第15話 バット
「く……痛え……」
そう呻きながらキャプテン・バットは体を起こす。
常識外れの頑強さを持つ彼だが、怪物ク・ルウの攻撃はその防御力を上回る威力を持っていた。
触手が直接当たった箇所の骨にはヒビが入っており、体を動かす度にキシキシと音を鳴らしながら痛んだ。
「あいつは……もういないか」
バットは自分が飛ばされてきた方向を見るが、既にク・ルウの姿はなかった。バットにトドメを刺すよりも体力を回復させることを優先したようだ。
これからどうする。そう考えていていると、ある人物がバットのもとに駆け寄ってくる。
「船長! 大丈夫ですか!?」
現れたのはスケルトンの海賊であった。
彼はバットのもとにやって来るとその怪我を心配する。
「なんだマーカスか。どうしたんだ?」
「俺、船長が心配で……手を貸してくれそうな人を連れてきたんです!」
「んあ? 誰だそれは」
バットが首を傾げると、マーカスがやって来た方向から二人の人物がやってくる。
「てめえらは……」
やって来たのはルイシャとシンディであった。
彼らはたまたまバットが飛ばされた場所の近くを走っていたのだ。ボロボロになっているバットを見たルイシャは心配そうに彼のもとに近づく。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……ああ、問題ねえよ。これくらいかすり傷だ」
よっ、と言いながらバットは立ち上がる。
虚勢を張ってはいるが、その足は僅かに震えている。まだダメージは残っているようだ。
「さっきの化物がク・ルウなんですね。遠くからですが見えました」
「なんだ、見てたのか」
「はい。そして貴方がなぜこの島を守っていたのかもお聞きしました」
「……そうかい」
バットはちらとマーカスを見る。
船長の秘密を話したマーカスは申し訳無さそうに頭を下げる。
「す、すまねえ船長。船長と対等にやりあえてたこいつらなら力になってくれると思って」
「別にいいさ……どうせもう全部終わりなんだからよ」
「へ?」
バットの言葉に、マーカスは間の抜けた声を出す。
今まで一度だって船長はその様な後ろ向きなことを言ったことはなかった。
「終わりってどういうことですか? あの化物を倒すんですよね船長!」
「……倒せないから俺はあいつを封印した。目を覚ましたてなら倒せるかもしれねえと挑んではみたが、駄目だった」
直接手を合わせたバットは、自身とク・ルウの間に大きな壁があるのを理解していた。
それは努力や才能では埋めることの出来ない圧倒的な種族の差。天災に力で抗うことが愚かであるように、バットはク・ルウに挑む気がなくなっていた。
「今の奴は海の生き物を大量に捕食し、更に強くなってやがるだろう。勇者オーガですら倒せなかったあいつを、俺が倒せるわけがねえ」
「そ、そんな……」
マーカスはその場にうなだれる。
どんな戦いでも船長が鼓舞してくれれば彼は戦えた。しかし船長が諦めた今、彼の心は折れてしまった。
その一部始終を見ていたルイシャは、バットに近づき話しかける。
「あの怪物が暴れれば地上は大変なことになります、僕はそれを止めなければいけません。どうか力を貸していただけないでしょうか」
「悪いな小僧。あれを倒すならお前たちだけでやってくれ。俺はもう……疲れた」
バットは力なくそう言った。
百年間、彼は海の底で戦い続けていた。
たとえ人間からスケルトンに成れ果ててでも、海を守るため彼は戦い続けていた。
しかしそれだけしてもあの怪物は海に解き放たれてしまった。
彼の胸に今あるのは強い虚無感。自分の今までの戦いは無駄だったのではないか。そんな思いがぐるぐると渦巻いていた。
「バットさん……」
ルイシャはそんな彼になんと言っていいのか分からなかった。
どんな綺麗事を述べても、今の彼には届かないだろう。
そんな沈んだ空気の中、一人の人物が動き出す。
「……ふざけんな! なに腑抜けたこと言ってんだよ!」
大きな声でそう言いながら、シンディはバットの胸ぐらを掴む。
その顔には強い怒りの色が浮かんでいる。
「あんたは泣く子も黙る最強の海賊キャプテン・バットだろ!? それがなんだい、一度負けたくらいで情けない!」
「……嬢ちゃんには関係ないだろう」
「関係ないだって……!?」
シンディは掴んでいた手を突き放すようにして離す。
そしてバットのことを睨みつけながら、とんでもないことを話し出す。
「関係ないわけがない。あたしとあんたには深い関係があるんだから」
「……なんだって?」
シンディ以外の三人が彼女の言葉に耳を傾ける。
彼女の語る言葉は嘘やハッタリには聞こえなかった。
「あたしは『シンドバット』って呼ばれている。でもそれは本名じゃない、あだ名みたいなものさ」
ルイシャはそう言えばシンディはそう呼ばれたなあ、と思い出す。
シンディと呼んでいたからその呼び名は忘れてしまっていた。
「あたしの本当の名前は『シンディアナ・J・バット』。これを縮めてシンドバットって呼ばれているんだ」
それを聞いたルイシャは「そうなんだ」と呑気に思う。
しかしバットとマーカスの反応は違った。シンディの本名を聞き、驚き絶句したような表情を浮かべていた。
「お前、その名は……」
「ああ、そうだよ。キャプテン・バット、いや……『ウィリアムズ・J・バット』」
明かされる海賊王キャプテン・バットの本当の名前。
二人の船長の姓についたものは、同じであった。これの意味する所は、一つしかない。
「あたしはあんたの子孫、ひ孫なんだよ。だからずっと、ずっと……あんたの伝説を追ってこんなところまで来たんだ」