第13話 海厄
「おらあああああっ!!」
巨躯のスケルトン、キャプテン・バットは咆哮を上げながら多腕の怪物ク・ルウに殴りかかる。
その骨の拳は一撃一撃が大砲の如き威力を持つ。ク・ルウの腕は頑丈だが、その攻撃の前に容易く千切れてしまう。しかし、
『ルルッ!』
腕を、ひとふり。
それだけでバットの体は吹き飛び、大ダメージを負う。いくらバットの体が硬くても、体の大きさが違いすぎる。まともな勝負にはならなかった。
「……やるじゃねえか」
ふらつきながらもバットはゆっくりと立ち上がる。
空いた眼窩に灯る光はいささかも衰えていない。まだまだ闘志充分だ。
『ルルッ! イア!』
蛸の化物ク・ルウは、耳障りな声を放ちながら、辺りに生えている木をむしゃむしゃと食べ始める。長い間封印されていたせいでク・ルウの栄養は枯渇していた。
肉食であるク・ルウではあるが、今は植物すらもご馳走に感じた。化物にとっても飢えは最高のスパイスなのである。
「俺を目の前にして優雅に食事たぁいい度胸だ。てめえを飯にしてやるよ!」
バットはク・ルウに接近し、跳ぶ。
そしてその胴体部分を思いきり殴りつける。彼の得意技『蛮殻拳』は、なんの変哲もない普通のパンチだ。
しかし腕っぷし一つで海賊王へと至った彼の拳は重い。
会心の一撃をまともに食らったク・ルウの巨体が浮き、僅かに動く。それを見たシャロとアイリスは驚愕する。
「な、なんなのアイツ……!?」
「あんなに強いスケルトン、見たことがありません……」
二人は少し離れた所で両者の戦いを見ていた。
ク・ルウの中にはヴィニスがいる可能性が高い。アイリスも戦いに加わりたかったが、目の前の戦いが高次元過ぎて割って入ることが出来ずにいた。
自分がやられるのは構わないが、無理に入ったせいで足を引っ張ることは許されないからだ。
シャロはそんな彼女の気持ちを察したのか、慰めるようにその肩に手を乗せる。
「必ず役に立てる時は来る。今は体を休めてなさい」
「……はい」
一方キャプテン・バットは、体勢を崩したク・ルウに猛攻をしかけていた。
「おらおらおらおら!」
拳、蹴り、肘鉄、頭突き。
ありとあらゆる部位でク・ルウの肉体に攻撃を浴びせる。どの一撃も相手を容易に死に至らしめる強力な一撃だ。しかし、
「こいつ……効いてやがるのか!?」
ク・ルウの体は粘液をまとっている上に、非常に柔らかい。
ちょっとやそっとの攻撃では衝撃が分散され、まともにダメージを与えることが出来ない。その上数十メートルの巨体だ、体の芯までダメージを与えるのは王紋を持つバットをしても困難であった。
『グウゥ……イアッ!!』
ク・ルウは大きな足を振り回し、自分の上に乗っていたバットを落とす。
そして反撃をする……かと思ったが、なんとク・ルウはバットに背を向けて逃げ出してしまう。
「ああ!? 何逃げてんだてめえ!」
追いかけるバット。
しかし複数の足を器用に動かして歩行するク・ルウの足は意外と速く、中々追いつくことは出来なかった。
『フグ……イア……』
ク・ルウは島の端、海に面しているところにたどり着く。
するとその体に生えている足の中でも、特に長い八本の足を伸ばし海面の中に入れる。
「……何やってやがる?」
追いついたバットはその光景を見ながら首を傾げる。
すると次の瞬間、ク・ルウが足を引き上げる。その足の先には無数の海の生物が巻き取られていた。
ク・ルウはそれらの生き物を貪るように口に入れ、咀嚼する。
『ジュル……ゾリ……』
気持ち悪い音を立てながら食事を楽しむク・ルウ。
するとその肉体はみるみる内にツヤを取り戻し、膨張していく。
「こいつ……まさかあれで弱っていたってのか……!?」
キャプテン・バットと戦っている時のク・ルウは、強い飢餓状態であった。
植物を食うことで空腹を誤魔化していたが、それでは体力はほとんど取り戻せていなかったのだ。
しかし今、海の生き物を食べたことでク・ルウは急速に力を取り戻していた。
力が漲り、腐臭が辺りを包む。
海厄のク・ルウ。
かつて空より舞い降り、海で暴虐の限りを尽くしたとされているそれは、あの勇者オーガですら討伐に至らなかった伝説の獣。
それの真の力が、目覚めようとしていた。
『ルル……ッ!』
ク・ルウが再び足を振るう。
その速さは先程までの比ではない。バットは反応が遅れ、その一撃をモロに食らってしまう。
「が……あ……」
まるで枯れ葉のように吹き飛ぶバット。
胸骨からミシシ、と音が鳴りヒビが入る。まるで巨大な船に激突されたかのような衝撃に、さすがのバットも木々をなぎ倒しながら何度もバウンドしたあと力なく地面に倒れる。
『イア! イア!』
ク・ルウは勝利の咆哮を上げると、海の中に入っていく。
この島には嫌な思い出が多い、いち早く去り、暴食の限りを尽くそうとしていた。
「く、そが……」
ク・ルウが去っていく様子を、倒れながらバットは睨む。
朦朧とする意識の中、思い出すのは今からおよそ百年前の出来事。
それはまだ彼が生きており、大海原を駆けていた頃の話。
だれよりも海と自由を愛し、それゆえに海と自由を捨てた男の話だった。