第12話 粛清帝
先ほどまで穏やかだった皇帝のその変貌ぶりにユーリたちは驚き、焦る。
(まずい……どうすれば切り抜けられる!?)
皇帝の機嫌を損ね、首を刎ねられた者の話を聞いたことのあるユーリは額に汗を浮かべる。
まさか王族である自分に直接危害を加えることはないだろう。そう高を括っていたのだが、彼はその認識が甘かったことを認識した。
「気分を害されたのであれば謝罪します。申し訳ありません。しかし今回の件に関して皇帝陛下を軽んじる意図がなかったことだけはご理解いただきたいです」
「五月蝿い。お前の意見なんざどうでもいいんだよ。重要なのはただ一つ、この私が不快に思ったかどうかだけだ」
ユーリは必死に謝罪するが皇帝はそれを聞き入れなかった。
粛正帝。皇帝のその二つ名がユーリの脳内に浮かぶ。
「クロム」
皇帝が短くそう言うと、後ろに控えていた軍服の人物「クロム・レムナント」が前に出てくる。
腰に携えた剣に手をかけてすらないにも関わらず、ユーリは首元に剣を当てられたような錯覚を覚える。それほどまでにクロムの放つ殺気は鋭かった。
「王子、少し下がるっす」
そう言ってユーリの前にイブキが進み出る。
そして腰に携えた剣に手をかけようとして――――その手が止まる。
理屈ではない。その剣を握ったらヤバいという動物的直感に従いイブキはその手を止めた。それを見たクロムは「へえ」と感心した声を出し、薄く笑う。
「賢明な判断だ、私の前で剣を握った時点で貴様を敵と判断しその首を刎ねていただろう。いい勘をしている」
「はは、そりゃどーも」
九死に一生を得たが、依然状況は好転していない。ユーリとイブキは必死に頭を働かせ打開策を探るが、今回ばかりは相手が悪い。
稀代のカリスマの持ち主と名高い皇帝と大陸最強の剣士。若くまだ未熟な王子とその付き人で手に負える相手ではない。
(最悪僕が死んで済むならいい。でもここでそんな事件が起きれば戦争に発展しかねないぞ!)
ユーリはこの危機的状況において、自分の身よりも国のことを案じていた。
飛ぶ鳥を落とす勢いで発展している帝国と、無能な前王によって国力が下がっている王国。ぶつかれば王国が不利なのをユーリはよく理解していた。
だからこそここで死ぬわけにはいかない。しかしそれを分かっているのかいないのか、帝国最強の剣士クロムは腰に携えた剣を握りながらユーリ達の方へ歩いてくる。
「王子お付きの剣士、まだ学生の割にはいい闘気を持ってるじゃないか。どれ、少し味見をしてみよう。もし私を満足させることが出来るなら見逃してやってもいいぞ」
「は、はは……お優しいことで」
凄まじい闘気と殺気を放つクロムの前に立っているだけでイブキは精神をすり減らしていた。万全の状態でもマトモに戦える相手ではないと言うのに、この状況ではお話にもならないだろう。
極度の緊張で足が震え始めたその時、イブキの前にルイシャが進み出る。
「ルイっち……」
「ごめんね。しゃしゃり出させてもらうよ」
そう言ってルイシャは目の前に立つ最強の剣士を真っ直ぐに見る。
その立ち振る舞い、オーラ、視線の動きや体重移動など。その一挙手一投足全てが目の前の人物が紛れもなく本物の強者だとルイシャに伝える。
ずっと気になっていた最強の存在が噂に違わぬ強者であることに嬉しくなり、笑みを漏らしそうになるがルイシャはそれをグッと堪える。
「初めましてクロムさん。会えて光栄です」
「……誰だお前は?」
そう言ってクロムはじろじろと目の前に立ち塞がった命知らずな少年を観察する。
一見すると頼りなさそうな少年だ。背は低く線も細い。顔立ちは中性的であり服装によっては女性にすら見えかねない。
その身から漏れ出る魔力と気もそれ程多くはない……が、それは少年が漏れ出るそれらを巧みにコントロールしているからだとクロムは看破した。
そして一見細身に見えるルイシャの肉体が、極限まで絞り、鍛え込まれた鋼の肉体であることも同時に見破った。
「ほう……ほうほうほうっ! なんだ王国にも面白いのがいるじゃないか!」
クロムは上機嫌にそう笑うと、悪虐な笑みを浮かべルイシャを見る。
「少年、君なら私に敗北を味合わせることが出来るだろうか? 私は退屈してるんだよ、もうしばらく命のやり取りを出来るほどの奴と戦えてなくてね……!」
そう言って剣を抜き放とうとした瞬間、皇帝がクロムの肩をガシッと掴み襲いかかろうとするのを止める。
「終わりだクロム、どうやら目立ちすぎたようだ」
「ん? ああ……なるほど。少し楽しみすぎたようですね」
周りを見ると騒ぎを聞きつけ人が集まり出していた。
流石にこの状況下で派手に行動するのは憚れる。そう判断した皇帝はクロムに撤退を命じる。
「その名も知らぬ少年の勇気に免じて引こうじゃあないかユーリ君。しかし忘れないことだ、君が思ってるほど君の立場は安全ではない」
「……ご忠告痛み入ります陛下。身を持って勉強させていただきました」
ユーリの皮肉とも取れるその発言に皇帝は薄く笑うとその場を後にする。
「少年、君も学園祭参加者なのだろう? であれば私の教え子たちと戦う可能性もあるということだ。それまでに負けてくれるなよ」
そう言い残しクロムは皇帝の後をついて歩き出す。
皇帝とクロム、二人が見えない位置まで去ると、ユーリはその場に膝をつき大きなため息をつく。
「はは、流石に今度ばかりは死を覚悟したよ。二人ともありがとう、一人だったらとても乗り切れなかっただろう」
「……俺は役に立ててないですよ。こんなんじゃ王子の盾失格だ」
「そう言うな、お前がいてくれるだけで僕は勇気を貰えてるんだから」
ユーリはそう言って悔しさに震えるイブキの肩を元気付けるように叩く。
実際人外クラスの実力を持つクロムを相手に逃げたり気を失わなかっただけイブキは優秀だ。しかし当の本人は納得できないようで俯いてしまう。
一方ルイシャはというと皇帝たちが去っていった方を見ながら期待に胸を躍らせていた。
「最強の剣士が育てた生徒か……いったいどれくらい強いんだろう」
それぞれの思いを胸に、波乱の学園祭が幕を開ける。