り注ぐ。
タイミングを同じくしてシンディの船からも砲弾が発射される。二方向からの砲撃を受け、ク・ルウの触手が減っていく。
「今だ取舵いっぱいっ! 奴に近づけ!」
二隻の船は、ク・ルウを中心に反時計回りに動いていた。そこから一気に方向を転換し中央に座するク・ルウへ接近を試みる。
急な方向転換を受け、ブラック・エリザベス号の船体がギシギシと悲鳴をあげる。整備をされているとはいえ、この船は百年前のもの。長年潮風に晒されたその船体は限界に近づいていた。
「悪いな相棒。最後の旅だからなんとか持ちこたえてくれ」
長年連れ添った船をなでながら、バットは言う。
その言葉に応えるように、ブラック・エリザベス号は海上を滑るように移動しク・ルウへ急接近する。
「もうすぐだルイシャ! 準備はいいな!」
「はい!」
ルイシャとアイリスは船首に立ちながら武器を構える。
竜王剣とクリムゾンⅩⅡ。どちらもク・ルウの体を切ることが可能な名剣だ。
「主砲も用意しておけ! 発射タイミングはてめえらに任せる!」
バットも足を切るためサーベルを抜きながら船首に向かう。
チャンスは一回。失敗は許されない。
「さて、怪物退治といくかね。俺様の絵本がまた厚くなっちまうな」
軽口を叩きながら船首に立つバット。
お目当ての太い足はもう目の前まで来ている。他の細い足はほとんど砲撃により無くなっている。千載一遇の好機と言えるだろう。
「覚悟しやがれ!」
サーベルを構え、バットが咆える。
それを見たク・ルウは口を歪ませ――――嗤った。
その瞬間、バットは背中に冷たいものを感じた。何かを見逃しているような、そんな直感がした。しかし気づいた時にはもう遅い。既に彼らはク・ルウの罠の中にいた。
『ふんぐぁ!』
叫び声と共にク・ルウの体に無数の触手が生える。
その数は優に百を超える。とてもではないが二隻の船で対処できる数ではない。
「ヤロウ……力を隠してやがったのか!」
バットは舌打ちをする。
ク・ルウの知恵の高さを甘く見ていた。怒りのままに暴れまわることしか出来ないと、高を括っていた。
昔であればそうであったかもしれないが、ク・ルウは封印されている間に学習していたのだ。
人間は下等生物であるが……侮れないと。力に身を任せるだけではなく、知恵も使う必要のある相手だと、ク・ルウは学習していた。
ゆえにク・ルウはわざとやられたフリをして、敵を懐まで招き入れた。既に相手は自分の間合いの中、いかようにも料理できる状態だ。
「ここまで……だっていうのか」
バットは悔しげに表情を歪ませる。
そんな彼を嘲笑うかのように、大量の触手が船を包み込まんと襲いかかる。
ルイシャとアイリスは魔法を使いそれらを追い払おうとするが、焼け石に水。まるで空を包む雲のように襲いかかるそれらを全て対処するのは不可能だった。
もはやこれまで。
誰もがそう思った瞬間――――火薬が爆発する音が、海に響く。
「こいつは……砲撃?」
バットが呟いた瞬間、襲いかかって来た触手たちが突然爆発する。
その爆発は間を置かず連続的に起こり、遂に触手の群れを退けてしまった。
「いったい何が起きてやがんだ!?」
突然の事態に困惑するバット。
爆発の正体を確かめようと辺りを見渡した彼は、驚きの光景を目にする。
「こいつは……驚いた」
ブラック・エリザベス号の後方。
そこにいたのは二十隻を超える船団であった。
しかもそれらはただの船ではない。かつてバットと戦った船やバットが海に出る前に活躍した船など、どの船もお伽噺に登場するような有名な船であった。
バットがそれらを見ていると、海にあぶくが立ち違う船が海中より浮上してくる。
そう、その船たちは海に沈んでいた船なのだ。その証拠に船体には苔やフジツボが生えている。帆は破れマストも折れ曲がっているが、その船たちの佇まいは立派なものであった。
「ゴールデン・フィッシュ号にロイヤル・マーメイド号。おいおいありゃあ海軍のソニックスカウト号じゃねえか。あれもこの海域で沈んだのかよ……」
懐かしそうに語るバット。
浮上してきたのは海賊船だけでなく、商船や海軍の船もあった。かつて敵対した船同士が横に並び、同じ標的に照準を合わせている。バットはその光景に感動すら覚えた。
「バットさん、あれって……」
「ああ、手を貸してくれるみたいだぜ」
バットはルイシャの疑問に答える。
「それは心強いですね。彼らももしかしてク・ルウにやられたのでしょうか?」
「かもしれねえな。だが理由は報復だけじゃねえと思うぜ」
「え?」
ルイシャが首を傾げる。
バットは船の端まで行くと、その船団を見ながら小さく呟く。
「こんな楽しい喧嘩してんだ。黙って眠ってなんかられねえよな、俺たちは」
その顔はとても、嬉しそうであった。