第14話 海賊王の最期
「おいおい! マジであったぜ!」
「こりゃあすげえ! お頭、見てくださいよ!」
――――今から約百年前。
海原を駆ける黒い海賊船があった。
帆に描かれるは巨大な海賊旗が示すのは、その船の主が伝説の海賊であるということ。
海に住むものなら誰もが恐れ、そして憧れる海賊の中の海賊。
海賊王キャプテン・バットがその船には乗っていた。
「船長、どうしますかい?」
「ははっ、決まっている! 上陸だ!」
バットがそう言うと、部下の船員たちが雄叫びを上げる。
この船に乗っているのはスリルとロマンに人生をかけた者ばかり。未知の島に入るとあって彼らの興奮は最高潮に達していた。
「……本当に大丈夫ですか? 罠かもしれませんよ」
船上が興奮に包まれる中、眼鏡をかけたその人物だけは冷静にそう言った。
バットは彼の言葉に「くく」と笑うと、彼の背中をバン! と強く叩く。
「お前は慎重すぎるんだよリック! 島を目の前にしてビビる海賊がいるか?」
「いった! 強く叩かないでくださいよ船長!」
リックと呼ばれたその人物は、この海賊団の副船長を務める人物であった。
尖い目つきと堅物そうな顔。海賊よりも役人のほうが似合うように見える。しかし彼もまた、キャプテン・バットという人物に魅せられ船に乗った変わり者であった。
「とにかく上陸はする。いつも通り俺が先導し、お前が後ろを守る。いいな?」
「……全く、いつもそれなんですから。困った船長だ」
口ではそう言いながらも、リックはどこか嬉しそうであった。
尊敬している人物に頼られるという快感は、一度味わうと忘れられないものなのだ。
「しかし本当にこの島に勇者の宝があるのでしょうか?」
「俺はこの島に何かあると思うぜ? 勇者が過去この海域に来たのは事実だし、何よりあんな結界でこの島を隠していたんだ。よほど見つけてほしくねえ物がここにあんだよ」
「まあ確かに怪しくはありますが……」
心配そうにするリック。
そんな彼を横目に、バットは上陸の準備を進める。
「野郎ども錨を落とせ! 俺に続け!」
「ヨイサホー!!」
陽気に島に乗り込んでいく海賊たち。
未知との出会いに心を躍らせ、一行は島の中を進んでいく。
その途中には住居のようなものもあった。
「こんな島に誰が住んでいたのでしょうか?」
「残っている物から察するに、こいつらは何かを崇拝していたみてえだな」
そこには巨大な黒い生き物のイラストがいくつも置かれていた。彼らはそれを信仰していたようだ。
「へえ、怪しい宗教か何かでしょうか」
「こんな島なら何を崇拝しても文句は言われねえからな。全く、何を崇めてたんだろうな」
バットはそれらにはあまり興味を抱かず先に進む。
早くお宝に会いたいと浮足立つ海賊たち。しかし彼らが出会ったのは財宝ではなく……絶望であった。
「か、頭、これって」
「……勇者様もとんでもねえものを残していったもんだな」
そこにいたのは、全長数十メートルの巨大な蛸であった。
表皮は黒く、粘液で覆われている。
体にはいくつもの呪具や魔道具が巻き付いたり刺さったりしておりその動きを抑えている。
キャプテン・バットはひと目見ただけでそれがかつて海で恐れられていた怪物“ク・ルウ”であると見抜いた。
「四百年前には倒しきれず封印したってとこか。こりゃあ参ったぜ」
バットはポリポリと頭をかく。
海に張ってあった結界は今にも壊れそうであった。魔法には素人であるバットはあれが何年持つのか推測できなかった。下手したら明日にでも壊れてしまうかもしれない。
バットは学がないが、これの存在が世に知られればマズいことになるのは分かっていた。世界に不満を持ち、めちゃくちゃにしたいというもの、身の丈をわきまえず強大な力に手を出してしまう者が何人もいることを彼は航海の中でよく知っていた。
「……どうするんですか、船長」
副船長のリックが困ったような顔で聞いてくる。
バットと違い学がある彼だが、教科書は海を食らう怪物の対処法を教えてくれなかった。
でも今まで常識はずれのことばかりしてきた船長ならなんとかしてくれるはず、彼と他の船員たちもそう信じて疑わなかった。
「ひとまずこれを使ってこいつの封印をかけ直す」
そう言ってバットが取り出したのは、緑色に輝く大きな宝玉であった。
それは彼が見つけたお宝の中でも最上級の逸品、勇者の遺産『微睡翠玉』であった。
かつて勇者の盾に嵌められていたその宝玉には、強い『封印』の効果が宿されていた。
バットはその力を使い、目覚めようとしていたク・ルウを近くの井戸の中に封じ込めた。
「さすが船長、これで安心ですね」
ク・ルウの姿が消え去り安心する船員たち。
しかしキャプテン・バットただ一人は険しい表情をしていた。
「……いや、これだけじゃ駄目だ」
「へ?」
「俺には分かる。この封印は容易く剥がされちまう。そうなったらこいつは再び暴れるだろう」
バットは井戸の底で蠢くク・ルウの力を本能で感じ取っていた。
彼の推測は正しく、微睡翠玉の力を持ってしてもク・ルウは完全に封印は出来ていなかったのだ。
「だ、だったら逃げましょうよ! それかどこかの国に丸投げしましょう、私たちの手には負えません!」
「ク・ルウは勇者オーガが戦うまでどこの国もお手上げ状態だった。一体どこの国がなんとかしてくれるってんだ?」
「そ、それは……」
副船長リックは言葉に詰まる。
こんな怪物、どの国も関わりたくないだろう。そうやって責任を押し付け合っている内に、ク・ルウを利用しようとする愚か者がやって来てしまうかもしれない。
「勇者の後継者がいりゃあそいつに投げてもいいが、生憎新しい勇者は生まれてねえ。つまりこれは俺がどうにかするしかねえってことだ」
「でもそれはおかしいですよ船長。見つけただけでそんな責任を感じることは……」
必死に船長を止めようとするリック。
そんな彼を見て、バットは嬉しそうに笑うと、彼の頭にその大きな手を乗せる。
「違えよリック。俺は責任を感じてるわけじゃねえ。守りてえだけなんだ」
「え……?」
船長の意外な言葉にリックは情けない声を出す。
「俺ぁこの海が好きだ。広く、自由な海が。そこに住む奴らも、魚も、風も、雲も、全部がな」
それは彼の心からの言葉だった。
幼少期から海に出て、世界中の海を巡り見つけ出した彼の答え。生涯をかけて見つけようとしていた真の宝は常に目の前にあった。
「そして何より海にはお前たちと、お前たちの家族がいる。それを守れんだったら……いいぜ、この海賊王の命をくれてやっても構わねえ」
「せ、船長……」
目と鼻から大量に水分を流すリック。
他の船員たちも船長の言葉に涙を流す。
大好きな船長を失うこと、生きがいとなっていたこの航海が終わること。二つの喪失感は大らかで陽気な海の男をも泣かせるほど大きかった。
「この宝石の力を使えばもっと強力な結界を作れるはずだ。いや、島ごと海中に封印するのも出来るかもな。船にある呪具を使えばゾンビにもなれるかもしれねえな。いや、海賊ならスケルトンの方が似合うかもな」
まるで明日の航路を決めるかのように、明るく話すバットを見て、リックはこの人には本当に敵わないと思った。
「船長、私も……」
「当たり前だがリック、お前は帰るんだ。港に家族を残しているだろう?」
バットはリックの言葉を遮るように言う。
「し、しかし! 家族が残っているのは船長も同じじゃないですか!」
「俺は船長だ、逃げるわけにはいかねえのよ」
その言葉には寂しさを感じる。
バットにはまだ小さな子どもがいた。会えなくなるのは寂しいが、子どもを守るためにも逃げるわけにはいかなかった。
「ですが……」
まだ決死の付かない様子のリック。
そんな彼にバットは最後の船長命令を下す。
「副船長リック・エヴァンスに命ずる! 船員を連れ、この島から離脱せよ! そして海賊キャプテン・バットは宝を持って逃げたと言いふらし、この島のことを隠し通すのだ!」
「船長……」
自分の名誉すらも投げ打つその姿を見たリックは、それ以上反論出来なくなってしまった。男の覚悟に水を指すことなど、海の男には出来ない。
「そして! そして……俺の家族のことを見守ってくれや、リック。こんな大仕事、お前にしか頼めねえんだぜ?」
「……はい、分かりました。絶対に成し遂げてみせます」
塩辛い涙を拭き、リックは答える。
もう決心はついていた。
「家族がいる奴は全員帰れ! 他の奴らは……任せる! 酔狂な奴だけ残れ!」
結局無理やり帰らされた家族持ちの船員以外は、全員が島に残ることになった。
この島に残って出来ることがあるかは分からない。しかし敬愛する船長の孤独を少しでも癒せるならと思ったのだ。
「……いいのか? 小舟で」
「はい。ジャック・スピネル号は船長の船ですから」
リックたちはジャック・スピネル号に積んであった小舟に乗り、島を去る。
島を本当に海中に沈めることが出来るなら、これが今生の別れになるだろう。リックたちは涙を流しながら船長と仲間たちに手を振る。
「わ、私たちはみんなのことを忘れませんから! 船長の家族も、絶対に守ってみせます!」
仲間たちは感謝の言葉を述べながら、夕日の中に消えていく。
その様子を最後まで見ていたバット。彼は誰にも見られぬようにこっそり目元を拭い、そして残った愛すべき馬鹿たちを見る。
「それじゃあやるとするか。あいつらを守るための喧嘩をよ」
――――その日、一つの島が海上よりひっそりと姿を消した。
それと同時に世を震わせた伝説の海賊キャプテン・バットも海から姿を消すことになる。
宝を独り占めしようとして仲間と揉め、海上で命を失ったという説が有力だが、その真実を知るものはほとんどいない。