第13話 臆病
ルイシャたちと別れたヴィヴラニアの皇帝コバルディウスは、永世中立国セントリアが用意した宿泊施設に向けて歩いていた。一等地に建てられたその一軒家は丸ごと皇帝に貸し出されている、他の来賓と比べても最上級のおもてなしだ。
「見て、皇帝よ……」
道を歩く皇帝の姿を見かけたセントリアの住民たちはみな距離を取り陰でコソコソと話していた。
過激な粛清で名高い彼は帝国外でも有名で恐れられていた。
「……ふん」
しかし彼はそんなこと気にする素振りを見せず堂々とした立ち振る舞いで道を歩き、目的地にたどり着く。
その宿泊施設にはセントリアが用意したメイドや執事がいたのだが、コバルディウスはそれらを全て追い返していた。ではそれらを全て帝国から連れてきた使用人でまかなっているかとそうではない。
確かに帝国から幾人もの使用人を連れては来ているのだが、彼はその者たちを自分の寝食をする宿には立ち入らせてなかった。唯一中に入ることを許しているのは自らの腹心である剣王クロムのみであった。
皇帝は足早に自室の中に入ると用意されていた高級ベッドの上にドサっと腰を落とし、叫ぶ。
「あ゛ーーーーーー!! 帰りたいっ!!!!」
まるで子どもが駄々をこねるようにベッドの上で暴れながら皇帝は喚き散らす。
とても先ほどまでの恐ろしいオーラを放った人物と同じ人物だとは思えない行動だ。しかし後から部屋に入ってきたクロムはその様子を見ても眉ひとつ動かす様子はなかった。
「陛下、服が皺になりますよ」
「うるさい! こうでもしないとやってられないんだよ!」
そう大声で怒鳴り散らしたかと思うと、今度は枕に顔を埋めながらおいおいと泣き出す始末。この姿を帝国民が見たら彼が本物の皇帝だとは誰も思わないだろう。
「はぁ、なんで私がこんなとこに来なくちゃいけないんだ。国外は嫌いなんだ、水は合わなくてお腹は下しちゃうし料理も不味い。どこに私の命を狙ってるものがいるかも分からないし憂鬱だ……」
「大丈夫ですよ陛下、私がいるじゃないですか」
「はぁ、確かにお前に勝てる奴なんていないだろうけど私は簡単に死んでしまうんだぞ? 二人いっぺんに襲ってきたらお前一人で守り切れるのか?」
「安心して下さい、賊を二人始末するくらい一秒も要りませんよ」
驕りなど一切ない様子でそう毅然と言い放った腹心を見て、皇帝はようやく落ち着きを取り戻す。彼は部屋に備え付けられている最新魔道具「魔導式冷蔵庫」からよく冷えた水を取り出すとコップに移し、一気に飲み干す。
「……ふう。すまないな取り乱して。お前には迷惑をかける」
「構いませんよ、陛下の情けなくみっともない姿を見るのは慣れてますので」
「お前もうちょっと言い方あるだろ! また泣くぞ!?」
泣いたり反省したり怒ったり子どものように喧しく、そしてとても臆病な姿こそ誰も知らない皇帝の本性だ。
誰よりも臆病だからこそ人の悪意や敵意に敏感であった皇帝は、その相手が行動を起こす前に手を打ち潰した。はたから見れば何もしてない相手を怪しいからと一方的に粛清したように見えるだろう、しかしそれは彼の高い危機察知能力を活かした正当な粛清であった。
彼はその能力で自分に敵意を抱く者を先手先手で亡き者にした。誰よりも臆病だったからこそその行動に迷いはなく、徹底的に行った。
その結果いつの間にか彼は王位を狙っていた兄弟を全て殺し、皇帝の座を継ぐことになってしまった。
「あー、つら。王国の王子も見ないうちに立派になっちゃってるし嫌になっちゃうよ。今の国王が死ねば楽になるかと思ってたけど甘かったなあ。ありゃいい王になるよ」
皇帝は自分が睨みつけても目を逸らすことなく立ち向かってきた王子を思い出しため息をつく。
あの時皇帝は本気で王子を殺す気であった。臆病だからこそ、皇帝は最恐の皇帝像を守ることに必死なのだ。それを侮辱するようなことをした王子を許すわけにはいかない。いちどそれを見逃してしまえば今まで築き上げてきた皇帝のイメージは失墜し他国に攻め込まれる隙を作ってしまう。
「王子も大したものでしたが、私はあの黒髪の少年が気になりましたね。各国の実力者の情報はこまめに仕入れているのですが、まさか王国があんな子どもを隠しているとは全く気づきませんでした」
そう言ってクロムは心底嬉しそうな表情を見せる。
まるで長年探し求めた恋人をようやく見つけたかの如き笑み。それを見た皇帝は少し引きながら聞く。
「お前がそこまで言うとは珍しい、確かに勇敢な少年だったがそれほどなのか?」
「ええ、少なくとも将紋以上の実力はあるでしょう。学生の域は軽く超えている……ああ、味見したいですねぇ……」
クロムは舌なめずりしながら自分を睨みつけていた少年の姿を脳内で反芻する。その度に心が躍り多幸感が脳を満たす。
「おいおい頼むから面倒ごとは起こさないでくれよ。後始末は誰がすると思ってんだ」
「……分かってますよ、陛下。私の理性が残っている内はヘマはしませんよ」
「はあ、頭が痛い。頼むから何事もなく終わってくれ……」
愛用している頭痛薬と胃薬を水で流し込んだ皇帝は、悩み事から逃げるように眠りにつくのだった。