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メトロポリス・8


 無数のモニター画面を前に、署長は歯ぎしりをせんばかりに焦っていた。屈強な体躯を無理やりに包み込んだ軍警察の制服が、はち切れそうな程に膨れ上がる。意志とは無関係に手が震え、額からとめどなく落ちる汗を上手く拭うことができない。


 軍警察本部。

 メトロポリスの治安維持を担う巨大組織が、上層部と下層部を繋ぐ中間地点にその威容を構えている。

 分厚い防壁やシェルターを完備し、浮遊式戦闘車両や強化外骨格といった最新鋭の武装を多数配備した、難攻不落の要塞。そんな優美さとはかけ離れた建物の中でも、それなりに装飾品の置かれた署長室にあって、彼はただただ気を揉んでいた。


 すでに絶滅した高木を加工して作られた、立派な机。その横には陶器製の大きな花瓶が置かれ、そこには汚染された外界には存在しない希少な花が活けられている。床には幾何学的な絵柄が織られた絹の絨毯が敷かれており、その芸術的な色彩は、例え立ち入ったのが無粋な者だったとしても、眼を奪われる程の美しさだ。

 ここまでくれば、いくらかの絵画が飾られていてもいいところだが、しかし部屋中の壁には所狭しとモニター画面が設置されている。そしてこれこそが、署長の心を乱す原因となっているのだ。


『ズール、対象を発見できず。指示を乞う』

『エコー、闇市中央部の小屋を占拠。対象及び犯罪組織の幹部たちの姿はなし』

『ロメオ、犯罪者の集団と接触中。…該当者無し、対処する』

『オスカー、無力化した“犯罪者”の中に、対象は存在せず。タグ打ち後、移動する』


 次々に飛び込んでくる状況報告は、当初から想定していた通りのものであった。

 土台、無理な注文だったのだ。あの落伍者たちの巣窟、スラム街には、人ですらない塵同然の連中が少なくとも十数万人以上ひしめいている。上層、下層にて罪を犯した者の逃亡、あるいは安住の地を求める異邦人の流入などがひっきりなしに起こるため、総数はどんどん増えていく一方だ。

 この中から“たった1人の娘”を探すなど、例え軍警察の全戦力を投入したとて、容易いことではない。


「各分隊、任務を続行しろ。必ずやり遂げるのだ」 


 必死に感情を抑えた声でそれだけを命じると、署長は叩きつけるようにして通信用マイクを机上に置いた。こんな訳の分からない任務に駆り出された彼らの心中を察すればこそ、『役立たず共』だの『無能共』だのといった悪態が口から飛び出ることもない。

 もっとも、彼がそれらを寸でのところで飲み込むことができたのは、すぐ隣にいる人物のおかげでもあった。

 

「素晴らしい練度ですな」


 絶妙なタイミングで声をかけられ、硬直しかけた署長は、「はぁ…」とどうにか曖昧な相槌を返した。

 その返事が聴こえているのかいないのか、机の脇に立ってモニター画面に見入る人物は、続けざまに言う。

 

「不慣れで足場の悪い土地でも、少しも作戦行動が鈍っていない。暴徒化した“住民”から反撃を受ける可能性もあるというのに、常に冷静に行動している」

「ですが、未だご息女を発見できておりません。闇市に集まっていた“犯罪者”たちの大部分も、逃してしまいました」

「無傷で保護して欲しいと、私から無理を願ったのです。だから貴方は、“住民たち”に無用な事故が起こらないようにと、あえて逃げ道を作ったのでしょう?」


 あくまでもスラムに住まう人間を“犯罪者”と断じる署長に対し、その認識を改めさせるような、しかしどこか優しい口調。その声の主が、ゆっくりと署長へと向き直った。

 メトロポリスでは珍しい黒い肌。顔中に刻まれた深い皺の数々は、長い白髪と共に彼の年齢の高さを窺わせる。上等な山羊の毛によるグレーのスーツは広い肩幅と長身にぴったりとフィットし、右手に持つ宝珠のついた杖も相まって、相対する者に『上位者』という強い印象を与える。

 実際、このスィスと名乗る老人には、『やり手のコンサルタント』という肩書よりも、『王』という称号がしっくりくるように署長には思えていた。


「まず闇市に一撃を加え、“住民たち”を逃がす。だが軍警察の出現に警戒心を抱いた彼らは、スラム中の屋内に逃げ込む筈だ。そこを虱潰しにしていく、という算段なのですな」


 柔らかい笑顔を浮かべた老人が、さも感心したというように何度も頷く。

 尊崇する老人に真意を看破され、署長は驚愕と同時に喜悦に満たされた。


 スィスに評価された通りに、署長は闇市への襲撃にあたって、わざと部隊の侵入区域を限定した。

 仮に“犯罪者”―もとい“住民”たちを捕らえるだけならば、市を完全に包囲してから銃弾を浴びせかければよい。しかしそんな手段をとっては、混乱した人の波が互いを押しつぶし合い、死傷者が山積する大惨事になっただろう。しかし此度はこの老人から、「スラムに迷い込んだ娘を無傷で確保して欲しい」と頼まれていたのだ。

 スラム中の人間が集う闇市ならば、その娘が姿を現す可能性が高い。さりとて軍警察が得意とする殲滅戦という手段は使えない。ゆえに署長は、中途半端な戦力で市場に集まっていた者どもを追い散らし、その後分散した集団を少しずつ、根こそぎに捕えるという出鱈目な掃討戦を画策したのだ。

 その作戦を見たいなどと所望された際には、事の成り行きにどのような叱責を頂くことになるかと戦々恐々としていたのだが、署長の真意はすでに汲まれていたのだ。


「現場の方々も、さぞご苦労なさっていることでしょう。大変に申し訳なく思います」

「そんな! 貴方様のご息女を想う心労に比すれば、どうということはありますまい」


 笑顔をかき消し、眼に涙を浮かべたスィスに仰天し、へつらう署長。この老人と出会う前は、厳しくとも部下に配慮のできる人物と評されていたものだが、現在の彼にはそんな気概は微塵も見られない。

 ただただ眼の前の『主』にすべてを捧げる『奴隷』の如き有様である。


「スィス様。私は必ずや、貴方様のご期待に沿う働きをいたします。どうかご安心いただきたい」

「おお、なんという力強い言葉か。やはり貴方に頼んだのは、正解だった!」


 落涙するスィス老人は、感極まったように叫んだ。大袈裟に杖ごと両手を振り上げ、署長の身体を抱擁する。


「どうか、どうか私の娘を救っていただきたい。最早私は、貴方に頼る他ないのです…」

「も、勿論であります! どんな手段を講じてでも、お嬢様を救い出してご覧に入れましょう!」


 忙しなく明滅するモニターの光を浴びながら、署長は力強く応じた。


 何故これ程までに、この老人の力になりたいと望むのか。疑問に感じていた自分はもういない。

 そうだ、俺はこの人のために、この偉大なる人物に仕えるために存在しているのだ。


 自身でも理解できない高揚感を覚えながら、署長はそう確信していた。

 

 







 署長室を後にすると、スィスは鷹揚に歩き始めた。右手の杖が、廊下に敷かれた深紅の絨毯をリズミカルに突く。しかし注意深く観察すれば、その杖にそれ程体重が乗っていないことが分かっただろう。どうやらこの老人にとっては、杖とは歩行の補助を担うものではないらしい。

 その微笑を浮かべた顔は余裕に満ちており、とても愛娘が危険地帯で行方不明になっていることに危惧を抱いているようには見えない。鼻歌でも歌いだしそうだ。

 

『凄いわね、スィス』


 ふと、老人のすぐ隣から、囁き声が流れてきた。まるで誘う様な、甘い香りのする様なそれは、女性のものである。


『あの署長さん、ほんの2、3日前までは酷く不愛想だったじゃぁないの。一体どんな手練手管を使ったのかしら?』


 声と共に、何もない空間に陽炎の様なものが出現した。覚束ないそれは、見る間に何かを形作っていき、わずか数秒ではっきりとした人の姿になる。


 人。いや、この世界において、これを人とは呼称しない。

 

 肩にかかる程の銀髪に、背中が露出した黒いシックなドレスに身を包んだ、妙齢の美女。

 しかし、明らかに異常な部分がある。腕の半ばから手までが鱗で覆われ、手には鋭い爪が付いている。そして頭の両脇からは山羊の様な角が、背中からは蝙蝠の様な羽が生えているのだ。

 まさに人外の怪物が出現したというのに、スィスは特に驚きも、怖じけることもしなかった。柔らかな微笑を崩さぬまま立ち止まり、応じる。


「なに、大したことはしていないよ。少し話しただけさ」

「何とか言う企業の俗物たちにやったように、袖の下を握らせたのではなくて?」


 怪物女が老人にしなだれかかりながら、人差し指でぷっくりとした唇を押さえた。恐ろしい外見ながら、とても蠱惑的な仕草だ。そんな彼女を横目で見ながら、スィスは事も無げに言った。


「彼には必要なかったさ。いや、彼はそう言ったものに興味を示さなかっただろうね」


 彼女の述べた通り。スィスはメトロポリスに訪れてからというもの、政財界のあらゆる権力者に、あらゆる手段を用いて取り入ってきた。贈賄は勿論のこと、仇敵に関する秘密や醜聞の情報提供、時には脅迫じみた言動までも。

 だがあの署長については、それらの方法のいずれも使用していない。


「彼は自分の実力に自信をもち、その表現方法である軍警察が、メトロポリスに秩序をもたらしていると確信している。俗物ばかりの上流階級の人間にしては、珍しいタイプだった」

「自惚れている、ということかしら」

「少し違うな。自らの役職に、誇りを持っているのだろう」


 スィスが調べ上げた限り、署長の上層での評判は芳しくなかった。貴族の名家に連なる者、一流企業の重役、行政府の人間。そう言った“パワー”をもつものたちを、その経歴に関わらず数多く捕えてきたからだ。

 彼の権力基盤を脅かす者たちを、その職権をもって排除したのだと揶揄する声は多い。だが冷静に、客観的に見れば、メトロポリスの法を犯した者を裁きの間に引っ立てたに過ぎない。地位や後ろ盾に一切忖度しないその苛烈な性格のせいで、暗殺されかかったのも1度や2度ではないようだ。

 メトロポリスの平穏を守るという職務には忠実であったが、そのあまりの高潔さを理解してくれる人間はいなかったのだろう


 そこまできて女性は、『ああ』と、得心がいったように呟いた。スィスの腕に自分のそれを絡め、艶めかしく上半身を押し付けてくる。何とも言えぬ感触と共に、形のいい胸がふんわりと潰れた。


「そんな満たされない彼を、貴方が承認してあげたということね。お優しいこと」

「自身を強い人間だと思い込んでいる者程、案外心に柔らかい部分を持つものだ。そこを優しく撫でてやれば、意のままに操るなど“我”にとっては容易いことよ」


 そう言ってスィスは、再び廊下を歩き出した。女性も、それに追随して隣を歩く。美しい化け物と、それを伴う老紳士。浮世離れした、というよりも、この世のものとは思えない光景である。


 そんな異常な2人は、上機嫌に語らう。


「何にせよ、ここからは高みの見物だ。すでに他の連中も動き出していることだろうが、先に“彼女”に到達するのは我であろうな」

「あら、自信たっぷりね。確かにあの署長さん、張り切っていたけれど。本当に勝てるのかしら?」

「当然だろう。かように強固に管理運営される社会では、組織の力を利用する者こそが…」


 スィスの表情が、くるりと変化した。笑みの形が、深く、鋭く、陰をつくるようにして。


「…絶対的な、強者なのだ」


 その笑顔は、先刻署長に向けたそれとはまるで違う。


 老練の詐欺師の様な、慧眼の賢者の様な。





 あるいは、強壮なる覇王のようだった。

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