第8話 底にある記憶
――――それはとある青年の、深い深い底に眠っている記憶。
『気持ち悪いんだよ、お前』
『え? そんな声聞こえないよ』
『そういうのは、早めに卒業したほうがいいと思うよ』
同年代の子どもは、口々にそう言い、彼を腫れ物のように扱った。
家族も彼を愛してはくれていたが理解者にはなってくれず、彼の主張をまともに聞いてはくれなかった。
「本当なんだ! 声が聞こえるんだよ!」
吸血鬼ヴィニスは、小さい頃から不思議な声を聞くことがあった。
地の底から聞こえるような、低く悍ましい声。
時間場所関係なく、その声は彼に語りかけた。
『――――闇ダ。闇ヲ求メロ』
『我ガ眷属トナルノダ』
『闇ニ身ヲ委ネロ』
その声に付き纏われた彼は、睡眠をろくに取ることも出来なくなり、精神を病みかけてしまった。
苦しい、誰かに相談したい、話を聞いてもらいたい。しかし周りの人は誰もまともに話を聞いてくれなかった。
疲弊し続ける精神。彼はなんとか声に抗ってはいたが、長くは持ちそうになかった。
「このままじゃ駄目だ……なんとか、しなきゃ……」
悩みに悩んだ末、彼は道化になる道を選んだ。
「我こそは闇の眷属、道を阻むものは真紅の刃で切り裂いてやろう!」
苦し紛れの策であった。
あえて謎の声の言う通り、闇の眷属のように振る舞い、周りの者に自分は『そういう奴』なのだと思わせた。
その結果、彼は声のことを自然に話せるようになっていた。
もちろん彼の言葉を信じる者はいない。しかし話せるだけで彼の心は楽になった。
口にすることで、その声に負けないという気持ちも強くなった。
そうして何とか乗り切っているうちに、いつのまにか声も聞こえなくなった。
しかしヴィニスはその言動を止めることはなかった。
――――あれは諦めたわけじゃない。いつかまた、俺を狙ってやってくる。
という理由のない確信があったからだ。
とはいえ最後に声が聞こえてから長い時間が立っている。
ヴィニスはその出来事を記憶の奥底の方にしまい込んでいた。
しかし……船の上でまたあの『声』を聞いてしまった。
意識を失った彼が夢の中で昔のことを見たのも、それが原因であろう。
「……嫌なことを思い出したな」
頭を擦りながら、ヴィニスは一人起き上がる。
彼が目覚めたのは森の中であった。周りに人気はない。どうやら一人のようだ。
「ここはどこだ? 確か最後は船の上で……痛っ!」
頭を針を刺されたような痛みを感じ、ヴィニスは表情を歪める。
まるで酔っ払っているかのように、頭の中がぐわんぐわんと揺れ、平衡感覚がなくなる。
立っていることすら難しくなり、彼はよたよたと歩く。
「み、水……」
酷く乾く喉を潤すため、彼は半分無意識に水を求めてさまよう。
ここは文字通り海に囲まれた島。飲用可能な水など簡単に見つかるわけがない。
しかし……しばらく歩くと、森が開け、井戸が現れるではないか。
しばらく手入れされていない、古ぼけた井戸。
ヴィニスは急いでその井戸に駆け寄ると、井戸を塞いでいる蓋を開ける。
「邪魔……だ!」
蓋の上に乗っている岩を下ろし、蓋を接着している札を剥がす。
常時であれば疑問に思うそれらを、この時のヴィニスはいっさい不思議に思わなかった。
ただただ強烈な乾きを癒すため、彼は井戸の『封印』を開けてしまう。
その喉の乾きが、今まで語りかけてきていた者により引き起こされたものだと知ることもなく。
「あ……」
井戸を開けた瞬間、深き底よりそれは現れる。
ひたすらに黒く、太く、湿潤したそれは、蛸の足のような形をしていた。
その足のような何かは、呆気にとられたヴィニスの体に巻き付くと、ものすごい力で彼を井戸の中に引きずり込もうとする。
「しま――――」
抵抗する間もなく、ヴィニスは井戸の底に連れ去られる。
彼の声は井戸の底に消え、その場には再び静寂が訪れるのだった。