第11話 目覚め
――――島に異変が起きる少し前。
二人で島の中を探索していたシャロとアイリスは、島の中央部に到達していた。
そこは木々が生えておらず、開けた場所になっていた。
「ここなら誰か来ても分かりそうね」
「ええ。無闇に歩き回るよりもここで待機していたほうが合流出来るでしょう」
二人はこの場所で休憩し、仲間と合流することに決める。
開けた場所の更に中心部分に行くと、今度は崩れた建築物が二人の目に入ってくる。
「なにこれ。明らかに人工物よね?」
「……そうですね。石造りの家、でしょうか。この風化具合を見るにかなり昔のものでしょう」
ちらほらと現れる、かつて家だった物の成れ果て。
それはかつてここに人が住んでいたことを意味する。
「こんな海底に誰か住んでいたってこと?」
シャロは首を傾げる。
こんな海底に来られる人間が果たして他にいるのか、と。
一方アイリスはその残骸を近くで観察しながら言う。
「……もしかしたらこの島はかつて海上にあったのかもしれません。この岩は港町ラシスコで使われている物と同じに見えます。そこから海運されたと見るのが現実的です」
「じゃあこの島は最初から海底にあったわけじゃなくて、何かが起きたせいで沈んだってこと? いったいどうしたらそんなことになるのよ」
「それは分かりません。しかしそう考えると辻褄が合います」
伝説の海賊キャプテン・バット。
彼が海底の島に行くことが出来た理由は分かっていなかった。もし最初から海底を目指していたのであれば、その準備は特殊なものになるはずだ。
しかしそのような記録は残っておらず、彼はいたって普通の航海に出るように港を去り、そして戻ってこなかった。
「もしかしたらキャプテン・バットはまだ海上にあったこの島に来て、何かしらの理由によって共に沈んだのかもしれません。そうすれば辻褄は合います」
「まあ確かにそう考えれば辻褄は合うけど、なんでそうなったのかさっぱり分からないわね。普通に考えればお宝を隠したいから沈めたって思うけど、わざわざそんなことするかしら?」
「そうですね。沈めてしまえばせっかくのお宝もお金に変えることも出来ません」
アイリスは建物の残骸をしばらく調べた後、立ち上がる。
何か手がかりになるものがないかと思ったが、海風の影響もあり劣化が激しくそのような物は見つからなかった。
「海賊王が生きててくれれば謎も解けるんだけど、まあ人間がそんなに長い時間を生きれるわけないし……ん?」
辺りを見回しながら話していたシャロは、ある物を見つけ反応する。
それは石造りの井戸。
建物から離れぽつんと置かれたそれは、妙な存在感を放っていた。
「どうしましたかシャロ?」
「……なんかあの井戸、嫌ぁな気配を感じるのよね」
「そうですか? 私は何も感じませんが」
アイリスは井戸を注意深く観察する。
至って普通の、何の変哲もない井戸だ。魔力のようなものも感じない。
しかしシャロはそれから何か、悍ましい気配を感じた。
「どうしますか? 近づいて調べてみますか?」
「……いや、私たちだけであれに近づくのは危険だと思う。調べるならみんなと合流してからの方がいいと思う」
真剣な面持ちで言うシャロを見て、アイリスも表情を引き締める。
もしかしたら勇者の血筋だけが感じ取れる何かがあるのかもしれない、と。
「分かりました。貴女がそこまで言うのでしたらそうしましょう」
そう言って井戸に背を向けようとしたその瞬間、井戸の方から「がた」と音が鳴る。
「「――――っ!!」」
二人は咄嗟に臨戦態勢を取り、井戸を注視する。
いったい何が起きるのか。最大限に警戒していると、井戸から人間の手が出てくる。
シャロとアイリスの頬を、汗が伝う。
心臓がバクバクと激しく鳴り、呼吸が荒くなる。
井戸の中から現れたその手は、ゆっくりと井戸の縁を掴み、そして這い出てくる。
そこから現れた人物は、二人の知る人物であった。
「う、あ……」
「ゔぃ、ヴィニス!?」
衰弱した様子で井戸から出てきた従兄弟を見て、アイリスは驚く。
ヴィニスの体は全身ぐっしょりと濡れており、その顔は青くなっている。どうやら体温が下がりきってしまっているみたいだ。
急いで温めてあげないと。アイリスは彼に駆け寄ろうとするが、彼女の存在に気がついたヴィニスは広げた手を前に出し、それを止めようとする。
「だ、めだ。アイリス姉」
か細い声で、アイリスを制する。
「やつが、来る……!」
次の瞬間、井戸から巨大ななにかがぬうっと出てくる。巨大な柱のように見えたそれは、よく見れば先端が尖っている。
表面にはぬめぬめとした粘膜がついており、光沢を帯びている。
まるで触手のようなそれは大きさに似合わぬ速度で動き、ヴィニスの体に巻き付く。
「ぐ、あ……!」
ヴィニスは抵抗し抜け出そうとするが、吸血鬼の怪力を持ってしてもその拘束から抜け出すことは出来なかった。
「ヴィニス!」
従兄弟の危機に、アイリスは駆け出す。
謎の触手の正体は分かっていない。危険なのは重々承知していたが、静観など出来なかった。
「ヴィニスを離しなさい! 鮮血の飛刃!」
アイリスが右腕を振ると、血を凝縮して作られた刃が放たれる。
鉄製の防具ですら裂く、強力な一撃。しかしその刃は触手の先端を少し傷つけることしか出来なかった。
なんと触手の表面についた粘液が刃を滑らせてしまったのだ。
「アイリス……姉……」
ヴィニスはアイリスに向かって手を伸ばす。
全力で地面を駆けたアイリスはその手を掴もうと、必死に手を伸ばす。
しかし二人の手が触れるその寸前で、触手はヴィニスを再び井戸の底に引きづりこんでしまう。
「あ……」
空を切るアイリスの手。
弟のように思っていた彼の姿は井戸の底に消えてしまった。
無力さと悲しみで心が折れそうになる。絶望が心を支配し、悲痛な表情になる。
するとシャロがアイリスの正面にやって来て、彼女の両肩をがしっと掴む。
「アイリス! 何ボケっとしてんのよ! 諦めるのはまだ早いわ! あいつを助けるんでしょ!?」
「シャロ……」
絶望的な状況にあっても諦めず、自分を鼓舞してくれるシャロ。
アイリスはそんな彼女の姿が最愛の人物の姿に重なって見えた。
(そうだ。あの人だったら諦めない。私も……!)
アイリスの瞳に生気が戻る。それを見たシャロは安心したようにニッと笑う。
「もう大丈夫そうね」
「ええ。心配おかけしました」
二人は並び立って井戸を見る。すると、
『オ、オオオオオ……』
井戸の底から低いうめき声のような物が聞こえてくる。
その声は次第に大きくなっていき……遂にその姿を二人の前に現す。
『オオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
その声の大きさに、島が揺れる。
思わず二人は耳を両手で押さえ、顔を歪める。耳を押さえてもまだ鼓膜が痛むほどの咆哮だった。
現れたそれを一言で言い表すと、巨大な蛸であった。
黒い体皮の、巨大な蛸。その大きな体が井戸にどう収まっていたのだろうか、体長は数十メートルはあり、船に巻き付くことができるほどの大きさであった。
足の数は八本どころか数え切れないほどあり、その一本が太く強靭だ。井戸から生えた謎の触手はこの蛸の足であったようだ。
蛸の目は妖しく赤い光を放っている。全身からは腐臭が漂い空気がずんと重くなる。
明らかに普通の生き物やモンスターとは一線を画す恐ろしさを持っている。
「なんなのよこいつ……!」
その異様な生物を見たシャロは絶句する。
勝てるとか勝てないとかそういう次元ではない。
人は台風や津波を見た時、勝敗を考えないだろう。
それと同じ感覚をシャロは味わった。ひたすらに身を小さくし、脅威が去る事を待つ。そうしたい衝動に駆られる。
しかしアイリスは怯まずその化物を睨みつける。
それはヴィニスをさらった、正体がなんであろうと退くわけにはいかなかった。
「ヴィニスを……返しなさい!」
アイリスは無数にある足の一本を蹴り飛ばす。
スパァン! という激しい音が響くが、体皮の表面が揺れるだけでダメージは与えられない。体が大きければ大きいほど当然耐久力も上がるのだ。
「はあああああっ!!」
アイリスは剣の柄を取り出し、そこに自らの血を流し刃を生成する。
自らの血を媒介とし刃を生み出す武器『クリムゾンⅩⅡ』。アイリスの持ちうる最強の武器だ。
かつての吸血鬼の真祖が振るっていたとされるその剣は、物凄い切れ味を誇る代わりに大量の血液を消費する。
つまり長時間の使用が不可能な武器。アイリスは危険を覚悟でこの剣を抜いたのだ。
「――――そこっ!」
鋭い剣閃が走り、巨大蛸の足を切断する。
その太い脚は切れ落ちてからもしばらくうねうねと動いたが、しばらくすると沈黙する。攻撃は通用する。アイリスに少しだが光明が見える。
(ヴィニス、いったいどこに……!)
必死に足を切り落としながら、アイリスは消えた従兄弟を探す。
どれかの足に捕まったままかと思ったが、ヴィニスは見当たらない。するとそんな彼女の隙をつくように、背後から蛸の足が一本迫りよる。
「アイリス危ない!」
「な……っ!」
シャロが叫び、アイリスはそれの接近に気がつく。
急いで回避しようとするが、他の足の対処に追われ間に合わない。
もはやこれまで……そう思った瞬間、ある人物が上空からやって来る。
「おらあああああっ!!」
大きな声をあげながら落下してきたそれは、蛸の足を思い切り踏みつけ、潰す。
あれほど強靭な物を踏みつけただけで倒したことにアイリスは驚く。
そしてそれ以上にその人物の顔を見て、彼女は驚いた。
「よう、大丈夫か嬢ちゃん」
「す、スケルトン……!?」
アイリスを助けたのは黒いコートに身を包んだ骨太のスケルトン、キャプテン・バットであった。彼は挨拶もそこそこに蛸に目を向ける。
「チッ、とうとう目覚めやがったか。大人しく眠っときゃいいのによ」
バットが睨みつけると、蛸もその赤く光る巨大な瞳でバットを睨み返す。
明らかに敵意を感じる。いったい二人の間に何があったのだろうとシャロとアイリスは思った。
「嬢ちゃん。こいつ井戸に入っていただろ。何かやったか?」
「えっと。私の仲間が中に攫われて、そしたら……」
「なるほどね。それが原因か」
納得したように呟いたバットは、蛸に向かって拳を構える。
その体格差は歴然。しかし彼の体から立ち上る闘気はその体格差を感じさせないほど大きかった。
「かかってこいよタコ野郎。てめえにこの海は好きにはさせねえ」